オセロゲーム②「好きだ。銀八」
突然の土方からの告白に、ホッチキスを動かしていた銀八の手がピタリと止まる。
夏休みが終わり学校もようやく平常に戻ってきたかなといった頃、銀八はエアコンの効いた国語準備室で、土方と2人で明日の職員会議用の資料をせっせと作っていた。
二学期にもなると、進学する生徒にとって『受験』の二文字がいよいよ現実味を帯びてくる。クラスの雰囲気もピリピリと緊張感に溢れ、その担任ともなれば、ナーバスになっている生徒がいないかなど、いつもよりも余計に神経をすり減らす事になる。
会議の資料作りは確かに教師の持ち回りだが、せめて三年生を担当している教師は、任を免除すべきではないか!と銀八は校長に直談判した。だが、ハタ校長からは「なに言ってんの。あのクラスにそんな心配いる?」と一瞥された。
そんなこたないよ? Z組の連中だってさすがにナーバスになってんだろ……と思いながら扉を引いたのだが、教室の中は普段通りのカオスな状態だった。うん、そんな心配するだけ無駄だなと、銀八は自分でも納得した。結局主張は通らず、資料を作るはめになった。
いったいどんだけ作るんだ? 考えただけでウンザリする。今時、コピー機にセットしてボタンを押せば、勝手に丁合してホッチキス留めまで終えて出てくるっていうのに。残念ながら、銀魂高校のコピー機は、ただコピーするだけの旧式だ。丁合からホッチキス留めまで、すべて手作業でしなくてはならない。
手伝わせようと目論んでいた坂本と服部には、「俺ら補習授業があるから」と頼む前に釘を刺された。
やってらんねぇー。こんなん、一人でなんて出来るかよっ! いったい、帰るの何時になんだよっ。
職員室は広くて人が多いからか、エアコンの効きが悪い。せめて涼しい場所でやるかと、プリントの束を両手に抱え、国語準備室へ向かっていると、後ろから声をかけられた。
プリントを落とさないように振り返ると、褐色のV字前髪に、眼光の鋭い男が腕組みをして立っている。白い半袖シャツと指定のスラックスを着用していなければ、どこのチンピラが校内に紛れ込んできたのかと間違われそうな風体だ。
「なんだ、土方か」
「何やってんだ、先生。そんなに紙、抱えて」
ぶっきらぼうな物言いに、こいつ中学のとき絶対ヤンキーだったろ、と銀八はぼんやり思った。よく見りゃ顔は整ってんだから、もう少しやさしい言い方すりゃあ、女子にモテるだろうに。もったいねぇの。悔しいから、本人には言わないが。
土方は受け持っているZ組の生徒で、近藤と沖田と山崎と同じ風紀委員だ。度の過ぎたマヨバカで、半端ない量のマヨネーズを料理にかけて食べる。舌は壊滅的だが、風紀委員の副委員長をやるだけあって、あのクラスの中では比較的まともな存在だ。
時々、授業の準備やプリントの回収などの雑用を頼むのだが、何で俺がと文句は言うが、最終的には手を貸してくれる。性格なのか、受けたら一切手を抜くことはせず、頼んだ以上の仕事をしてくれる。そんなんだから、地味にめんどくせぇと思った仕事は、自然と土方を頼るようになった。
「明日の会議の資料作りだよ」
「へえ、アンタでも真面目に出るんだな」
「出るわ!っつーか、そっちのが多いわ」
土方はふーんとあまり分かっていないような、生返事をする。
一日の仕事の中で、会議だの校長からの相談だの、親御さんへの連絡だの、なにかと雑用に使われる時間は多い。本職であるはずの教職は1日の内のどれだけか。免許を持っているからと進んだ教師という仕事は、そこまで志しが高かったとは決して言えないが、それなりに合っていると思う。だが、雑用の多さに辟易する事は多々ある。
そんな大人の事情なんて、まだ分かんねえよなァ――。
土方の半袖シャツの左腕には『風紀委員』の腕章がぶら下がっている。腕章をつけているということは、コイツはまだ委員会の途中か。正直、手伝ってくれと喉元まで出かかるが我慢する。さすがに、学生の領分を邪魔する気はない。じゃあな、銀八は踵を返した。
「手伝ってやろうか」
「えっ」
思わず声に驚喜が滲み出たのがバレバレだったか、土方が呆れたように言った。
「委員会の会議が始まるまで、まだ時間がある。それまでなら、手伝ってやってもいいぜ」
土方からの提案に、もちろん二つ返事で頷く。
良かったーー!これで今日は早く帰れそうだ。そう思って、ホッとした時間は束の間で終了した。まさか、この後土方に告白されるなんて、誰が思う?
「……なにそれ、罰ゲーム?」
銀八の口から出てきた第一声は、それだった。今まで、土方からそんな素振りは全くなかった。だとすれば、考えられるのは、クラスの連中か委員会の奴らか知らないが、そいつらと賭けでもして『負けたら教師に告白な――』とか何とか、その手の遊びだろう。
はいはいはい、あるよね、そういうの。ちょっと、お前負けたんだから行ってこいよ〜みたいな? なる程、そういう事かと銀八の中でストンと府に落ちる。そんなお遊びをイチイチ真に受けていてはキリがない。
「ち、違えっ。ずっと思ってた事だ」
「あー、一応念のため聞くけど、お前の恋愛対象って同性?」
ホッチキスを持つ手を再び止めて、土方の顔を覗き込む。土方が、顔を赤くしてパッと視線を逸らした。
「いや、違うけど…。そうじゃなくて、あ、あんたが好きなんだよ、銀八」
両手を握り締めて、声を絞り出すように告白する土方に、銀八はどうしても少し冷めた目で見てしまう。何をそんなに必死になっているのか。なに、もしかして俺からOKもらわないと、さらに非道な罰ゲームが待っているとか? そんなもの、土方が黙って呑むとも思えねェけど……。まあ、だからといって、付き合ってやる義理もない。
「はいはい。寝言は布団の中で言えってね。んな事を、起きてる時間に言うもんじゃねえよ」
「ね、寝言じゃねえっ、銀八っ」
「うん。土方の気持ちはよく分かった。けど、先生はその気持ちには答えられません」
「銀八っ」
「銀八じゃなくて〝先生〟な。はい、先生、今日は大変助かりました。後はもういいから、お前も委員会に行ってらっしゃい」
いや、ちょっと待てと抵抗する土方の背中を押して廊下に追い出すと、これが答えだと言わんばかりに、ピシャリと音を立てて扉を閉めた。留めにと鍵も掛ける。扉の向こうから、しばらく土方の呼び掛ける声が聞こえていたが、無駄だと理解したのか静かになった。やがて、廊下を駆けていく足音が遠退いていった。
「ふーっ。ったく、タチがわりィな、あいつら」
資料を机で揃えながら、銀八は独りごちた。土方からの告白は、完全に罰ゲームの類だと思っていたが、それが本気なのだと、徐々に気付かされていった。
ぶっちゃけ、土方は俺みたいなタイプは苦手だと思う。不器用なほど真っ直ぐで、コレと決めたら冷静に道筋を見極め突き進むタイプだ。俺みたいな、長い物には抵抗せず、楽な方へと流れるのを厭わないタイプは苛つくだろうな、と。
そんな土方に好きだと言われても、冗談としか思えなかった。ところが、一度口に出したことで、土方の中で堰きが崩れたのか、ことある毎に準備室に現れては、「好きだ」「ずっと好きだった」「付き合ってくれ」そんな言葉を繰り返した。
昼休み、準備室の扉をノックする音が聞こえたと思ったら、返事をする前に扉が開き、土方がもはや当然といった風情で入ってきた。
「ノックぐらいしろよ」
銀八はうんざりとした顔で土方を睨みつけた。カップラーメンにお湯を注ぎ、出来上がりまでの5分間を、ジリジリと待っていたのだ。
「ちゃんとノックしただろうが」
「返事聞いてから入るもんでしょうが」
「テメー駄目しか言わねえじゃねえか」
「分かってんなら入ってくんな」
土方がムスッと不機嫌そうな顔になる。いや、不機嫌になりたいのはこっちの方なんですけど。土方が職員室にまで来るものだから、それを避けるために最近は準備室で過ごすハメになっている。お陰で、坂本や全蔵に集る事もできないから寂しい昼ご飯が続いている。
「もう、お前もいい加減にしろよ」
「あんたが、ちゃんと考えてくれねェからだろ」
土方がパイプ椅子に腰を下ろすと、重みでギシっと軋む音が響いた。生徒と何をどう考えろというのだ。手元の割り箸を割り、まだ5分には早いが、カップラーメンの蓋を剥がす。少し硬めの麺を啜ると、空腹が少しだけ満たされて思考がはっきりしてくる。
このしつこさは、のらくらと誤魔化すだけじゃ埒があかねぇか? どうしても教え子という贔屓目がある。態度が甘いのは自覚しているが、そろそろ一線を引かなくてはいけないのかもしれない。
「あのな、お前の気持ちはありがたいけど、応えることはできねェって、何回言えば分かってくれますかね?」
銀八は意識して少し語尾を荒げた。さすがの土方も一瞬慄いた表情になる。通じてくれたかと淡い期待を持つが、土方はぐっと唇を引き締めると、じゃあ、と声を震わせた。
「今すぐにとは言わねえ。俺が、卒業するまでに考えてくれ」
ああ、まあそうなるよね。銀八は大きな溜め息を吐きたいのを寸で堪える。長年、教師を続けていると、生徒から告白される経験はそう珍しい事でもない。大抵、こちらから一線を引くと諦めてくれるのだが、もちろんそうでない場合もある。どうやら土方の場合は後者で、諦めるつもりは毛頭ないらしい。ま、ある程度予想はしていたけどね。
「考えるってお前、生徒だからとか、そんなんじゃなくてさあ。色々と問題あるでしょうが」
「なにが問題なんだよ」
「大アリだよ? 男同士とかさぁ、年齢とかさぁ」
「そんなの、関係ねェだろ」
こちらの目を真っ直ぐに見て即答する土方の、無垢な若さに銀八は顔をしかめる。確かに、最近では個人のマイノリティが尊重されるようになっていて、だいぶ理解が進んでいるのかもしれない。だからと言って、世間の皆がおめでとうと拍手で受け入れてくれるかというと、まだまだ厳しいのが現実だ。
「関係あるんです。だいたい、俺は結婚するのは結野アナって決めてんだよ!」
土方が蔑むよう目でじろりと睨むと、大きく舌打ちした。
「はあ? お前の方こそ、何夢見てんだよ。んなんだから、恋人とかできねーんだろが」
「おまっ、仮にも好きとか言ってる相手に、舌打ちはねえだろ!夢を見るのは先生の勝手ですー。それに、俺の恋愛対象は異性なの!」
「そ、それは、そうだろうけど……」
土方が眉を下げ、窮したように口を閉じる。銀八は胸の前で腕を組み、優しい声色で諭すように言った。
「お前だって、男が好きって訳じゃねーんだし。んな、一時の気の迷いで……」
「気の迷いじゃねえ」
「いや、気の迷いだって、それ」
「俺は、男とか女とかじゃなくて、……先生がいい」
土方が伏し目がちに、ボソッと呟いた。
えっ、あ、ええっ? 初めて見る弱腰の土方に、銀八は思わず狼狽える。ちょっと待って、いや、諦めては欲しいけど、ちょっと思ってた反応と違うというか。もしかして泣いてるとか?
「ひ、土方、くん?」
銀八がドキドキして顔を覗き込むと、少し潤んだような漆黒の瞳が視線を捉える。銀八の心臓がドキッと跳ねた。いや、ドキッじゃねえだろっ、俺。
「先生……」
「ひ、土方……」
自然と銀八の喉がごくんと鳴った。じわりと顔が熱くなっていく。
「だーっ、だから、いい加減にしろよっ。んなことより、お前、受験生だろ? 恋愛に現をぬかしてないで、 勉強しろっ、勉強!」
銀八は急に立ち上がると、叫ぶように一気に捲し立てた。動揺している自分に動転してしまい、中身のない定型文しか口から出てこない。
「ちっ、ダメか」
土方が舌打ちして掌で膝を打った。土方の豹変ぶりに思わず叫び声を上げた。
「いや、ちょっと待って、お前もしかして演技だった?」
「そんなわけないだろ」
いや、それ、そんなわけあるよね。怖い、怖いよ、今どきの高校生。飄々と答える土方に、銀八が顔を蒼くして震える。
「先生、俺、絶対諦めませんから。でも、受験に合格するまでは告白は休止します」
土方は銀八の目を真正面から見つめてそう宣言すると、準備室から出ていった。静かに閉められた扉を呆然と眺めながら、銀八は大きくため息を吐いた。
なぜ了承されると信じているのか、そんな自信はどこからやってくるのか、銀八には全く理解できない。まあ、ちっとは顔がいいからな。小さい頃からモテモテで、振られたことなんてねェんだろうな。くそっ、リア充め。銀八は勝手に想像して頭の中で悪態をつく。
だったら、わざわざこんなおっさんじゃなくて、歳相応の可愛い女子に行きゃあいいのに。
「何で俺が、こんなに悩まされなきゃなんねーんだよ」
銀八はボソッと独り言を言うと、残りのカップラーメンに箸をつける。スープを吸ってぶよぶよに膨らんだ麺をすする。とりあえず明日からは職員室に戻れるな。銀八はそうぼんやりと考えた。