この日夏の暑さを通り越した雲夢は、秋の実りに恵まれて賑わっていた。
蓮花塢の前の埠頭はその実りを商売する物売りとそれを求める人々で溢れかえり、一年で一番の人出になる。
「かぼちゃはどうかね~!!」
「美味しい大根は今年の初物だよー!!」
「柿、栗ありますよ~!」
道いく人々に商売人たちの呼び込みの声がかけられ、人々は手に品物を抱えては家路につく。
だが、秋のある期間だけは物売りだけでなく人が溢れかえる理由がもう1つあった。
大量の荷を載せた船が何艚もやってきて、船を埠頭に停め蓮花塢に船頭が走る。しばらくして江氏の弟子たちが積まれた荷を見にやってきて何個か小さな書簡を手にしたら、船は荷を載せたまま埠頭を離れる。
それが何回か繰り返されるのだ。
「何で荷を下ろさないんだ?」
初めてここを訪れた若者が首を傾げて疑問を口にした。
「ここは初めてなんだね、若いの。ありゃあ、江氏宗主への仙門から誕生日の贈り物さ」
埠頭で荷下ろしを生業としている初老の男が煙管をふかしながら、答えた。
「宗主への贈り物?でも、荷は下ろしてないじゃないか」
若者の問いは最もで、普通、船で運ばれた物は大体は雲夢に下ろされ地方に陸路で運ばれる。
それも宗主への贈り物の荷とわかっていながら、下ろさずに船が出るなどあり得ない。
「江氏宗主の江晩吟様の誕生日が近くなるとああやって仙門が贈り物を贈ってくるんだ。だがな、宗主はそれをなかなか受け取らない。賄賂とかを嫌うあの方らしいが」
苦笑いしながら煙をふかす男は大きな蓮花塢の門を見上げた。つられて、若者も門を見上げる。
「へえ、江氏の宗主が………」
若者も噂でしか江氏宗主を知らない。
きつい性格で、他人にも容赦なく厳しく、怒りっぽい。紫電という法器を使う様はそれはそれは恐ろしいらしい。
「でも、毎年受け取ってもらえない贈り物を何故仙門は贈るんだろう?」
これも何度も繰り返された質問に男は肩を竦めた。
「さあなぁ。受け取る受け取らないよりも贈ったっていう事実があればいいのかもなぁ。仙門の世界は俺たちにゃわからんよ」
男はふうと煙を吐き出して、旨そうに煙管をふかす。男の言葉に他の仙門に対しての皮肉が込められていた。
「まあ、先代よりは繊細で怒りっぽいが、悪い方ではない。あの方がいたからこそ、雲夢はここまで復興したんだ」
一度は壊滅した江氏と蓮花塢を以前の姿以上に戻したその手腕は誰もが認めるところだ。
「義侠心厚く、曲がったことをよしとしないところはさすが江氏の宗主だと言えるね。お、来た来た」
トンと煙管から灰を落とした男は、荷がやってきた船に向かって歩きだし、行ってしまった。
それを見送った若者は、故郷に持って帰る品物を考えながら、運が良ければその宗主を一目見たいなあと思いつつ埠頭の雑踏に紛れていった。
その頃、蓮花塢では宗主がある客を迎えていた。
蓮花塢の仙女たちが浮き足立ち、家人たちまでそわそわしながら試劍堂を覗き込んでいる。
どうしてこうもここの兄弟は人目を惹くのだと心の中で舌打ちしながら、江晩吟は座を勧める。
「はるばる遠くからようこそいらっしゃった、沢蕪君」
相手に労いの言葉をかければ、穏やかな微笑みが返ってきた。
「急な訪問、失礼とは思ったけど、何分急を要するので」
藍曦臣は手に持っていた包みを江晩吟へと渡した。
大きさは江晩吟の片手ぐらいなのに、ずしりと重い。思わず両手で持つと藍曦臣の顔を見た。
「これは?」
「魏公子からの預かり物だよ。あ、そうそう」
藍曦臣はごそごそと懐から書簡を取り出すと、江晩吟へと差し出す。
「書簡も預かっていた。まずはこれを読むようにと」
「はぁ………」
訳のわからないまま江晩吟は包みを卓の上に置くと受け取った書簡をぱらりと捲る。
意外と達筆の文字は幼い頃から見慣れたもので、間違いなく師兄からだった。
『誕生日、おめでとう!
何を贈るか迷ったけど、今年はお弁当にしました』
「何だと!?どこの世界に誕生日に弁当を贈る馬鹿がいる!?………あ、ここにいたか………」
「江宗主、心の声が漏れてるよ」
急に書簡に砕けた口調で文句を言い始めた江晩吟を藍曦臣が窘めた。
『なんと!米は俺が植えた米なんだ!酒作りの名人と知り合いになって、初めて田植えに挑戦。その米が実り、先日稲刈りも体験しました。ほとんどが酒作りに使うんだけど、どんな米か味見程度にお裾分けしてもらえたので、江澄にも味わってもらおうとおにぎりにしました!』
「酒作りの名人と知り合うなんて、どこをウロウロしてたんだ?おまけに田植えとか稲刈りとかどんだけ暇人なんだ、あいつは。それなら米を贈ってこい。なんで、握るんだか…」
「魏公子がぎっくり腰で動けなかった名人を助けたご縁らしい。意気投合して田植えも手伝ったそうでね。その時にできた米で作る酒を忘機が買い上げると約束したとか。なんとも気が早いと皆で話したが、今年は豊作で美味しい酒ができると専らの噂だよ。米は残念ながら、一食分しかなかったんだ」
魏無羨の書き足りてない部分を藍曦臣は丁寧に説明した。
『あと、雲深不知処の川で取れた魚の塩焼きと裏山で狩った鳥の甘辛焼き、畑で取れた大根のふろふき大根と南瓜の煮付けと椎茸の味噌焼き、弟子と金凌と取りに行った栗の甘露煮の豪華なお弁当です!』
「雲深不知処はどうなってるのだ?やりたい放題のあいつを見て見ぬふりして野放しなのか?それに自分で豪華、って言うか?」
「あはは」
文句の矛先がこちらに向いた事に藍曦臣は笑って流す。
『味は心配ないぞ~。藍湛と子供たちが味付けしたからな!』
「ならお前からの贈り物じゃないじゃないか!」
「発案者は魏公子だからねぇ………」
他人に味付けさせておきながら堂々とそれを贈ってくる師兄の面の皮の厚さに江晩吟の毒舌も止まらない。
『あと、沢蕪君にもう何個か贈り物を託してます。この時期になるといつも江澄は体調を崩すだろ?』
「っ!」
息を飲み、言葉を詰まらせた江晩吟の様子を見て、書簡に目をおとした藍曦臣は瞬きした。
「………そうなのかい?」
確かめるように尋ねると、江晩吟は後首に手を当てて、あ~と虚空に視線をさ迷わせる。
「………子供時分、夏の暑さの後、収穫祭やらなんだと忙し動くと自分の誕生日らへんによく熱を出していて……あいつ、覚えていたのか………」
もうかなり前の話だ。
大人になると昔のように熱を出すことはなくなったが、疲れが貯まってくるのは否めない。
「なるほど。だから、だね」
乾坤袋を取り出した藍曦臣は、そこから沢山の包みを取り出した。
「魏公子がこの一週間、叔父上に習いながら薬草を煎じてね。かなりの種類を用意したものだから、蓮花塢は薬不足かと思ったよ」
卓の上に積み上げられた薬の包みには、滋養強壮や疲労回復などの文字が書かれている。胃薬や下痢止めもあるのは、何故だ?
「あとこれを………」
ごとりと音を立てて置かれたのはしっかりと封をされた壺だ。壺には『甘露蜜』と書かれている。
「これは?」
丸みを帯びた壺を取り上げてしげしげと見ながら江晩吟は壺から香る甘い匂いを嗅いだ。
「秋に樹液から取れる蜂蜜でね、珍しいものだよ。これも魏公子が探してきた」
「蜂蜜?花の蜜ではなくて?」
「とても栄養価が高い蜜らしくてね。かりんを漬けたり栗の甘露煮に使っても良いが、一匙だけ毎日食べてもいいそうだよ」
へえ、と感心しながら江晩吟はその壺を撫でる。その様子に、藍曦臣はくすりと笑った。
「なんだろうか、沢蕪君」
「あ、いや。魏公子が江宗主は甘いものがお好きだと言っていたので」
「チッ、余計な事を………」
仕打ちしながら壺を卓の上にもどした江晩吟は、書簡の続きを読む。
『もういい歳になるんだから、無理は禁物です』
「何を言ってる。先日まで死んでた奴に言われたくない」
『本当は俺が持って行きたかったんだけど、やんごとなき事情で沢蕪君にお願いしました。
江澄、お誕生日、おめでとう。これからもよろしく!』
言いたいことだけ書かれた書簡はそこで終わった。
「やんごとなき事情とは何だ?」
「忘機が……あー、弟がね………」
言いにくそうに話す藍曦臣に、大体の事情を察した江晩吟はひくりっと口もとを引きつらせた。
(弁当作りは誕生日なので協力するが、それを持って行くのは駄目だと言い出したか。なら、どうやって弁当を届けるつもりだったのだ、あの鉄面皮は!)
涼しい顔をして師兄を腕に、こちらを見下ろす藍忘機の幻像が見えた気がした江晩吟は再び舌打ちした。
「すまないね、江宗主。折角の魏公子の贈り物なのに。ただ、これだけは言わせてくれないかい?忘機の魏公子も子供たちも今朝は早く起きてこの弁当を拵えたんだ。みんなとても楽しそうに作っていたよ。金公子も参加していた」
「金凌も?」
雲深不知処に最近よく出入りしていると聞いていた甥は、同世代と仲良くやっているついでに師兄とも繋がっているみたいだ。
師兄が悪いことを甥に教えなければいいがと江晩吟は心配しつつ、思い描いていた未来に近づいていくことに嬉しくなる。
「ありがたくいただくことにしよう。生ものもあるし、突っ返せば恨み言を言われそうだしな。礼は改めてするが、まずはありがとうと伝えてほしい」
付け加えたかのような江晩吟の言い訳の言葉を、藍曦臣はにっこりと笑いながら受けとる。
「承知したよ」
藍曦臣が去った蓮花塢は、さっきまでの浮わついた空気が消え、通常を取り戻した。
埠頭には相変わらず贈り物を乗せた船が来ているらしく、書簡は貰い、品物は返せという江晩吟の言葉を子弟たちが実行している。
毎年、返されるとわかっていながらも懲りずに品を贈ってくる仙門に江晩吟は辟易としている。仙督である藍忘機が贈り物を断り始めたので、それが浸透すればこのやりとりもいずれは消えるだろう。
ちらり、と視界の端に入った包みに江晩吟は手を伸ばした。
くうっと鳴った腹にそろそろ昼時かと思いだし、その包みの結び目をほどく。
中から蓋付きの籠が現れ、かすかにいい香りが漂う。
しばし考えた江晩吟だったが、えいっと勢いよく蓋を開けた。
色とりどりの野菜と魏無羨が取った魚や鳥の料理、あと魏無羨が植えたという米のおにぎりが綺麗に入っている。
「何だ、普通だな………」
警戒していた江晩吟は普通の弁当にほっと胸を撫で下ろした。
弁当を作ったのは藍忘機と子供たちだと言っていたので、そんなに身構えることはなかったかと箸を手にした。
ぱくりと噛みついたおにぎりは、塩加減もよく甘味がある。
焼き魚を見て、座学時、川遊びで魚を取り焼いて帰ってきた魏無羨に、姉である江厭離と呆れた思い出が甦る。
鳥もよく師兄が狩りに行っては食べさせてくれた馴染みの味だ。
咀嚼するたびに様々な記憶が甦り、江晩吟はこれを考えた魏無羨に毒づきたくなる。
「この弁当を一人で食べるくらいなら、お前が持ってこい………」
思わずもれた本音は広い試劍堂の中に消える。
誕生日を一人で過ごすなど、この何年当たり前だったはずが、あの師兄が甦ってからは周りが賑やかになり、一人が寂しいと思えて仕方がない。
己の誕生日付近に体調を崩すなんて些細な事はあの師兄しか知らない。一度は憎み、裏切ったと思っていた魏無羨が、こんなに安心できる相手になるとは。
「フン、魏無羨のくせに生意気な」
もう1つ残っていた小さな一口大のおにぎりに噛みつき悪態をついた江晩吟は、グフッと変な声を漏らした。
口に広がる辛味が舌をぴりぴりと刺激し、匂いが鼻から外に抜けて涙を誘う。
顔色を青くして口を押さえた宗主の異常を、通りかかった家人が気づきあたふたと水を用意し江晩吟に差し出す。それを受け取った江晩吟はゴフゴフと喉を鳴らして飲み干した。
「〰️〰️〰️!!」
旨い料理の中に紛れ込んだ、師兄製作のおにぎりは、激辛唐辛子の煮付けが具として入っていた。
これが魏無羨の善意なのか悪意なのか、いや間違いなく悪意だろう。
弁当の下に挟まれた紙片を開いて見た江晩吟のこめかみに青筋が立つ。
『刺激のある毎日を送れ!』
「魏無羨〰️!!」
雲深不知処のある方向に向かって、三毒を手に江晩吟が吠えた。
同時刻、雲深不知処。
ヒー!ハー!フー!と、藍思追たちは言葉にならない息だけをしきりに吐く。口をパタパタ手で扇いでも、大量の水を飲んでも、一度ついた体の熱が全く下がらない。
それどころか、口の中がヤケドしたように熱く、唇も腫れてきているように思える。
「うぇいへんはい!!なんてもんろ、つくっらんれすかっっ!!」
涙を流しながらの藍景儀の抗議を、魏無羨はにんまりとした笑みで受け流す。
「最近さぁ、今までの香辛料だと物足りなくなっちゃって。ある筋から、西洋の香辛料を手に入れて好みの辛さを追求したんだけど、どう?」
誰だ!この人にそんなものを流通させた奴は!?と誰もが声に鳴らない怒声を各々の胸で叫ぶ。
「魏嬰、これだと米の味がわからない。黄大人からいただいた米だから大事に食べないと」
「うん、そうだな」
わざと作ったおにぎりに冷静に対応してきた藍忘機に、てへと魏無羨は笑う。
「今頃、あいつも食べてるかなぁ」
魏無羨の言う"あいつ"が誰かわかるので、しーんとその場が静まり返った。
「上手くできましたから、江宗主もお喜びでは?」
藍思追が大丈夫と太鼓判を押す。
「外叔父上は頑固者だけど好意は受け取る人だよ。今頃、こっそり食べてるよ」
口元の辛さを少しでも取ろうと手拭いで拭きながら、金如蘭が告げる。
「けど、師叔の悪戯心も見抜いてるだろうから、多分、コレに引っ掛かった自分に腹を立ててるかも」
金如蘭がコレと指さした激辛一口おにぎりは、残り1個。それをヒョイと摘まんだ魏無羨は口に入れた。辛い!と言いながらも平気そうに飲み込む様に化け物を見るような視線が注がれた。
「元気づけようとしたけどなぁ」
へらへらと笑いながら嘯く魏無羨に皆で首を振る。
「これ、元気づけるんじゃなくて、疲れさせる料理ですよ!」
「もしくは人を殺すものかもしれない………」
好き好きにわいわい騒ぐ少年たちに魏無羨はキラリと目を光らせた。
「ん~、 あの性格なら奴はここに来るな!」
恐ろしい予言を吐いた魏無羨に子供たちは顔色を失う。
「寂しがり屋の江澄の事だ。ぷりぷり怒りながら飛んで来るにちがいない!みんなで、盛大に迎えて誕生日を祝ってやろうぜ!」
「寂しくて来るんじゃなくて怒って来るんだよね!?外叔父上は!」
「いや!怒られるようなことをしたのは魏先輩だけですからね!?俺たちはとんだとばっちりですよっ!!」
朝早くから弁当作りを手伝えだのと叩き起こされた皆は一斉に嫌がる。
「これは強制参加だ!例外は認めない!」
「えー!!」
「魏先輩の横暴だっ!!」
これからやってくる嵐に魏無羨と藍忘機を除く全員が身震いした。
「確かに皆が元気になったな」
魏無羨の隣から藍忘機が子供たちの様子を見て顔を綻ばせる。
江晩吟が来るかもしれない準備に取りかかったのだ。
「そ、どんな事でもきっかけになればいいんだよ。遠くの誰かさんも元気に飛んできているはずだ」
思い出ばかりを詰めた弁当に、江晩吟は何を思うか。
江晩吟がこの時期体調を崩すことも、素直に弁当を受け取らないだろうから藍曦臣に託したことも、魏無羨だからこそわかる。そして、怒って雲深不知処に来ることまで魏無羨は計算していた。
どうしても入り込めない絆が、魏無羨と江晩吟の間にあることに藍忘機はもどかしさを抱く。
「藍湛、弁当、美味しい?」
顔を覗き込むように尋ねてきた魏無羨に藍忘機はこくりと頷いた。
自分で作ったから変な味ではないと自負はある。
「焼き魚とか鳥とか、藍湛と座学時代に食べれたら良かったな~と思ってた。今日、それが叶った」
にやっと笑う魏無羨は、少し照れたようにも見える。
「………本当に君は………」
「へ?」
言葉が聞き取れず寄せた魏無羨の顔に藍忘機は素早く口付けた。
「なっ、ら、藍湛っ!?」
「 江宗主もいい誕辰を迎えたな」
「は!?これとそれと今、繋がる話なの!?」
混乱する魏無羨をそよに雲深不知処の秋の昼下がりが長閑に過ぎていった。