「麻里ちゃん、大丈夫?」
絵梨佳が声をかけるが、麻里は首を横に振っていた。暁人に似た何かに襲われてから、ずっとこうだ。顔色は真っ青で、全身を震わせている。
「あれなんで僕の顔してたのかな~?」
「お前はなんともないのか?」
「いや、別に」
皆が狂気と圧迫感で動けなくなっている中、暁人だけは平然としていた。
「返せって言ってきたけど僕なんにも奪ってないし、そもそも返して欲しいのは僕の方だよ、こっちは記憶喪失なんだから!」
「お前、怖くないのか?」
「何が?」
「記憶喪失で自分が誰なのかもわからないんだろ? 自分の家族すら思い出せないんだぞ! なのにあんな化け物に迫られて・・・」
「あーうん、それは確かに怖いね」
そう言いながら、暁人はへらっと笑った。
「でもまぁ、最初は怖かったけど昨日のことを覚えていなければ見るものすべてが毎日新鮮だったし、今は割と楽しんでるよ」
その言葉に全員が絶句した。
「お前・・・正気か!?」
「えっなにそれ、どういうこと? 僕は至極当然なことを言っているつもりだけど?」
本気で不思議そうな顔をする暁人に、俺はそれ以上何も言えなかった。こいつはきっと、異常者なのだと思った。だが同時に、俺たちとはどこか違う次元にいる人間でもあるのだと感じた。
「・・・すまないが、彼を少し私のところに預からせてくれないか?」
あいつが突然言い出した。
「はぁっ!?何でいきなり!」
「彼の少し調べたいことがあるんだ」
「どうせお前は暁人を実験台にするつもりだろ!冗談じゃねえ!」
そもそもこの力だって・・・
「え~別にいいんじゃない?」
「暁人!お前な!」
「だって僕のことで気になることがあるなら、そりゃ調べるしかないでしょ。そもそも僕に選択権なんてないんだから」
「だがな・・・」
「僕なら大丈夫、ちょっと行ってくるよ。あ、でも麻里と絵梨佳ちゃんのこと悲しませないでよ?もしそうなったら最悪道連れに」
「ああ、約束しよう」
「そういうわけだからみんな、またね~」
暁人は軽く手を振ってその場を去って行った。俺も麻里も絵梨佳も、ただ彼の背中を見送ることしか出来なかった。
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彼を見ていると何かが欠けていると感じる。記憶喪失と言っていたが記憶と共に魂の一部が欠けている。私はそう思った。それと同時に彼に似た何かからは、微かながらに彼の魂を感じられる気がした。あれは一体何なのだろう。
「ねえ、手繋いでもいい?」
「ああ、いいが」
隣で歩いていた彼が手を繋いでくる。
「えへへ、嬉しい~」
彼は無邪気に喜んでいたが、私には不気味に思えて仕方なかった。
「一つ聞く、お前は一体何者なんだ?」
すると彼はきょとんとした顔をして、言ったのだ。
「何者って、伊月暁人だけど?」
「そういう意味じゃないんだが・・・まあ、いいか」
そうだ、何を期待しているのだ私は。もうとっくに分かっていることを改めて確認しただけだ。だがそれでも思わずにはいられなかった。本当に、彼は記憶と共に魂を落っことしてきたのかもしれないと。
「なあ、ここどこ?」
「ん? ああ、私の家だ」
「へぇ~」
暁人が興味深そうに部屋中を見渡した。
「どうした?」
「いや、案外まともなんだなって・・・あ、やべ地雷踏んだかな」
「安心しろ、私はあまりインテリアにはこだわる方ではないからな。正直、どういうのが好きとか、そういうのもよくわからん」
「お前、センスないよ・・・あ、また言っちゃったな。僕記憶喪失だけどなに言ってんだこいつみたいに思うなよ」
「確かにそうだな」
彼のことをよく知らずに勝手に憐れんでもそれは驕りと言うものだ。私は反省した。それよりも今は彼のことだ。私は目の前の彼に改めて向き直った。
「それで、お前の記憶を取り戻せるかどうかだが・・・正直なところその手段が分からない」
「あらら、結構行き当たりばったりだね」
「仕方ないだろう、そもそも記憶喪失自体症例が少ないんだ。正直お手上げだ、だから私は一つの可能性を試してみたいと思っている」
「あ~もしかして僕、実験台にされるとか?」
「違う」
私は彼を抱き寄せると耳元で囁いた。
「魂と肉体の関係だ」
「・・・」
彼はしばらく硬直状態になって、そして
「・・・えっ?何?」
完全に理解していない様子で私を見ていた。
「ねぇなんであんなこというのねぇなんでなんでなんでなんで!!まぁりぃぃぃ!なぁんでぇぇえぇええぇえぇ!!」
暗い影の中で異形が泣き喚いて、必死にもがく。だが、どれだけ暴れても決して解放されることはない。やがて疲れてぐったりとして、また暴れて、ぐったりして、それをいたちごっこのように繰り返していた。