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    ムー(金魚の人)

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    ルクチェズWEBオンリー開催おめでとうございます!

    初めておうちデートするふたりのお話(全年齢)。
    ゲーム本編、ドラマCD視聴後推奨です。
    時系列としてはホリバ後のある日という設定です。

    #ルクチェズ

    『甘い一等星、瞬いて』★ ☆ ★ ☆

     リカルド共和国エリントン郊外――
     二十年近くを過ごした自宅の中でルーク・ウィリアムズはそわそわした気持ちに支配されていた。座っているのも落ち着かず、無意味に寝室を歩き回ってしまう。
     カーテンを開けて外の風景を眺めたら落ち着くだろうかと思い立ち、青いカーテンを引く。夜に囲まれた黒い窓に映る自身の顔と目があった。閑静な住宅街の生活を象徴する灯りが強ばる男の顔を飾りつけていた。
    「なんでこんなに緊張してるんだろう……」
     情けない声をカーテンの閉める音でかき消す。
     そこへ遠くからささやかな水音が重なった。
     実は、心がざわつく理由は既に分かっているのだ。
    (今、チェズレイが僕の家でシャワーを浴びているからだよな……)
     寝室のドアを隔てて、廊下を挟んだ奥に位置する浴室を現在一人の男が使用している。
     チェズレイ・ニコルズ――巷では『仮面の詐欺師』と恐れられるS級犯罪者だが、ともにミカグラ島でDISCARDと対峙した、ルークにとって大切な仲間の一人。そして、大事な恋人である。
     ミカグラ島を出立する前に想いを告げて、受け止められて、無事結ばれた淡い縁だ。
     BOND解散以後もルークは彼と何度かエリントンや別の街で逢瀬を重ねていったが、ルークの家にチェズレイが訪れるのは今日が初めてだった。

    ――3日後の夕方、そちらへお伺いしても?
     突然チェズレイから泊まらせてほしいと言われたときは慌ててしまった。二ヶ月ぶりにテレビ電話で顔を合わせた時のことだった。
     彼は現在エリントンと半日近く時差のある国に滞在しているという。数時間前にルークが地平線へ見送った真っ赤な太陽は柔らかな朝日となってチェズレイの頬を明るく染めていた。
     モニターの映る範囲に彼の相棒であるモクマの姿はない。
    ――『仕事』の都合か?
    ――いいえ
    ――モクマさんと喧嘩でもしたか?
    ――そちらもNoです。モクマさんとは良好な関係ですよ。今は……、あァ、トレーニングにと外の公園へ出ていかれました
    ――じゃあ……
     「どうして?」と問う前にチェズレイが続ける。
    ――ボス……、いえ、ルーク。純粋に私があなたに会いたいから、では理由たりえませんか?
     チェズレイが眉を下げて瞳を潤ませる。その表情の可憐さと会いたいという言葉にルークの心臓は跳ね上がった。
    ――ご、ごめん!もちろん、会いに来てくれるのは嬉しいよ。ただ君が突然僕の家に泊まりたいって言うから驚いちゃって
    ――フフ。そういうわけでボス、私が伺う前にきちんと部屋を片付けておいてくださいね。さァ、脱ぎっぱなしのシャツは洗濯かごへ。机の上に置かれたコーラの缶は水で洗ってから潰して分別を。確か収集日は明日、水曜日でしたね。
    ――はは……
     手遅れと分かりつつも部屋の惨状を腕で隠しながらルークは苦笑いした。仕事が忙しいあまり自宅に帰らない日もある独り暮らしだとついつい散らかした状態が日常風景となってしまうのだ。
     子供に言い聞かせるようなチェズレイの思いやり溢れるセリフも面映ゆい。
    ――お送りしたマッサージチェアはコートかけではありませんからね。それから……
    ――ああ!はいはい、わかったやります。君が来るまでにはちゃんと片付けるから……!

     そうしてルークなりに精一杯大掃除をした結果、無事チェズレイのお眼鏡にかなったようだ。
     今、チェズレイが使っている浴室もルークが昨晩磨き上げた場所のひとつである。最近リフォームをしたばかりで目立った汚れも少なく、あっても軽く擦り洗いをするだけでピカピカになった。最新の風呂床はお手入れしやすくていいなあというのが感想だ。
     緊張しているのは大掃除の成果を見咎められるかもしれない怯えではなく、風呂上がりのチェズレイを前にして平静でいられるかという不安だ。
     自分の普段使っている浴場をきれい好きな彼が借りているという事実に目眩がしそうなほど動悸が止まらなくなる。
     何しろ初めてなのだ。
     恋人関係になってから同じ部屋に泊まるのは。
     オフィスナデシコで過ごしていた時はいつだってチェズレイは普段通りのキッチリ着込んだ格好をしていた。ルークより遅く寝て、ルークより早く起きている姿ばかり見ていた。彼はいつ寝ているんだろうと思ったものだ。
     つまり、自分はチェズレイの寝間着姿を知らないのだと気づいて顔が熱くなった。
     ぱたぱたと顔の前で手を扇ぐ。
    「何を想像しているんだ、僕は」
     赤くなったルークの視界にリンゴみたいに真っ赤な丸いシルエットが映る。ベッドの上から毛を逆立ててこちらを睨む三白眼。丸いフォルムにトゲトゲのつのがチャームポイントなビーストくん人形だ。
     一人寝が寂しい自分を癒す夜の相棒へルークは抱きついた。
    「うあー、ビーストくん。僕いま変な顔じゃないよな? どーしよ〜!……どうしようってどうもしないけど、どうにかなりそうだよ〜」
    (知・る・か!)
     綿の詰まった丸い身体からは、ビーストくんのモデルとなった生涯の相棒のツッコミが聞こえた気がした。
    ……きゅっ。
    「……!」
     断続的に聴こえてきていた水音が途切れた。続いて響く浴室の扉が開かれる音に緊張が増す。
     思わず身を固くしてしまい、腕の中に収まるビーストくんの眉間に深い皺が刻まれた。
     抱き潰したビーストくんを抱え直す。
     落ち着かないからってぬいぐるみにしがみついてるところを見られるのは恥ずかしいぞ。
     ルークは慌ててビーストくん人形を本棚に寝かせる。鋭い瞳は壁へ向けさせた。
     ぼすり、と音を立ててベッドの上に腰を下ろす。慰める相手を封じたルークは一心不乱に羽毛布団のシワを伸ばし始めた。マシュマロのように柔らかくて軽い綿を捏ねる作業に没頭しようとした。
     その時、寝室のドアノブが動いた。
    「お待たせしました、ボス」
     扉を潜ったチェズレイの姿にルークは息を忘れた。
     長いプラチナブロンドは緩くみつあみに編まれ、肩から胸へ滑り落ちている。ネイビー色のシルク製パジャマから覗く白い肌は湯上がりで淡く桃色に染まっていた。
     同じ空間を使ったというのに彼からは自分と違う花のような匂いが漂っていた。
     絵画で描かれるモデルのように佳麗だと思った。
    「お風呂ありがとうございました」
    「あ、ああ……。いい湯だったか?」
    「ええ、とても。リフォームした甲斐がありましたね」
     そう言ったチェズレイが突如、右腕を天へ伸ばす。指先まで針金を通したような真っ直ぐな姿勢は舞台俳優さながらに大仰しかった。
    「なんということでしょう……! 匠の手によって、ひび割れ黒カビが繁殖していた白い壁タイルは木目調のアクセントウォールに張り替えられ、床は掃除のしやすい樹脂製タイルへ交換されました! バスタブは足を伸ばせるほどに大きく、保温性の高いものに!」
    「君、初めて僕んちの風呂に入ったんだよな……?」
     なぜリフォーム以前の様子を知っているのか、なんて彼に尋ねるのは野暮であろう。
    「はい、綺麗に使わなくてはと思い、とても緊張しました」
     チェズレイがはにかむ。透き通った紫水晶が嵌め込まれた目の周りには淡い紅色が滲んでいた。
    「いやいやいや、いつもと顔色変わらな……湯上がりで火照っててるだけだよな?」
    「心臓の拍動もいつもよりアップテンポですよ。確かめられます?」
     チェズレイの手に導かれてルークは彼の左胸に右手を押し当てた。薄い皮膚を通して血潮の流れる力強い脈動を感じ取る。
    「ホントだ……って、入浴で血管が拡張されて心拍数上がってるだけじゃ……?」
    「フフ……、緊張ほぐれましたね」
     柔らかく笑うチェズレイの言葉にハッとする。
     自身から余計な力が抜けているのを感じた。
     やはり彼は話術と人心掌握がうまい。つい乗せられてしまう。
    「……ありがとう、チェズレイ。なんだか気をつかわせちゃったな。本当なら家主の僕がもてなさなきゃならないのに……」
    「いえいえ」
     いつもの調子を取り戻すと、チェズレイが立ちっぱなしだということに今更気がつく。ルークは自身の隣、掛け布団の上を軽く叩いて手招いた。
    「こっち、座れるか?」
     チェズレイがぱちくりと瞬いた。
     その様子にルークは自分の台詞の落ち度に思い当たる。
    (あ、いきなりベッドへ誘ったのはまずかったか? まずかったよな?)
    「これはだな、やましい気持ちじゃなくて、椅子代わりというか、これからすること考えるとベッドの方がいいかなあ〜って思って……もちろん、君が嫌なら椅子を用意するし」
     両手をぱたぱた左右に振りながら弁明する。なんだか更に墓穴を掘っている気がするが、彼を安心させるのに精一杯だった。
     チェズレイは驚きに丸めた目を柔らかく細める。眩しいものをみるような暖かな眼差しだった。
    「失礼しました。お気遣い感謝します、ボス」
     ベッドの上に腰を下ろしたチェズレイを見守り、ルークは部屋の電気を消した。シェードランプが放つ橙色の灯りによって美しい男の陰影が濃くなる。
    「……フフ、雰囲気出てきましたねェ」
     顎に指を添えて妖艶な笑みを浮かべたチェズレイが言った。
    「それじゃあ、始めよう」
     ルークがローテーブルに置かれている球状の装置へ手を伸ばす。それを見たチェズレイがベッドサイドのシェードランプを操作した。
     光量がゆっくり絞られ、部屋を照らす光が段々と鎮まっていく。
     入れ替わるようにして真っ暗な闇を埋め尽くしたのは無数の煌きだった。白や赤や青に染まった光の粒が群れをなして天井に貼り付いている。
     光を追いかけた首が自然と上向いた。
    「わあっ……!」
    「ふっ……」
     二人分の感嘆の吐息が重なる。
     天井の無味乾燥な壁紙があっという間に星図に書き代わった。天井を切り裂かんばかりの大きな星雲がルークを見下ろしている。
     チェズレイから贈られた家庭用プラネタリウムが織りなす星空にしばし見入る。機械から照射されたのは単なる光の粒の投影ではない。瞬く星の姿は立体的で、美しく、リアルだった。
    「すごいな! ひとつひとつの星が息をするように瞬いて、とても綺麗だ!」
     ルークの脳裏に一枚の美しい風景映像が明滅する。遠い故郷――ハスマリー公国で見上げた夜空だ。
     紺青の空を塗り潰す人工の灯火も雲を裂く戦闘機の影もない。大自然そのものがルークというちっぽけな存在を包み込んでいたあの思い出深い場所と眼の前の風景が重なる。
    「はぁ……」
     ルークは思いっきり後ろへ倒れた。
     天日干ししたふかふかの羽毛布団がぼふりと鳴きながらルークの背を受け止める。大の字で転がるとより一層ルークの視界を星々のみが埋め尽くす。
    (また行きたいな、ハスマリー……相棒と僕の故郷に)
    ……ぽすり
    「……ん?」
     左隣で大きな揺れが起きた。首を向ければ、端正な男の横顔が間近にあった。
    「…………なるほど」
     ルークと同じくベッドの上に仰向けになったチェズレイが深く息を吐き出す。
    「ふふ、これはなかなか壮観だ……」
     チェズレイは少しだけ首を動かして、ルークへ問いかけた。
    「ボスは……ハスマリーの星空が恋しくなったのではありませんか? エリントンの夜は彼の地に比べたら賑やかで星の輝きを灯火が飲み込んでしまいますから」
     ルークは天井を見上げたときにこみ上げた郷愁を言い当てられて、照れ隠しに頬をかく。
    「ああ、リカルドとハスマリーじゃ違う空のはずなのにな。ハスマリーで相棒と見上げた夜空を思い出して懐かしくってさ」
    「分かります。私も、あの日故郷で見た星空を思い出したところでしたから」
     零れ落ちた低い声は愛おしさにあふれていた。
     思わず、ルークは視線をチェズレイの鼻先に向ける。
     彼が相棒であるモクマさんと共に目にしたのはどんな夜空だったんだろうか。
     ルークは想いを馳せた。
     チェズレイの故郷――ヴィンウェイ国の夜空を想像で描く。雪国の空は身が竦みそうなほど凍てつく寒さの中でも空気が澄んでいて透明感があるだろう。白くちらつく雪の粒が光を反射して、星に負けないくらい輝いているのだ。
    「……行ってみたいな、いつか、君の故郷に」
     ぽつりと呟いた台詞は意外と真摯な響きを持って空気を震わせた。隣でチェズレイが息を呑む気配がする。
    「…………ヴィンウェイではオーロラも観測できますから、きっとボスも気に入りますよ。いつか必ず、ご招待しましょう。タチアナを下しシンジケートを掌握した今の私ならばそう難しくはありません」
    「いいな、オーロラ!楽しみだ。考えたら僕だけ行けてないんだよな、ヴィンウェイに」
     唇を尖らせていじけた顔をつくると、チェズレイは困ったように笑った。
    「忍者さんよろしく夜行列車から飛び降りさせたり、怪盗殿よろしくわざと美術館へ侵入して警官隊を誘き寄せたりなど邪道な観光はさせません。正式にご招待することを約束しましょう」
    「ああ、期待してるよ。君のお母さんにも挨拶しときたいしさ」
     チェズレイが目を丸くする。
    「残念ながら墓も生家もなく、あるのはただ大きな白樺の木と草原のみでして……」
    「それでもだ。君が生まれ育った場所こそ母なる大地だろ。それなら一度挨拶しとかなきゃな」
    「あァ……………」
     深い感嘆と吐息を漏らしたきりチェズレイは黙り込んでしまった。閉じられた瞳が何かから耐え忍ぶように震えている。
    「チェズレイ……? もしかして僕、気分悪いこと言ったか?」
    「……いいえ。……いいえ、ボス。この感情はきっと、嬉しい、愛おしいというものです」
     瞼のシャッターが押し上げられ再び覗いた紫水晶は、湖面に映し出された星空に似て煌めいて見えた。
    (綺麗だ……)
     瞳の中の星空に吸い込まれ、ゆっくりと顔を近づける。
     見上げるチェズレイの瞳の中には一等星が瞬いていた。
     ルークを射抜く、熱い輝き。それを目にするとどうしようもないほど身体が熱くなる。
     瞬きののち、唇を彼の頬へ押し当てていた。
    「ん……、」
     一度顔を離してチェズレイと視線を絡ませる。
     今度はすぐに唇同士を重ね合わせた。
    「……ふふっ、くすぐったいですねェ」
    「からかうなよ」
    「失礼……。どうにも平常でいられない私がいまして……」
     表情こそはよく見る澄ました顔だが、間近で見れば耳が真っ赤に染まっているのが分かった。  おそらく鏡写しのように同じ表情をしているのだろうとルークは思った。
    「僕もだ」
     覗き込んだチェズレイの瞳の中で流星が瞬いた。
    「あ、流れ星だ……!」
    「おや」
     チェズレイと並んで天井を眺める。視界の右端で光が強く瞬いた。それはすぐに細い線を引き連れて左下へ流れ落ちていく。
     ひとつ、ふたつ、みっつ。
     降り注ぐ流星を目で追いかけていく。
    「見たよな、チェズレイ 流星があんなにたくさん! 最新のプラネタリウムってすごいんだな!」
    「ボスの反応は本当に素直で贈り甲斐があります」
     子供のようにはしゃぐルークを見てチェズレイが笑みを溢した。
    「知っていますか、ボス。流れ星の欠片は金平糖になるんですよ」
     からかう素振りのない流暢な嘘にルークはぐっと詰まる。
    「騙されないぞ……って言いたいところだけど、子供の頃は信じてたっけ。星は砂糖みたいに甘いとか、流れ星が落ちた場所に金平糖の木が成るとか」
    「では、雲はふわふわのわたあめで出来ている?」
    「そうそう!」
    「ふ、ボスらしいあまいお考えだァ」
    「その言い方はどうなんだ……?」
     チェズレイが楽しげに微笑んだ。



    ★ ☆ ★ ☆



     気づけば朝になっていた。
    「んぅ…………」
     寝ぼけ眼を擦ると腕から羽毛布団が滑り落ちた。隣にぽっかりと空いた空間をぼんやり眺める。
    (なんでこんな隅っこに寝てるんだ、僕は……)
     冷たいシーツをさわさわ軽く撫でる。
     ふとキッチンから水音が聴こえてくることに気づいた。
     そこでようやく自分以外の存在に思い当たる。
    「……そうだ、チェズレイがうちに泊まりに来てるんだった!」
     ルークは慌ててベッドから飛び降りた。スリッパをつっかけ、髪の毛を撫ぜる。
     ひどい寝癖がついてないといいのだけど。
    「おはよう、チェズレイ!」
    「おはようございます、ボス」
     キッチンに立つチェズレイをまじまじと眺める。
     普段良く見かける黒いシャツとパンツに身を包み、背中へ流した長髪が振り向きと同時にしゃらんと揺れる。いつもどおりのチェズレイの装いだった。
     コーヒーカップを片手に掲げたチェズレイはルークと目を合わせると「おやおや」と笑った。
     片手がルークの頭へ伸びる。頭頂部から右耳の後ろへ髪を撫ぜられて、ルークはくすぐったさに肩をすくめた。
    「わわっ、チェズレイ! くすぐった……」
    「フフ、ボスのように愛らしい寝癖を見つけたもので」
    「う〜、顔洗ってくる!」
    「いってらっしゃい」

     顔を洗い、髪を整えたルークが再びダイニングキッチンへ戻ると、食卓に座ったチェズレイがタブレットを眺めていた。彼は様々なニュースサイトをいくつも開いて素早く目を通していく。
     その脇を通ってルークはキッチンに立った。冷蔵庫を開ける。
     朝ごはんは何にしようか。やっぱりここは定番のパンケーキだろうか。深切な恋人の手前、適当なご飯にはしたくない。
     卵。牛乳。バター。ホットケーキミックス。はちみつ。
     材料を確認している途中、床に置かれたダンボール箱の中身と目が合った。
     リンゴ、キウイフルーツ、バナナ、イチゴ、それからレモンもある。こんなにたくさんの種類の果物を一度に買った覚えはない。
     そうだ。先日、チェズレイから種々のフルーツが送られてきたんだった。なんでも果物栽培が盛んな温暖な国に滞在していたからだという。
     ルークは顔を上げて、チェズレイの名を呼んだ。タブレットから顔を上げた彼へ尋ねる。
    「朝ごはん、食べたか?」
    「いいえ」
    「軽くなら食べられそうか?パンケーキ焼こうと思っててさ」
    「ボスのパンケーキですか」
     チェズレイが興味を示した。比較的食に関心の薄い彼が食いついてくれたことが嬉しくて、ルークは言葉を重ねた。
    「僕、パンケーキ作りだけは自信があってさ。腕によりをかけて作るよ。あ、もちろん、君の分は甘さ控えめでね」
    「フフフ、ボスがパンケーキ作りの達人だというお噂はモクマさんから聞いておりました。では、ご相伴にあずかりましょう」
    「よーし! そうと決まれば調理開始だ!」

     ボウルに卵、牛乳をいれて軽く混ぜてからミックス粉を加えてなめらかになるまで混ぜる。これで生地が完成。
     続いて、フライパンを中火で熱する。
     パンケーキは焼き方が命だ。熱したフライパンを一度火から下ろし、濡れ布巾の上で少し冷ます。
     再び弱火にかけたフライパンへ生地を流し込む。高い位置から一気に、ためらいなく、がポイントだ。低い位置だとムラができちゃうんだよな。
     完璧な正円が生まれたら、パンケーキの呼吸に耳をすませる。ひっくり返す合図はパンケーキが教えてくれるからだ。
     ぷつぷつと小さな炭酸ガスの泡が出たらひっくり返す……! ここも躊躇わず一気に手首を返すのが大事だ。
     うーん、焼きムラのない良い焼き上がりだぞ。 あとは、慎重に焼き上がりを見極めて、……ここだ!
     さすがは僕だ。両面完璧だあ!
     皿に乗せたら、もう一度フライパンの熱を冷まして、っと。

    「なるほど、フライパンの底を少し冷ますのが肝要なのですねェ」
     背後から声が降ってきてルークは飛び上がった。いつの間にかチェズレイがキッチンに入ってきていた。
    「うわっ、チェズレイ! 見てたのか」
    「見ていましたし、聞いていましたよ。ボスのパーフェクトなパンケーキ作りの実況解説を」
    「声に出ちゃってたか……。てへ、恥ずかしいなあ」
    「いえいえ、勉強になりました」
     にっこり笑うチェズレイを見てルークは「君も焼いてみるか?」と誘いをかける。
     しかし、チェズレイは首を横に振って断った。
    「ボスはそのまま焼き続けてください。できれば少しずつ円を小さくしていってもらえると助かります」
    「小さく……?」
    「冷蔵庫、失礼しますよ。あァ、クリームチーズがありますね。こちらのフルーツと一緒に拝借しても?」
    「いいけど……」
     チェズレイには何か考えがあるようだ。ルークはひとまず指示どおり、先程より一回り小さいサイズのパンケーキを焼くことにした。
     ちらりと隣を伺うと、チェズレイはまな板の上でキウイを輪切りにしていた。茶色い皮を剥いだキウイに包丁を立てて5箇所を小さな半円形に切り取っていく。残った形は――
    「星だ……!」
     興奮した声を上げると、チェズレイがウインクで返事した。
    「ボス、焦げますよ」
    「おっと」
     言われて手元へ視線を戻す。ひっくり返すタイミングは過ぎていた。慌ててフライ返しを底へ差し込む。先程よりは焼け色が濃くなってしまった。
    「多少焦げて苦味が出ても大丈夫ですよ。このクリームを塗りますから」
     チェズレイは小さいボウルへ常温に戻したクリームチーズと砂糖を入れて練り、レモン汁を加えて混ぜ合わせていた。
    「なるほど……」
     大きさの異なるパンケーキ、星型にくり抜いたフルーツ、爽やかなチーズクリーム――
    「わかったぞ。君が作りたいものの正体が」
     捜査パートを終えたときのような爽快感がルークの背を駆け抜ける。
    「さすが、ボス」
    「よーし、どんどん焼くぞ! 君もどんどんフルーツを切ってくれ」
    「承知しました」
     次にチェズレイが手に取ったのはバナナだ。くり抜かれたキウイの切れ端と同様にみじん切りにしていく。迷いのない手際だ。
    「こういうのよく作ってたのか?」
     生地からふつふつと浮かび上がる空気を眺めながら隣へ問いかける。チェズレイの手が一瞬止まる気配を感じた。
     包丁がまな板を叩く音が再開されると同時、チェズレイの唇が震える。
    「そうですねェ。幼い頃に母と。母はケーキやマフィンを焼くのが上手でした。甘い匂いが充満するキッチンは、まさに幸せの匂いだった」
    「幸せの匂い、かあ……。分かるなあ」
     ルークの脳裏にも養父・エドワードと囲った様々なおやつが思い浮かぶ。どれも甘くてふわふわで美味しかった。幸せだった。彼の優しさが隠し味なのだと信じて疑わなかった。
    「よし、焼き上がったぞ」
     ルークは焼き上がったパンケーキを皿に並べ終え、チェズレイの顔を伺う。
    「こちらも準備が整いました」
     お互いに揃えた材料を持ってダイニングテーブルへ広げる。
     大皿の一番下に一番大きなパンケーキ。その上にチーズクリームを塗って、細かく切った色とりどりのフルーツを散らす。一回り小さいパンケーキをその上に重ねて、もう一度白いクリームを塗る。フルーツを入れて、パンケーキを重ねて、を繰り返す。
    「最後です。どうぞ、ボス」
     円錐形の塔が出来たら、てっぺんにキウイフルーツの星を乗せる。まるでクリスマスツリーの星を飾り付けるときみたいにドキドキした。
    「完成だ!」
    「はい」
     顔を見合わせて笑う。
     パンケーキツリーから漂う優しい匂いに包まれ、ルークは小さく「しあわせの匂いだなぁ」と呟いた。

     ルークとチェズレイはダイニングテーブルを挟んで向かい合わせになって座った。
     ふたりの間にそびえるおやつの塔を眺めてルークはため息を吐いた。
    「せっかく作ったのに、崩すのもったいないよなあ」
    「同意しますが、眺めているだけでは腹は満たされませんよ」
    「だよなあ」
     意を決してパンケーキツリーにナイフを突き入れる。二層ほどカットして取り皿に並べた。
     ルークに続いてチェズレイもパンケーキの塔を崩す。
     ぐらぐら揺れるツリーを見て横倒しになるんじゃないかとヒヤヒヤした。
     その心情を図ってチェズレイがくすりと笑う。
    「まるでつみきくずしのようですね。勝負します?」
    「おいしく食べたいから止しておくよ」
    「おや、つれない」
     そう言いながらもチェズレイは全く残念そうな顔をしていなかったのだった。

     二人揃って皿の前で軽く手を合わせる。
    「「いただきます」」
     ルークはナイフとフォークを駆使し、一口サイズにカットしたパンケーキで角切りフルーツの混ざったクリームを絡め取る。
     ふわふわのパンケーキに、ほんのりレモンが香るさわやかなクリームとごろごろ口の中で転がる角切りのキウイ、バナナ、イチゴたち。
     それらを一口で頬張ったルークは高らかに叫んだ。
    「あまりにも……うま〜〜〜〜〜い!」



    (おしまい)
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