花の呪い木花さんと一福さんは籍こそ入れていないものの、事実上はもう結婚したも同然の扱いらしく、婚約以降毎年正月とお盆に二人一緒に行動する姿が見られるようになった。
二人はお見合い結婚とは思えない程仲睦まじかったが、木花さんは私のことを忘れることなく今までと同じように相手をしてくれたし、一福さんも自分の身内のように私に接してくれた。
私はすっかり一福さんのことが好きになって、私の知る誰よりもかっこよくて大人で素敵な一福さん以外木花さんに相応しい人はいないとまで思った。
だから、木花さんが20歳になった年に招かれた結婚式では、大好きな二人がこれから正式に夫婦になって幸せに暮らすのだと思うと感動で涙が止まらなかった。
そしてその翌年には子供が生まれたと聞き、あの二人の子ならばどんなに可愛いだろうと期待に胸を膨らませ、お年玉と小遣いをかき集め、母に貰って嬉しいものは何だったかと聞き込みをし、今自分が用意できる最高の出産祝いを手に駆けつけた。
二人の子は一福さんによく似た男の子だった。名前は一福さんの家の法則に沿って椿の名前から取って侘助というらしい。
「抱っこする?」
か細い木花さんの腕に抱かれる赤子はとても頼りなくふにゃふにゃで、大人でない私が触っても大丈夫なものかと躊躇したが、「大丈夫よ」と木花さんが微笑むので恐る恐る抱かせてもらった。
赤子はとても暖かく、「おばちゃんだよ」と声を掛けると笑みのようなものを見せた。それがとても愛おしくてたまらなかった。
その年の正月は生まれたての子供を連れて移動するのは大変だから、と夫婦は集まりに顔を出さなかったが、次に会った時は侘助くんは木花さんや一福さんの手を借りながらよたよたと歩くようになっていた。顔つきもしっかりしてきてより一層一福さんの面影が濃くなっていた。
「侘助が私に似なくて良かった。あの子は狐の血を濃く引いているから、私みたいにはならないわ」
親族内でそれぞれ親しいグループを作って談笑している中、少し離れた所で他の親戚に囲まれながら一福さんにあやされている侘助くんを見ながら木花さんがぽつりと呟く。私が言葉を選びかねていると彼女は続けた。
「もし、もしもよ。私に何かあったら、一福さんと侘助を支えてあげてくれないかしら」
「縁起でもない!何てこと言うの!」
まるで遺言かのような台詞に私は思わず大声を上げる。それに室内の親族が一斉に振り向き視線を集めることになったが、木花さんは「何でもないです」とそれを解散させた。
言霊というものが実在したのだろうか。侘助くんが5歳になった年に木花さんは妖に連れ去られた。それも、侘助くんの目の前で。
「何の為にお前に嫁がせたと思っている」「役立たずめ」「出来損ないが」
急ぎで親族の集まりが開かれ、一福さんが事情を説明すると伯父や伯母、つまり木花さんの両親を中心とした人々から非難の声が上がり、一福さんに物を投げつける者までいた。一福さんはただ「申し訳ございません」と頭を下げ続けていた。
一番辛いのはあんなにも仲睦まじく木花さんを愛し愛されていた彼なのに。
「何故木花さんの無事を祈らないんですか!まだ死んだとは決まってません!」
木花さんがいなくなってからまだ数日しか経っていないのに、ひょっこり帰ってくる可能性だってあるのに、まるで木花さんが死んだかのように振る舞う親族に頭に血が上り、一福さんに一番酷い言葉を投げかけていた伯父にずかずかと歩み寄るとその顔面を拳で殴った。
まさか自分が殴られるとは思っていなかったらしく呆気に取られる伯父を無視して一福さんに投げつけられた湯呑みを拾い上げるとそれを投げて寄越した者に投げ返そうと振りかぶる。
「やめなさい」
「何で止めるんですか!あなたが貶められているんですよ!」
その腕を背後から掴まれた。振り向けば一福さんが悲痛な面持ちで首を横に振っていた。その間に「連れて帰れ!」と伯父の怒号が響き、父と母が私の肩を掴んで引き寄せ、抵抗を抑え込んで屋敷を出ると車に押し込んだ。
その翌日、私は学校から帰ってくると一福さんに電話を掛けた。長い呼び出し音の末に応答した一福さんの声からは疲れ切って酷く落ち込んでいることが窺い知れた。
「お夕飯は食べましたか」
「はい」
「何を食べたんですか」
「……」
咄嗟に詳細な嘘をつく余裕もなかったのか、私の問いかけに一福さんは言葉を詰まらせる。
「お夕飯作りに行きます」
「結構です」
「一福さんが良くても侘助くんは困るでしょう。今から向かいますから、家に居てください」
「そんな、」
私は一福さんの言葉を最後まで聞かずに電話を一方的に切ると、財布だけ掴んで親には何も言わずに家を飛び出した。
近所のスーパーでうどんの麺と野菜を雑にカゴに入れて、もどかしい思いでレジに並び会計を済ませると早足でバス停に向かい、丁度やってきたバスに乗り込む。1時間ほど揺られると、一福さんの家を訪ねる時、いつも木花さんが迎えにきてくれていたバス停が見える。そこで降りるとかつて木花さんに案内された道を歩いて彼女達の住む家へ向かう。
一福さんの家の前までやってくると、門を跨ぐよりも早く玄関の戸が開いた。
「本当に来たんですか、こんな、日も暮れて、危険ですよ」
何ともありませんでしたか、と心底心配そうに駆け寄ってくる一福さんに大丈夫です、と笑顔で返しながら「お台所貸してください」と言うと一福さんは渋々といった風に家に上げてくれた。
「おかあさん!」
ガサガサと買い物袋と食材が擦れる音を立てながら廊下を歩いていると居間から侘助くんが勢いよく現れるが、一福さんの後に続いているのが私だと分かるとあからさまに肩を落とした。
「お母さんはきっと帰ってくるけど、今日はいないから私がご飯作るね。おうどん食べられそう?」
泣きそうな顔をしている侘助くんの前にしゃがんで目線を合わせながら柔らかい頬を撫でると彼は小さく頷いた。
侘助くんを腕に抱いた一福さんに見守られながら私は慣れない手つきで具材を切り、鍋に水で希釈した麺つゆとそれを入れて煮込み、火が通った所で既に火が通っている袋詰めのうどんを2玉入れて軽く温まった所で一福さんが用意してくれた器に盛り付ける。
「手鞠さんの分は……」
「私のは帰ったら多分用意されてます」
二人が完食するまで帰らないと言うと、私には何を言っても無駄だとこの数時間で悟ったらしい一福さんは大人しく手を合わせて五目うどんに手をつけた。それを見て侘助くんもフォークを握る。
温かいものを胃に入れたら多少は気分を持ち直したのか、一福さんも侘助くんも食べ終わる頃には少し顔色が良くなっていた。
「明日も行きます」
「ご両親がいい顔をしないでしょう」
「友達の家に行くとでも言えばいいです」
一人で帰らせるわけにいかない、と車で私を家まで送り届けた一福さんに、明日も明後日も明明後日もその次も、木花さんが帰ってくるまで通いますと宣言すると、親には会わせずに家の中に戻った。
そんなことを続けて1ヶ月くらい経った頃、一福さんの家に通っていることが親にバレた。親が一福さんに苦情の電話を入れたらしく、親の反対を振り切って家を訪れると一福さんが浮かない顔でもう来なくていいと言う。
「放っておいたら一福さんも侘助くんもどんどん弱ってしまうでしょう!木花さんが帰ってきた時にお二人が弱り切っていたら木花さんは絶対に悲しみます!そんなの嫌ですから、私は誰が何と言おうと木花さんが帰ってくるまでこの家を守ります!」
私の言葉を聞くと、一福さんは手で目元を覆ってさめざめと泣き出した。
一福さんはそれ以降私の訪問を拒否しなくなった。親と毎日喧嘩をしながら一福さんの家に通っていると、ある日、帰ってきた私を捕まえて父が真剣な顔で「話がある」とダイニングのテーブルに着かせる。
「見合いをしなさい。お前は狐に化かされているんだ。目を覚ませ」
「あなたももう18なんだから」
父が見合い相手の写真が挟まれているであろう台紙を私の目の前に置いた。私はそれを開きもせずに床に叩き落とした。
「私は化かされてなんかないし、木花さんが帰ってくるまで結婚しない。18で結婚なんていつの時代の話よ」
そう言い捨てて自室に向かう背後からは大きな溜め息が聞こえた。
親も言う事を聞かない私にほとほと愛想を尽かしたらしく時折まだ通うのか、と呆れたように声を掛けてくるものの一福さんの家へ通うことを無理に止めることはなくなった。
そうこうしている内に私は20歳になった。私の一族は大体20歳を過ぎると早々に結婚をするのだが、その様子が無い私に疑問を抱いた一福さんがまだ結婚しないのかと尋ねてくるので婚約者すらいない事実を告げた。
一福さんは私が見合いを断ったと言うとまだ間に合う、今からでも誰か探しなさい、あなたまで失ったら私はとても耐えられない、と焦った様子で私の肩を掴んで揺さぶった。
「お願いです、誰かに守られてください」
「誰かではなく、私はあなたに守られてこの家を守ります」
私の求婚にも等しい言葉に一福さんは強く首を横に振る。私はあなたより10も上で、木花も守れなかった弱者だ、とても責任を負えないと。
結婚しろ、しない、の押し問答は気付けば4年も続いて私は24歳になり、木花さんの失踪宣告が出てしまった。
「木花はもう居ない。現実を見ましょう、お互いに。あなたも私達のことは忘れて自分の為に生きなさい」
「それなら、私は私の為にあなたに結婚を申し込みます。私は木花さんだけじゃなく、あなたも侘助くんも心から愛しています。あなた達を放って他所へ嫁ぐことなんてとてもできません」
一福さんは私の二度目のプロポーズに暫く押し黙った。
「分かりました。あなたを本気で拒まずここまで甘え続けた私に非があります。責任を取りましょう」
たっぷりと3分程俯き、額に手を当てて悩んだ末に一福さんは泣きそうにも見える笑みを浮かべて顔を上げるとそっと私の両手を握った。
私が全て預かります。あなたが帰ってくるまで誰にも渡さぬように、壊れぬように、守り抜いて見せます。