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    romuro_01

    @romuro_01

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    romuro_01

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    森で迷ったり神様にちょっかい出されたりするK暁。
    捏造ありあり。

    #K暁
    #生存IF
    survivalIf

    空腹はすべてに勝る パキリと、足元で枝が割れる乾いた音がした。
     ちょっと前にも同じような道で、同じように枝を踏んだ。最早既視感という言葉では誤魔化せない光景に、そろそろ焦りを感じ始めた頃だった。
     前を歩くKKの背中を見ながら、ぐるりと周りを見回すが景色は一向に変わらない。
     目の前には人が一人通れる程度の幅しかなく、踏み固められた道が真っ直ぐ続いている。そのけもの道を邪魔するように左右から生えてきているのは、葉っぱの形状からしてシダ系の植物だろう。低木は少なく、樹木の間隔も広いため、以外と視界は広い。目線を上げると、頭上高くに枝を伸ばす高木が太陽の強い日差しを遮り、森の中は柔らかい光で満ちている。恐らくコナラやクヌギだろうか。樹木に詳しくないため、はっきりとは分からない。
     時折吹く風も樹木に遮られているため強くはなく、優しく肌を撫でていく。夏本番だというのに、春のような穏やかさだ。ここに来るまではカンカン照りの太陽に炙られて、二人ともシャツ色が変わるほど汗をかいていたというのに。これが植物の冷却効果というやつだろうか、などと適当なことを考え始めてしまう。
     一見すると心地の良い場所だ。だが、そう言い切るには違和感が多すぎる。あまりにも静か過ぎるのだ。この森には生き物の気配がない。鳥や虫の鳴く声も、小動物が地面を駆ける音も聞こえない。ただ、土を踏みしめて歩く音と、二人の息づかい、ここにはそれしか無いように感じられた。この違和感に気が付いたのがいつかは分からない。
     風が吹いて、頭上の枝がざわざわと音を立てて揺れる。その音を不気味に感じてしまうのは、この森の異質さに気づいてしまったことを証明してしまっているようだった。そのことを意識しないよう努めようとするが、それは意識していると同じだ。そうすることでますます強く意識してしまう。


     僕達は、もう何度も同じ場所を歩き続けている。


     ちらちらと生い茂る葉の隙間から太陽の位置が確認できるため、この森をさ迷っている時間は長くはないのかもしれない。それとも、そう認識させられているだけだろうか。スマホを確認しても表示される時刻は一向に変化せず、電波は圏外のため外部に連絡する手段もない。
     力の強い土地だというのは足を踏み入れた時点で気がついた。適合者としての能力は目覚めたが、力がそこまで強くもなく、KKの様に能力を使いこなせていない自分ですら肌で感じることができるのだから、相当なものだろう。エド曰わく、龍脈が複数重なっている、全国的に見ても珍しい場所らしい。(言葉にピンと来なかった自分に、とにかくものすごいパワースポットなのだと絵梨佳が教えてくれた)そこに、小さな社とそれを護るように木々が生い茂り、外から見ると小さな森の様に見えるのだ。都内にそんな場所があることに驚く。
     規模としては、霧が丘神社の裏手に広がる森林公園よりもずっと小さい。恐らく、面積としてはその三分の一にも満たないのではないだろうか、普段なら迷うはずもない場所だ。
     強力なマレビト退治のためにどうしても必要だったとはいえ、神域の土を持ち出すのはやはりまずかったのだ。
     KK曰わくちゃんと許可は取ったとのことだが、この状況から考えるとその言葉を疑ってしまう。法律的に存在している土地の管理者にというのであれば、それは屁理屈と同じで、本当の意味では許可を得ていない事になる。
     普段は貰った力は返すつもりはないと言っているKKが、わざわざ御礼に、しかも酒や米などを持って来ていたのだから、その時点でどういう場所なのかを想像しておくべきだったのだ。ただ、格好は半袖のワイシャツにいつもの紺のスラックスなので、これで神事を行うにはラフすぎる。
     ちょっと付き合えと言われて理由も深く聞かずに(正確には曖昧にぼかされた為に聞けなかったのだが)着いてきてしまったが、これは自分の手に余るのではないか。KKと一緒にいると、何か起こっても最終的にはどうにかなるだろうと、楽観的に捉えてしまうのはもう弊害だ。
     先ほどからこの状況を説明して欲しいと、KKに声をかけるが、その度にKKは首を横に振るばかりだ。ただ道に沿ってまっすぐ歩くだけでは何の解決にもなっていないのではないかと思うが、KKには何か別のものが見えているのだろうか。
     再び見えてきた物を確認して、今度こそ抗議するためにKKに声をかける。
    「KK!」
    「ああ」
     語気を強めた自分の呼びかけに、KKは動じることもなくただ返事をすることで応えた。そのまま歩いて、石造りの祠の前で立ち止まる。
     青々とした苔に覆われて朽ちかけている。一見すると奇妙な形をした岩と間違えてしまいそうだ。ざっと見て高さは一m未満、幅は四十cm程度。石祠にしては少し大きい部類だろうか。祠の前だけ急に道が開けており、成人男性が三人は余裕で並べる広さがあった。
    「ここ、さっきも通ったよね」
    「そうだな。ここ通ったの、何度目だ?」
    「多分、七回目」
     KKはその言葉に頷くと、今度は何もないはずの空を見上げて、声を張り上げた。
    「もう十分だろう。ジジイ、いい加減にしろ!」
     KKの声は森の沈黙に吸い込まれた。一泊置いてしんと、静寂が戻ってくる。だが、KKは虚空を睨んだままだ。
    『……坊は相変わらず口が悪いのぅ』
     予想外の行動に、真意を確かめるために声を上げようとしたが、返ってきた声に今度こそ、え、と声が出る。
     聞こえてきた声の方向が分からず視線をさ迷わせる。こっちだこっち、と再度声がする方を見ると、祠の裏から男の子が顔を覗かせていた。
     先ほどまではKKと自分の二人分の気配しかなかった。いつの間に、と思うが、その祠の大きさからして、そもそも裏に人が隠れられるような幅も高さもはない。
    「今日は遊びに来たわけじゃない」
    『なんじゃつまらん。挨拶もせんから、遊びたいのかと思ったのに』
     そう言って、祠の裏から姿を見せる。先ほどまで気配もなく、突然降って湧いたと言える存在に戸惑いを隠せない。艶のある黒髪が揺れて、そこに実体が伴っていること気づいて驚く。
     外見年齢は六、七歳くらいだろうか。少年というにはまだ顔つきは幼い。可愛らしいおかっぱ頭に、白の狩衣と裾を絞った紺の括り袴。どちらの括り紐も鮮やかな朱色で目を惹く。履物はなく、素足で土を踏む音が妙に生々しく聞こえる。ゆったりとした裾が空気を含んで動きに合わせて柔らかい軌跡を描く。
     随分と時代を感じさせる恰好をしているが、先ほどのKKが呼びかけた言葉を思い出す。それだけ古くから存在しているということだろうか。
     無念が形になった悪霊や幽霊でもなく、穢れが具現化したマレビトでもなく、妖怪でもない。般若のように人が堕ちた成れ果てでもなく、言葉で意思疎通ができる、人の形をした人ならざる存在に今まで出会ったことはなかった。何よりも、妖怪たちが現世で活動するために纏っている彼岸の靄は纏っていないこともある。そのため、無意識に人と同じ存在として見つめていたのだろう。一瞬、何かに視界が遮られて視線を切られる。ワンテンポ遅れて、KKが腕を払って視界を遮ったのだと分かった。無言の警告に気づいてはっとする。人ならざる者を見るときは、視線を少しずらせ、といつも言われていたのに、そのことがすっかりと頭から抜け落ちていた。慌てて視線をずらす。
    「もう十分遊んだだろう。オレ達はこんなところぐるぐる歩かされて疲れてるんだ」
    『坊の反応はつまらんなぁ。年々可愛げが無うなる』
    「悪かったな」
    『それに比べてそっちの坊は随分と瑞々しい』
     そう言って、男の子が自分の方を見るのが分かった。KKに警告されてから何となく身構えて、息を潜めてしまったが、初対面の相手に対する態度としてはあまりに失礼ではないかと思い直す。視線をずらしたまま、挨拶のために軽く頭を下げると、愛いの、と下げた頭の上に声がかかる。
    「この前の礼は社の方に置いたぞ」
    『ほう、馥郁たる稲穂の香はそれか。良い。後で味わうとしよう』
     ぺたぺたと足音を立てて、踏み固められた土の上を歩く。だが、その足裏は裸足だというのに全く汚れておらず、そこがまた人ではない事を強調しているようだ。
    『坊が輩とは、また珍しい』
    「今後はオレの代わりに来るかもしれないからな。顔合わせも兼ねてだよ」
     どうせ見てたんだろう。と下らない悪戯に呆れるような声でKKが言う。
    『坊が来るのが分かって、慌てて起きたわ』
    「嘘つけ」
     気づかれていたのが嬉しかったのか、子ども特有の可愛らしい声を上げてころころと笑う。
    『して、名は何という』
     前に立つKKがちらりとこちらを振り返る。名乗れということだろう。けれども決して人間同士でやるようなものではない。当然隠し名でということだ。
    「あき、です。」
    『うん。……そうか! お前が坊の……。人の身でよくあの夜を超えたよ。よう務めたな』
     偉い、偉い。
     うんうんと小さく頷く姿は、まるで子供が大人の真似事をしているようで、とても愛らしい。
    「ありがとうございます。でもあれはボクだけの力じゃないですよ。KKや協力してくれる人達が居なかったら、きっとここにはいなかったので」
    『ふふ、素直なところも愛いなぁ』
    「こいつの場合は素直過ぎて危なっかしいけどな」
    「そうかな」
    『しかし、未だにお前たちは繋がっておるな』
     それはどちらの執着かの。と小さく楽しげな声が聞こえた気がする。
    『どれ、ついでに見てやろう』
    「おい、やめろ!」
    「え?
     Kけぇッ、ぁ…う、」
     声を上げたKKが不自然に膝をつくのと、気づくと顔の前に男の子がいるのは同時だった。背丈を考えても、目を合わせられるはずがないのに。どうしてと、考えるまもなく、小さな両手で顔を挟まれ、そのまま瞳を覗きこまれて、目が離せない。
     口からは意味のない、言葉にもならない音が零れる。目の前には深い色の瞳だ。心の底まで届くような鋭い眼差しに刺されて、何も考えられなくなる。
     ぐるり、と視界が回る。頭の中を直で触られているような言いようのない気持ち悪さと、心の中を全部を覗かれて、暴かれた解放感からくる快感とがぐちゃぐちゃに入り混じる。ぐらぐらとふわふわと足下の地面がなくなってしまった様な浮遊感。頭の片隅で、勝手に記憶が早送りで再生されていく。
    『ん、なかなかに複雑な縁と因を持っておるな。深いところで絡まって、捻じれて……これは、ほう……人にはちと重いか?』
     意識の外から聞こえてくる声が、音として耳で聞いているのか頭の中に響いているのか分からない。記憶の再生は止まらず、目を瞑って視線から逃げることもできない。瞳孔は黒いのに、いつの間にかその周りをぐるりと囲う虹彩は眩しいくらいにきらきらと虹色に煌めいている。
     ぐるぐると回る視界に、気持ち悪さが限界に達しそうな頃、ようやく両手が離れて解放される。あ、と無意識に安堵の声が出る。急に体の重さが戻って来て、慌てて地面に付いている両足で踏ん張るが、膝が笑って足に力が入らない。そのまま立っていられず、崩れるようにして地面にひざを突いた。長時間運動をした後のように体中がだるい。息苦しさに肺から空気を吐き出して、今まで息を止めていた事に気が付く。
     何をされたのか分からない。事実としては、目を覗き込まれただけだ。だが、縁を見ると言っていたのだから何かを見られたのだ。目に見えるものだけが全てではないことはもう分かっていて、けれども人では見ることができない何かを彼らは見ているのだろう。
     震える身体を落ち着かせるために深く息を吸い込んでも楽にならず、まるで穴が開いた風船にでもなった気分だ。喉を喘がせて何とか呼吸を思い出す。
    『その縁、儂に預けてみるか?』
     膝を付いている自分と、今度こそ同じ目線にいる男の子と目が合いそうになるのを、咄嗟に視線を反らす。
    「え、っと……」
     返す言葉に詰まる。そもそも呼吸を整えることが精いっぱいで、まともに言葉を交わせる状態ではないのだ。向こうに急かしている気は無いのかもしれないが、いろいろと唐突過ぎる。その縁が何を指しているかも分からず、どうしてよいか判断ができない。助けを求めるようにKKに視線を送る。膝を付いていたKKは、ゆっくりと立ち上がって土がついた裾を払った。
    「やめておけ。そんなことしたら死んでも扱き使われることになるぞ」
    「それは、お断りします……」
    『なんじゃ~、つまらん! 坊にも断られたしのぉ』
    「当然だ。お前らの誘いなんてほぼ詐欺みたいなもんだろうが」
    『騙るとは酷い言いようだのぅ~』
     息を整えている間に、男の子は自分の頭を一撫ですると耳に顔を寄せて聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。
    『(決してその想いを腐らせてはならぬよ。お前はちと危うい)』
     その言葉に、心の奥底に閉じ込めていた昏い部分を透かして見られたような居心地の悪さにドキリとする。え、と声を上げる間もなく、くるりと背中を向けて今度はKKの周りをくるくると回って戯れ始めた。強請る声にKKが折れて男の子を抱き上げる。どうやら肩車を所望していたらしい。
     ぽんぽんとテンポ良く進む子気味の良い会話に、この二人が(人と言っていいのかはかなり怪しいところだが)それなりに長い付き合いなのだと推測することができた。
    『良い、良い。面白いものも見れた。此度はこれで仕舞いじゃ』
     ぱんッ、と両手を叩く乾いた音がした。一瞬すべての音が止まって、手を打った音が森中に響き渡る。何かが変わったようには見えないが、恐らく森から出られるようになったということだろうか。
    『次は土産話も聞かせておくれ』
    「ああ、次はたっぷり持ってきてやるよ」
    『ふふ、楽しみだの。……あき も、またおいで』
    「はい」
    『ではな、息災を』
     そうして気配が消えた。現れた時も唐突だったが、消える時も同じくらい一瞬だった。しんとした、生き物の気配のない静けさが戻ってくる。
    「立てるか?」
    「うん、何とか」
     KKが手を差し伸べてくる。自力で立てるまでには回復していたが、ありがたくその手を借りて、立ち上がる。
    「ねえKK、最後にボク名前で呼ばれたよね」
    「……覗かれたからな。だが音として教えていないものは呼べない。それが奴らのルールだ。だから、今の所は大丈夫だろう」
    「えぇ……。安心して良いのかな」
    「オレかお前が、うっかり口に出さなければ、な。さて、用も済んだし、帰るぞ」
    「結局何のためにここに連れてきたんだよ」
    「あん? そんなの、付き添いと顔合わせに決まってんだろ」
    「そんな事なら初めから教えてくれても良かったんじゃない?」
    「知ってるのと知らないのじゃ反応が全然違うだろう。それに奴さんも満足したみたいだしな。これで良かったんだよ」
    「何かいつもKKの良いようにされてる気がするなぁ」
     もう一度石祠を確認する。やはり人が隠れるほどの大きさはない。地面にも足跡すらなく、あの男の子が居た痕跡は何も残っていない。先ほどの時間は白昼夢で初めから二人しかいなかったと言われても信じてしまいそうだった。
    「帰れるの?」
    「ああ、大丈夫だろう。あいつは、言ったことは破らないからな」
     こちらの体調を気遣いながら、KKがゆっくりと歩き出す。石祠を過ぎると、すぐに初めにくぐった鳥居が見えてきた。さっきまでは歩いても歩いても辿り着けなかったというのに。冥界の香油を取りに行ったあの時を思い出すと少し拍子抜けしてしまうが、五体満足で怪我もなく無事に戻れたことに越したことはない。
     色褪せた鳥居をくぐって、神域の外に出る。途端に夏の蒸し暑い空気に包まれて、どっと汗が噴き出してくる。と同時に、先ほどまで聞こえてこなかった蝉の鳴き声が、まるで土砂降りの雨のように降り注いできて、頭の中までセミの鳴き声で埋め尽くされそうだ。
     本当に現世とは隔絶された場所に居たのだと思い知る。
    「こっちは相変わらず暑ぃな」
     シャツの襟元を掴んでぱたぱたと風を送るKKの額にもじっとりと汗の玉が浮かんでいる。まだ日陰にいるからこの程度で済んでいるが、帰るためには日差しの下に出ないといけない。空からは容赦のない熱光線と、地面からはアスファルトの照り返しと反射熱でこんがり両面焼きだ。鉄板を置いたら目玉焼きくらいは焼けるのではないだろうか。いや、さすがにそれは言い過ぎか。
     麻里に言われた通り日傘を借りるべきだったかもしれない。家を出る前に差し出された、白地にカラフルなUFOが描かれている可愛らしい日傘を思い出してやっぱり無理だなと思いなおす。今度、ちゃんとした日傘を買いに行こう。できれば成人男性が差しても違和感のない、シンプルなデザインのやつがいい。
    「溶けそう。早くクーラーの効いた場所に行きたいよ」
    「そうだな。とりあえず、凛子に報告してメシでも食いに行くか」
    「賛成! ボク冷やし中華が食べたいな」
    「定番だが、悪くない。店探しは任せるぞ」
    「オッケー」
     カーゴパンツの後ろポケットに入れたスマホを取り出す。画面に表示された時刻を確認すると、この社を訪れてから一時間も経っていなかった。電波も圏外表示ではなく、問題なく通信できる様だ。
     KKが通話する声を聞きながら、店探しのために、画面をタップする。ついでに喫煙席がある店にしよう。検索条件に喫煙を入れ、検索をかけた。


    ***


     冷房が効いた店内は、涼しいの一言に尽きる。灼熱地獄を潜り抜けた自分たちにはオアシスも同然だ。それでも厨房では汗を流して調理する人がいるのだから感謝が尽きない。
    「黒胡麻ダレの冷やし中華ランチセットが二つ、豆苗の卵の中華炒めが一つ、バンバンジー一つと、中華スープが一つ。デザートで胡麻団子一つ。以上でよろしいですか?」
    「はい、大丈夫です」
     注文を復唱し、用紙にオーダーを書き写した店員が、一礼をして厨房に戻っていく。
     ランチギリギリの一四時半だが、なんとか滑り込みだ。時間もあるのだろうが客の入りはまばらだ。新規の客は自分たちくらいで、他は食事を終え、新聞を読んだり談笑したりと、ゆったりと食後の時間を楽しんでいる。
     二人でグラスに注がれた冷たい麦茶を飲み干す。テーブルに置かれたピッチャーからグラスに注ぐが、すぐに飲み干してしまう。まるでからからに乾いたスポンジだ。三杯目を空にしたところでようやく喉の渇きが落ち着いて、深く息を吐いた。
     KKは出された冷たいおしぼりで手と顔と首を拭いて、一息ついたようだ。確かに冷たいおしぼりで顔を拭いたら気持ちいいんだろうと思うが、なんとなく恥が勝って手をふくだけにとどめる。
     最近の禁煙ブームもあってなかなか喫煙可能な店がなく、結局一番近くの大衆食堂に決めた。同年代の友人や、一人ではなかなかこういう店には入りづらいので、物珍しさについ店内を見渡してしまう。
    年期を感じさせる店内には、色褪せたお酒のポスターや、黄ばんだプラスチック板のメニュー表が壁に掛かっている。店の一角、天井付近に備え付けのテレビ台があり、幼いころにしか見たことのないブラウン管のテレビが現役で動いていることに驚く。どうやらBGM代わりに昼のバラエティー番組を流しているようだ。
    少し低いテーブルや椅子は開店当時から変わっていないのだろうか。使い込まれて表面に細かい傷が見えるテーブルに、赤いビニールシートが張られた椅子は、当時を知らないのに懐かしさを覚えるから不思議だ。油が染みついている店内はその店がどれだけ地元の人たちに愛されているかのバロメーターでもあるのだろう。
    「KK。さっきのって、結局何だったの?」
     何となく普通の音量で喋るには憚られて、声を潜めた。
    「んー、妖怪というよりは精霊って言えば良いか。ともかくそういう類のもんだよ。土地の影響でほぼ神みたいなやつだが」
     鞄から煙草を取り出したKKが、一本咥えて火をつける。ゆっくり吸い込むと、煙がこちらに来ないように、顔を背けて紫煙を吐き出した。
    「神様!? あんな軽口、許されるんだ……。はぁ~。KKって妖怪もそうだけどさ、そういうのにも好かれてるんだ」
    「いい男なんでな」
    「……はいはい」
    「アイツはただちょっかい出して楽しんでるだけだから可愛いもんだ。まあまあ話も通じる。いざという時に頼ることもできるだろう。それなりの礼は必要だがな。だからお前に引き合わせたかった」
     厨房から中華鍋を振る音が聞こえてきて、それに応えるようにお腹がぐぅ~と空腹を訴えて音を立てる。それを聞いてKKが笑うので、テーブル下でだらしなく伸ばされた足を軽く蹴る。
    「でも、次もあんなことされたら怖いよ」
    「アレは俺たちの関係が特殊だったからだろ。まあ、気に入られたみたいだし、ちょっかいくらいはかけられるかもな」
    「えぇ……」
    「オレから言えることは、決して話が通じるとは思うな。これだけだな。見てるもんが違い過ぎて話が嚙み合わない。そこまでは良いが、何がきっかけで機嫌を損ねるか分からん。そして機嫌を損ねたら、恐らく人では太刀打ちできない」
    「そんなの、関わらないのが一番良いよ」
    「そうも言ってられないって事が、そのうち分かるよ」
     口元を少し歪めて笑う。
     煙草を吸う度に先端がチリチリとオレンジに色づく。燃え滓の灰が先端に溜まって、それを落とすためにKKが灰皿にトンと優しく煙草を叩いた。
    「そういや、暁人。お前最後に何言われた?」
    「え、っと」
     言われた時の居心地の悪さも思い出して、思わず目を逸らす。KKは気づいていないと思っていたのに。それは職業柄なのか、それとも生来の洞察力か。相変わらずよく見ていて嫌になる。
    「大したことじゃないよ。想いを腐らせるなって」
    「はぁ? おせっかいなヤツだな」
     深刻に捉えて欲しくなくて、明るく言ってみるが、特に内容が変わるわけでもない。
     『想いを腐らせるな』それは自分も般若のように人から成れ果てる可能性があるということなのだろう。あの夜、命を落としかけた状態でも護るもののために般若を止めようとしたKKとは、多分対極の位置だ。
    「そんなの、オレから離れなければ問題ないだろうが」
     離すつもりは毛頭ないけどな。
     そう特大級の爆弾を落として、けれどもKKは何でもないように煙草を吸った。
    「……え、いや、え? ぁ……」
     KKの言葉を理解するのにたっぷり一呼吸分の時間が必要だった。突然何を言い出すんだこの男は。太陽に炙られた身体が漸く落ち着いてきたというのに、急に体温が上がるのが分かった。特に顔に熱が集まって、頬が熱い。
    「あんだよ」
    「はぁ~~。……ほんと、アンタのそういうとこだよ……。反則過ぎ」
     顔を見られたくなくて、手元にあったおしぼりを開いて、顔を押し付ける。初めに感じた冷たさはなくなってしまったが、確かに濡れたタオルで顔を拭くのは気持ちがいい。
     だが、そんなことで気は紛れない。絞り出した声はなんとも情けなく震えている。照れくささと、嬉しさと愛しさが胸の中で混ざってそこから生まれる感情が、自分のキャパシティを超えて苦しい。口元が緩んでしまわないように引き結んでも、すぐに緩んでふにゃふにゃになってしまう。
     タオルに押し付けた顔を少し上げて、目元だけでKKを見る。気を抜くと目元もふやけてしまうので、睨みつけるようにするが、KKは素知らぬ顔で煙草を吸うだけだ。小さく口を開けてとんとんと人差し指で頬を叩くと、輪になった煙が出てくる。そんな遊びを始める程の余裕があるのは歳の差から来るアドバンテージか。いつも自分だけが翻弄されている悔しさが、一瞬ではあるが浮ついた感情を押しやる。
    「っていうか場所考えろよ。こんなところで言う台詞じゃ」
    「失礼しま~す。豆苗の卵の中華炒めと、バンバンジーと、中華スープお持ちしました~。冷やしもすぐ来ます~」
     すぐ後ろから聞こえた突然の店員の声に、飛び上がるほど驚く。ガタッと椅子が大きく音を立てて、さっき度は違う意味で心臓の音が煩い。甘酸っぱい空気は一瞬にして霧散し、ふわふわしていた気持ちは一瞬で引っ込んだ。
     湯気を立てた料理が、テーブルに並ぶ。スープが以外と大きな器に入っていて、もしかすると三人分はあるかもしれない。料理をテーブルに並べた店員は何事もなく厨房に戻っていく。冷やし中華もすぐに来るのだろう。
     目の前に並ぶ美味しそうな料理と匂いに、再度耐えられなくなった腹の虫が、空腹訴えるように一際大きく鳴いた。
    「くっ、色気より食い気か」
     KKがくつくつと喉を鳴らして笑う。
    テーブルに備えてある調味料置きの脇にあるビールジョッキにはこれでもかと割り箸が詰め込まれていて、KKが二膳引き抜いてそのうちの一善を差し出してくるので、素直に受け取る。
    「本当にしまらないなぁ、ボクたち」
    「それがオレたちらしくていいだろう?」
     とりあえず腹いっぱい食って、後のことは後で考えようぜ。
     パキリと割り箸を割る気持ちの良い音が聞こえて、KKが豆苗と卵の炒め物に手を着ける。取り皿に取り分けるなんて面倒なことはしない。そもそも直箸に遠慮するような関係でもない。
     なんだか深刻に考えているのがバカみたいだ。もうどうでも良くなって、KKの言葉に従って自分も割り箸を割る。三大欲求である空腹の前には、総てのことは無力だ。
     まずは目の前の空腹を満たすために、目いっぱい食べよう。胡麻ダレがかかったバンバンジーを箸で崩して、口の中に放り込んだ。

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