監視対象・江の者「本当に助かったよ、ありがとう」
「フ、お役に立てて光栄だよ」
書類仕事を終えて、淹れたコーヒーを松井に提供する。仕事自体は別に手伝ってもらうほどの量ではなく、この俺、本歌山姥切長義本来の目的は松井江と接触することであった。
この本丸の刀剣男士として顕現する直前、俺は政府からある任務を命じられた。その任務とは江の者、特に本体が所在不明となっている豊前江の監視及び観察。江の者は歴史修正主義者からその存在を狙われやすく、とある本丸では記憶も名も失った『無銘』として時間遡行軍の手先となっていた江の刀剣男士も居たという。別の本丸でも、時間遡行軍の影響を受けて敵対したという江の刀剣男士の存在が報告されている。
これを受けて、政府に複数の本丸の審神者が協力し、この本丸ではかつて監査官を務めていた俺に監視役の白羽の矢が立った。しかし、俺は江の者とは特に親しくしていたわけではなかったので、まずはある程度の交流をこちらから図る必要があった。
コーヒーを飲みながら、俺は松井江の顔を見る。松井江は正直思っていたよりずっと気さくな性格で話しやすく、仕事も丁寧で好感が持てた。この任務を受けなくても、松井とは遅かれ早かれ親しくなっていたかもしれない。
「松井さえ良ければ、また手伝ってくれたら嬉しいよ」
「うん、是非……僕は実務が得意だから、いつでも使ってくれ」
控えめに微笑む松井。場が和んでいるところで、俺は少しだけ踏み込んでみた。
「江はみんな君みたいに優秀なのかい?」
「僕については、優秀なのかはわからないけれど……」
松井はそこからぽつりぽつりと語りだす。
「でも確かに、みんな優秀であると思うよ。篭手切も桑名も、五月雨も村雲も、それに……」
「それに?」
「ぶ、豊前も……」
豊前のことを口にするときの様子が明らかに異なっている。豊前とは親しいのだろうか。俺は更なる掘り下げを試みた。
「豊前とは、親しいのかな」
「し、親しい……親しいのかな……親しい、のかも……」
口をもごもごさせる松井。もっと詳しい情報が欲しくて、俺はますますそこへ切り込んでいく。
「松井的には、豊前のことはどう見えてるんだ?」
「えっ、えっと……」
松井の頬が朱に染まる。
「長くなるかもしれないけれど、」
「構わないよ。俺は優秀な刀剣男士に興味があるんだ」
散々話すのを促したところで、ようやく松井が豊前のことを語りはじめた。
「豊前については話したいことがたくさんありすぎて何をどう話していいかすごく迷うんだけど、そうだじゃあ最初はすていじのれっすん、あっわかりやすく言うと歌舞音曲の稽古をしていたときの話をしようか。前にどうしても上手くできない振り付けがあって、内番のときとかに一人でこっそり練習してて、それで初めて上手くいったときに『まつ、いつも一人でたくさん練習してたもんな』って豊前がすごく喜んでくれて。あっでも豊前は特に僕のことが好きとかではなくて、そうやって当然のように江の皆のことを見てくれているんだよ。僕は豊前のそういうところをとても尊敬しているんだ。以前篭手切が豊前のことを一目見た瞬間に『りいだあ』って呼んだらしいけど、本当にその気持ちよくわかるな。それに豊前はとても強くて、僕はまだ手合わせで一度も勝てたことがないんだ。僕は僕なりに練度を上げていると思うのだけれど、それでも豊前は常に僕の一歩先を行っているんだ。本当に豊前はすごいよ。でもそんな豊前にも弱点みたいなのはあって、活字が苦手みたいで。そのせいか書類仕事もあまり得意じゃないんだけど、この前少し手伝ったらものすごく喜んでくれて、僕もすごく嬉しかったな。豊前の役に立てたっていうのはもちろんなんだけど、僕の得意なことで豊前を支えられたっていうことがね。やっぱりこっちが一方的に頼るより、持ちつ持たれつというか、そういう支え合う関係の方が僕は好きだから。あとこれはちょっと困っていることなんだけど、豊前ってくじとかを当たるまでやるっていう悪癖があるんだよ。おみくじも当然大吉を引くまでやり直すし、万屋でたまにやっている福引をやるために無駄な買い物をしたりするんだ。当たるまでやるという豊前の諦めない精神は好きだけれど、やっぱり浪費をするのは本人のためにもならないから、そういうときは心を鬼にして財布を取り上げるんだ。もちろん豊前のことは好ましく思っているけれど、それはそれとして、良くないことはきちんと指摘できる間柄でありたいからね。それに欠点があった方が人間味があって好きになれるというか、いや刀剣男士に対して人間味って言葉を使うのは変かもしれないけど、やっぱり親しみが持てるよね。うん、なんか色々思い返してたら鼻血が出そうだよ。そう鼻血といえば前に畑仕事やってるとき、暑くてちょっと鼻血が出てしまったんだけど、それに気づいた豊前がすぐ僕に休めって言ってくれて。それで僕を日陰に引っ張っていったあと、桑名が手伝いに来るまでずっと一人で畑仕事やってたんだ。自分も畑仕事苦手なのにね。後で知ったんだけど、そのときに僕の鼻血で豊前の上着が汚れてしまっていたみたいで。血に汚れるのは僕だけでいいと思ってる僕としては忸怩たる思いなんだけど、それでも自分が汚れることも厭わず手を差し伸べてくれる豊前の気高さにすごく感動してしまって。このときに、僕も豊前のことを支えられる存在になりたいって思ったんだ」
とうとうと流れるような語りであった。松井が話し終えた後、少しだけ沈黙が走る。
「……そうか。それは……すごいな!」
脳が処理するよりも早く押し寄せてくる怒涛の情報量。松井の語りを終えてから一拍置いて、俺はようやく言葉を捻り出せた。それを聞いた松井ははにかんで笑う。
「そうなんだよ、豊前は、すごいんだ……ああっ失礼、ちょっと鼻血が……」
……俺は、もしかしなくても、とんでもなく厄介な任務を引き受けてしまったのかもしれない。ちり紙を手に鼻を押さえる松井の姿を見ながら、ほんのりとした後悔を胸の中に抱えた。