いいわけ 冗談みたいな話なんだけど。夜の渋谷で人通りから外れたところ、酔っぱらいに絡まれてたオンナノコを助けたら、どうしてだかそのコに見初められた。
ふわふわの髪に控えめなメイクに華奢なライン、どこにでもいる普通のお嬢さんてヤツ。それが意外にも強く出られて礼だなんだと押しきられて連絡先も居場所さえ突き止められた。イヤ、それ見栄えが良いだけの新手のストーカーだろうが。
野郎相手は手加減無しベンケイも、オンナノコ相手じゃカラキシだ。
メールは無視されるのがわかってて、ジムの終わりに合わせて電話してくるような手合いなんて相手にしなきゃいい。律儀に出たりするから取っ捕まっちまう。
今日はいつもの居酒屋の月イチの飲み放題。終わらねぇ電話にイライラしながら時計を睨む。
「いっそ一回ブチ込んでやったら気がすむんじゃねぇの」
扉を背中に丸椅子に腰かけて、背をまるめて片足を組む。膝の上に乗り上げた足の指先がイライラとする。
だいたいあのツラで言い寄られていい気になって、カタギの素人オンナのひとりやふたりあしらえねぇってどんだけグズだ。こっちはスッキリ帳簿も付けて明日は休み、来週のスケジュールまで調整済みで、今日は思う存分飲み潰れる準備万端だ。
ボケ、グズ、スカシ、タラシ、頭に浮かぶ雑言に、背後に立つ気配に気がつけない。
「ワカ」
「…ぉ、わっ、」
掛けられた声にビクンと飛び上がり、腰掛けた椅子の上でバランスを崩し、そのままバタンと床に転がり落ちた。
目の前で尻もちをついてペタンと座り込む様をベンケイはあっけに取られて見下ろした。
「…ンだよ」
感情の乏しいギョロリとした目が見下ろしている。無言の視線がつむじをジリと焼いてバツが悪い。
「スマン、待たせちまった」
「…待ってねーよ」
別に約束なんてしてるワケじゃない。なのに、当たり前のように夜通しに捕まえて誰にも渡さない。そのくせふたりきりにはならないで、他人の目に見張らせて、境界線をバッチリ引いてコッチの胸の内には踏み込ませない。
どこまでも全部、腹の中を明け渡した訳じゃない。それすらわかって探ることをしないベンケイに一方的に寄りかかっているのはオレの方。ズルいのはオレの方。
未だ消え失せない引っ掛かりを抱えたままで、オマエを勝手に都合のいい男に仕向けてる。
オマエが飲み込んでるのをわかってて、それを言わせないまま、手を離せない。
ズルいのはオレの方。悪いのは、オレの方。「怒るなよ、ホラ」
なのに手を差し出すのはオマエから。オマエがそうするのをわかって、オレが座り込んだままってことさえわかっている癖に。素知らぬ顔をしてみせる。
わかっている癖に、オレは、それでもオレはーー。
差し出された手うを前に冷たい床に座り込んだまま。尻に当たるコンクリはヒヤリとして硬い。
「ヤらせてくれる若くてキレイなお嬢さんよりヤらせてくんねぇオマエがいいんだよ、オレは」
ホラ、と差し出した手のひらは分厚くてごつくて頑丈だ。その拳の重量なんてオレがいちばん知っている。重苦しくて頑丈で容赦が無い。浅黒い皮膚が鎧のように全身をガシリと覆う。そんな大男でも両の耳は意外にもやわくて繊細だ。ほんのり薄く淡く熱を持つ。そんなの、ほかの誰にもわかんねぇよ。オレ以外、誰も。
「バッッッカじゃねぇの…っ!オマエ」
バカ、ともいちど吐き出すのに被せるように低くて苦味のある声で言う。
「バカだよ」
バカなんだよ、しょうがねぇだろ
「惚れてんだ」
なんて言って、糸屑みたいな細い目をしてオレを見る。
ゾワ
「キモいんだよ、オマエ…!!!」
「駄目か」
「駄目だろ、決まってンだろ、無理、無理、無理!!!」
テン、と差し出された手を跳ね返して立ち上がる。手を貸して欲しい訳じゃない。自分のからだのひとつぐらい、自分で支えて起き上がる。そんくらい、できる。
「今日、オマエのオゴリ」
「あぁ?なんでそうなる?」
「いいじゃねーか、オマエだってその方がいいだろーが」
「意味わからん」
「わかんなくていーよ、オマエは」
はぁ?と言ってベンケイは腕を組み、眉をしかめて大きなハテナマークを顔に張り付ける。
わかんなくていい。それでいい。
心おきなく、オレを捕まえとくいいわけなんて。