【hrak】猫と上耳「……にゃーあ、にゃーあ」
校舎から寮へと向かう帰り道、下手くそな鳴き真似を聞いた耳郎は思わず立ち止まった。妙に作った声だが聞き覚えがある。方向は右斜め前方、植え込みの茂みの向こう。集中して聞き分けるまでもない。
甘ったるい鳴き真似をからかってやろうと思い立ち、足音を殺して道の脇の植え込みに近づいた。雑草と樹木の枝葉の間をそっと覗き込むと、見慣れた黄色い頭が見える。
──やっぱり。
どうやら野良猫でもいるらしい。上鳴はこちらに気が付くことなく、「にゃあにゃあ」と下手な鳴き真似を続けている。耳郎は草木の隙間からそっと“イヤホン”を伸ばし、上鳴の肩のあたりをツンツンと突いた。
「にゃー……!? えっ、なに!?」
急に大きな声を上げた上鳴に驚いたのか、野良猫はに"ゃっと潰れたような声を上げてその場から逃げていった。上鳴は一瞬何が起きたのかわからなかった様子だったが、すぐに茂み越しに耳郎を見つけたようだ。声を殺してくすくすと笑う耳郎に恨みがましい目を向けてくる。
「なんだよ耳郎かよ。びっくりさせんなよなー」
「アンタ、猫の真似、下手すぎ……」
「うわ、聞かれてたのかよ……。つかニャン太郎どっか行っちゃったじゃん」
「ニャン太郎?」
「あの猫の名前。……おーい、どこ行ったー?」
上鳴につられて耳郎も立ち上がり、茂みの裏や植木の間を覗き込んでみる。探してくれと言われたわけではないけれど、探し物をしている人を見かけたら一緒に探してしまうのはヒーロー志望の性といったところだろうか。
「お、いたいた」
『ニャン太郎』が隠れていたのは、十メートルほど先にある木の根元の窪みだった。もっと遠くに逃げる時間もあったはずなのに、本来は人に慣れているのか、ふてぶてしい顔で四肢を折りたたんで座りこんでいる。
「野良猫かと思ってた。名前あるんだね」
「んー、俺が勝手に読んでるだけ。コイツ、ちょっと前からこの辺ウロウロしてっから」
ということは、「ニャン太郎」は上鳴のネーミングセンスということか。安易で少し腑抜けた響きに、耳郎はくすりと笑った。
「この前ヤオモモと轟がコイツ触ってんのも見たし、結構みんな構ってやってんじゃね? ……耳郎も触る?」
上鳴はニャン太郎の耳の後ろをコリコリと触りながら耳郎に尋ねた。
「猫、あんま触ったことない」
「マジで? ダイジョブだって。噛まないから」
「引っ掻かない?」
「虐めなければ、たぶん」
上鳴に言われて、耳郎はそっとニャン太郎に向けて手を伸ばした。上鳴の真似をして、両耳の後ろにそっと指を添えてみる。撫で方が変わったことに気が付いたニャン太郎がこちらをじろりと見てきて、思わず手を引っ込めそうになった。
「もうちょい強く、ぐりぐりーってやっても大丈夫」
「ほんとに?」
「たぶん」
「アンタ全部『たぶん』じゃん……」
恐る恐る指に力を込めると、ふわふわの体毛の奥にしなやかな皮膚と硬い骨格を感じた。そのままぐにぐにと撫でてやると、ニャン太郎は「まあ合格だろう」とでも言うような顔をして目を閉じる。
「お、気持ちイイってさ」
「うん」
そのまましばらく撫で続けても、ニャン太郎の表情は変わらない。いつまで続けていればいいのかわからず、同じ動きを繰り返すのに飽きてきた耳郎はニャン太郎の頭部からそっと手を離した。するとニャン太郎はついさっきまで閉じていた目をぱかりと開いて、耳郎の方を見ると催促するように「ニャア」と鳴いた。
「えっ、なに?」
「ニャーア」
「にゃーあ? ……やめるなってこと?」
「ニャァ」
「にゃー……」
どうやら撫でる手を止められたことが不満だったらしい。もう一度ニャン太郎の耳の後ろに指を添えてぐりぐりと動かすと、彼は再び目を閉じた。尊大な態度の猫様だ。
「ふふっ……」
「ちょっと上鳴、なに笑ってんの」
「耳郎も下手じゃん、鳴き真似」
「えっ、あっ」
耳郎は思わず“イヤホン”で口元に触れた。顔の温度が一気に上がる。
「つい出ちゃうっしょ? 猫の鳴き声」
「……聞かなかったことにしてくんない?」
「えー、どうしよっかな」
からかう口調になった上鳴に“イヤホン”の先を向ける。いつものような軽口のたたき合いになった二人の間で、撫でるのを忘れられたニャン太郎が再び「ニャーア」と鳴いた。
fin.