藍忘機の鼻歌「…~♪」
魏無羨は耳を疑った。
(まさか藍湛の…鼻歌?!)
いてもたってもいられなくなった。彼は急いで服を脱ぎ、ザブンと冷泉に入る。
* * *
今回の夜狩りの監督は大変だった。新参者の姑蘇の弟子が複数いて、それぞれ腰を抜かしそうになったり手が震えるものがいたりしたのだ。
「俺が14歳だったころはもっと男らしかったぞ」などとぼやきながら静室に戻ろうとしていたその時、
曲がり角でばったりと藍思追と遭遇した。
「魏先輩」
「思追、どこにいくんだ?さっき帰ってきたばっかなんだからヘトヘトだろう。なんだその本の量」
「夜狩りでの魏先輩を見ていたら、まだまだだなと思いまして」
「それで、その量の本を今から読むのか?やめろやめろ。勉強なんて寝てからやれ」
魏無羨の言葉に藍思追は笑う。
「そうだ、さっき含光君が冷泉に向かわれているのを見ましたよ」
妖魔の返り血が首やら頬やらにべっとりとついていた。沐浴する準備は手間だと思った魏無羨は手ぶらで冷泉へと向かった。
姑蘇の静かな緑地の奥には、澄んだ霊脈が流れる泉がある。その水は冷たく、慣れていな者が入れば叫びたくなるほどに気温が低い。いまもなお自分から積極的に入りたいとは思えないが、そこにはあの藍忘機がいるのだ。嬉々として魏無羨は歩いていた。
鼻歌が聞こえる。
「おっと」
うっかり夫以外の肌を見てしまうところだったと魏無羨は足を止めた。
「なんだ、藍湛のやつ静室に戻ったのか」
この冷泉は藍忘機以外の人間も使用するのか、まぁそうだよな。なんて思いながら引き返そうと思ったその時。
「~♪」
魏無羨はハっとする。これは他人のものではない。聞きなれないが、この鼻歌は間違いなく自分の夫のものだ。
めったに藍忘機は鼻歌などしない。自分たちが生きるか死ぬかの瀬戸際の時以来だ。魏無羨はパッと顔を明るくさせ、冷泉近くの岩にすべての服を投げてザブンと入る。
「藍湛、藍湛、お前、また新曲作ったのか?すごく良い曲だな!」
「魏嬰」
「今度はなんて曲?もしまだ決まっていないなら藍魏希望の星とかどう?」
藍忘機は目元を柔らかくさせ、魏無羨を腕の中に留める。
「曲はまだ決まっていないが、その曲名は認めない」
冷泉によるものなのか、二日ぶりに藍忘機に会えた事による嬉しさからか、魏無羨の生気がみるみると回復する。ぐりぐりと藍忘機の胸に頭をこすりつけた。
「なんでだよ、気に入らないか?ならまた30個くらい曲名を考えてやろう。もう一回歌って」
「あとで弾こう」
「だめだめ、お前の鼻歌がいいんだ」
「なぜ」
「今まで俺も知らなかったんだが、どうやら俺はお前の鼻歌が大好きみたいなんだ」
「………」
藍忘機の耳が赤い。
魏無羨に好きだと言われたぐらいでここまで赤くなりはしないはず。鼻歌を歌う事に抵抗があるのだろうと魏無羨は勘づく。
「もし嫌なら、別にいいけど」
「………~♪」
初めて藍忘機が鼻歌を聞かせてくれた時も渋々だった気がする。忘れっぽい自分のことだ。
ハッキリとは思い出せないが、まだ十代だった藍忘機も心をこめて鼻歌をうたってくれたのは間違いない。財嚢として使っている藍忘機の香り袋がそれを証明している。あの香り袋は藍忘機が嫉妬して奪ったものなのだから。そして、魏無羨の私物を後生大事に持ち歩く。これほど愛しいことをしてくれる夫など今後現れないだろうと思った。
なぜ藍忘機の想いを何年も気づいてやれなかったのだと前世の自分を責めたくなった。
「いい曲だ。~♪」
曲を覚えた魏無羨は藍忘機と一緒に鼻歌をうたい始める。
「またこれも、俺のこと考えて作ったのか?」
「うん」
藍忘機の回答に、魏無羨は巻き付けた腕に力を入れた。すでにスキマなくくっついている二人だが、さらに体を寄せ合う事になる。
「これからも俺の為に曲をたくさん作ってくれよ。全部、覚えたい」
「うん。すでに400曲はある。覚えられるか?」
「よよ、よんひゃく?!なんでそんなにも?!」
「君の事を思うと、自然と頭に曲が流れてくる」
胸の奥がうずうずとした。魏無羨は少し目の下を赤くさせる。
「顔が赤い」
「藍兄ちゃんだって、耳が赤いよ」
藍忘機が人前で鼻歌を歌う機会などそうそう無い。やはり恥じらっている。好いている道侶のためと思い、歌っていたのだ。
二人はふふ、と笑う。久しぶりに口づけをし、体を温めあった。
fin.