ゆめくろのグランフレア×エマちゃん(グラン視点) マイスターボードにメッセージの着信を知らせる音が鳴った。先程エマに送った、仕事が終わったら迎えに行くという旨のメッセージに対する返信で『なるべく早く仕事を終わらせるから』とスタンプ付きで書かれていた。
忙しいだろうに、わざわざ返事を送ってくれる気遣いが嬉しい。小さな約束を交わせる事がこんなにも心をあたたかくして満たされるなんて、今まで知らなかった。迎えに行く事を許される事も、帰りが待ち遠しいと思う人がいる事も、全部この上なく喜ばしい。
エマは連盟本部所属のギルドキーパーとして、国を越えて様々なギルドと連携を取り、調整と便宜を図る役目を担っている。更には自分達『月渡り』のためにも日々駆け回っている。只でさえ忙しいのだからと、彼女の負担を減らすためにも報告書の提出時にはミスのないよう注意深く確認し、送られてくる依頼書だけでなく請求書や明細書にもきちんと目を通すようメンバーに徹底させている。クロウは努力しているようだがイツキやノアにはなかなか難しいようで、ルージュは言わずもがなのため、なんとか体裁を取りまとめるのは結局リーダーの自分の役割だ。
書類仕事はなかなか煩雑で面倒事も多いため気乗りしないが、これを終わらせてからエマを迎えに行くと決めて取り掛かれば不思議と集中力が増す。普段より早いペースで作業を進められて、結果予定よりも早く片付いた。
(張り切り過ぎだ。ただ迎えに行くだけなのに)
でも今日くらいは浮かれても仕方ないと大目に見てほしい。これでも自分なりに勇気を出して誘ったのだ。自分の方からこういった提案をする事が少ないのは前から気にしていたし、快諾されたのも勿論だが、ここ暫く互いに忙しくしていたからギルドリーダーとギルドキーパーを離れて個人的に会えるだけで浮き立つような気持ちになる。
約束している人を考えながら待ち合わせ場所へ向かうのも、其処で待つのも。誰に咎められる事なくただ彼女の事だけを考えていられる時間があるなんて幸せだ。
駆け足でこちらに真っ直ぐ向かってくるような気配を感じる。
「お待たせ、グラン!」
聞き慣れた声で呼び掛けられて振り返る。軽く息を弾ませたエマが見上げていて驚いた。キーパーズボードでやり取りしていた時に確認した予定の時間より早い。
「言ってた時間より早かったな、エマ」
「あ、うん。思ってたよりもすぐ終わらせる事が出来たんだ」
少し照れたように僅かに目線を下げる仕草が可愛らしい。手を伸ばして頭を撫でてやりたかったが、流石に人の多い広場では憚られた。
「買い出しだよね? 何を買うのか聞いてなかったけど」
「まぁ、いつもの食料品とかだな。じゃあ行こうか」
左手を差し出せば自然と彼女も右手を出して、手を繋いで歩き出す。先週思案して決めた献立表のメニューを思い返しつつ歩き始めたところで彼女が不意に足を止めた。
「あ、あれ? なんで?」
「どうした?」
エマはぽかんと口を開けたまま、しかし慌てた様子でこちらの顔と繋いだ手を交互に二三度見た。そして遂に手元を見つめて黙り込んでしまった彼女に、しまった、と思う。
ついよく考えもせず手を繋いでしまった、しかも許可も取らずに。エマは俯いて何も言わない。これはもしかしたら怒っているか、嫌がられてしまったかもしれない。
「嫌だったか」
恐る恐る訊ねると彼女は力強く首を振った。心底ほっとして、自分で思っていた以上に答えを聞くまで緊張していた事に気付いた。もしここで首肯されて手を振りほどかれていたら立ち直れなかったかもしれない。
「そうじゃなくて、えっと……手、大きいね、グラン……」
エマは相変わらず目線を落として手元を見つめるばかりでこちらの方を見てくれない。心なしか耳が赤く見えるのは気のせいか、夕暮れ時の光の加減か。
「確かに、エマの手は小さいな」
しかし改めて意識して、実際に手を取って比べてみると本当に随分違うものだ。彼女の手が特別小さいという訳ではないと思うが、すっぽり収まる大きさは、愛らしい。手まで可愛いなんて彼女はどこまで自分の目を惹きつければ気が済むのか。
「気を抜いたら握り潰しそうだから、気を付けよう」
真面目に言ったつもりだったが、エマは俄かに笑い出した。どうやら冗談だと受け取られたらしい。笑った事で緊張が抜けたのか、繋ぐ手に僅かだが力が込められる。その感触に思わずこちらも口元が緩む。
「私達が手を繋いでるのって周りからはどう見えるんだろうね?」
「そうだな……」
埋めようのない体格差は仕方ないとはいえ傍から見れば、厳つい男がか弱い女性の手を引いているのだから、穏やかに見えない、という事もあるかもしれない。せめて兄と妹くらいに見られていたらいいのだが。
ふとエマの方に顔を向けると、丁度彼女も同じタイミングでこちらを見たらしく目が合った。
「案外、俺は人攫いに見られているかもしれないぞ」
「ふふっ、それは困っちゃうかも」
エマはぱちりと瞬きしてから小さく吹き出して笑う。すっかり肩の力は抜けたようで、もう普段通りの笑顔に戻っている。それなら、と思い付いて一度手を離した。
今度は掌を重ね合わせて彼女の指の間に自分の指を通し、力を入れ過ぎない程度に握る。細い手首が腕に触れてより彼女を近くに感じる。
こういう手の繋ぎ方をしたのは、初めてかもしれない。
エマは目を見開いたまま見上げていて、その頬は見る間に赤みを増していった。薄く筆で塗ったような頬の色合いは夕暮れ時の光に紛れていても分かる。そして多分自分も似たような状態になっている。
「これなら、流石に人攫いには間違われないだろう」
「……ハイ」
家族よりも近い距離を意識しているのはお互い様だとして、慣れない距離間にエマは再び固まってしまった。
今日この短時間でくるくる変わる表情を見る事が、控えめに握り返された手が、指の付け根の関節をほんの少し撫でるように触れるからくすぐったさを感じる事が、差し出した手を取ってくれる幸福が、眩しいくらい愛おしい。
あまり買い込み過ぎないよう気を付けて、帰りも手を繋いで歩きたい。
行きも帰りも少し遠回りしようかと考えながら、彼女の歩調に合わせて少しだけ速度を落とした。
〈了〉