テントウ虫とグラエマの話。『テントウ虫の飛んでいった方向に、将来結婚する相手がいるんだって!』
まだ祖母も生きていた頃ぐらいの昔、もう名前も覚えていない遊び友達がそんなジンクスを話していた。今まで思い出しさえしなかったのに、今になって急に思い出したのは、洗い立てのテーブルクロスにテントウ虫がとまっていたからだ。
昨日、『畑に出たっていうモンスターを倒したらお礼に野菜たくさん貰っちまった』とクロウが木箱いっぱいの野菜を抱えて帰ってきた。その中のトマトが特に熟れていたから、グランがミートソースのスパゲティにして先に食べてしまおうと提案した。みんなが競って食べるから、飛び散ったソースでテーブルクロスは汚れてしまって、エマは昨夜のうちにさっさと洗って軒下に干しておいたのだ。
陽の下ですっかり乾いたテーブルクロスの赤い点を、洗い残しかな、なんて思いながらよくよく見たらテントウ虫で、エマはくすりと笑った。
「お昼寝してたのかな。ごめんね」
今日はよく晴れている。そよ風が吹いてひらひら揺れるテーブルクロスはハンモックのように心地よいだろう。その小さな羽を休めるためにここに来たのかと思うと、なんだか微笑ましい。
不意に、テントウ虫がちょろちょろと動き出した。物干し竿まで登るとそのまま端に向かってまた歩いてゆく。揺らさないよう注意深くテーブルクロスを回収して、適当に畳んで腕に掛ける。テントウ虫は遂に物干し竿の一番端まで到達して、羽を開いて飛んでいった。
なんとなく、どこへ飛んでいくのか追いかけてみたくなった。
目で行方を追い、同じ方向へ歩き出す。そよ風にたまに煽られながらもテントウ虫はふわふわ飛んでゆき、不意に角を曲がった。あちら側は確かクロウのバイクが停めている場所だったはずだ。
「あっ」
「ん?」
テントウ虫がキャンバスに描かれている――のではなくて、グランの描いていた花の葉の部分に、先程のテントウ虫がいた。
「エマか。見てくれ、テントウ虫が」
庭先で自生している花を描いていたらしいグランは、振り返ってエマを見ると微笑んだ。テントウ虫を指差して嬉しそうにしているグランを見て、エマも思わず笑顔になる。
「まだ下塗りの段階だが、生きてる昆虫に気に入られたなら良い絵になりそうだ」
グランは上機嫌で筆を置き、手についた塗料を拭き取り始める。テントウ虫がまた飛び立つまでは手を休める事にしたらしい。
隣に立って改めてキャンバスを見つめると、まだうっすらと下書きの線が見えた。これだけでも完成作品のように感じられるが、このあと更に色が足されて鮮やかに染まっていく事を思うとわくわくしてくる。
「ところで、エマ。何か用事があったんじゃないのか?」
「え?」
エマは首を傾げて、そしてハッと気付いた。
――テントウ虫の飛んでいった方向に、将来の……。
ついさっきまで考えていた事を思い出した瞬間、瞬きするよりも早く顔に熱が集まってきてエマはたじろいだ。
「どうした? 具合でも悪いのか……?」
グランが心配そうな顔をして覗き込んでくる。その瞳は間違いなくエマしか映していない。
それが何故かとても嬉しく感じられてしまって、余計に戸惑った。
「な、……な、んでもない!」
「エマ?」
グランの呼び掛けも無視して慌てて家の中に駆け込み、テーブルクロスを抱えたままその場に呆然と立ち止まった。
(ただのジンクス。……だよね?)
そう言い聞かせてみるものの、どうにも心がざわついて落ち着かない。エマの心臓はまだドキドキしているし、相変わらず顔は熱いし、このままだときっと茹で上がってしまう。
「うう〜……もうっ!」
結局その日は一日中、結婚式のイメージが頭から離れずエマは一人で百面相をして過ごす羽目になった。
将来の旦那様は、もしかしたら、きっと……。
〈了〉