グラエマが初めてキスする話。『次に唇が離れたら、大好きだよって言うからね。』
ぎゅう、と目を閉じるのに力を入れ過ぎて体が強張る。置き場所に困って胸の前で握った両手はグランの左手一つで覆われてしまって、右手には肩を掴まれて、もう絶対に逃げられない。逃げたくないけど逃げたくなる。怖い訳じゃないけれど緊張はする。もう自分ではどうしようもない。心臓が爆発してしまいそうなくらいドキドキして、なんだか泣き出してしまいそうになる。
男女交際、お付き合い、というものを今まで経験した事がなくて、それで呆れられてしまうのが怖くて。でもそんな事を気にしている余裕なんてないくらい、今の状況にいっぱいいっぱいになっている。
もう何も考えられなくて必死で目を閉じて、もうどうにでもして、とさえ思ってしまう。
「エマ」
名前を呼ばれても目を開けていいのかどうかも分からない。耳のすぐ側で聞こえるグランの声がいつもより低くて、まるで知らない人のようで余計に不安になる。
「エマ」
もう一度名前を呼ぶ声が聞こえた瞬間、不意に柔らかな感触が唇に触れた。
それはあまりに一瞬の出来事で、すぐに離れていってしまう。瞬きしながら目を開けると、間近にグランの顔があって驚いて咄嗟にまた目を閉じた。
もう一度目を閉じてからのキスはさっきよりも少しだけ長かった。
今度は、ちゅ、という小さな音と共に離れていった。そしてまた直ぐにくっついてくる。何度も繰り返されて、その度に頭の中までふわふわしてくる。
体の力が抜けて、気が付けばグランの腕の中で完全に身を任せてしまっていた。
最後にゆっくり唇が離れていって、ぼんやり至近距離のまま見つめ合う。何だかだんだん恥ずかしくなってきて目を逸らしたのに、グランは追いかけるようにじっと私の目を見つめてくる。気不味くて仕方がないけれどグランがあまりに真剣に見つめてくるから、恐る恐る目を合わせた。
「エマ」
グランの方から目を合わせてきていたのに、どうしてか目が合った途端に困ったような表情をされてしまう。何か考えているような顔つきで、言いにくそうに口を開いた。
「あのな、エマ。確認なんだが」
「え、な、なに……?」
「もしかして、初めて、だったか」
あ、やっぱり分かっちゃうんだ。
頷いて、下を向いたまま顔が上げられない。やっぱりなんか変だったんだろうな、とか、幻滅されちゃったかな、とか、ぐるぐる考えてしまって上手く言葉が出てこない。
「ご、ごめんね。……っ」
どうにかそれだけ言って、そのまま黙り込んでしまう。グランは何も言わないし、視線を向けられているのを感じるだけで居心地が悪い。キスどころか、男の人と抱きしめ合ったり、手を繋いだりするのもそうだし、そもそもこんなに近い距離感で男の人と接する機会自体あまりなかった。月渡りは全体的に家庭的な雰囲気で、みんなと距離感は近かったけど、それでもグランに対してだけは、他のどんな誰かとも違うような感じで、もっとそばまで近付きたくて、だから。…………
「エマ、こっちを向いてくれ」
両手で優しく肩を掴まれる。
ぐるぐる考え込むくらい混乱していたらしい。つい肩が震えてしまって、グランの言う通りにそっと目線を上げると、グランは眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「嫌なら、ちゃんと言ってくれ」
「え……いやじゃないよ、私」
「じゃあどうして泣いているんだ」
言われてからやっと気が付いた。自分の頬を伝う涙の存在に。
「わ、わたし」
「うん」
「わたし、はじめて、なの」
「ああ」
「だから、呆れられたく、なくて」
下を向いたら涙がぽろりと零れてしまって、慌てて拭おうとしたけれどその前にグランに抱き寄せられてしまった。
背中と頭に手が回されて、ぎゅうと力強く抱かれる。グランの匂いに包まれて、それが凄く安心できて、ずっとこうしていてほしいと思ってしまった。
「呆れたりする訳ないだろう」
耳元で囁かれた声はとても優しかった。グランはそのまま頭を撫でてくれるから、胸の奥がきゅう、としてしまって、もう本当にどうしようもない。
「エマの初めてをもらえるなんて思ってなかった。……嬉しいよ」
グランの声は静かで落ち着いていて、それでいて少し掠れていて。こんな声を聞いたのは、もしかしたらあのブルメリアから戻った夜以来かもしれない。
思わず顔を上げたら目が合って、グランの瞳が揺れているのを見た。
どうしよう、分かってしまった。
私がグランを好きなように、グランも私と同じ気持ちでいてくれてるんだ。
「グラン」
両手を伸ばしてグランの頬に触れると、彼は驚いたように目を丸くした。振り払われなくてよかった、とほっとする。
「二回目のキス、してくれる……?」
目を見つめて訊ねるとグランの顔がゆっくりと近づいてきて、それから唇と唇が触れ合った。
「ん……」
つい漏れてしまった自分の声が甘えているみたいで恥ずかしくて、でも、嬉しくて堪らない。
唇はすぐに離れていって、ちょっと寂しく思っていたら、グランはもう一度キスしてくれた。
三回目のキスになるのかな、とぼんやり思う。
グランは私の髪を手で掬ったり耳にかけたりしながら何度も何度も繰り返し口付けてくる。その度に頭がくすぐったくなって、なんだかまたふわふわしてきた。
四回目も五回目も、それよりもっとたくさんの回数のキスをきっと、これからグランとする事になる。それは何だかとても幸せだな、と思った。
〈了〉