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    佳芙司(kafukafuji)

    ⚠️無断転載・オークション及びフリマアプリへの出品・内容を改変して自作として発表する行為等は許可していません。⚠️
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    POIPOI 71

    140SS【https://poipiku.com/3176962/8885168.html】をベースにした改良版。
    使った自ネタ→【https://novelskey.tarbin.net/notes/9gettnffqf

    #京園
    kyoto-on

    京園5.5

     海外にいると日本語が恋しくなる時がある。そういう時こそ本でも読めばいいのかもしれないが、大抵の場合京極は衝動に負けて、携帯電話のメッセージアプリを眺めたり手紙を手に取ってしまう。園子と交わした、学校であった事、自身の近況報告、今度はいつ会えるか、早く会いたいという気持ちの文章。紙での遣り取りは減ったが、以前はその手跡を指でなぞっては思いを募らせていたと懐かしむ。それに伴って、その頃はまだ明確に互いの気持ちを伝え合っておらず、タイムラグのある遣り取りの為に勝手な思い込みや勘違いをしては突飛な行動をしてしまった事もあった、と思い出して京極は一人顔を赤らめた。
     気を取り直して、先程着信のあったメッセージを読む。陸上競技記録会、もとい運動会の日が近付いている為にテニス部なのに皆そちらに意識が向いてしまって、ラケットを持つより走り込みや基礎トレばかりやっているという旨の近況報告で、そういえばそんな時期かと彼は目を細めた。きっと彼女の事だから級友達を全力で応援して盛り上げるのだろうと容易に想像出来る。少し、ほんの少しだけ、羨ましいような気がする。
     ──近いうちに話したいな。電話してもいいオフの日あったら教えてね。あなたの園子より。
     その文末の八文字を見る度に京極は胸が切なく詰まる。
     手紙を書く際のルールなど、日本の現代国語の授業でさえ習ったかどうか。確か便覧資料集の後ろの方に掲載されていたような気がするが記憶が定かではない。手紙の書き始めの挨拶と結びの挨拶の定型句など知らない。生来思った事や感じた事を言葉にするのが得意ではないから、一留学生としてハイスクールから出される課題を解く際に英語で記述する事に苦労しているのは、言語や語学の壁というよりそもそも作文や小論文自体が苦手だという意識の所為もある。日本にいた頃からその手の授業には苦労した記憶しかない。
     しかしそれは学問上の話であって、日常生活においては、そんな決まり事より如何に思いを込めた文章であるかが重要なのだと、彼女を通して教えられた。現に今、どうしようもなく胸が忙しい。ただ電話をしてもいい日を訊ねられただけなのに嬉しくて仕方がない。
     屋外でのスポーツなら水分補給を忘れないように、熱中症に気を付けてほしい旨と、怪我に気を付けてほしい事と、時差の事を考えて三日後なら予定が空いている事を書いた。
     書き終えて、送信ボタンを押す前に読み返す。問題ない事を確認して、さて、と画面から指を外す。

    (園子さんは話し言葉をそのまま書き起こしたような文なのに、自分はどうしてこうも違うのか……)

     見たままの印象を表すなら、素っ気ない、と言って差し支えない。彼女のメッセージは明るく華やかな文体なのだが、自分から送る文章は無機質だ。もっと柔らかく親しみやすいように書いてみたいものだが、何を書けばいいか分からなくて結局いつも事務連絡のような文になってしまう。
     読み返しているうちに、彼女は自身にあった話を書いてくれているのだからと思い付いて、自分も杯戸高にいた頃は陸上競技記録会で走り幅跳びやクラス別リレー等の競技に駆り出された時の思い出話を書いてみる事にした。
     最後にもう一度全体を流し読む。これを読んだ時、自分が感じたものと同じように彼女も自分を想ってくれたら、と淡い期待で頬が緩む。
     ほんの一部分の真似でも彼女に倣ったような気持ちになって、文末にもう一文を書き加えてから、彼は送信ボタンを押した。


    ***


     鈴木園子が妙に静かで大人しい時は大体くだらない事である。
     と、言い出したのは誰だったのかは最早分からない。ただその静かで大人しい様子というものにも種類があって、其処の細かな機微に気付く事が出来るのは彼女の幼馴染である毛利蘭かやたらと察しの良い某探偵などの限られた者達だった。
     大人しいというより、寧ろ落ち着きがないように見えて蘭はそっと離れた距離から彼女を見守る。目線はそのままで隣の世良の肩を控え目に突いた。

    「ねぇ、園子どうしたんだろう……いつもと全然違うのよ、なんか深刻そうっていうか」
    「それを僕に訊くのかい。蘭君でも分からなければもうお手上げじゃないか」

     潜めた声で会話しつつ二人は園子を見る。先程から何度も携帯電話の画面を見ては溜息を吐き、画面を伏せてはまた大きく息を吸った分だけ大きな溜息を吐いている。ホームルームも清掃も終わった放課後、かれこれ一〇分以上は同じ行動を繰り返している。まだ彼女は帰らないらしい。
     見兼ねた蘭が園子の隣の席に、世良が前側の席に座った。それぞれ彼女を正面から見るように座って、目配せしてから蘭がまず口火を切る。

    「ねぇ園子、大丈夫?」
    「蘭……」
    「話なら聞くよ」
    「世良ちゃん……」

     交互に二人の顔を見て、園子はぎこちなくも笑顔を作ろうとして、少しだけ失敗した。その表情で蘭はきゅっと胸が締め付けられる思いがして、世良も眉尻を下げた。これはもしかしたら想像以上に深刻なのでは、と少々身構えたところで園子が机に突っ伏した。

    「もう無理! ヤダ! どうしたらいいのか分かんないのよぉ!」

     ゴン、と音がする。一瞬園子が額でも打ったのかと思ったが、恐らく手にしていた携帯電話が机にぶつかった音だろうと見当を付けて世良は彼女の肩を軽く叩いた。何が無理でイヤでどうしたらいいのか分からないと嘆くのか、世良にはさっぱり分からなかった。蘭に目配せすると彼女は一つ頷いて園子の体を起こさせる。

    「もしかして、京極さんと喧嘩した?」

     ギクリと園子の身が硬直する。これは事件の気配はないなと判断して拍子抜けしつつ、肩を竦めた世良が背凭れに肘を置いて頬杖をつく。少なくとも園子は泣き出しそうとか怒っていそうだという雰囲気でもなく、どちらかといえば少々情緒が不安定な様子なので心配の方が上回る。

    「ううん……喧嘩じゃないの。私がちょっと連絡出来てない、っていうか」

     呟き声で話し始めた園子が俯く。携帯電話を手に持たず机の上に置いて操作し、メッセージアプリを開いてから向きを変えて二人にその画面を見せた。

    「一人で読んでても、全然考えまとまんなくて、返事、送れなくて……なんて書いて返したらいいのか、ほんとに分かんないの」
    「これ、読んでいいの?」
    「うん」

     園子が表示させたメッセージアプリの画面は、おそらくかなり個人的な遣り取りを交わしているものだった。画面上部のメニュータブに『♡真さん♡』と表示されている。園子はもう携帯電話から手を離し、代わりに両手で顔を覆ってまた溜息を吐いている。何か彼女が傷付くような事があったのかと蘭は意を決してメッセージ画面を黙読した。
     日付は二日前、園子が近況を知らせる内容のメッセージを送っている。絵文字も適宜使いつつ、文章上の雰囲気はいつもと変わらぬ様子だ。その下に続いているのが件のメッセージの相手、園子の恋人である京極真から送信された文章らしい。世良も身を乗り出してそれを読む。
     京極のメッセージの文体は、かなり簡潔で淡泊な印象を受けるものだったが、一貫して園子の健康を気遣うものであった。最近の気温の高さから熱中症を心配して水分補給を促し体調を気遣う文章に、ブレないなぁ、と蘭は思う。一行空けてその続きに、杯戸高校での陸上競技記録会の思い出話が書かれている。やっぱり運動部所属だとクラスメイトから活躍を期待されるのは何処でも同じなのだなと親近感が湧く。

    『園子さんが話題にするまですっかり忘れていました。懐かしいです。
     自分はいつも園子さんの応援を心の支えにしています。当日自分があなたを応援する事は叶いませんが、園子さんが怪我なく、練習の成果を出して活躍出来るよう、祈っています。』

     あらあらまぁまぁ、と世良が声にはせずとも楽しそうに目を細めてニヤニヤと笑う。蘭は思わず手で口許を隠して僅かに目を瞠った。京極さんったら結構ストレートにそんな事言えちゃうのね、と二人は目を合わせる。更に指で画面をスクロールして読み進め、予定と電話をする約束を交わした一文まで読んだところで、再び一行空けて最後に書かれていた九文字を視界に入れた瞬間ほぼ同時に二人は硬直した。

     ──『あなたの京極真より』。

    「ああー、なるほど……」
    「わぁ……」

     そのまま世良も蘭も沈黙する。
     最後まで読んだのだな、と察して園子が両手を顔から退かした。赤く染まった頬と涙目になった目を二人に見せて、彼女は唇を尖らせる。

    「これさ、暗号文とかじゃないわよね?」
    「そんな訳ないだろ」
    「だって! だってこんな彼氏面する真さん私知らないもん!」
    「何言ってんのよ園子……」

     蘭も世良に同調して呆れたような声を出した。二人の交わしたメッセージのやり取りを見て、結果的に園子は現在相当混乱しているのだと蘭も察しはしたのだが、流石に彼氏面という表現まで持ち出されると、もう乾いた笑いをするしかない。
     園子から、恋愛事の相談をされたり、或いは惚気話を聞かされたりというのは世良も蘭も日常茶飯事として受け入れている。此方からその類の話題を振った時には、いつものハイテンションで返事が来る事も珍しくない。時には助言だってする。そんな彼女が此処まで恥ずかしがるのだから、この京極の文面、特に最後の九文字の一文はかなり衝撃的な威力を持って届いたのだろう。

    「この最後のやつって完全に園子君の真似だよな?」
    「影響与えてるって事よね」
    「つまりこれは逆説的に、園子君の所為って事だね」

     うんうん、と二人は園子を差し置いて頷き合ってから携帯電話を彼女に返した。味方がいないと分かって再び机に突っ伏した園子に顔を合わせて二人が笑う。

    「返事出来なくてもう約束した電話する日になっちゃったのよ!? 今日なのよ、もう何話したらいいのよこんな状態でぇ……」

     突っ伏す園子を尻目に、世良も蘭も苦笑し呆れた顔になる。そもそも今更その程度で動揺してどうする、という感は否めないが、園子の初心で乙女な一面を知ってしまっている手前やはり微笑ましくもあり、つい口出しや手出しがしたくなってしまう。

    「もう素直に白状しちゃえばいいんじゃない?」
    「ときめいちゃって返事出来ませんでしたーって。うん、それがいいよ」

     うんうん、と再び世良と蘭が頷き合う。最早自分の味方はいないのか、と赤くなった顔のまま深い溜息を吐いて園子はがっくりと項垂れた。


    ***


     いつもなら起こらない事態を前にした時、人間は容易く混乱して正常な判断が出来なくなる。
     普段、携帯電話を携帯しない事を周囲から咎められるような京極が、ここ三日はずっと、スクールにもトレーニング先にも、寮の部屋を離れて外出する時も、きちんと携帯電話を持ち歩いている。電池残量を気に掛けたりメッセージや電話の着信通知がないかを確認する為に携帯電話を手に取る。しかしそれらの動作をしている最中にふと我に返っては溜息を堪えて顔を顰めた。
     三日前、京極が送ったメッセージの一つ前、園子からのメッセージの文面を彼はまた読み返した。目で追っては、自分が返信したメッセージに何か落ち度があったのではないかと気が滅入る。いつもメッセージのやり取りにおいては園子の方から『また連絡するね』や『おやすみなさい』等の短くてもそれが切り上げるタイミングなのだと分かるようなメッセージが送られてくる事が常だった。彼の方から送信されたメッセージをもってやり取りを切り上げるような事は、かなり古い履歴まで遡って見てもこれまで一度もなかった。
     ただ単純に、彼女が忙しくしていてメッセージの返信が遅れたとか、電話をする約束はしているからそれで問題ないと判断したとか、そうであったならいいと京極は思う。しかし、もしかして電話の約束さえなかった事になっているのでは──と背筋が冷えた瞬間、手の中の携帯電話がバイブレーションと着信音を鳴らし始めた。
     慌てて画面を見ると『鈴木 園子』の文字が表示されていた。通話のアイコンを必要以上に強く押して顔の側面にぶつける勢いで耳に当てると、その彼女の声が聞こえてくる。

    「もしもし、真さん? 今大丈夫?」

     電話の約束は果たされたと京極は安堵を覚えながらも平静を装って答えた。

    「大丈夫です。丁度、朝の走り込みを終えて帰ってきたところですから」

     嘘ではない。その走っている最中もずっと園子の事が気になって仕方がなく、実のあるトレーニングになったのかどうかは定かではない。実際ランニングコースを走り抜けながら何度も足を止めてしまった。それでも最終的に帳尻を合わせていつも通りの時間に自室に帰って来られたのは幸いだった。

    「あの……なんか、ごめんね。返信しなかったし、電話も遅くなったし」

     電話の向こうで園子が申し訳なさそうな声で言う。元気がないな、と京極は耳をそばだてた。いつものような明るい弾むような響きがない事に胸がざわついて落ち着かない。

    「園子さん。何かあったんですか?」
    「……あったんじゃなくて、寧ろ何もなくて……」

     京極の言葉に園子は一瞬だけ沈黙し、それからぽつりと呟くように言う。歯切れの悪い言葉に、彼の胸騒ぎは更に増していった。
     一体何があったというのだ。自分の知らぬ内に園子の身に何か起きたのだろうか。それとも、まさか自分とこうして話す事も嫌になってしまったのか。不安からとにかく何もかもすべて聞き出したい気持ちに駆られるも上手く言葉が出てこない。冷や汗をかく彼に彼女が「ああもう!」と苛立った声を上げた。

    「真さんの所為よ! あんな事書くから!」
    「え?」
    「あ……『あなたの京極真』って……」

     電話の向こうで、うー、とか、もう、とかの特に意味のない声が聞こえる。殆んど聞き流すような状態で京極は目を瞬かせた。
     書いた事を忘れた訳ではない。送信ボタンを押す前に思い付いて、書き加えた事は覚えている。離れていても生き生きとした園子の様子やその気持ちが伝わってくるような、あたたかみのある文面に心を動かされて、自分も園子に倣って書いてみようと試みただけの事で他意はない。思い付きの模倣が園子を悩ませてしまったらしい。

    「勝手に真似をしてすみません。つい……いつも、あの結びの言葉を嬉しく思っていたんです。『あなたの園子より』、と」
    「そ、う、なの。……」

     小さな相槌が音波でもってスピーカーと鳴らす。もしかして照れているのだろうかと予想して、京極は目を瞬いた。
     特別な、お互いがお互いへ送る手紙やメッセージでのみ交わす、恋人の為だけの結びの言葉は、どうしてこんなに胸が高鳴る。自分もそうしようと思い立ったのは偶然だったが、もっと早くから揃いの文言になるようにしていれば良かったと京極は少しだけ後悔した。
     この三日の間、互いに相手からのメッセージに翻弄されていたらしいと分かって、二人は思わず笑い合った。顔を見ていないのにきっと相手も今同じように頬の辺りに熱を感じているのだろうと想像すると、自然と笑みが零れる。やがて園子の方が、ふっと息を吐く気配がした。

    「真さん。今度、帰ってきたらさ……直接言ってほしいな」

     電話越しではあるものの、囁かれたその言葉の意味するところを理解して、京極はカッと顔を赤く染め上げた。耳まで真っ赤になる彼の反応までは見えていない筈なのに園子もまた自身の発言内容を思い出して照れが後から来たらしく、ほんの僅か黙り込む。
     約束します、と答えた声が焦りで掠れていなかったか京極は気にしたものの、園子にはしっかり届いたようだった。



    〈了〉

    擱筆2023/08/06


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    佳芙司(kafukafuji)

    REHABILI園子さんは正真正銘のお嬢様なので本人も気付いてないような細かなところで育ちの良さが出ている。というのを早い段階で見抜いていた京極さんの話。
    元ネタ【https://twitter.com/msrnkn/status/1694614503923871965】
    京園⑰

     思い当たるところはいくらでもあった。
     元気で明るくて表情豊か。という、いつかの簡潔な第一印象を踏まえて、再会した時の彼女の立ち居振る舞いを見て気付いたのはまた別の印象だった。旅館の仲居達と交わしていた挨拶や立ち話の姿からして、慣れている、という雰囲気があった。給仕を受ける事に対して必要以上の緊張がない。此方の仕事を理解して弁えた態度で饗しを受ける、一人の客として振る舞う様子。行儀よくしようとしている風でも、慣れない旅先の土地で気を遣って張り詰めている風でもない。旅慣れているのかとも考えたが、最大の根拠になったのは、食堂で海鮮料理を食べた彼女の食後の後始末だった。
     子供を含めた四人の席、否や食堂全体で見ても、彼女の使った皿は一目で分かるほど他のどれとも違っていた。大抵の場合、そのままになっているか避けられている事が多いかいしきの笹の葉で、魚の頭や鰭や骨を被ってあった。綺麗に食べ終わった状態にしてはあまりに整いすぎている。此処に座っていた彼女達が東京から泊まりに来た高校生の予約客だと分かった上で、長く仲居として勤めている年輩の女性が『今時の若い子なのに珍しいわね』と、下膳を手伝ってくれた際に呟いていたのを聞き逃す事は勿論出来なかった。
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