灰もかぶらない むかしむかし、ある所に、それはそれは大層綺麗な見目をしている夜叉がおりました。夜叉は元々魔神の元で扱き使われておりましたが、戦で主を失ってしまいました。
帰る所を失った夜叉は、主であった魔神を打ち負かしたモラクスに拾われ、他の夜叉の仲間達と暮らすことになりました。しかし、夜叉は他人を信じることができません。名も告げなかった為、他の夜叉からは金鵬と呼ばれていました。
金鵬は、よく働く夜叉でした。床を掃除して欲しいと言われれば箒が折れる程一日中床を磨いておりました。働かずともゆっくり過ごしてくれれば良いと他の夜叉からは伝えられ専用の部屋も用意されておりましたが、いつも隅っこに座り込み、目を瞑っておりました。
ある夜、この街を納めている魔神モラクスより、武闘会が開かれるとの知らせがありました。仲間の夜叉達は腕を鳴らし出掛けていきましたが、金鵬は家で待っていることにしました。腕に自信がないわけではないけれど、他の夜叉達の顔を立てたいと思ったのです。
金鵬は仲間の夜叉と住んでいた家から出なくなって既に数年経っていましたが、それを夜叉の兄弟達は不憫に思っていました。良ければ金鵬も来るといい。とは言ってもらっていたものの、その申し出を断っていたのです。
家の掃除をしながら、ふと兄弟分の夜叉の言葉を思い出した金鵬は、やはり行くべきではないかと思い直しました。久方ぶりに仙術を使い、武闘会の場所を察知して瞬く間に会場へと現れます。しかし、自分の姿を他人にはあまり認知されたくなかった為、会場に置いてある時計の針が十二を指した頃に帰ろう。と決めていました。
会場で受付をしていると、夜叉達が声を掛け、出迎えてくれました。少しだけ嬉しくなり、金鵬の心は温かくなりました。
一回戦、二回戦と金鵬は勝ち進んでいきます。金鵬は魔神に引けを取らない強さを持っていました。玉座に座るモラクスからの視線が自分に注がれていることに金鵬は気付いていましたが、気付かないフリをしていました。
「お前、名は何と言ったか」
三回戦が始まる前に、とうとうモラクスに話し掛けられました。拾われたあの日ですら、会話の一つもしたことはなかったのです。
「……他の者には、金鵬と呼ばれている」
「なるほど、良い名だ。中々良い動きをしているな。俺の配下に欲しいくらいだ」
「……ご冗談を」
金鵬は会釈をして、その場を去りました。魔神に話し掛けられるのは恐ろしい気持ちもありました。もうこの場から帰ろうと、他の夜叉には何も告げず、家へと帰りました。
数日後、モラクスが金鵬という腕の立つ夜叉を探していると仲間が話しているのを耳にしました。モラクスの側近が家を尋ねて来た時も、そのような者はいないと追い返してしまいました。
「金鵬、どうしてなの? 行けばいいじゃない」
「我は、ここで骨になるまで暮らす生活で満足している」
「モラクス様は、悪い魔神じゃないと思うぞ」
「……」
悪い魔神ではない。その通りではあると金鵬は思っていました。しかし魔神に近付くのを恐れている部分もあり、名乗り出る勇気が出なかったのです。
武闘会で外に出たのをきっかけに、金鵬は少しづつ街へ出掛けるようになりました。特に森の木々の間を散策するのは、気持ちが落ち着くようで、気に入っていました。
「見つけたぞ、金鵬」
「……っ」
ある日のこと、ついに森の中を一人歩いている時に、モラクスに見つかってしまいました。モラクスは金鵬の気配を覚えていたのです。
「……どうして、我を探しているのでしょうか……」
「もう一度顔を見てみたくなった。武芸を見たかった。綺麗だと感じた。燻っているのは勿体ないと感じた。それだけだ」
「……」
この魔神は何を言っているのだろう。そう金鵬は思いました。武芸なら兄貴分の夜叉の方が強いですし、あの舞踏会で優勝したのも仲間の夜叉でした。それに、綺麗な夜叉は他にもいると感じたからです。
「……一目惚れしてしまった。と言えば伝わるだろうか」
「なっ……」
モラクスの放った言葉に、金鵬は困惑するばかりでした。元々金鵬を使役していた魔神も金鵬に向かってそんなことを言ってきたことはなかったからです。
「良ければ一日だけでもいい。俺の所へ来て欲しい」
「断った場合、兄弟は殺されてしまうのでしょうか……」
「なぜだ? そのような意味のないことはしない。また誘うまでだ」
「は……」
モラクスの放った言葉は、金鵬には理解できませんでした。魔神はもっと残虐で、狡猾で、騙して奪う存在だと金鵬は思っていたからです。
「……一日だけ……でしたら……」
「本当か? 明日迎えに行く」
「えっ、あ……わかりました」
この辺りを統治している魔神であるうえに、武闘会ではもっと威厳のある雰囲気があると感じていた金鵬でしたが、この時は違いました。モラクスは前のめりで嬉しそうに、一瞬目を輝かせていたのです。
「では、また明日」
モラクスはそう言うと、姿を消してしまいました。金鵬は困惑したまま家に帰り、仲間の夜叉達に先ほど起こった出来事を伝えました。すると、大層兄弟達は喜び、なんとそのまま帰って来なくても良いと言われてしまったのです。
「金鵬は、モラクス様のお傍の方が幸せに暮らせるわ」
金鵬は幸せなどに興味はありませんでした。しかし、金鵬がモラクスの元に行くことに対して、こんなに嬉しそうな顔を兄弟がするのなら、きっとモラクスの所へ行った方が良いのだと金鵬は思いました。金鵬は頷き、次の日を待つことにしました。
次の日、特に護衛も付けずに金鵬の家へとやって来たモラクスは、何千年も生きてきた魔神には見えませんでした。どこか浮かれている雰囲気を感じたからです。
「では、行こうか金鵬」
「はい」
何故かモラクスに手を繋がれ、仙術も使わずにモラクスの家まで歩いて行くことになりました。モラクスは博識で、少し歩いて立ち止まっては、金鵬に話し掛けてきます。金鵬は懸命に耳を傾け、相槌を打っていました。
「楽しいな、金鵬」
「……モラクス様が楽しそうで何よりです」
ただモラクスの家まで歩いて帰っただけでその日は終わってしまいましたが、モラクスはとても楽しそうに微笑んでいました。
「今度はお前の楽しいと思うことをやりたいと思っている。俺にお前のことを教えてくれないか」
モラクスの真っ直ぐな石珀色の瞳に見つめられ、金鵬はパチパチと数回瞬きをしました。
もしかすると、モラクスといれば他人を信じる気持ちを思い出せるかもしれない。金鵬はそう思い、モラクスの傍にしばらくいることにしました。
気に入らなければいつでもここを出ていってもらって構わないとモラクスに言われていた金鵬ではありましたが、それからというもの、モラクスの傍には、大層見目の綺麗な夜叉がいつも、いつまでも、隣にいるようになるのでした。
──めでたし、めでたし。