魏嬰が女ものの漢服を着てみたので、藍湛にイメージ・プレイしようって言い出す回。「今夜はこの服を着て、芝居風にやろう!」
早めの寝支度をしていた藍忘機は、魏嬰の言葉に手を止めた。顔をあげると、魏嬰が女人の着るような裙の長い服を身にまとっていた。
「魏嬰、その服は…」
「出入りの行商人からちょっとな」
魏嬰が愉快そうに提案した。
「こういうのはどうだ? 俺は娼館の娘で、おまえは客だ」
「きみは女人の役なのか?」
「まあ、そうだな。せっかく女の服だから」
藍忘機はうなずいた。
「おまえは夜狩のついでに、娼館に気晴らしに来たっていう筋書きにしよう」
「そんなことが気晴らしになるのか?」
「俺に聞くなよ。今度、行ってるヤツらに聞いとくよ」
魏嬰に促されて寝台に腰掛けると、彼もその隣に座った。
静室の窓からの西陽で、襦のうすぎぬが黄金色に透け、魏嬰の体の線があらわになっていた。藍忘機が目のやり場に困ってわずかに目を逸らすと、それも彼なりの演技のひとつだと魏嬰は受け取ったらしい。
「お客さんみたいなきれいな人は初めて」
魏嬰がしなを作って肩にもたれかかり、ため息混じりに言った途端、藍忘機は身を硬くした。
「これまでに、ほかの客を取ったのか?」
尋ねる声が暗くなる。魏嬰があわてたように立ち上がった。
「わかった! 今のなし! ほかの筋書きにしよう!」
藍忘機は困惑気味にうなずいた。なんだかよくわからないけれど、魏嬰の遊びに付き合ってみようということは、ふたりのあいだではよくあった。
「含光君は仕事で来た町で、ある町娘を気に入って声を掛ける。これならどうだ? できそうか?」
「うん。きみが読んでいた本で、似たような話があった」
魏嬰はよく貸本屋から流行りの本を借りていたが、そのなかに恋愛物が混ざっていたのだ。
藍忘機は立ち上がると、さっと魏嬰の腰を抱いた。
互いの目があうよう、ほっそりした手首を取って向きを変えさせる。
低い声が静室に響いた。
「町で一目きみを見て、心を奪われた。今夜は私と過ごしてくれないか」
「イヤだ!」魏嬰は突然叫ぶと、腕をバタつかせて抱擁から逃れた。「おまえ、おまえ…そうやって俺に隠れて、町で女の子を引っ掛けてないだろうな!」
「ない」
「そうだよ、ないよ! 知ってるよ!」
魏嬰は大きくため息をつくと、腕組みをしてうーんとうなった。
次の筋書きを待つあいだ、藍忘機は一歩下がってその姿を眺めることにした。白い襦に、胸の高い位置で腰帯を結び、裙が足首まで広がっている。考えこむ姿は、花の刺繍のほどこされた袖で自分の体をぎゅっと抱きしめているように見えて愛らしい。
「ならば、こういのはどうだ?」と藍忘機は思いついたことを口に出した。「魏嬰が私のために、美しい服を着てくれた」
「なるほど! ていうか、そのまんまじゃないか!」
まあいいか、というふうに魏嬰はくるりと回ってみせた。
「どうだ? 似合うか?」
あわい桃色の裾が、藍忘機の目の前ではためいた。
「うん。きみはそんな服まで似合う」
真っ直ぐに見つめてそう言うと、魏嬰は照れくさくなったらしく肩をすぼませた。藍忘機は、ひとりでに口もとがゆるむのを感じた。
「やはり私のために着てくれたのか?」
「どうかな? おまえを驚かせて、俺が楽しみたかったのかも」
そう言って笑う唇に、唇を重ねる。触れあったまま、藍忘機が彼を寝台の上へ運んで覆いかぶさると、魏嬰がはっとしたようにその胸を押し返した。
「待て。このまましたら、きっともう着て楽しめなくなる。脱ぐよ」
腰帯を解こうとする手を、藍忘機は止めた。
「このままだ。服行商人にはまた来てもらおう」
「そ、そうか…」
「この服の脱がせかたも、これから覚える。自分では脱がないで」
「……」
最後の西陽が、雲深不知処の山々のふところへ消えようとしていた。
藍忘機は愛しいひとの姿がよく見えるよう燭台に火を灯すと、また寝台へ戻った。横たわる魏嬰の顔をのぞきこむと、うるんだ黒い瞳に映ったろうそくの炎が、ゆらゆらと幾重にも揺れていた。