指輪を買うたいみつ わたしの勤務先は、ゼロの数を数えるのがちょっと嫌になるくらいの高級アクセサリーを扱うジュエリーショップだ。小さな頃からアクセサリー食玩を買い集め続けている程度にはキラキラした物が好きだったわたしは、好きが高じた結果ジュエリーショップの販売員を目指して就職活動を行い、見事ゴールを決めたのだった。それが七年前の話。思わず目を瞑ってしまいたくなるほどのキラキラに囲まれる毎日は最高以外の何物でもなかったが、社会人生活すべてが楽しいことばかりというわけはなく、店内の清掃は面倒だし、ウン百万の宝石に触れるのは死ぬほど神経がすり減るし、なにより配属されたショップのお局がクソすぎて(あらやだ販売員にはあるまじき言葉遣い!目を瞑ってくださいまし)、近所のスーパーで「あのクソババァがさっさと異動になりますように」と七夕イベントの短冊に書き殴ったのが五年前。さて、わたしの願いは見事に叶い、お局は別店舗へ異動となって、それからはたいへん働きやすい職場へと様変わりした。それが三年前。しかしそれは、上司および同僚または後輩がわたしにとってやりやすい相手ばかりになったというだけの話であり、販売員の苦労の大半は、やはり接客にあるのだ。
ある日の午前中のこと。その日はとても暑い日で、最高気温が三十九度を記録したこともあり、店を覗きに来るお客様は皆ラフな格好で、まあ言うなれば店のランクには合わないお召し物の方が多かった。高級ジュエリーショップに足を運ぶ人というのは大まかにふたつに分類され、ひとつは買う気満々の方、もうひとつは買う気がまったくない冷やかしの方である。もちろんわたしたちはプロの販売員なので、お客様によって対応を変えることはしない。こいつ絶対買う気ないだろという方にだって丁寧な対応を心がける。と、言うのは建前で、やっぱり俄然やる気になるのは前者のお客様である。なんせ販売数は自分の成績に直結し、自分の成績はボーナスの査定に直結するので。
しかし、その日は来店する人の服装があまりにもラフだったこともあり、めっちゃ金持ちだけど私服はファストファッションで済ませちゃうタイプの富豪か、あるいは普通にお金がなくてファストファッション着てます系の庶民かの見分けがたいへんつきづらかった。もちろん、実際に声をかけて会話をすればすぐにわかることではあるけれども、こうも揃いも揃ってTシャツを着て来店されると、一目見ただけでは判断が難しい。服装というのはその人の懐具合を示すわかりやすい指標だからだである。服装の次にお財布事情がわかりやすいのは髪の毛。金持ちの髪質はやっぱりすごくいいものなので。しかしこれについても皆揃いも揃って汗でべたついているのでわからない。こうなってくると来店した人全員に最上級のおもてなしをしなくてはいけなくなるので(ただのひとりでも富豪は逃したくない)、まだ午前中だというのに気疲れしてしまった。ちくしょう、次のボーナスには新しいネックレスを買う予定だから絶対に良い成績を収めたいのに。今月の販売目標額まであと百万……。
と、その時だった。ものすごく背が高く体格の良い男性と、その男性の隣を歩く華奢な男性の二人組が来店した。恭しく頭を下げてから横目でちらりと様子を窺う。どいつもこいつも高いのか安いのかわからない白Tシャツを着て来店する中、体格の良い男性はかなり質の良いスーツを召していた。来た。富豪だ。
「うわ、なんかすげーなここ。こんな敷居の高そうな店に来たの、オレ初めて」
富豪の隣を歩くマッシュウルフの男性の左耳につけられたピアスを見る。かなり年季が入っていることから、ひとつのものを長く大事に使うタイプだということが窺えた。こういう人は一回の買い物にドンと金を使うことが多い。安いものをたくさん買うのではなく、高いものをひとつ買って大切に大切に使うのだ。
さて、ここで唐突に持論を展開させていただくわけだが、ジュエリーショップの販売員に最も求められる素質とは、つまるところ「動じない心」であるとわたしは常日頃後輩に伝えている。お客様は千差万別だ。富豪に庶民なんていう分類だけじゃない。ひとりで来る人もいれば、修学旅行かよみたいな人数で来る人もいるし、おじいさんおばあさんもいれば迷子の子供が紛れ込んでくることもあるし、物腰やわらかな人もいれば、おまえ昔ヤンキーだっただろみたいな柄の悪いやつもいる。年の差カップルや、明らかなパパ活、それに同性カップルも。しかしどんなお客様に対峙したってひるんではいけない。大切なのは動じない心。健全な接客には健全な心が宿る。え、言葉の使い方間違ってる?
「気に入ったやつあったか?」
「いや……、つーかどれもこれも値段書いてなくて選べねぇんだけど」
「値段で選ぼうとすんな」
「予算内で買えそうなものから選ぶのが普通でしょ」
「オレが買うんだから気にする必要ねぇだろうが」
「そーいう問題じゃなくてさぁ」
会話から察するに、どうやらお二人はお付き合いをしているようだ。恋人同士でなければこんなクソ高いアクセサリーを買ってやろうなんて話にはならない。ショーケースの前に立つ二人を少し離れた位置で観察する。二人ともいい男だ。顔がとんでもなくいい。富豪の方はめちゃくちゃ背が高くて筋肉粒々な感じなのにスーツがよく似合っている。筋肉質の人って身体に合ったスーツを着ないと不格好になっちゃうもんだけど、あの紺色のスーツはものすごく合っている。あ、首元から刺青が見える。そっちの筋の人か……。富豪なのも納得した。接客するときは言葉遣いに気を付けないと。
次に、富豪に連れられた恋人さんへ視線を移す。スーツを着ている富豪とは対照的に恋人さんの格好はラフだ。ラフだけど、おしゃれ。なんかわからんけどめっちゃおしゃれ。なんだろ……美容師さんとかが着てる感じの服装というかんじ。髪色もきれいな薄紫でとても似合っている。富豪がヤの付く自由業の方だと考えると、こっちの人はアレかな、小指を立てるアレな感じの立ち位置なのかな。それとも正妻?
「ふたりで付けるものなんだから大寿くんも選んでよ」
「オマエが選んだものならなんでもいい」
「え~、いちばん困るんだけどそういうの。……あ、これとかどう? ごつい宝石のやつ、大寿くん似合いそうじゃん」
「邪魔くせぇだけだろそんなもん」
「大寿くんって結構服シンプルだからさ、こーいう派手な指輪似合うと思うけど」
恋人さんがショーケースを指差したのを横目で見て、そそくさと近づく。「お取りしましょうか?」と声をかけると、恋人さんが「あ、じゃあお願いします」と返してくれたので心の中で小さくガッツポーズをかました。よし、これひとつ買ってもらえれば今月のノルマは達成するぞ。
「ほら、つけてみてよ。……アハハハ、やば、なんか大寿くん、やくざの組長みたい」
ごつい宝石がついた指輪を渋々つけた富豪を指差して恋人さんが笑う。やくざの組長みたい、と言って笑うということは、そっち界隈の人じゃないってことか。刺青と質の良いスーツ的に絶対そっち系の人かと思ったけど、まさかのカタギか。
「オイ、テメェと揃いで付ける指輪を買いにきてんだぞ。オレに似合うやつ探してどうすんだ」
「お互いに違うデザインのやつ買って付けるのもアリじゃない?」
「ナシだ」
「なぁに、大寿くん。オレとお揃いがいいんだ」
にやにやと笑う恋人さんの背を、富豪さんが叩く。しかも思いっきり。「いてっ」という恋人さんの小さな悲鳴は店舗内に響き渡り、少し離れたところに立って待機していた後輩がびくりと肩を揺らしていた。こらこら、販売員たるもの動じない心を持ちなさいとあれだけ言ってるでしょうが。
「お揃いで、しかも四六時中付けるってなると、やっぱりシンプルなやつがいいよねぇ」
来た。すかさず「シンプルなデザインのものをいくつかお持ちいたしましょうか」と声を掛けると、今度は富豪のほうが「そうしてくれ」と即答した。たぶんさっさと買って帰りたいんだと思う。この人、長時間の買い物苦手なタイプだな。
お二人を店舗奥のソファ席にご案内して、後輩に飲み物をお持ちするよう指示してから二人のお眼鏡に敵いそうなものをいくつか見繕う。お二人のところへ戻ると、二人掛けソファに仲良く座りながら、なにやらひそひそと喋っていた。くるくると表情が変わる恋人さんとは対照的に、富豪の表情は固く、よく言えばクール、悪く言えば顔が怖い。しかしそんな富豪も会話の節々で表情がふっとやわらかくなることがあり、二人が確かな恋人同士であることが伝わってきた。
「あ、これいいね。シンプルで、仕事中つけてても邪魔にならなさそう。これにする?」
「オレはなんでもいい」
「もう、だからちょっとは一緒に考えてよ。……ねえお姉さん、これ、おいくら?」
恋人さんが小さな声でそう呟くので、おふたつで百五十万円になりますと伝えると、恋人さんは「ひゃくごじゅうまん?!」と大声を上げた。
「え、いやいやいやいや。高い」
「そうか? ふたつで二百万未満なんだから、そんなもんだろ」
「百五十万円を二百万円未満って表現すんのやめてくれる? 車買えちゃうじゃん、百五十万だよ?」
「百五十万じゃ車は買えねぇだろ」
「買えるんだよ、庶民は!」
すると突然、ソファに腰掛けていた恋人さんが立ち上がった。わたしが持ってきた百万越えの指輪と、富豪の顔を順番に見下ろす。
「オレ、前も言ったよね。大寿くんが自分で身に着けるものにいくら金かけたって個人の自由だけど、オレに同じだけのお金をかけるなって」
「今回買うのはオレとオマエの揃いの指輪だ。オレの基準に合わせたって問題ないだろう」
「……たしかに、大寿くんの仕事的にも、安いアクセサリーつけさせるわけにはいかないし、それはわかるんだけど。でも、今回は大寿くんがお金出してくれるって話だったから、……気になっちゃって、……ごめん」
恋人さんがゆっくりとソファに腰掛ける。「ごめんね、お姉さん、大きな声出しちゃって」と謝る恋人さんに、いえいえ、と笑顔で返しながら内心は心臓がばくばくだった。よ、よかった~~~目の前で喧嘩に発展しなくて。まあ実際、店の中で喧嘩しちゃうカップルってのは少なくはないんだけど、男性カップルの喧嘩はまだ遭遇したことがないからドキドキしてしまった。なんか殴り合いとかしそうな雰囲気だったから死ぬほど焦った。
「わたくし、一旦席を外しますね。ほかに良いものがないか、探してまいります」
とかなんとか適当な言い訳を並べて席を立つ。お二人の姿と声が確認できるギリギリの距離まで離れて、ひっそりと汗をぬぐった。あーマジでよかった喧嘩しなくて。しかし雲行きが怪しいのは変わらない。指輪、買ってもらえないかもしれないな。あーあ、これが売れればノルマ達成だったのに。
「三ツ谷、オレは、オマエの飯が好きだ」
……え、急に何の話? ご飯の話? あの場に残るのが居たたまれなくて逃げてきてしまったけど、漏れ聞こえてきた会話がめちゃくちゃ気になる。恋人さん、手料理をふるまう派なんだあ。いいね、素敵。
「オマエは、施しのためにオレに飯を作んのか?」
「……違う。料理はもともと好きだし、それに、オレの作ったごはんを大寿くんに食ってほしくって、そんで、喜んでくれたらうれしいなって」
「オレがやってることもそれだけのことだ。オレはオマエみたいに飯は作れねぇし取れたボタンも付けれねぇ。なんにもできねぇんだ。だから、金を払ってそれで得た対価をオマエに渡してる。情けねぇ話だよ」
「そんなことない。お店の経営なんて誰にでもできることじゃない。お金を稼ぐって、すごいことだよ」
「そう言ってくれるなら、オレが稼いだ金で買った指輪も、もらってくれるな?」
「……言うようになったね大寿くん」
「恋人の口が達者なもんでな」
ソファの上で寄り添ったふたりが唇を合わす。え、えー。ここ、お店なんですけど。いちおう高級ジュエリーショップなんですけど。イチャイチャするならよそでやってください、と思いつつ目が離せない。くそ、なんだよ、喧嘩したと思ったらただのノロケを見せつけられてしまった。くっ、幸せになれよ、おふたりさん。
「お姉さーん、これ買いまーす」
恋人さんに呼ばれて席に戻る。先ほど薦めたシンプルイズベストな指輪を購入することにしたようだ。百五十万円の指輪。お二人に合うサイズの在庫が残っていたので即日決済となった。今月のノルマは無事達成。ボーナスも安泰。念願の新作ネックレスが我が手に来る日も近い。
ありがとうございましたぁ、と間延びした声でお二人の背中を見送る。箱はいらねぇ、と言う富豪さんにより(高級アクセサリーって箱にも価値があるものだけどそれを置いていくだなんてマジの富豪だったんだなあの人)、二人はさっそく揃いの指輪を左手の薬指に付けて去っていった。赤の他人のイチャイチャなんて目の保養どころか毒でしかないのだが、高い買い物をしてくれるお客様に関しては別です。ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております。末長くお幸せに。