最後のひとつは埋まらない──────
物心ついた時から、何かが欠けていた気がしていた。
優しい両親。裕福とは行かないまでも、満たされた生活。仲のいい友達。楽しい毎日。
これ以上恵まれた人生なんてないだろうに、心にどこか埋まらない空白がある。
──まるで、最後のピースを無くしたジグソーパズルのように。
──────
「んんっ……」
画面に釘付けで凝り固まった体をほぐすために、伸びをする。
パソコンの画面には勝利を知らせる真っ赤な文字。
今日も趣味のFPSで敵チームを蹴散らし、ようやく一息ついた頃だ。
『今日も圧勝だったなあ、ヒデユキ!』
「まあな。……でも、オレの作戦が完璧だったらもっと点を稼げてた」
『あ、あの時誤断ったのは悪かったって……でも……』
謝りながらも、画面の向こうにいるチームメンバーは言い淀む。
……理由は分かっている。ヒデユキの指示についていけない、だろう。
常人より優れた聴力を用いる三次元的な索敵と、それを用いた的確な指示能力が、ヒデユキをこのゲームのトッププレイヤーに押し上げた要因だ。
しかしヒデユキの指示を十二分に活かせる者は、その中でも更に限られる。
敵の位置を座標で簡潔に伝える暗号は優れているが、それを聞いて攻撃するまでには、やはり数秒のタイムラグが発生してしまうのだ。
その僅か数秒の間に逃げられたり、逆に撃破されたりする事も珍しくない。
分かっている。ヒデユキの指示を聞いて即座に理解し、数秒置く事すらなく攻撃に転じられるプレイヤーなど、そう言った用途に開発されたAIくらいだろう。
だが、ゲームの世界は勝敗こそが全て。
ヒデユキは、ずっとそのような相手を探していた。どこかに、必ずいると信じて。
『あ、そういや次の大会だけどさー』
物思いに耽っている間に、チームメンバー達は別の話に移っていた。
「ああ、例のアイツがいるチームだろ」
『そうそう、確かエースの名前は──』
「……タカヒロ」
その名を呼ぶと、何故か胸が痛む。
(負けたのがそんなに悔しかったのか、オレ)
タカヒロは、当時無敗だったヒデユキのチーム相手に唯一勝ち星を上げたチームのエースだ。
リロード以外のタイムラグが存在しないかのような、異様な反応速度に対応するのが遅れたせいで負けてしまった。一応、再戦の時はきっちり勝ったが。
それ以来、向こうのチームとは勝ったり負けたりを繰り返している。
今の勝敗数は丁度半々だ。
『大会、オフラインで現地集合だったよな?』
『って事は、とうとうアイツらと会えるのか……』
『……なんか動悸するな!』
「そうか? ……もう寝る。おやすみ」
一方的に通話を切る。
チームメンバーは学校の友達を中心に頼れる者を集めたつもりだが、たまにその軽率さや騒々しさが煩わしくなる事があった。
それが自身の優れた聴力だけが理由でない事を、ヒデユキは知っている。
ベッドに移動して、横たわる前に窓から外を見た。
満天の星空は、明日も晴天になる事を示している。
……星が、怖かった。嫌いだった。
夜の闇を朧気に、それでも確かに照らしてしまう光が嫌いだった。
けれど、今もその理由は分からない。
(馬鹿らしい)
「おやすみ」
誰に言うまでもなく呟いて、電気を消す。
目を閉じて、睡魔に身を委ねる。
『どうして、どうしてアナタはいつもそうなの!?』
(──ああ、またこの夢か)
今より僅かに幼くなったヒデユキは、耳を塞いで目を閉じた。
それなのに、怒声も醜い泣き顔も、包丁で自分の手首を切りつける姿さえ鮮明に視聴てしまう。
今の親とは違う、あまりにも身勝手で傲慢極まりない親。
ヒデユキが自分達の意に沿わない発言や選択をする度に、取り乱しては自殺未遂をする。
こんな親の下にいる限り、永遠に自由は手に入らない。
分かっているのに、子供というだけで逃げられない。縛られる。
……ヒデユキにとって、これは間違いなく悪夢だ。
人生を変えるような出来事があった日には、必ずこの夢を見る。
まるで、過去からでも彼の人生を操ろうとするかのように。
ヒデユキは、前世を信じない。
こんなものが、自分の過去にあったなんて思いたくないから。
けれど、悪夢に現れるもう一組の両親はそんな事はお構いなしにヒデユキを責め立てる。
逃げるなと。自分達に従えと。逆らうなと。少しずつ、彼を否定していく。
(……でも、これだけじゃなかったはずなんだ)
信じてはいないけれど、もしも、この夢が本当に自身の前世だったのなら。
こんなクソみたいな人生すら、まともだったと思わせてくれるような誰かが。
最期まで共にいた誰かが、いた、ような──
突如、世界が暗転する。
「!?」
今までになかった展開に、ヒデユキは目を見張った。
気が付けば、そこは見知らぬ──はずなのに、どこか見知った──部屋。
デジタル時計の時間は午前二時。
動悸がする。
何か嫌な予感がする。
早く目覚めないといけない気がする。
ああでも、このまま夢が進んだのなら。最後のピースが、その正体が
「来い!! ヒデユキ!!!」
「──────ッッ」
ヒデユキは弾かれたように飛び起きた。
夢から鳴り止まない鼓動が、逆に今が現実である事を知らせている。
「なん、だ、今の……」
目覚める直前に聞いた声は、今まで聞いた事の無かったものだった。
……そのはずなのに、どこか懐かしさも感じた。
「もしかして、あれが……?」
ずっと待ち望んでいた、何か。
自分の心の空白を埋めてくれる、誰か。
「ヒデユキー? そろそろ大会の準備しなくていいのー?」
「っと、やば」
階下から聞こえた母親の声に我を取り戻し、ヒデユキは慌ててベッドから出る。
今のヒデユキは十四歳。
季節は星が綺麗に見える、雪の無い空気だけが冷え切った冬の頃。
最後のピースが埋まる時は、すぐそこまで迫っている。