悪魔は靴擦れが痛いのか 下駄の鼻緒が切れてしまったメフィストを何とか歩かせ、車の後部座席に押し込んだ。
「ふぅー、やっと着いた」
おんぶしてあげようか、と、聞いてみたものの、それはさすがに我慢がならなかったようで断られた。まぁ、祭りの人混みの中で浴衣の男二人……しかも、小さい方が大きい方を背負って歩いていれば、周りからの視線も痛いに違いない。人間に頼るしかない名家の悪魔という構図も見られたくないのだろう。
足を庇ってゆっくりと歩くメフィストに付き添って、会場横の駐車場に停めた車の中にやっとのことで帰ってきたのだった。
「足、大丈夫?」
座席に座るメフィストの足を持ち上げてよく見ると、赤く擦りむけて痛そうな靴擦れができていた。もともと下駄に慣れていなかったこともあるし、後半はずっと足を引き摺って不自然な歩き方をしていたせいだろう。
「うわ……痛そう。悪魔でも靴擦れになるんだね……」
俺は顔をしかめる。絆創膏を持ってくれば良かった。
「悪魔ならそんなことにはならない。だが、今は人間の姿だからな」
メフィストが心底軽蔑した言い方で「人間」を罵る。
今夜はもう帰るのだろうか。久しぶりに取材とは関係のない純粋な「デート」だったのに。俺は左手に持っていたかき氷をストローで勢いよくズズズッと吸い上げた。さっきまでは買ったばかりだったかき氷も今は冷たいジュースになっていた。
運転席のドアを開け、とりあえず、エンジンをかけクーラーのスイッチを入れる。静かなエンジンの振動が座席に伝わる。クーラーの風が冷えるまでにはまだ時間がかかりそうだった。
「俺もそっち座っていい?」
後部座席を指してそう言うと、メフィストがひとつ横に体をずらしてくれたので、俺は後ろに移動してメフィストの隣に腰を下ろした。
ガヤガヤと楽しそうな人々の声、遠くから響く太鼓や祭囃子の音、そういった様々な祭りの音が窓越しに遠く、少しくぐもって聞こえる。窓一枚あるだけで、こんなにも全てが遠く感じる。メフィストと二人きり、世界から隔離された謎の空間に閉じこもっているような、そんな不思議な気持ちになった。
「ねぇ……」
「何だ」
呼びかけるとメフィストは少しだけこちらを向いた。俺は座席から半分立ち上がるような体勢でメフィストの首に腕を回し、やや強引に唇を奪った。
かき氷で冷たくなった俺の唇に、しっとりと温かいメフィストの唇が重なって気持ちがいい。舌を差し入れてさらに奥までメフィストを味わう。蜜よりもずっと甘い何かで心臓がキュンとする。
「おい、こんなところで」
メフィストが俺を押し戻そうとする。
完全な密室以外でここまでするのは初めてだった。
「誰も見てないよ」
「そういう問題では……んっ……」
俺は構わずキスを続ける。座席の背もたれに沿って、徐々にメフィストの体をシートに押し倒し、馬乗りになって唇を貪った。指で首筋をなぞり、そのまま浴衣の襟元から差し入れて地肌に触れる。汗ばんだ肌からほんのりと香水が香り、俺は思わずため息を漏らした。
「はぁ……センパイの、そういうとこ」
夏の暑さと二人の体温が溶け合って、はだけた浴衣姿で重なり合う体。まるで境目がなくなったようにぴったりと絡みつく。お互いに主張し始めた下半身を確かめるように腰を押し付けると、布越しに硬いものが擦れ合った。
「うっ……」
メフィストが小さく声を出した瞬間、俺の理性は飛びそうになった。
(やばっ……)
ドンッ
その時、大きな音がして、一瞬、辺りが昼間のように明るくなった。
「花火だ……」
俺はハッとして顔を上げた。窓から入ってくる花火の光がステンドグラスのように車内をカラフルに照らし出す。ドッドンッと軽快な破裂音を鳴らしながら何発も連続して花火は上がり、そのたびに車の中は美しく照らされた。
花火に目を奪われている俺の下から、メフィストもモゾモゾと起き上がって窓の外を見上げた。
「ここからではよく見えないな」
「外、出る?」
「……こんな格好でか?」
「あー……」
前は全開、帯は解けかかっているお互いの姿を確かめると俺は苦笑いしかできなかった。
「ここから見るしかないな」
浴衣の襟元を直しながらメフィストが窓の方に向き直る。怒っているかと思ったが、そうでもない様子なので、ほっと胸を撫で下ろし、俺も慌てて窓の方を向く。
メフィストの腰に腕を回し、ぎゅっとしがみつくと、その腰からは相変わらず汗と香水の混ざったメフィストのにおいがして、俺の心臓は再びキュンとした。