煌めく波に、揺られて。天界に、まさに「天国のビーチ」という名の砂浜があると聞き、シメオンを誘ってみた。
「シメオン、天界にめちゃくちゃ綺麗なビーチがあるってホント?」
「うん、『天国のビーチ』って、それはもう真っ白の砂浜で海も透き通ってて、お魚さんもいっぱいいるビーチがあるよ!子供の頃はよく行ったなー」
「俺、そのビーチ行ってみたいなー!せっかく夏なのにさ、魔界って全然そんな感じしなくてつまんないんだよねー」
「わかった!俺も、話してたら久々に行ってみたくなったし、ミカエルに相談してみる!」
そんな話をしてから数日が経ち、ミカエルからの許可が下りたとシメオンから連絡があった。
そして、天界へ行く日。
ルークから恨み節を言われながら、ミカエルへの大量のみやげと報告書の束を渡されたあと、俺たちは天界へと向かった。
今回のお礼と手みやげを渡しに、天界の中でも一際大きな白亜の宮殿へと向かう。
シメオンは何食わぬ顔でスキップでもしそうな勢いで入っていくが、入口に立つ衛兵や、大きな廊下のあちこちに立つ人たちが次々に頭を下げるのを見ると、俺の恋人はそれなりの立場の天使なのだと思い知らされる。
反対に、シメオンの後ろをついて行く俺からは、明らかな人間臭でもするのか、怪訝な顔でジロジロと舐めまわすように俺を見ながら、皆が通り過ぎていく。
まぁ、そうなるわな。
宮殿の中でも一際立派な謁見の間の扉を、トイレのドアでも叩くようにシメオンがコンコンとノックすると、中から衛兵が扉を開ける。
重厚な扉が開かれると、白い絨毯の向こうに、後光が差し、目も眩むほど眩しい光を放つ、人の形をした何かがいる。
「ミカエルー!久しぶりー!」
相変わらずの天真爛漫さを発揮するシメオンは、大きく手を振りながら、その光の塊に駆け寄る。
「久しぶりだな、シメオン。元気そうでなにより」
徐々に近寄ると、光の中からは、金色の長いウェーブヘアをなびかせた、色の白い長身の男性の姿が現れた。
これが、ミカエルか。
確かに、天界を統べる天使としての迫力をひしひしと感じる。
少し怖気付いていると、ミカエルの方から声をかけられる。
「やぁ、君がMCか?会うのは初めてだね、私はミカエル。いつも、シメオンやルークが世話になっているようだね」
仕草や口調はしなやかながらも、ヒラヒラとした白い布で覆われた中に屈強な肉体が隠れていることは見てとれた。
まさに文武両道を体現したような非の打ち所のなさを感じる。
「はじめまして。お目にかかれて光栄です。人間の俺が、こんな、天界なんかに足を踏み入れていいのか、とても恐縮なのですが…」
それなりの地位がある天使だとわかっているがゆえに、ちゃんとしなければいけないと身が引き締まる。
しかし、丁寧に挨拶をしていると、横からクスクスと無邪気な笑い声が聞こえてきた。
「なぁに、二人ともかしこまっちゃって。なんだか、いつもと雰囲気違うからおかしいよ!はははっ!」
振り向くと、シメオンが、今にも指をさして笑いそうな勢いで、口元を手で覆って笑っていた。
「…だって、ここ、一応謁見の間でしょ?ミカエルさんって偉い人なんでしょ?」
「でも、俺にとっては元同僚だし、そんなかしこまる必要はないよ、ねぇ?」
シメオンは、いつだってそうだ。
最初はとても警戒して遠巻きに見ているくせに、一度心を開くと、距離が一気に近くなる。
天使だからなのか、仲良くなれば皆兄弟、ぐらいの距離感で接してくる。
それが、良いところでもあり、心配なところでもあるのだ。
「まぁ、シメオンはこういうヤツだから…」
「…はい、よぉく存じてます」
「なら、よかった」
どうやら、周りの人間は(天使ではあるが)皆同じことを思っているらしく、俺の反応を見たミカエルは、少しホッとした顔をした。
「そんなことより、はい!これ、ルークの調査報告書と魔界のおみやげだって。持ってくるの、大変だったんだからね?」
シメオンは、わざと重そうな演技をしながら、ミカエルに諸々の手みやげを差し出す。
「わかったよ、ありがとう。あとでルークには礼を言っておく。あ、MC」
大量の資料とおみやげを、後ろに控えるミカエルの部下に手渡し、そそくさと謁見の間をあとにしようとすると、なぜか俺だけがミカエルに呼び止められた。
「…なんでしょう?」
振り向くと、グイッと肩を掴まれ、そっと耳打ちをされる。
「君、シメオンと付き合ってるんだって?ルークから聞いたよ?」
「はぁ、まぁ」
「よくあの天然を手懐けられたね」
「いや、手懐けられてはいないですけど、そこが可愛いっていうか」
シメオンのことを話す俺は、どうやら無意識のうちに顔が緩みきっているらしい。
「いやー、そのノロケ、もっと聞きたいねぇ!」
先ほどまでの高貴で威厳のある雰囲気とは打って変わって、おおらかに笑うミカエルの姿に俺は驚いた。
「ミカエルさんって、そういうノリの人なんですね」
「あれ?知らなかった?あ、それでね、このあと『天国のビーチ』に行くんでしょ?」
「はい。そのために天界まで来たんで」
仕事とプライベートをきっちり分ける人なのだとわかってしまえば、親しげに俺に話しかけるこの天使は、そんなに怖い存在ではないように思えた。
なぜなら、俺にこんな提案をしてくるヤツだからだ。
「…刺激、欲しくない?」
「はい?」
よもや、天使の発言とは思えぬ台詞に耳を疑った。
「イイもの、あげようと思って」
「それはどういう…?」
ニヤニヤしながら俺に何かを勧めてくるが、俺には何のことだかさっぱり想像がつかない。
「君がコスプレ好きだって聞いてるから、これ、どうかと思って…ほらっ」
そんな、得体の知れないミカエルが指を鳴らして部下を呼ぶと、その部下が紙袋をミカエルに手渡した。
ミカエルが俺を見ながらその紙袋を開くと、そこには、水着らしきものが入っている。
それを袋から出してみると、想像の斜め上を行く、とても俺好みな逸品だった。
「おぉ!…って、ミカエルさん、こんなものどこで?」
「それはまぁ、色々と、ね。でさ、これ、あげるから、代わりにひとつ、お願い聞いてほしいんだけど」
ミカエルが眩しすぎるウインクを返すと、さっきよりさらに体を寄せて、俺にすり寄ってくる。
「俺に出来ることなら」
「じゃあね、……」
ミカエルは俺の耳元でごにょごにょと詳細を話しはじめる。
が、その内容に、俺は頭を抱えた。
「それはっ!…うぅ、でも、交換条件ならっ…」
「あくまで、私のコレクションにするから、ね?頼むよー」
天界でもかなり上位であろう天使が人間ごときに手を合わせてお願いしている。
明らかに、周りの部下たちからの視線が、痛い。
「…わ、わかりました。お約束します」
「本当かい!?ありがとう!じゃ、楽しみにしてるからね!」
まぁ、どうしても無理な話ではなかったので、水着は欲しかったし、条件をのむことにした。
了承すると、ミカエルは俺の両手を掴み、ブンブンと上下に振りながら少年のようにキラキラした表情でお礼を言った。
そんなに、楽しみなんだ。
「…MC?なに、ミカエルと話してるの?早く行くよー!?」
俺とミカエルが話している間、我関せずとすっかり扉までスタスタ歩いていたシメオンが、振り返って初めて俺が後ろにいないことに気付く。
大声で俺を呼び、大きく手を振っているのが見えた。
「はーい!では、すばらしいものを、ありがとうございました」
俺は、そんなシメオンに手を振り返すと、ミカエルに再度礼を言い、頭を下げた。
「どういたしまして。楽しんできてねー」
「はいっ!」
ミカエルにひらひらと手を振って見送られながら、俺はシメオンの元へと走る。
そして、ごく自然に手を繋いで謁見の間をあとにした。
――――――――――
「天国のビーチ」は設備も充実していて、まさにリゾート地のようだった。
シメオンいわく、昔はもっと雑然としていたけれど、今ではすっかり有名になってこれほど設備が整ったらしい。
ビーチの前に建つ、食事も出来る施設のエントランスを抜け、俺たちはさっそく着替えに向かう。
「シメオン、水着持ってきたの?」
俺は、着てきたアロハを脱ぎながらシメオンにたずねる。
「いや、シャツと短パンでいいかな?と思ってて」
シメオンは、カバンからゴソゴソと、至ってシンプルな白いTシャツと紺色の短パンを出して俺に見せてきた。
せっかくの恋人同士のバカンスだと言うのに、相変わらず色気もしゃしゃりもない。
なぜ、よりにもよってそんな体操服みたいな組み合わせなんだ!
シメオンはもっと、自分がスタイルが良くて可愛いことを自覚すべきだ。
「じゃあよかった!水着持ってきたから、これ着てっ!」
とはいえ、シメオンの自覚のなさに少しホッとしつつ、俺は、例の紙袋をシメオンの前に差し出した。
これは絶対、シメオンに似合うはずだ。
「そ、そうなの?ありがとう!じゃあ、あっちで着てくるねっ」
「うんっ、いってらっしゃーい!」
シメオンは、疑う様子もなく俺から紙袋を受け取ると、なぜかカーテンのある着替えスペースへと消える。
男同士だし、裸も幾度となく見ているというのに、そういう恥じらいをいまだに持っているところは、正直、好きだ。
俺は、すでにハーフパンツの下に水着を着てきていたので、一瞬で着替え終わってしまった。
おそらく時間がかかるであろうシメオンがいるカーテンの向こうを想像しながら、俺はシメオンが出てくるのを今か今かと待ちわびた。
「…ねぇ、MC」
しばらくすると、シメオンのシルエットがうっすら映る水色のカーテンがやんわり開く。
中からは、胸からお尻にかけてぴちっとバスタオルを巻いたシメオンが、明らかに俺を睨みつけながらズンズンとこちらに向かってくる。
「お、着替え終わった?」
「終わったけど、コレなに!?」
ワクワクしながらシメオンを見つめていると、その目を睨み返される。
「水着だけど?」
俺は、さも当たり前のように答えたが、シメオンは全く納得していないようで、さらに眉が吊り上がり、語気が強くなった。
「そんなのわかってるよ!だから、なんでこんなっ…はっ…ハレンチなの!?」
「ハレンチかどうかは見ないとわかんないから、早くその、巻いてるバスタオル取ってよ」
俺も、水着自体は確認したが、実際にシメオンが着たところは想像の範囲でしかなかったので、早く実物が見たかった。
「うぅ…恥ずかしい…」
シメオンは、体に巻きつけたバスタオルの上から、さらに自分の体を隠すように腕を巻きつけバスタオルを押さえる。
ただ、バスタオルから伸びるしなやかな両脚は、すでに俺の興味をそそり、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ミカエルさんの厚意で貸切にしてもらったんだから、他に誰もいないんだし、早く見せてよー」
そう。
先ほどエントランスを通る時、受付の人から、「本日は、ミカエル様の命により、お二人だけの貸切にさせていただいておりますので、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」と声をかけられたのだ。
ミカエル、粋なことをしてくれるじゃないか!
仕方ない、ここまでしてくれたのなら、必ず、交換条件を果たそう!
「……うぅ」
俺の言葉に、恥じらいは拭いきれてはいないようだが、意を決して、胸元に折りこんであるバスタオルに手をかける。
ただの一枚の布になったバスタオルが重力に従ってはらりと落ちると、中から、眩しすぎる光景が現れた。
「わぁぁ!!可愛いーー!!」
一見すると白い大きな襟のついた紺色のセーラー服のようだが、よく見るとそれは明らかに水着の素材で、襟の下は、胸元だけが布で覆われている、いわゆるビキニスタイルである。
ただ、胸を覆う布の面積も狭く、ギリギリ、シメオンの胸の中心が隠れるほどの幅しかない。
胸の間で揺れるセルリアンブルーのタイが、つい、視線を胸元に集中させてしまう。
その下には、引き締まったシメオンの腹筋が露わになり、さらに腰まで視線を落とすと、ローライズの白いマイクロミニのプリーツスカートが、かろうじてシメオンの尻の頂点を隠している。
スカートとパンツは一体になっているのだが、スカートの短さから、もはや下半分はパンツが丸見えになっていた。
白いスカートからスラリと伸びる褐色の脚が、夏の爽やかさと色気という相反する雰囲気を醸し出し、一際俺を興奮させた。
「ねぇ!だからっ!おかしいでしょ!?これ!!」
シメオンは、どこもかしこもピチピチなこの水着のどこを隠せばいいのかわからず、胸元やお尻の部分を懸命に引っぱっている。
「なんでー!?シメオンにすっごく似合ってるよ?」
俺は、そんな恥じらう仕草も含めてパーフェクトなシメオンの出で立ちに、拍手と賛辞を送ったが、反応は芳しくない。
「こんなの似合っても…」
「ほら、時間もったいないから、行くよっ!」
「わっ!ちょっと!」
そんな俯くシメオンの気分を少しでも上げようと、俺は海へとシメオンを連れ出した。
着替えスペースから砂浜へと出る扉を開けると、眩いばかりの光が一気に視界を包み込んだ。
しばらくして目が慣れてくると、足元には一面の白い砂浜が広がり、少し先に目をやると、シメオンの瞳と同じターコイズブルーの海が、キラキラと太陽の光を反射しながら俺たちを出迎えていた。
「うわっ!すごいっ!ほんとに真っ白だ!!」
俺が一気に童心に帰って駆け出すと、シメオンも少し遅れて俺の後に続く。
その顔は、先ほどまでの暗いものではなく、幼い頃のシメオンを思わせるような輝きに溢れていた。
「うんっ!懐かしいな、昔と全然変わってない」
「シメオンっ!ビーチボールで遊ぼっ!それっ!」
砂浜に建つ小屋には、無料で貸し出してくれるビーチボールや浮き輪が置いてあり、自由に取って遊ぶことが出来た。
俺はさっそく、その中から赤と白のストライプのビーチボールを取り出して、シメオンの方へと投げる。
「わわっ!」
シメオンは、慌てながらも長い脚でボールへと追いつき、見事にキャッチする。
「うまいじゃんっ!」
「運動は出来る、よっ!」
俺が手を叩いて讃えると、シメオンは、嬉しそうに笑いながら、ボールを打ち返してきた。
「じゃあ…えいっ!」
俺は、それを受け取ると、まだ距離のある海の方へと思いっきりボールを投げる。
「わっ!そっちはっ…」
バシャーンッ!!
シメオンは、足元も確認せず、無心にボールを追いかけて海に向かってダイブする。
懸命に伸ばした体も虚しく、ボールはシメオンの指より少し向こうの沖へプカプカと流れていく。
「はははっ!!シメオンびしょびしょー!」
あまりにも真剣にボールを追う姿に俺が指さして笑うと、ザバッと海から顔を出したシメオンが、俺に向かって歩いてくる。
「MCがわざとボールこっちに打ったんでしょー!ほらっ!MCもこっち来てっ!」
ザバザバと海から上がり、いまだ砂浜にいる俺の腕を引いて海へと引きずり込む。
「そーだけどっ…うわっ!」
バシャーンッ!!
お互い腰の辺りまで海に浸かったところで、シメオンがいきなり、俺に向かって、手で掬った大量の水を浴びせる。
「へへ、仕返しっ」
珍しく、イタズラっ子のように笑うシメオンは、髪から水が滴り、少女のような輝きを放つ。
「やったな?このっ!」
バシャッ!
なんてベタなシチュエーション、と思いながら、こんなことが出来るのは天界でしかないと思い、俺もまた、シメオンに仕返し返しに水をかける。
「もー!えいっ!」
バシャッ!
何度、同じことを繰り返したのか、お互いすっかりビショビショになって、二人で海を満喫していた。
「…はははっ!楽しいっ!」
自然とこぼれた笑い声は、本当に、心の底から楽しいという証拠だろう。
こんなに笑ったの、子供の頃以来かもしれない。
気が付くと、その笑顔は伝染し、シメオンも、俺を見て笑っている。
「うんっ!楽しいねっ!」
俺を見つめるその笑顔が、愛しい。
ずっと、そばにいて欲しい。
離したくない…
「シメオンっ!」
そう思った瞬間、無意識にシメオンの腕を引き、抱き寄せて唇を重ねていた。
「ん?…あっ…んんっ」
一瞬見開いた、海と同じターコイズの瞳は、唇が重なると同時に閉じられる。
少し開いた唇から舌を差し込むと、シメオンは俺を受け入れた。
ひとつになった俺たちを、波間に浮かぶビーチボールだけが、そっと見守るようにたゆたう。
今日のキスは、いつもとは違う、潮の香りがした。
「……好きだよ」
そっと唇を離し、鼻先の触れる距離で見つめると、おでこをつけたまま、視線だけが逸らされる。
「…お、俺も」
「…ずっと、こうしてたい」
抱きしめた腕に力を込めると、濡れた身体がピッタリ密着し、いつもより肌の感触が伝わる。
合わさった胸から伝わる鼓動は、どちらのものともわからないぐらい、互いに大きな音を立てていた。
それに気付いたのか、シメオンが耳を真っ赤にして、俺の胸を押し返しながら浜辺の方を向いて話を逸らす。
「……お、俺っ、パラダイス・ブルー買ってこようかなっ」
「なら、俺が買ってくるから、シメオンは座って待ってて」
「う、うん…」
俺は、片手を腰に回したまま、もう片方の手でシメオンの頭を撫でた。
すっかり大人しくなったシメオンは、その場で固まったまま、先に浜辺へと向かう俺を黙って見送っていた。
浜辺には海の家が並び、さまざまな食べ物が売られている。
今日は俺たちだけの貸切だというのに、お店は全て開いていて、少し申し訳ない気持ちになった。
その中の一つでパラダイス・ブルーを購入し、浜辺に点在するテーブルを見渡す。
先ほどいた沖から一番近いテーブルで、シメオンが海を見つめながらボーッとしているのが見えたので、俺はそちらに、手に持ったパラダイス・ブルーを零さぬように駆け寄った。
「おまたせっ!はいっ!」
テーブルに肘をつき、組んだ手に顎を乗せながら海を見つめるシメオンの目の前にパラダイス・ブルーを差し出す。
「あ、ありがとう」
シメオンはそれを受け取り、赤と白のストライプのストローを摘むと、口に咥えて飲みはじめた。
「俺、小さい頃、この海で飲んだパラダイス・ブルーが忘れられなくて、それからずっとパラダイス・ブルーが大好きなんだ」
一口飲んだあと、シメオンはぽつりと俺につぶやく。
その顔は、昔を懐かしむような、とても優しい顔をしていた。
「じゃあ、ここは、シメオンにとって、思い出の場所なんだね」
「うん。天界で大好きな場所」
シメオンが見つめる視線の先の海を、俺も同じように見つめる。
シメオンは、小さい頃からずっとこの海を見てきて、その色が瞳に移ってしまったのではないかと錯覚するほど、シメオンの瞳が海と同化していた。
「そこに、シメオンと一緒に来られてよかった」
「…の、飲む?一緒に」
しばらく海を見つめたあと、目の前のシメオンに視線を戻すと、シメオンは恥ずかしそうに、グラスに刺さったもう一本の同じ柄のストローを差し出してくる。
「うんっ!そのために、ストロー二本つけてもらったんだから」
もともと、買う時に、ストローを二本刺してほしいと頼んだのは自分だ。
せっかく海に来たのだから、たまには、ひたすらベタなことがやってみたくなった。
ちぅー…
さほど長くないストローでひとつのグラスから飲むのは至難の業で、俺はグイッと前のめりになり、キス出来るほどの距離まで近付いてストローを咥えている。
「な、なんか、恥ずかしいね。距離が、近くて…」
シメオンは、パラダイス・ブルーを飲みながら、チラチラと俺の方を見ている。
「そう?もっと近づこうか?」
そんなシメオンをからかいたくて、俺はさらにグッとテーブルに乗り上げ、ゼロ距離まで詰め寄った。
「いっ…いいっ!」
すると、シメオンは、とっさにストローから口を離し、俺の目を隠すように、両手で俺の顔を押さえ、自分の方へ来ないように必死に抵抗した。
「ふふっ…ほんと可愛い」
俺があっさりと顔を引くと、シメオンも抵抗がなくなったので手を下ろす。
が、その隙をついて、俺は再び一気に近付き、テーブルの下で構えていたD.D.D.を掲げ、インカメラを自分たちに向けた。
パシャ!
「…えっ!?今、何かした?」
「うん、写真撮った」
隣で、目をパチクリさせるシメオンに、俺はニヤリと笑って答えた。
「お、思い出に?」
「それもあるけど…」
「けど?」
「いやぁ、実はさ、ミカエルさんから交換条件出されててさ、『イイものあげる代わりに、シメオンの写真撮ってきて!』って頼まれてて…」
そう、ミカエルの交換条件とはこのことだったのだ。
「み…ミカエルから!?っていうか、この水着、ミカエルがくれたの!?MCの趣味じゃなくて!?」
そうだろう。
まさか、あの高貴な雰囲気漂うミカエルが、こんなものを用意しているとは、さすがのシメオンも思わなかっただろう。
「まさか、ミカエルさんと趣味が同じとは思わなくてビックリしたけど、シメオンの可愛い写真、欲しかったんだってー。邪な気持ちはないって言ってたから、写真だけならってOKしたけど」
俺は正直、ミカエルもシメオンに気があるのではないかと思って、提案された時は警戒した。
しかし、少し会話しただけではあるが、ミカエルは、家族のように、シメオンを見ているのだと感じた。
「お…OKしないでよっ!!邪な気持ちしかないでしょ、そんなの!」
「んー…たぶんね、ミカエルさんも、シメオンのこと気にしてるんだと思うよ?だから、シメオンの幸せそうな顔見たら、ちょっとは安心するかなって思って」
シメオンも、わかっていないわけではないのだろう。
今まで近しい存在であったミカエルが、地位も離れ、ましてや、留学という形であれ魔界で生活することになった自分を気にかけていないわけがない。
そう思っているからこそ、今、シメオンは黙ってしまっているのだ。
「……」
だから、今のシメオンには俺がいることを、ミカエルに伝えたい。
俺がずっとそばにいて、シメオンを不安にさせないと誓うから。
「だから、ラブラブな写真送りつけて、心配いらないよってアピールしとかないと、ねっ!」
そう言うと、俺はシメオンの肩を抱き、グッと頬をくっつけた。
「ちょっ…とぉ!近い!近いから!」
「いいじゃーん、二人っきりなんだしっ」
シメオンが慌てて、俺の頬を全力で押し返すが、俺はめげることなく、チューの口をしたまま、シメオンの頬に接近する。
「ば…売店の人はいるよっ!?」
シメオンが、俺の顔面を両手で止めながら、チラッと後ろを振り返る。
俺も横目でそちらを見ると、売店の店員さんたちは、店の片付けをしたり、テーブルを拭く素振りをして、何となく、見て見ぬフリをしてくれている。
なんて親切な、出来たスタッフさんたちだ!
「俺には見えませーん」
「都合よすぎるからー!」
それを確認したあと、俺はまたシメオンに顔から接近し、全力で拒否されるのを繰り返す。
そんな騒がしい一日が過ごせるのも、シメオンと、この、天界の夏の開放感のせいにして、俺は全力で「天国のビーチ」を楽しんだ。