君の愛に酔う (マサ音)最近、マサの様子がおかしい。
なんかよそよそしいというか、距離を取られてるというか。確かにグループとしても、ソロとしてもありがたいことにお互い仕事のオファーが舞い込んで多忙な日々を送ってはいた。だけどオフの調整がききそうな時は欠かさず予定を合わせていたのに、近ごろはもっぱら「次のオフは予定があってな……」と言葉をにごされる。仕事以外で恋人より優先すべき予定って何⁉と憤ってみたこともあるけれど、「すまない」の一点張りで理由を聞き出すまでに至らなかった。そして何より不快なのは、ことある毎にヘブンズのメンバーとよくいる場面に鉢合わせることだ。瑛一の弟や、すめらぎさん?辺りは過去にユニットを組んでたから仲がいいのはわかる。でも瑛一と肩を組むってどういうこと⁉
少し距離のある位置から見かけたものの、瑛一がいつもみたいに一方的に絡んでるだけだったら静止も兼ねて割って入れるのに、その時はあろうことか、マサは楽しそうに談笑していたのだ。
目の前で起こっている現象に頭が混乱してフリーズしている間にマサはどこかに行っちゃって、こちらに気づいて近づいてきた瑛一にだる絡みされた後、「音也は愛されているな、実にイイッ‼」とよく分からないことを口走って嵐のように立ち去っていった。
それからしばらくして、俺の誕生日も過ぎたある日のこと。今日は珍しくレンと二人での撮影で、その待ち時間の暇つぶしに弄っていたスマホへ、ふと通知バナーが降りてくる。ポンッとそれをタップすればメッセージアプリが起動し、開かれて読めるようになったメッセージの文章にトクンッと心臓が跳ねた。
『一十木。少し訊ねたいことがあるのだが、良いだろうか?』
こちらの都合を気遣う文面から察せる通り、マサからのメッセージだ。突然の愛しい人からのメッセージに逸る気持ちを抑えつつ、返事を打ち込む。
『なぁに、どうしたの?』
『次のオフの前夜、少し時間を貰えないか?』
時間を……って、もしかしてこれっ てデートのお誘いってやつ?マジで?やったー!久々のマサとのデート⁉ え、普通に顔弛んじゃう……。
「『うん、もちろん!』っと……なんなら翌日のオフの時間もあげちゃうけどな〜」
なんて、独り言を呟いて自分でも分かるくらいめちゃくちゃ浮かれてる。ここのところずっと俺を避けてたマサから!……あれ、でも避けてたのにこのタイミングで呼び出されるってことは、え、もしかして……。
急にイヤな未来が脳裏をよぎり、浮かれていた気持ちは空気をなくした風船のように萎んで体温も一気に下がっていく気がした。
「今日はいつにも増して百面相だね、イッキ」
そんな俺の様子を側から眺めていたレンがおかしそうに声をかけてくる。
「れ、レン……どうしよぉ〜、俺フられちゃうかも」
「うん?」
かくかくしかじか。近況とともにマサからのメッセージを伝えると、レンはなぜかおかしそうに笑って「大丈夫だよ、楽しんでおいで」と頭を撫でてくれた後、スタッフに呼ばれて立ち去ってしまった。残された俺はというと、スマホ画面に映し出された当日の集合場所が書かれたマサからの返信の通知をただ漠然と眺めているだけだった。
あれから結局マサとはろくに顔を合わせないまま、当日の朝を迎えてしまった。昨晩はなかなか寝付けなくて、なのに今朝はいつもより早く目が覚めた。そのせいか日中の眠気がすごかったけどなんとか一日を乗り切って、ついにマサとの待ち合わせの時間となってしまった。
「一十木!」
指定された公園の一角に着いて辺りを見回していると、遠くの方から声が聞こえてくる。その方向に振り向けば、小走りで駆け寄ってくるマサの姿があった。久々に会う恋人はなんだか以前よりも凛々しさが増しているような気がする。だけど、それよりも驚いたのが彼の持ち物だった。お互い仕事帰りだっただろうに駆け寄る彼の肩からはいくつもの鞄が下がっており、見るからに大荷物である。
「な、マサ、どうしたの? その荷物」
不釣り合いなそれらを指差しながら訊ねると、彼はどこか緊張したようにぎこちなく微笑み、ふいと視線を逸らす。それから少し沈黙が流れたものの、先に口を開いたのはマサだった。マサはおもむろに肩から下げていた大きな鞄に手を入れると、そこから綺麗に包装された箱を取り出し、俺に差し出した。
「その、だな。これを受け取ってもらいたくて」
手渡されたそれは重みがあって「開けてもいい?」と聞けば、マサは静かに首肯する。ラッピングを解くと中から出てきたのは板目がキレイな桐箱で、蓋を開ければ中には黒地に鮮やかな赤と金、そして青と銀が施された二組の小ぶりの湯呑みが入っていた。
「……ちっちゃい湯呑み?」
「いや、これは『ぐい呑み』という種類の酒器だ」
聞けばぐいっと飲み干してお酒を楽しむための食器らしい。でも『しゅき』と言われてもなんかピンと来ない。それにどうしてこんなものを……?と疑問符を浮かべたままマサの顔を見れば、彼は照れたようにはにかんで。
「お前も先日二十歳となり、飲酒が解禁となっただろう? 今後、二人で盃を交わす際にどうかと思ってな」
なるほど。つまりこれは夫婦茶碗ならぬ恋人用のペアカップみたいなものなわけだ。マサとのお揃い、という事実に思わず顔がニヤけてしまったものの、ふと新たな疑問が思い浮かぶ。
「ありがとう! でも俺の誕生日はもう終わったし、誕生日プレゼントもその時にもらってるよ?」
そう、実はついこの間の誕生日にはずっと欲しかった自転車用のグローブをマサからは贈られていた。だからこの『ぐい呑み』ってやつを贈ってもらえるいわれはないはずなんだけど……。
「ああ。これは誕生日の贈り物ではなく、成人を迎えた一十木へ改めて贈ろうと俺が手作りしたものだ。共にこれも味わおうと思ってな」
そう言ってマサは鞄からまた新たに包装された包みを取り出しつつ、俺の手元に目を落とす。
「えっ……⁉ わざわざ作ってくれたの?」
「うむ。本当は誕生日に間に合えば良かったのだが……。すまない」
「そんな、全然謝ることなんかじゃないよ! めちゃくちゃ嬉しい!」
マサってこういうところほんっと律儀だよね。俺のために手作りしてくれたなんて……嬉しくて涙が出ちゃいそう。斯くいうマサは照れ臭そうな表情を浮かべながら手にした包みを解いて、中から出てきた一升瓶を大事そうに抱えている。
「そっちは?」
「これも今日のために準備したものだ」
透明な瓶に貼られたラベルには金箔とキレイな薄紫の花の絵があしらわれていて、いかにも高級そうな一品だ。
「藤の花を酵母にした日本酒でな。ほんのりと甘く、口当たりも良いとのことだったゆえ……弁当も作ってきたから、そこのベンチで花見でもどうだろうか」
そう言いながら指差された方を見れば、パッケージと同じ薄紫と白の『藤の花』が柵みたいなの(パーゴラっていうらしい)に絡み合いながら連なるように咲き誇っていて、立派な樹木と化した蔓の根元には丁度いいサイズの木製のベンチとテーブルが置かれていた。
パーゴラは小さな公園に似合いの趣きのある竹製のもので、天板に絡んだ蔦から若草色の柔らかそうな葉を茂らせて、そこから幾重にも房状の花の束がぶら下がっている。穏やかな風が吹く度にゆらゆらと揺れるそれは、つい先日まで咲いていた桜とはまた違った魅力があって、なんだか幻想的だ。その中へ溶け込むようにマサはベンチに腰掛けて、鞄から風呂敷を取り出すと結び目を解いて小さめの重箱を広げる。俺もその隣に座り、貰った箱をテーブルに置いてから出された重箱の蓋を開けると、そこには色とりどりのおかずが敷き詰められていてどれも美味しそうだ。
「わ、すご」
感嘆の声を上げればマサは得意げに笑って「どれもお前を思い、作ってきた自信作だ。食べてくれ」と勧めてくれたので早速箸を手に取り、どれを食べようか吟味する。その傍ら、マサはテーブルに置かれたぐい呑みの器を手にして全体を軽く拭うと、さっきのお酒を少量注いでくれた。その動作一つ一つが洗練されていて、なんだかいつになく彼が大人っぽく見える。
「飲んでみていい?」
「ああ。もちろん」
「じゃあ、乾杯!」
「乾杯」
その名の通りにぐいっと飲み干せば口の中で上質なお米の甘みが広がり、喉を通る頃にはほのかに花の甘い香りとアルコール特有の熱さが身体中に染みる。
「おいしい……!」
「気に入ってくれて何よりだ」
マサは優しく微笑んで、それから自身の器に注いだお酒を飲み干して再び二人分のお酒を注いだ。
「うん。やっぱりマサの作ってくれるもの何でもおいひぃ……」
「はは、それは褒めすぎではないか?」
「そんなことないよぉ」
アルコールのせいか、ほわほわとした心地になりながらお弁当を摘まみつつマサと他愛もない会話をして。それで気が緩んじゃったみたいで、心の奥でずっと引っかかっていた疑問もついぽろりと口に出てしまった。
「ね、俺に会わなかった日は何してたの?」
そう問いかければマサはぴたりと動きを止めて、俺はその横顔をじっと見つめる。マサはしばらく視線を彷徨わせてどこか気まずそうにしながらも、ゆっくりとこちらを向いた。
「……話さないと駄目か?」
「俺には知る権利があると思うんだけど」
拗ねた声で異を唱えれば、マサは観念したようにため息を吐きつつ、ゆっくりと話し出す。
「酒器を作るのに、陶芸が趣味と聞いていた皇さんにオフの度にご指導を。こちらの日本酒は瑛二に相談したところ、その場に居合わせていた桐生院さんに兄上の鳳さんが詳しいとのことで酒蔵を紹介して頂いたのだ」
そこまで聞いて今日に至るまでのマサの行動とその場に居合わせたメンツに合点がいく。なんだ、そっかぁ〜、と気の抜けた返事にマサは困惑したように眉を下げながら「一十木?」と俺の名前を呼ぶ。
「俺、今日マサにフラれるんじゃないかって思ってたからさー」
「なっ、何故そうなる⁉」
今度は目を丸くして青ざめていく顔に、出会った頃に比べてほんと表情が豊かになったなぁ〜なんて場違いなことを思いつつ、手にしていた箸を重箱の端に置けばマサの肩がびくりと震えた。
「だってさ、最近付き合い悪かったじゃん。オフの日もなかなか会ってくれなかったし……やっぱ男の俺じゃダメなのかなって」
自分で言っててなんだか悲しくなってきて、残っていたお酒を一気に飲み干して思わず目を逸らす。あ、泣きそう、と目頭が熱くなってきたと思った途端に力強く身体が引かれ、それと同時にあたたかな温もりとマサの香りが鼻を擽った。
「駄目な筈がなかろう」
耳元で囁かれた声色はいつもよりも少しだけ低くて、抱き締められたのだと気づけば余計に胸が高鳴って顔までドクドクと脈打っているようだ。
「お前を喜ばせたかったのに、逆に不安にさせてしまったのだな」
すまない、とマサは申し訳なさそうに何度も謝りながら俺の頭を撫でてくれる。その手つきはまるで壊れ物を扱うかのように優しくて、安心してはらりと一筋涙が零れた。
「ううん、俺こそ変なこと言っちゃってごめんね」
「いや、きちんと説明しなかった俺が悪い。だから一十木が謝ることは何もないぞ」
ゆっくりと身体が離れ、その代わりにこつりと合わさった額はどちらも熱くて、至近距離で見つめ合う瞳は淡く色づき潤んでいた。
「あのさ、マサ」
「ん?」
「これからも、一緒にいてくれる?」
小さく溢れた問いかけにマサは目を見開いたけれど、すぐに笑みを浮かべて「当然だろう」と答えてくれる。
「これからもずっと共に生きていこう」
「うん……!」
どちらからともなくそっと触れ合った唇からは甘やかな花の香りがして。お互いほんのりと染まった頬の色に「お酒が強かったのかもね」なんて小さく笑い合いながらまた戯れるようにキスを交わした。