うたかたの聲にくちづけを。(マサ音)「へへ、マサだぁーいすきっ!」
爽やかな夏の日差しのような笑顔で放たれたそれは、彼の口癖みたいなものだ。学園で同じクラスだった頃からよく言われている。例えば、忘れてきた教科書を借りれず困っていたところに見せてやった時や食堂で目当てのメニューが食べられず悄気ている姿にメロンパンを分けた時も。卒業後に仕事が重なり、その合間に談笑している時や台本内での漢字の読み仮名を教えてやった時も。その都度、あの満面の笑みで「大好き」と告げられる。
表裏のない彼らしい素直な言葉に始めこそ動揺したものだが、今となっては慣れたものだ。先程のように告げられれば小さく笑みを浮かべ、なるだけ優しい声色でこう返す。
「そうか。俺も一十木が大好きだぞ」
こちらの想いなど梅雨知らずに毎度告げられる友人としての言葉に、『これが正解』と内心思いながら彼の顔を見遣れば、先刻よりも輝きの増した笑顔が返ってくる。
── その筈であった。
「…………、ちがう」
そう呟いてあからさまに消沈している姿態には垂れた犬耳と尻尾の幻覚が見える。
「一十木?」
何やら平常とは様子が異なる彼に小首を傾げながら名を呼び見つめると、意を決したかのような熱い視線とぶつかり、不意の出来事に思わず小さく胸が高鳴った。
「マサ、好きだよ」
普段の明るい笑顔からは想像し難い真剣な面持ちと声音で改めて伝えられる彼の好意に、先程の胸の高鳴りも相まってあらぬ勘違いをしてしまいそうになる。そんな筈はない、俺とお前は『親友』なのだから。
「俺も好きだぞ」
平静を装い変わらずそう答えれば、彼は「ちがう、ちがうんだよ」と釈然としない顔で寂しそうにこちらを見てくる。本当によく表情がころころと変わるものだ。しかし、一体何が違うというのだろうか。いつだって俺たちは『親友』なのだと、お前から公然に言ってきたのではないか。だから、俺は今『親友』として返しているというのに。俺は何一つ間違えてなどいやしない。そのような思いを胸に秘めつつも怪訝そうに彼を見つめ返せば、今にも泣き出しそうな眼差しで口を開いて。
「……あいしてる」
最初の笑顔も、勢いすら微塵も感じられない。ただ静かにぽつりと、周りが騒がしければ聞き逃してしまいそうなくらい弱々しい声で溢された言葉に、鈍器で殴られた様な衝撃が走る。嗚呼、まさか、そんな。聞き間違いではないかと思考を巡らし言葉に詰まっていた俺に、一十木は一瞬俯く。そして少し眉を下げながら顔を上げて、いつものように笑った。
「ごめんごめん、冗談! 今度ドラマで親友に恋する役になってさ。相手の性格がマサに似てたから、つい……困らせて、本当にごめん」
段々と尻すぼみになる声に合わせて逸らされた視線にずきりと胸が痛む。本当に冗談だったのだろうか?ならば、何故、彼はあのように諦めた顔をして笑うのだろう。
「一十木」
本当に冗談なのか?と確かめる声は出ない。
この状態でそんな冗談を言えるほど、彼が器用ではないことを知っている。いつだって己に率直で、何事も真っ直ぐに突き進んでいく姿ばかりを隣で見てきたのだ。だからこそ、本来ならば話を合わせてやるのが『親友』のすべきことなのかもしれない。
だが ──。
「一十木」
再び名を呼びながら徐に片手を伸ばす。指先が彼の頬に触れると、ぴくりと小さく身を引かれたが構わず包む様に手を添えて、緩りと親指の腹で頬骨なぞり撫でてやる。
「こっちを向いてくれないか、一十木」
「ッ、なに……、んっ!」
流石に意識せざるを得ないのか、気恥ずかしそうに頬を淡く染め、ちらりと彼が此方を向いたその刹那。逃げぬように空き手で彼の片手を掴み、グッと引寄せながら顔を近付ければ、唇に柔くあたたかな温もりが伝わる。互いに目を閉じることなく見つめ合ったまま致す初めての口付けに、一十木は目を丸くして戸惑いの色を浮かばせつつも振り払うことなく身を委ねてくれている。それを良いことにそのまま幾度か唇を啄むように口付けを交わし、どちらからともなくそっと離せば、未だ混乱の中に陥る相手に一言。
「俺も、お前を愛している」
今まで堰き止めていた想いをゆっくりと紡ぐように、優しくそう伝えれば漸く状況を把握したのか顔を真っ赤に染めて涙ぐむ彼に俺は再び口付けを贈った。