それは或る晴れた秋の日の、(マサ音)夕餉でのことだ。目の前にはぷくっと頬を膨らませて不機嫌そうに見つめてくる彼の姿。湯上りの所為か、いつもならば動きに合わせてふわふわと揺れている赤髪はしっとりとそのボリュームを落とし、拗ねている姿と相まって……不謹慎だと分かってはいるものの、愛らしく目に映る。
こうなってしまったのは、先程まで放映されていたテレビの内容が原因である。
それは清々しく、高い空に青が広がるとても晴れた日のこと。けたたましい蝉の声と共に続いていた茹だるような暑さは鳴りを潜め、穏やかな鈴虫の音に澄んだ空気と風が心地良い季節へといつの間にか移り変わっていた。
そんな最中で俺と一ノ瀬は例の旅番組への出演が以前から決まっており、この爽涼とした気候の中で、某日、目的地の温泉街へと旅立った。
現地へ到着すればその晩に泊まる宿の浴衣を模した衣装に着替え、撮影が始まる。
道を歩けば、『カラン、コロン』と軽快に鳴る下駄の音と鼻を擽る硫黄の匂い、建ち並ぶ古き良き町並み。そして至る所で足湯を堪能出来るということで以前から一度体験したいと思っていた「足湯めぐり」が遂に実行に移せるということもあり、少し羽目を外していたのは否めない。
共にナビゲーターを務めた一ノ瀬はメンバーの中でも随一と言っても良い程波長が合う故、道すがら語らい、行く先々で話題が膨らみ弾むのはいつものことで。それでも文豪が愛した銘菓たちに、鮮やかに燃えるように色付く紅葉の赤に、豪勢な夕餉のひとときに。その場には居ない愛しい彼を想わぬ時は無かった。お土産だって、俺の淹れた茶の供として頬張って欲しいという願いを込めて選んだ逸品だ。まさか一ノ瀬と被ることになるとは思いもしなかったが、それもまたいつものこと。
しかし、この「気の合う二人」というシチュエーションがどうにもよろしくなかったらしい。
「……トキヤばっかずるい」
不意に向かいの席から聞こえる不満の声。
その声にテレビから視線を移せば眉間に皺を小さく寄せながら画面を見つめる一十木の姿がそこにあった。
番組が始まったばかりの当初は「この間のお土産のやつじゃん!」と今宵の夕餉である彼の好物たるカレーを共に食しながら意気揚々と見始めていたというのに、終盤に近付くにつれて口数は少なくなり、えんやらやっとぽつりと溢れたのが先程の台詞だ。
「何が狡いのだ?」
「トキヤ、マサと一緒にいて超楽しそう」
「そうか? まあ、一ノ瀬とは感性も似ている故……番組の進行する間の取り方など、やりやすくはあるだろうな」
「そりゃ、気が合うのは知ってるけどさ」
そうじゃなくて……、と言いたげな視線に小さく首を傾げ微笑んでみるも、不満げな顔はますますその唇を尖らせてじっとりと見つめてくる。
「マサもトキヤと二人ですっごく楽しそう」
「確かに行く先々で楽しみはしたが、それは見てくれる者たちに現地の素晴らしさを伝えるためであり、そもそも、これはあくまで仕事だ。一ノ瀬と二人だけの旅行ではない」
「それは……、わかってる、けど」
頭では分かってはいても、どこか納得がいかないらしい。膨れっ面はそのままに視線を逸らされてしまい、小さく苦笑が溢れる。
原因は言うまでもなく、先程まで流れていた一ノ瀬と共に収録した旅番組だ。
他のメンバーや先輩方を含めての合同合宿やツアーなどで全国を巡りはしたものの、俺と一十木は二人きりでの旅行に赴いた事が未だにない。それどころか、受け持つ仕事のタイプが違うのもあってか二人きりでのロケというものが全くと言って良いほど舞い込むこともない。その上、タイミングが悪くも流行り病が蔓延るこのご時世ときた。
こうした企画で地方へと出向くことは時折あるが、一個人として何処かへ向かうという行為はほぼ無くなってしまった。ましてやアイドルは情報を発信する側の立場にある故、そう気軽に旅へ赴くことは許されず、それだけに『仕事』としてだとしてもこうした時間が取れるのはとても貴重なのだ。
「そんなに俺と二人で仕事がしたいのか?」
「仕事というか、その、」
歯切れ悪く、遂には俯いてしまった彼の様子にどうしたものかと小さく吐息を溢すと、ぴくりと肩が震えるのが見える。
一先ず、目前の食べ終えた自身の食器を片付けようと一つに纏めて席を立てば、椅子の擦れる音に合わせて一十木が勢いよく顔を上げた。
「ッ、マサっ」
ガタ、と大きな音を立てて立ち上がろうとする彼を制して座り直させると不安げに揺れる視線とかち合う。
「……怒った?」
「怒ってなどいないぞ」
「…………」
「まあ、少し待っていてくれ」
皿を手に流しへと歩み、水に浸してから冷蔵庫からデザートにと切っておいた和梨を取り出す。
掛けていたラップを剥いでゴミ箱に捨てる序でのように自室へと向かい、纏めてあるファイルを一つ手にしてから梨の皿と共にリビングへと戻れば、ずっと俺の様子を見つめていたのであろう赤い瞳と目が合った。
「待たせたな」
その声に一十木は首を横に振り、物言いたげな眼差しとは裏腹にふいと視線を逸らす。頑なな様子に小さく苦笑を溢しつつも手にしていた梨の皿をテーブルへと置き、再び先程まで座っていた椅子へと着席する。
「一十木、これを見てはもらえないだろうか。まだ清書をしていないもの故、乱筆ですまないが」
そう言いながら部屋から持ってきたファイルを開き、数枚の資料をテーブルに広げる。向かいに座る彼はテーブルへ視線を送ると怪訝そうにそれを見て、それから手に取って中身を確認すれば勢いよくこちらを向いた。
「えっ、これって……」
「事務所へ提出してみようと思っている企画書だ。各々、行いたいことの企画書を上げろと通達があっただろう? 」
彼が手にしているのは事務所のオフィシャルチャンネル内にあるバラエティ番組『シャイニング倶楽部』へ向けて俺が認めた企画書だ。
内容としては各二人組(一部、三人組)でペアとなった者同士の故郷の食べ物を紹介しながら練り歩く食べ歩きツアーとなっており、初回の組合せには発案者である俺の名と、パートナーとして一十木の名前を記していた。
「この番組のような宿泊付きの遠出にはならぬかもしれんが、二人でのロケも良いだろう?」
「う、うん!」
まあ、採用されればの話ではあるが。と付け加えたところで『ぐぅぅ、』と小さく腹の虫の音が向かいから響く。
「ふふ、やはり一皿では足りなかったようだな?」
そう小さく笑み溢しながら問い掛ければ、どこか気恥ずかしそうな愛らしい笑顔が返ってきた。
「……うん。マサ、おかわり!」
「うむ。……カレーと梨を食べ終えたら、髪、乾かすからな」
「はぁーい」
満面の笑みを浮かべ頷く彼の機嫌に同調するかのように、自然乾燥されつつある赤髪がふわりと揺れた。
後日、書類選考が通り打ち合わせの通達があった際の一十木の喜びようにこちらも嬉しくなったのは言うまでもない。