蜜柑蜜柑
塵歌壺の中は仙境であるゆえに、元来気温や湿度は適切なものに保たれる。
もちろん目的によって環境を変化させることなど容易いし、たとえば修行や供物や下賜されたものを保管するのに適した環境に変化させることもある。
今我がいる塵歌壺は旅人のもので、その環境は彼に委ねられているのだが、鍾離様が稲妻の「炬燵」なる調度品にたいそう興味を示され、彼に頼んでそれに相応しい気温に変化している。
同じく塵歌壺に出入りしている凡人たちも銘々いわゆる「冬」の環境を楽しんでいるようだ。
そして我が今いる場所は、不敬にも「炬燵」の中の「鍾離様の膝の上」だ。
滅多なことでは名を喚ぶことのないかの方の呼びかけに疾く参じてみれば、普段の凛々しさと威厳を放つ三つ揃いの姿ではなく、これもまた稲妻の防寒具らしいふかふかの綿入れなるものを着て我の姿を確認するなり機嫌よくにこにこと笑った。
ごそごそと炬燵に入ると「おいで」と柔らかな声で微笑む。
ぐっと知らずのうちに喉の奥が鳴ったが、ひと呼吸して鍾離様を真似て向かい側に潜ろうとすると不機嫌そうに「そうじゃない」という声がした。
は と間の抜けた返答を思わずしてしまい、そのままもう一度鍾離様を目で追うと、くいくいっと手招きされる。
炬燵は凡人の体格としては長身の部類に入る鍾離様に合わせて旅人が配慮したのか、隣に我が入ったところで余裕がある大きさだ。
隣に恐る恐る座ろうとすると、ふわりと体が浮いた。
そして今に至る。
炬燵の温もりよりも背中に当たる鍾離様の温もりが気になって動機が収まらない。
知ってか知らずか鍾離様は機嫌よく炬燵の仕組みを楽しそうに話している。
「ところで魈、すまないが蜜柑を取ってくれないか」
混乱する頭に叱咤し、目の前を見れば籠にいくつかの蜜柑が入っているのが見えた。
・・・すぐ、目の前に。
「炬燵というものは意外と水分を奪うものらしい。旅人からお茶や蜜柑などでちゃんと水分を取るようにと注意された」
「いえ、あの・・・」
届く。間違いなく手を伸ばせば届く。
だが鍾離様は我の腹に回している手を外すつもりはないらしい。
観念して蜜柑を取り、それからどうするのかしばし悩んだが、取ってくれということはすなわちそういうことなのだろう。
小手と手袋を外すと蜜柑を剥く。我の腹の上の長い指が機嫌よさそうにとんとんと拍子を刻んでいるのが微かな振動で感じられる。
「鍾離様」
剥けましたよ、どうぞと勧めようと顔を上げると、無言でぱかっと口を開いたお姿が目に入った。龍の牙の名残までしっかりと見えるそれに我の頭が一瞬真っ白になる。
「しょ、うり・・さま・・・」
戸惑う我をよそに愉悦の光が浮かんだ石珀色の瞳が我を射抜く。
意を決し蜜柑をひと房、鍾離様の口に運ぶとぱくりと召し上がられた。
我の指ごと。
「鍾離様」
非難の声を上げても意に介さず、上機嫌で蜜柑を飲みこむ。そしてまたぱかりと口を開ける。
そうして蜜柑を一つ食べ終わるころには我の精神はほとほと疲れ果ててしまった。指先は毎回食べられてしまったためしっとりとしているのが気恥ずかしく、余計に心が乱れる。
まだまだ修行が足りない。ここを出たらしばし修練を積まねばと力が抜けてくたりと思わず寄りかかってしまった。
「こら」
ぽんと頭に手が乗る。
「もっ申し訳ありません」
起き上がろうとしたが今度こそがっちりと抱きすくめられてしまった。
「炬燵で眠るのはよくないと旅人から言われている」
ずるっと器用に鍾離様は我を横抱きにして炬燵から抜け出した。
「炬燵では、な」