翼を追って 一緒に登校していた、学年は同じでも、違うクラスのみんなと別れて、ひとり2-Aの教室に向かおうとして、つい、窓の外を見てしまった。
制服を着ていない、同い年くらいの人影を見つける。もう僕には、それが誰だかわかっている。あまり覚えていないけれど、たぶん、こうして何度も来てくれていたんだ。
教室に向かう人の流れとは逆に進む。足が軽い。「また勝手にいなくなって!」って後で樹果に怒られるかな。
「来てくれたんだ」
校庭の隅の樹の幹に立っていたその人は、顔を背ける。
「人間観察にも、飽きがきたところだしな」
シリウスは、まだ人間を信用にたると思っていない。でも邪魂に満ちた人間を煽ったり、そそのかしたりしていたわけでもなかった。
「ベテルギウス」
向きなおると、僕を一瞬だけまともに見つめてきて、また目を背けた。
「誤解があったはいえ、済まないと思っている」
「焔のこと?」
何がなんだかわからなかったので、そう言うしかなかった。人間に恋することの愚かさを教えるためと言って、シリウスは焔を刺したんだった。
「そうじゃないが……それも、そうだな。でも今日は貴様の件だけにしたい」
言うが早いか、シリウスは軽やかに地を蹴って、あっという間に樹上に行ってしまった。僕も同じようにして、後を追う。いつもそうだった。僕はシリウスの背中ばかりを追っていた。
「口さがない人間どもの噂になると嫌だからな」
シリウスはそう言った。夭聖だって、そういう話題好きな奴いると思うけど。たとえば樹果とか。
「その……謝って済むことではないが」
若葉の陰で、口ごもりながらシリウスは続けた。
「僕が?」
よくわからなかった。僕が記憶を失くしたのは、シリウスを刺したことを思い出したくなかったからで、それは、確かに謝って済むことではなかったのかもしれない。
「本当は、何度も会いに来ていた。会ったことすら毎回忘れているようだと気づいたのをいいことに、何も知らないベテルギウスに」
そこまで聞いて、ようやくわかった。
「そうか。僕の願望で、そういう夢を見てたのかと思ったよ」
ときどき不意に蘇る過去の断片。二人きりの舞台で歌って踊ってスポットライトを浴びてたり、一緒に笑いあったり、他愛ない話からもつれこむように互いを探りあったりする、そんなしあわせで都合のよい、僕だけの夢かと思っていた。夢だと思い込んでいた。それらの過去を、この自分の手で損なってしまったと、わかりたくなかったから、全部こわして僕も消えようと思ったんだった。
都合のよい夢が続くはずない。僕が刺した相手が、僕を追ってきてくれるなんて。また、あんなことができるなんて思いもしなかった。
「そんなにシリウスが悪いと思ってたなんて知らなかったから、夢の中でもちゃんと言っておけばよかった。また来てねとか帰らないでとか」
シリウスは何か飲み込むような顔で僕を見て、樹の幹を蹴って下に降りていってしまった。僕もそれにならう。
「謝らなくていいところで、おまえが謝っていたのは覚えている」
やっぱり僕は、シリウスの後ろ姿をまだ追いかけるのをやめられないんだろうな。あの背中に追いつきたい気持ちは、今でも変わらない。記憶をなくしていた頃にだって、シリウスの、混沌のような曖昧な翼を、何もわからないまま、心のどこかで気にかけていた。今ならあの翼がシリウスの背にあった理由がわかる、気がする。あの翼は飛翔のためでなく、地に堕ちる衝撃をやわらげるためにあったんだ。