オンリーマイアイズ タイタンの中でも、ローニンはピーキーな機体だ、とよく言われる。実際その通りだ。
身の丈の三分の二以上の長さがあるブロードソード、一度に八発の散弾を放つショットガン、そして軽量化されたシャーシにフェーズダッシュ機能。いずれもヒットアンドランの近接戦に特化した兵装だ。中・遠距離による銃撃戦が主となる近代戦において、強力ながらもリスキーな戦法と言える。
だがわたしにはその方が合っていた。いや、合うようになった、という方が正しい。自身も同様に、最前線へ飛び出して短射程の銃器とCQCを駆使するようになったのは、目が潰れてからの話だから。
タイフォンでの作戦行動中、目を焼かれた。記憶が曖昧だが、酷く眩しかったことは覚えている。おそらくテルミットの火だったのだろう。一命はとりとめたものの、軍医からは「視力を取り戻すにはインプラントを入れるか、シミュラクラムで義体化するかだ」と宣告された(三つ目に「軍を辞める」という選択肢をよこさなかった軍医殿はさすがだと思う)。
まずは前者を選んだ、が、拒絶反応が起きてまた死にかけた。よって残る手段はただ一つ。パイロットの中には喜んで生身を捨てる者もいるが、わたしは違う。シミュラクラムとて万能ではない。インプラント同様、拒絶反応のリスクはもちろん、精神と義体間の同期不全も懸念される。簡単に言うと発狂する可能性があるのだ。意識をコピーするニューラルマッピングは、技術こそ利用していても原理を解明できているわけではない。
そうしたわけで、視力を失くした上に二度死にかけたわたしは、この肉体から離れることが恐ろしいと感じるようになっていた。加えて、いわゆる『生命の神秘』らしきものを身を以て体験中だったことも影響していた。失った視力を補うべく、ほかの感覚が鋭くなっていたのだ。肌は過敏になり、耳は些細な音を拾い、鼻はかすかな香りを嗅ぎ分けるようになった。
なれどパイロットとして復帰を目指すならば盲目のままではいられない。戦場においてハンディキャップはそれ以上でも以下でもなく、自分がどこに立っているのかすらわからない兵士はただの的だ。
そうした葛藤と、ままならない日常生活へのストレスに疲れていたのだろう。わたしの足は、なにができるわけでもないのにタイタンドックへと向かっていた。
作業ロボット〈マーヴィン〉の誘導のもと、愛機の前に立つ。わたしは首を反らして見えない相棒を見上げた。長い脚部に丸みを帯びた胴体、黒とバーガンディを基調とした塗装の上を斜めに走るシアンの飛沫模様。予定では全く別の柄を描く予定だったのだが、マーヴィンの一体が誤って塗料缶を相棒の上へ落としてしまったのだ。マーヴィンはしょんぼり顔を表示して、必死な様子でこちらへ頭を下げていた。わたしは笑って許した。むしろその鮮やかに映える青が気に入った。青は好きだ。でもいささかファンシーな見た目になってしまったので、般若面を模した凶悪な口元のノーズアートを描き足してもらった。その上に灯る青いコア。懐かしさすら覚える。
ハッチが開く音に、わたしはハッとした。見えずとも簡単だ。身に染み付いた動作で突起に手をかけ足をかけ、どこへぶつかることもなくシートへと収まる。
《おかえりなさい、パイロット》
久々に聞いた相棒のセリフは今でも覚えている。もちろん耳にタコな定型文に他ならないが、当時のわたしにとっては特別なものに聞こえた。
「ただいま、ブルー」
思わずこみ上げたものを引っ込めようとしていたせいで、その声は無愛想でぼそぼそとしたものになってしまった。相棒が気にするはずもないが。
それからわたしは自分の状態と、シミュラクラムを受けるかもしれないということを話した。すると彼は一言、《そうですか》。
「冷たいな。こっちは死にかけた上に重大な選択を迫られているってのに」
《私に選択権はありません》
「『タイタンに選択権を移行します』」
《移行を拒否。最終決定を下すのは当人もしくは事前に委任を受けた代理人でなければなりません》
「わかってるよ。ただ、おまえがどう思うか気になって」
《私の〝思い〟は選定理由足りえません。生身であれ義体であれ、当機のパイロットはアレックス・ロウです》
その一言のおかげで決心がついた。わたしはブルーのパイロット。この手にはペンや鍬より銃把を握っていたい。身に帯びるのはビジネスバッグではなく予備弾倉とジャンプキットだ。
ハンドルにのせた手に自然と力がこもる。
「ありがとう、相棒」
《謝意の意図がわかりかねます》
「おまえがおまえらしくいてくれて、さ」
《そうですか》
もしかしたら、これで相棒とも最後になるかもしれないわけだ。愛機を駆る感覚への名残惜しさから、わたしはフックにかけていたヘルメットを手探りで取り、装着した。
するとどうだろう、無いはずの視界に光が走ったように感じ、それが治まると何か動くものが見えた。最初は単なる錯覚かと思った。でなければとうとうおかしくなったか。
薄暗がりにぼんやりと見えるそれは、紛れもなくわたしのヘルメットで、その下に続く体だった。思わずのけぞると、そいつものけぞった。恐る恐る手を伸ばすと、そいつも手を伸ばしてきた。まるで左右非対称の鏡を見ているようだ。わたしは感触を確かめるように被っているヘルメットをなぞり、首に触れ、胸に手を置いた。目の前の虚像も同じ動きをしているのを見ながら。心臓が手のひらの下で激しく脈打っている。
そしてようやく確信した。いま〝見えて〟いるものはコクピットのインカメラの映像で、ブルーの見ている光景だ、と。
わたしは震える声で言った。
「ブルー、外を見せてくれ」
《不明。命令の意図を正確に示してください》
わたしは少し考え、再度命令した。
「パイロットへ操縦権を移行」
《了解。注意:ドックに固定中。兵装オフライン》
途端、視界が明るくなった。目の前に広がっているのは見慣れたタイタンドックだ。足元をちょこまかと動き回るマーヴィンや整備士たち、大型ライトが輝く天井に、壁際にずらりと並ぶ仲間のタイタンたち。視界の端にはHUDと同じように計器類の数値や目盛りが浮かんでいる。
《パイロット、バイタルが乱れています。医療班の出動を要請しますか?》
応えることのできないわたしをどう思ったのか、とにかくブルーは医療班へ緊急通報を発したらしい。駆けつけたスタッフへ、わたしはつたないながらも状況を説明した。
軍医が言うには、たまたまニューラルリンクのフィードバックがうまく適合した結果なのだ、と。似たような事例は、数こそ少ないものの過去にもあったらしい。例えば、脊椎に損傷を負ったパイロットがニューラルリンクを経由して四肢の感覚を取り戻した、だとか、わたしと同じように視覚や聴覚を失った者がそれらを一時的に取り戻した、だとか。いずれにせよ、シミュラクラム同様にそのメカニズムは解明できていない。
そうした幸運を掴んだ者の中でも、戦線復帰を果たせたものはさらにごく僅かだった。なおかつ、最終的にはインプラントやシミュラクラム処置を受けるか、やはり退役するかのいずれかであったらしい。身体機能そのものが回復するわけではないので、日常生活への負担が大きく、また兵役を全うできるほどには補えなかったからだ。
そうした面から見ても、わたしは幸運中の幸運以外の何物でもなかったのだろう。いや、不幸中の幸いか。とにかくヘルメットさえあれば、復帰も日常生活を取り戻すことも叶わぬ夢ではないと思えたのだ。
こうしてわたしはもう一つの選択肢を得、それを選んだ。医療スタッフや技術屋たちの努力の甲斐もあり――彼らにとってもわたしは良い実験体となったようだ――多少の問題は残ったものの、度重なる調整と訓練の結果が実を結んだ。わたしの目はヘルメットに取り付けられたカメラとなり、〝ブルーの目〟となった。
多少の問題というのは、常に自分の見ているものを相棒と共有していることが一つ。これは瑣末事だ。もう一つが厄介で、外部入力装置、つまりカメラが私の脳に直結しているわけではないので、どれほど処理を簡略化させてもラグが生じてしまうことだ。普段は体感すらできないような、ほんの僅かな遅延。しかし時と場合によっては命取りになりかねない。特に対象との距離があく遠距離狙撃には向かないことはすぐにわかった。だからわたし自身、何よりチームメイトも、口ではそうと言わずとも不安を拭いきれなかった。
そこでわたしは、ラグの影響を受けにくい近接戦闘に磨きをかけることにした。意地になっていたと言ってもいい。結果、ナイフ格闘訓練ではチームメイト全員を、さらには体力自慢の中隊長殿までもを打ち負かし、皆からハグの嵐をお見舞いされた。それだけではない。ブルーの戦闘技術にも影響し、対タイタン戦での演習でも好成績を収めた。
わたしの復帰を渋っていた上層部も、関わったスタッフからの報告書という名の熱烈な抗議文、並びにデータで示された戦闘効率評価には、さすがに首を縦に振らざるを得なかったようだ。こうしてわたしは戦線への復帰を果たした。
そして現在。今日も今日とて、IMCを植民地から追い出すための作戦が決行されていた。ビルから立ち昇る黒煙の下で、ヒトと機械が火花を散らす。
前方で仲間のモナークが放ったロケットが敵タイタンに当たり、さらにノーススターのレールガンが追い打ちをかける。
「リロード中! 頼むぜロウ!」
「やっちまえデュラハン!」
デュラハンとはわたしのあだ名だ。非番のときですらヘルメットを手放さないからだろう。そうせざるを得ないことは仲間内なら誰もが知っているので、冗談半分、残り半分は一目置かれている証拠だと思えば悪い気はしない。それに醜く焼け爛れた顔よりも、ヘルメットがトレードマークになるならばそれはそれで構わない。
フェーズダッシュで一気に前へ出て、敵タイタンに斬撃をふるまう。これでタイタンは沈めたが、上部ハッチから飛び出したパイロットにはビルとビルの隙間に逃げ込まれてしまった。わたしも自機を降り、後を追った。
足元の窓ガラスをギシギシ言わせながら駆け抜ける。お互いに何発か撃ったがかするばかりで当たらない。やがて敵パイロットは大きくジャンプし、地面に降り立つ間際にクロークを起動してわたしの視界から消えた。
わたしも地面へ降り、近くにあった空の降下ポッドの陰へ身を隠した。上がる息を抑えて聴覚に集中する。
向こうの通りから響くライフルの発射音、崩れかけたコンクリートの軋み、タイタンの駆動音、ブーツが砂を噛む音。
わたしはジャンプキットを噴かして飛び出し、ナイフを振りかぶった。切っ先が硬いものに当たり、景色が人の形に揺らぐ。クロークが解け敵パイロットの姿が露わになった。やつはライフルの側面でナイフを受け流すと、回し蹴りを放ってきた。わたしはとっさに飛びのき、ピストルの狙いを定める。だが相手の銃口がこちらを捉える方が早い――
風切り音。肩に衝撃。すっ飛んできた巨大な金属板、いや、ブロードソードが敵パイロットを叩き割って地面に突き刺さっていた。ブルーがフェーズダッシュで距離を詰め、ついでとばかりに角から現れたスペクターを踏み潰し、残りを散弾で始末する。
わたしは肩に手をやった。やはり一発食らっていたが、急所は外している。ブルーのおかけだ。
「助かった、ブルー」
《すぐに移動します、パイロット。まだ任務の途中です》
「了解。まったく、パイロット使いが荒いな」
《戦況は我々が優勢です。このまま追い詰めましょう》
そう言いつつ、ブルーは地面に深々と突き刺さったブロードソードを何度か揺すって引き抜いた。わたしはその刃渡りを駆け上がり、コクピットへ飛び乗った。
《パイロットへ操縦権を移行。オピオイドおよび止血剤を投与。ところでロウ、SRS選抜試験の話を断ったそうですね》
わたしはうっかり急ブレーキをかけそうになった。
「おいおい、それ今しなきゃならん話か?」
《今期の受付の締切期日は本日の二三五九時。その次は半年後となります。刻限が迫っているので確認を》
「確認した。判断は変わらない」
《あなたの実力をもってすれば、最終選考まで残る可能性はあります》
「珍しいな。おまえがわたしを褒めるなんて」
するとブルーはわずかに間を置いて、《褒めてはいません。戦闘効率評価に基づき、客観的事実を述べたまでです》と気持ち早口に言った。
「合格できると言い切らないあたりがリアルで嫌だな」
《運は計算に含まれませんから》
この野郎、とわたしは軽く内壁を叩いた。
ブルーの言う通り、一週間ほど前に上官がSRS選抜試験への推薦を提案してきた。わたしは彼の面目を潰さぬよう一度話を持ち帰り、その後謹んで辞退した。表面上は。内心、ふざけるなと憤りながら。
レーダー上で、数ブロック先に敵タイタンの降下を確認した。無線でも仲間が注意を呼びかけ合っている。わたしは背中のブロードソードを手に取った。フェーズダッシュの再使用可能まであと数秒。ソードコアのチャージは済んでいる。
「蹴ったのを知ってるなら、この話は終わりだ。任務に集中しろ」
《了解》
それで仕舞いになったと思っていたが、それはわたしだけだったようだ。
作戦終了後、デブリーフィングを終えて艦内のタイタンドックへ向かう。するとまたもブルーが言った。
《残り一時間を切りました》
何が、とデバイスの時計を見、日付が変わるまでだろうかと考え、そして今日の会話を思い出した。選抜試験の話か。
「しつこいぞ、ブルー。もしかして一度話しを受けたことを怒ってるのか?」
《いいえ。有能なパイロットを活用しないのは戦力の浪費だと考えたまでです》
メリットとデメリット、コストと効率。実にAIらしい思考だ。ブルーの意見も理解できる。だがわたしが断ったのには、きちんと理由がある。
「もしSRSに入れたとして、わたしにバンガードは合わないよ」
《ニューラルリンクの再構築に伴い視覚補助を失うと考えているのであれば、問題ありません。当機とのリンクデータをコピーし、その上でバンガード級の副次機能を――》
「技術的な話ならとっくに聞いている。それが理由じゃない」わたしは耐えきれず口を挟んだ。「わたしは……わたしはタイタンに守られるつもりはないぞ」
《プロトコル・スリーのことですね。プライドは結構ですが、しかし、パイロットの肉体はタイタンよりも脆弱です。生身であろうと義体であろうと、少なくとも、強度面においては》
「プライドの問題じゃない。わたしにとってスリーは足かせだ。もしヘルメットカメラが壊れたら? それだけならまだマシだ、タイタンのカメラがある。ならわたしを守ってタイタンが破壊されたら? リンクを失えばわたしは何も見えなくなる。戦えない」
わたしはいつの間にかうつむいていたことに気づき、顔を上げた。相棒がじっとこちらを見下ろしている。
「おまえの死はわたしの死だ、ブルー」
ブルーはしばし黙り、やがてわたしの前に膝をついた。目の前に青いコアが迫る。
《私の死はあなたの死。了解しました、アレックス。あなたの生命活動が失われるその時まで、私は私を守ります》
わたしは微笑んでうなずき、相棒のコアの横に握った拳を押し当てた。
整備担当のマーヴィンがこちらへやってきて、胸部モニターに見たことのないものを表示して見せた。根元をリボンで縛った草の束だ。葉の小さい草で、白い花と思わしきものがついている。それがなんだかさっぱりわからないが、拍手をしたり万歳をする仕草は嬉しそうだと見受けられたので、とりあえず「ありがとう」と言っておいた。