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    みしま

    @mshmam323

    書いたもの倉庫

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    みしま

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    iさん(@220_i_284 )のスコーチ&パルスさんを元に書かせていただきました。いつも通り独自設定&解釈多々。『残り火の膚に』https://poipiku.com/4433645/7767604.htmlは前日譚的なものとなります。

    #タイタンフォール2
    titanfall2
    #titanfall2

    シグナルレッドの装いを 息を吸う。息を吐く。熱が気道を炙り、何かが焦げるようなきつい臭いが鼻を突く。
     死体。揺らめく炎。その炎に、炎よりも鮮烈な赤が照り返す。
     聴覚が不明瞭な音を拾う。いや、音じゃない。声か?

     不意に、漂っていた意識が引っ張られるように急浮上した。白い光が目の前で明滅している。次第に声がはっきりとしてきて、意味の理解できる言葉だと気づく。
    「パイロット・エンバー、聞こえますか?」
     光がそれると、陽性残像のちらつく人物を視覚が捉えた。IMCのロゴマークがついた白衣を着ている。名札に記されているのは『Dr.ジャンセン』。
     周囲にあるのはコンピュータ端末の置かれたデスクと金属製の棚、隅のパーティション、そして自身が寝ているストレッチャー。少ない要素で構成された飾り気のない小部屋だ。四方を囲む白い壁の一片はガラスになっており、ブラインドカーテンの隙間から白衣や作業着姿の人々、作業用ロボットが行き来しているのが垣間見える。
    「パイロット・エンバー、わかりますか? わたしの声が聞こえますか?」
     〝エンバー〟。その名が自分のものだと認識して、彼はやっとうなずいた。ドクターもうなずき返し、手にしていたペンライトを胸ポケットへしまった。エンバーが座位を取れるようストレッチャーの背もたれを起こし、サイドテーブルの上から鏡を取り上げる。
    「ご自身の顔や体に違和感は? しびれや動かしにくさはありませんか?」
     差し出された鏡を受け取り、エンバーは鏡面と向き合った。映っているのは、赤いくせ毛に碧眼をもつ男の顔。見慣れた、間違いなく自分の顔。鏡を持つ手にもシーツの下の素足にも、言われたような違和感はない。それでもどこか現実味に欠いているのは、状況への理解が追いついていないせいなのか、目の前の人物にも場所にも見覚えがないせいなのか。
    「いいえ」エンバーは答え、軽く咳払いをした。「大丈夫です。ここは……?」
    「どこだと思いますか?」
    「病院?」
    「ええ、似たようなものですね。正確にはムネーモシュネー研究所の回復室ですが」
    「ムネー……回復室? 怪我か、病気ですか?」
    「いいえ。むしろ健康そのものです」
    「ならどうして……」
     困惑をありありと浮かべるエンバーに、ドクターはなおも淡々として返した。
    「落ち着いてください。心配するようなことは何もありませんから。最後に覚えていることは?」
    「それは――」
     エンバーは続く言葉を失った。ここにこうして至るまでの経緯はおろか、思い出せることも断片的なものばかりだ。少なくとも自分はIMCに所属する軍人で、パイロットで、そして……戦っていたのだ。パイロットなのだから当然のことだ。しかしあの踊る炎といくつもの死体、鮮烈な赤。あれらはまどろみに見た夢ではないはず。いつ、どこの出来事だろう?
    「記憶が曖昧でしょう。大丈夫、再生後にはよくあることですから。あなたは再生処置を受け、今しがた目覚めたばかりなんです。意味はわかりますね?」
     エンバーは小さくうなずいた。〈再生〉とは、一部のパイロットに施される肉体の再構築処置のことだ。
     兵士にとって仕事場が戦場である以上、怪我は日常茶飯事のことだ。また、抑うつや心的外傷後ストレス障害など精神的に患うことも珍しくはない。
     そうした兵士たちの中でも、パイロットは心身ともに高い適正と能力を持つエリートたちだ。だがいくらエリートといえど、怪我もすれば死にもする、一人の人間であることに変わりはない。そうした貴重な人材をより長く有効活用するため、負傷や病気によって肉体が使い物にならなくなった際に、あらかじめ記録しておいた健康時の肉体と神経のスキャンデータを使用して肉体を再構築する技術、それが〈再生〉だ。
     他にも、似たような手段として肉体を機械の体に置き換える義体化シミュラクラムがある。ただし、これも万能とは言い難い。生身から義体への移行に際し拒絶反応が起きる可能性が少なからずある。あるいは元となる精神が患ってしまうと、義体化自体が意味を成さなくなってしまう。
     一方〈再生〉は対象者の肉体と精神状態が健康時の保存データに依存するため、そうしたリスクは比較的低い。ただし、かかるコストが比べ物にならないほど高くつき――これは匿名の〝支援者〟からの援助が得られるが――また、記憶はデータ保存時のものまで遡ってしまうというデメリットはあった。
     故に、再生後の体は新品同様のはずなのだ。エンバーは裸の上半身へ手をやった。右脇腹を覆う、凸凹とした歪な感触。くすんだ桃色のケロイドが生々しく広がっていた。
    「これ、火傷の痕ですよね?」
    「ええ、そのようですね。通常ならそうした傷跡は引き継がれないようになっていますが、まれにこうして再現してしまう場合もあります。憶測に過ぎませんが、以前の負傷が何らかの形で影響しているのでしょう。とはいえ身体機能に支障はないはずです。気になるようであればシミュラクラムを検討なされては?」
     エンバーは首を振った。多少の引きつるような感覚を除けば、大したことはない。見た目にはグロテスクかもしれないが、周りはみな軍属だ。誰が気にすることもないだろう。
    「なら、再生はこれが原因で?」
     ドクターはケロイドを一瞥し、小さく肩をすくめた。「直接の理由は権限が無いので存じません。ご自身で記録を確認するか、所属関係者へ問い合わせてみては」
    「所属……ええと、バンファイア部隊?」
     懸命に記憶をたどるエンバーに、しかしドクターはモニターを見やって緩く首を振った。
    「現在は第八艦隊所属となっているようですね。ご自身の記憶――再生用データ保存時とは変わっているでしょうからご注意を。何かと混乱するかと思いますが時間経過で慣れるでしょうし、このあとの行程で改善する場合もあります。それにあなたのタイタンなら、わたしよりもよほどパイロットのことを把握しているかと」
    「タイタン……俺の……」
     パイロットがパイロットたるのは、共に戦う機械の巨人〈タイタン〉がいるからだ。命を預ける相棒を、しかしその姿を思い浮かべようにもできず、脳裏にかすめる機影がせいぜいだった。呼び名が喉まで来ているのに、そこで詰まってしまったかのように出てこない。
    「身体検査は以上です。次の手順へ進んでください。タイタンドックへ行き、自機とのリンクチェックの実施を」
    「あの、俺のタイタンって?」
    「さあ、わたしの管轄外です」ドクターはやはりそっけなく言い、パーティションを指さした。「着替えはそちらに用意されています。第三ベイへ向かってください。迎えのドロップシップが待機中です」

     母艦へと戻ったエンバーは、通りがかりのスタッフへ何度か道をたずね、ようやくタイタンドックへたどり着いた。壁際には何体ものタイタンが立ち並び、その足元を整備士や作業用ロボット〈MRVNマーヴィン〉がせわしなく動き回っている。彼らを横目に進み、やがて、一体のタイタンを前に自然と足が止まった。
     そこにそびえるは、ハモンド・ロボティクスが開発した重量級タイタン、スコーチ。エンバー自身のパイロットスーツと同じ、鮮紅色に塗装された分厚い装甲をまとったシャーシ。背部に設置された大型のヒートシンク。全体の重々しい印象に埋もれがちだが、可動域確保のため腹部は意外なほどにほっそりとしている。それらを支えるのは、幅の広い蹄のようなつま先。他クラスのタイタンと比較して移動速度には劣るものの、防御面と火力はトップクラスだ。可燃性ガスとテルミットランチャーによる攻撃は、機械もヒトも等しく焼く――自身を含めて。
     丸みを帯びたハッチの上には複眼めいたコア兼メインカメラが載っている。それを見上げ、エンバーはゆるゆると息を吐き、そして吸った。
    「きみが俺のタイタン、だよな?」
     タイタンのコアがぐるりと回り、エンバーを見下ろした。
    《はい。IMC第八艦隊オネイロス隊所属、コールサインは〈ニトロ〉。当機はパイロット・エンバーの搭乗機体です》
     ――そうだ、彼の名は〝ニトロ〟。エンバーは何度も重ねてうなずいた。その名を馴染ませるように繰り返しながら。
    「了解、ニトロ。再生で色々と抜けてると思うけど、よろしく頼むな」
    《問題ありません。再生前の戦闘効率評価は九〇パーセント以上を維持していました。あなたの実力に疑念は抱いていません》
    「そうだといいんだけど」
     苦笑を浮かべるエンバーに、ニトロは《希望的観測ではなく実績からの予測です》と言い切った。《パイロット、再生後手順に従い、ニューラルリンクの同期回復を行います。直接接続を》
     ニトロはかがみ込むと、シャーシのサイドパネルから伸びたケーブルを差し出した。その大きな手を前にして、エンバーはとっさに後退りした。
    《パイロット?》
    「……ごめん。ちょっとびっくりしただけ」
     そうは言ったものの、背筋には冷や汗が浮かび、脈は速くなっていた。エンバー自身も疑問に思いつつ、引きつった頬をスーツとそろいの赤いヘルメットで隠す。
     一つ控えめな深呼吸をしてから、ケーブルを受け取った。先端のジャックを震える手でどうにか後頭部ソケットへ差し込む。
     途端、視界を白い光が覆い、首筋にはチリチリと弾かれるような刺激が走った。防ぎようのない奇妙な感覚に、目を閉じてじっと耐える。
     手が無意識のうちに右脇腹を押さえていた。手のひらの下にあるのは、例の火傷痕だ。ケロイドがほんのりと熱を持ち、痛みこそしないのに痛かったという記憶だけが蘇る。
    《ニューラルリンクデータをスキャン中……パイロット、バイタルが乱れています》
    「……大丈夫。この火傷のこと、何か知ってるか?」
    《はい。再生以前のものです。プロメテウス作戦にて受傷》
    「プロメテウス?」
    《ミリシアに占領された元IMC軍事施設への襲撃作戦です。あなたは作戦行動中に重傷を負ったため、当機はプロトコル・3を優先。当該作戦は辛くも成功を納めましたが、撤退中に所属していたバンファイア小隊の他メンバー全員が戦死。結果、我々は別部隊への編入を余儀なくされました》
     エンバーは息を飲んだ。ともすれば、やはりあの曖昧な夢は現実のものだったということだ。少なくとも、その一部は。
     タイタンの持つ三つのプロトコル、『1:パイロットとリンクせよ』、『2:任務を執行せよ』、そして『3:パイロットを保護せよ』。相棒は忠実にパイロットを救ってくれたが、故に唯一の生き残りとなってしまったらしい。おぞましい記憶の断片は、再生すらかき消すことのできないほどに焼き付いてしまったのだろう。この火傷痕がこびりついているように。
     しかし一方で、忘れてしまってよかったとも思う。不敬かもしれないが、同僚たちの死はつらいものになったに違いないからだ。
    《ニューラルリンク:接続状態、チェック。クロススキャン、チェック。同期回復、チェック。同期完了》
     ニトロの宣言と同時に、エンバーの体のあちこちで起きていた異変がすっと消え失せた。ゆっくりと体を起こし、手をかざして握ったり開いたりする。それと同時に、ニトロも同じ動きをしていた。ニューラルリンクによる動作のトレースがうまくいっている証拠だ。火傷痕も、あれほどうずいて仕方がなかったのが嘘のように落ち着いている。
    《パイロットバイタル:正常域内。パイロット、健康状態の主観的報告を》
     ニトロのコアがじっと覗き込むようにこちらを観察している。青い光がジジッと音を立てて瞬いた。それが不安からくるもののように見えて、エンバーはなだめるようにコアの縁を撫でた。
    「大丈夫だよ、相棒。覚えてなくて悪いんだけど、難しい状況にも関わらず助けてくれたってことだよな。ありがとう」
    《……あなたは変わりませんね、エンバー》
     そこへ、ひとりのパイロットが駆け寄ってきた。エンバーは思わず目をみはった。遠目でもわかる、おそらく身の丈は二メートルを下らないだろう。白いパイロットスーツの下は筋骨隆々の逞しい肉体であることがその厚みから伺える。チョコレート色の肌に白い歯をさわやかに光らせて、威圧感とは裏腹に愛嬌のある笑顔が眩しいほどだ。
    「お帰りエンバー!」
     知らぬ相手だが、彼はこちらを知っているらしい。疑問符を浮かべるエンバーに、巨漢ははたとした様子で頭へ手をやった。
    「ああそっか、再生後だっけ。悪いな、びっくりさせちまって。オレは〈ジャンボ〉。あ、見てくれがって話じゃねえぞ、TACネームがジャンボなんだ。そんで、オレとお前はダチ公だった、ンだけど忘れちまったんならしゃあないな。またよろしく、エンバー」
     矢継ぎ早に言い、身の丈に見合った広い手が差し出される。エンバーがおずおずと握り返すと、ジャンボはニコニコとして握った手を上下に振った。
    「無事戻ってきてよかったよ。一番喜んでるのはニトロだろうけどな! こいつ、お前が帰ってくるまでずーっとムスーッとしてたんだぜ」とジャンボは親指をニトロへやった。
    《『ムスーッ』とはしていません。パイロットの復帰までは予備タスクしか与えられないため、最小出力を維持》
    「それをヒトの目からすりゃ仏頂面してるように見えるんだよ」
    《タイタンに表情筋やそれに類似した機能は備わっていません》
    「おう、パイロットナメんなよ。愛機じゃなくたって、自分のパイロットとその他大勢を見る目が違うことぐらいはわかるぜ」
    《その『目』というのがカメラのことを言っているのであれば、個体差はありえません。先入観から抱く錯覚と分析》
    「いいや、わかるね! だろ、エンバー?」
     エンバーは改めて相棒のコアを振り仰いだ。ただひたすらに無機質なコア兼メインカメラがこちらを見下ろしている。確かに、眉も瞼もない外観はヒトのそれとは全く異なる。だがその光の加減や向き、動き方などに些細な変化は見て取れる。ヒトの目のように、とはいかないまでも、動物の耳や尾の動きから感情を読み取るのには似ているかもしれない。
    「まあ、そうだね。わかるよ」
    《……あなたがそう言うのなら》
     ニトロのコアが上方へとそらされる。照れ隠しか、あるいは呆れているのかもしれない。そう見えてしまうパイロットの〝錯覚〟を失っていなかったことに、エンバーは小さく笑みを浮かべた。
     その後、ジャンボに案内され艦内の主要区画を回り、最後に兵舎区画へと向かった。「まずは休めよ」と言い置いて、大男は持ち場へと戻っていった。賑々しさが去ったせいか、私室の中は妙に静まりかえったように感じる。エンバーは躊躇いがちな足取りで部屋の中へと進んだ。
     壁にかけられたボードには、写真やどこかの土産物らしい絵葉書やペナントが飾られている。それらの中央に貼られているのは、ジャンボと肩を組んで並ぶ自分の写真だ。背後にいるのはニトロと、おそらくジャンボの相棒であろう白いノーススター。ボードの隣には作り付けの棚があり、ファイルや本、きらめく鉱物の混ざった石や動物の置物など小物がいくつか並んでいる。デスクの引き出しを開けると、工具や事務用品のほかに勲章がいくつか入っていた。
    「変な感じ」
    《体調に変化が?》
     エンバーの小脇から、ヘルメットを通じてニトロがたずねる。エンバーは「いや、体のことじゃなくて」と訂正しつつベッドに上がり、窓際にヘルメットを置いた。
    「何て言うか、自分の部屋なのにそうは思えなくて。知らない、他人のものみたいな。どれもこれも全然見覚えがなくて」
     窓の外にはフロンティアの宇宙が広がっている。一番近くに浮かぶ淡い緑の惑星を見るともなしに眺めながら、エンバーはぼやくように続けた。
    「目覚めてから頭がもやもやしてさ、自分の名前さえ怪しかった」
    《標準的な反応と思われます。再生後のパイロットの大半が記憶と現状の不一致に対し混乱、困惑、苛立ちなどを示しています》
    「だろうね。それでも、きみのことはすぐにわかったのが救いだな。とは言え色々とすっぽ抜けちゃってるのは確かだし……きみに迷惑がかからないといいんだけど」
    《問題ありません。前回の再生直後も同様の発言をしていましたが、任務執行への影響は軽微なものでした。それにあなたが忘れたことも、私が覚えていますから》
    「ハハ、心強いな。けど本当に大丈夫かな、俺?」
    《あなたはあなたです、エンバー。私のパイロットであることに変わりはありません》
     エンバーはヘルメットを、ニトロを見つめ返した。その存在を示すようにバイザーはコアと同じ、ライトブルーの光を宿している。
     エンバーはヘルメットへ手を伸ばし、スコーチの丸みを帯びた頭部を思い出しながら表面をなでた。何を疑えど、相棒だけは信じる以外の余地はない。パイロットにとって一番の味方だ。
    「なあニトロ、教えてくれないか、俺を」
    《あなたを、教える?》
     バイザーの光が少し弱まり、震えるように瞬いた。
    「うん。ええと、変なふうに聞こえるかもしれないけど、俺も俺を早く取り戻したいんだ。頼むよ」
    《了解。何を知りたいのですか?》
    「そうだなあ……じゃあ、まずはあの写真だけど――」
     薄暗い室内に二人の会話とエンバーの穏やかな笑い声が響く。それはエンバーが話し疲れて、やがて眠りに落ちるまで続いた。



     大型の太陽光パネルが無数に並び建っている。その支柱の合間を縫って、エンバーは前方を駆ける敵パイロットへ向けて引き金を引いた。〈モザンビーク〉フルオートピストルから放たれる三発の弾丸のうち二つが背中と首に命中し、標的は地面へ崩折れた。エンバーはその死体を飛び越え、ジャンプキットを作動させた。高く跳躍する彼の背後でキットのアフターバーナーが蒸気の尾を描く。雨が降っていた。それも、紫色の雨が。
     本来ならば、一帯はプレキシガラスのドームに覆われているため、天候の影響を受けることはありえない。だが、今は天井に破れたような大穴が開いていた。砲撃とタイタンフォールによる破壊の跡だ。
     降りしきる雨も地面の水たまりもうっすら紫がかっているせいで、世界を色付きのフィルター越しに見ているようだ。ブリーフィングで聞きかじったところによると、上空を漂う藻の一種が雨に混入しているためらしい。
     地面は泥でぬかるんでいるだけでなく、藻によってさらに滑りやすくなっている。白兵戦を行う兵士たちにとっては視界も足元も悪条件の戦場と言えた。さらに燃焼効率が落ちるという点では、タイタンたちの中でもスコーチにとっては特に好ましくはない天候だ。
     とはいえニトロのことだ、いい顔はしないだろう――というのが錯覚だとしても――が、最大効率を出せるよう立ち回っているはず。そう思いつつパネルの上を駆け、隣のパネルに飛び移ろうとした、その時。
    《パイロット!》
     相棒の警告の声に、スライディングで急ブレーキをかける。目の前を一発のロケット弾が通過し、上方へと飛び去った。出どころを振り返れば、パネル群の向こうでニトロが畑を踏み荒らしながら敵タイタンを追い詰めているところであった。相棒の警告がなければロケット弾で粉微塵になっていたところだ。敵機にとどめを刺してこちらを振り返ったニトロへ、エンバーはサムズアップを掲げた。
     敵はミリシア崩れの宙族だ。しかし族とはいえ腐ってもパイロット、油断は禁物だ。
     司令部の見立てによると、この惑星ビアーに設置された研究施設への襲撃はフロンティア戦争に絡んだ戦略的なものではなく、単に食料と金目の物を目的としたものだろう、とのことだ。詳細は知らされていないが、施設の役割はテラフォーミングに利用する植物の研究らしい。巨大ドームの中では研究施設の他、広大な人工林や食用作物の農地が敷かれている。
     エンバーは雨水とともにパネルを滑り降りた。頭の中のニューラルリンクが、ニトロがフォローモードに切り替わったのを〝感じ〟させる。じきに合流できるだろう。
     ジャンプキットをふかして距離と速度を稼ぎつつ、特殊なクナイを前方へ投擲した。施設の建屋の壁に着弾すると内蔵されているソナーパルスが作動し、近場にいた敵の姿を炙り出した。ビルの屋内に機械歩兵が七体。エンバーはパルクールを駆使して建物の壁を駆け上がった。ビルの窓を銃撃で割り、中へ手榴弾を放り込む。数体の敵が吹き飛んだ。
     エンバーは舞い上がる粉塵に飛び込み、通路を一直線に進んだ。半壊して床に這う機械歩兵を仕留め、そうして弾切れになったピストルをベルトへ納めると、落ちていたショットガンを拾って残りを始末する。内部を一掃し終えると、ピストルの弾倉を入れ替え、窓のなくなったテラスから再びクナイを投擲した。通りを挟んだ向こう側の建物に刺さり、付近の敵歩兵らとタイタン一体の姿がHUDに浮かび上がる。
     ソナーに検知されことに気づいたリージョンタイタンがこちらを振り返る。ガトリングガンのバレルが回転し始める高音を耳にしつつ、エンバーは左へ方向転換した。前方で壁が吹き飛び、穴からタイタンの手が突き出す。
     ――ニトロだ、敵ではない。そうとわかっていながら差し出されたその手を前にして、エンバーの足取りが鈍った。
     無数の弾丸が体を掠める。体制を崩したパイロットをニトロはつかみ取り、そのままコクピットへと収めた。
    《パイロット、危ないところでした》
    「……うん、ごめんニトロ。助かったよ」
    《謝罪は不要です。パイロット、バイタルの異常を検知。心拍数急増。負傷を?》
    「大丈夫、負傷なし」
    《再確認を求めます》
     エンバーは相棒を安心させようとコクピットの内壁を軽く拳で叩いた。「心配性だなあ。転びそうになっただけだよ。戦える」
    《……了解。パイロット操縦に切り替えます》
     操縦権を受け取り、エンバーはすぐさま相棒の左手にヒートシールドを展開させた。熱線の膜が銃弾を防ぎ、敵兵を焼く。
     手のひらが熱い。シールドの熱で雨が蒸発してもうもうと湯気を立て、肉もそうでないものも、僅かなあいだ蠢いたのち一瞬にして焼け焦げる。その得も言われぬ感触に、これが初めてのことではないとはいえ、エンバーは項を粟立たせた。熱さも感触も、エンバー自身のものではない。ニトロの感覚フィードバックを受け取っているだけ。そう、頭では理解してはいるのだが。
     以前、そのことで仲間内のスコーチ乗りにもたずねてみた。だが、みな首をかしげるばかりだった。『ヒトが目の前で焼け死ぬのは見ていて気持ちの良いものではないが、だからといって焼く感覚まではわからない』と。
     ニトロの手への恐怖心に理由をつけるとしたら、おそらくこれがそうなのだろう。ニューラルリンクにおける神経同調率の高さ。ニトロによると、これが他パイロットと比較しても特に高いらしい。そのためこうした感覚フィードバックやダメージを含め、タイタンの状態の影響を受けやすい。しかしながら動作トレースの速さや意思伝達の正確さに秀でているという点では、パイロットとして優位だ。
     だからこそ、問題になっているのは自分自身なのだ。エンバーは苛立ち混じりに操縦桿を握り直した。この恐怖心をコントロールできなければ、メリットも宝の持ち腐れでしかない。あの手は武器を取り、パイロットを守り、受け止める、戦場で最も信頼すべき手なのだから。
     エンバーの腕の緊張が伝わり、ランチャーを構えるニトロの手にも力がこもる。相棒が何か言いたげにしているのはわかったが、結局何も言われず、エンバーもあえて聞かなかった。今は目の前の敵に集中すべき時だ。
     リージョンがリロードを行っている間に、テルミットの炎で追い立てる。そこへもう一体、物陰からトーンタイタンが姿をあらわした。エンバーはその行く手を遮るように焼夷トラップを放った。すぐさま着火しようとしたが、トーンはトラップから放出された可燃性ガスを迂回しようと後退している。
    《注意、四時方向に敵性反応を検知》
     ニトロの警告に、エンバーは言われた方を振り返った。建物の屋上から敵パイロットがロケットランチャーを構えている。
     トーンのパイロットか。そう思いつつ、エンバーは回避行動をとらなかった。ランチャーが火を吹く前に、敵パイロットの首が真一門に裂けて血が吹き出したからだ。事切れた体が落下し、その背後の景色が不自然に揺らぐと巨漢が姿をあらわにした。白いはずのスーツが雨のせいで紫に染まってしまっているが、見間違いようがない。
    「ありがとう、ジャンボ!」
    「おうよ! ちゃっちゃと片付けようぜ!」
     敵兵を仕留めたのはジャンボだ。言動も体躯も存在感にあふれる大男は、しかしひとたび戦場に降り立つと、光学迷彩を駆使して猫の如く素早く静かに奇襲を仕掛ける。味方でよかったと、共に戦う誰もが思っていることだろう。
     上空から彼の相棒、白いノーススターの〈ゲイザー〉が現れ、パイロットを掴んでコクピットへと収める。クラスターミサイルで敵を牽制し、こそへさらに他の味方機も追いつき、続けとばかりに掃射を開始した。

     斯くして防衛戦は無事勝利を納め、それを見計らったかのように雨も止み雲間から陽が差し始めた。研究施設への物理的被害は大きいが、人的被害は最小限に抑えることに成功した。
     さしあたって問題なのは、例の藻だ。地表に降り注いだ藻は数日の間に互いに結合し、蔦植物のような形状へ成長する。枝先には綿毛のついた胞子嚢が形成され、やがて風に飛ばされて空へと舞い上がる。こうして空へと戻ると嚢が弾け、気流に乗って漂いながら再び雨を待つ。この奇妙な営みが、しかしこの惑星の生態系を支える一役を担っているから否めない。
     ただし、ヒトの文明社会に対しては恩恵よりも被害のほうが大きい。外部から持ち込んだ農作物は蔦に成長を阻害され、建物の塗装は摩耗する。ガラスドームはこれを防ぐ目的もあって設置されていた。被害を少しでも抑えようと、今もさっそくMRVNやドローンが大量投入され、主要箇所の補強と除染作業に追われている。
     発着場の片隅で、エンバーとジャンボは自機の洗浄作業を行っていた。藻を付けたまま船に戻るわけにはいかなかったからだ。
     こうした洗浄作業は、メンテナンスついでに整備担当者任せにしているパイロットが大半だ。それを、エンバーは手ずから行っていた。今日に限っては洗浄機の利用に長い順番待ちリストができていたし、そもそも相棒を洗うこと自体が好きだった。何より早いところ藻を落としてしまいたかった。まだらに汚れた相棒の姿は耐え難いものがある。
    「循環サイクルの速さを、テラフォーミングに利用しようとしてるらしいよ。ただ、増殖をコントロールしないとならないんだけど、キルスイッチがうまく作用しないとかなんとか」
     ニトロによじ登ったエンバーは、丸い頭部をスポンジでこすりながら言った。向かいでゲイザーの脚部を洗っていたジャンボが手を止め、友人を振り返った。
    「難しいことはよくわかんねえけどよ、こいつをほっとくとあっという間にモシャモシャ葉っぱが生えてくるってことだろ? 寄生されてるみたいじゃん、キモい」
     そう言って紫に染まった首元のファーをいじり、口角をひん曲げる。エンバーはパイロットスーツに草を生やしたジャンボを想像した。ついでに花も咲かせておく。
    「『木の妖精さん』ぽくてかわいいと思うけどな」
    「うるせ、声が笑ってんだよ」
    《妖精さん、脚部油圧シリンジに汚れが残っています》とゲイザー。《関節部位に蔦が発生した場合、応対速度の低下が予測されます》
    「かしこまりました、フェアリー・ゴッドマザー。おうニト公、ほっとくとエンバーも蔦に巻かれちまうぞ」
    《焼きますか?》
     コアを光らせるニトロに、エンバーは苦笑して首を振った。
    「真っ裸で帰ったら軍規に引っ掛かりそうだ。どうせスーツは交換だろうし」
    《コクピットにいれば誰も気づきません》
    「いつまでもいられないよ。ハッチが開いたら……変態扱いだ」
    《冗談です》
    「知ってるよ」エンバーは軽く相棒を小突いた。
     ジャンボが相棒を見上げ、手を振った。「なあダーリン、ちょっと持ち上げちゃくれねえか? いくらオレでも頭にゃ届かねえよ!」
    《『いくらオレでも』? あなたが〝チビ〟だからではないですか?》
     そう言いつつゲイザーはパイロットをむんずと掴み、機体上部へと持ち上げる。頭頂部に降ろすのかと思いきや、パイロットの体をスポンジ代わりにして自らを洗い始めた。泡まみれになったジャンボは情けない声を上げているが、パイロットスーツもゲイザーも白さを取り戻しつつある。
     エンバーは笑いながらそれを見上げ、そして少し羨ましいとも思った。自分がやられたら、緊張のせいで作業どころではないだろう。今も友人が気を紛らわせてくれていなければ、落下防止に足元へ添えられたニトロの手に腰が引けているところだ。
     ニトロを見ると、彼のコアはじっと僚機とそのパイロットの様子を観察しているようだった。
    「アレ、やりたい?」
    《いいえ、パイロット。私は……あなたに洗われるほうがいいです》
    「ほんと?」
    《効率が》
    「あ、はい」
     それがニトロなりの気遣いなのか、単なる事実なのか。いずれにせよ、パイロットの精神状態の良し悪しをタイタンが検知していないはずはないのだ。どういった感情に起因するかまでは、理解できないにしても。
     否、理解してほしくないだけだ。そうと自覚していながらも、エンバーはあえて考えないようにした。再生前の自分だって、同じものを抱えつつもニトロに信頼されていたのだ、きっと今回も乗り越えられる、と。
     エンバーは汚れたスポンジを力任せに絞り、ベルトに下がった洗浄液入りのバケツへと突っ込んだ。
    「イテ」
     濡れた左手がヒリヒリと痛みを訴えている。親指の付け根辺りの皮膚が赤くなり、小さな水疱ができていた。軽度の熱傷に見える。グローブが焼けていた記憶はないから、きっと例の侵食ダメージによるものだろう。
    《パイロット、負傷を?》とニトロ。
    「きみは?」
    《要緊急修理箇所:なし。左前腕装甲の一部に銃創》
    「俺を庇ったときのだな。デブリーフィングが終わったら交換申請しておくよ」
    《エンバー、再度身体状況の報告を求めます。ここからでは生体スキャンを行えません。バイタルは正常域内をわずかに――》
    「軽い火傷だけだ。きみのおかげでね」エンバーは遮って言った。「ありがとう、ニトロ」
    《プロトコル・3:パイロットの保護。私の役目です》
    「このことだけじゃなくて。これまでも、もっと前のことも、色々さ。俺、頑張るよ。君のパイロットでいられるように」
    《……頑張らずとも、すでに私はあなたの登場機体であり、あなたは私のパイロットです。これまでも、これからも》
    「うん」
     エンバーの手がスポンジをぎゅっと握り、柔らかに細められた碧眼が相棒へ向けられる。ニトロはしばしそれを受け止め、《了解》と静かに返した。



     タイタンドックの床に飛沫防止用のシートと塗装用具を広げ、エンバーはニトロの脚部と向き合っていた。蹄のようなつま先には、無数のクレーター状の凹凸がフジツボのようにこびりついている。超高温にさらされた塗装や、付着したタンパク質などが沸騰した焦げ跡だ。洗浄作業だけでは到底落とすことができない。
     エンバーは丁寧にやすりがけをして焦げ跡を削ぎ落とし、ふうと息を吹きかけた。暗褐色の粉が煙のように散り、白い下地が覗く。
     用意していた塗料缶を手に取り、ふたに手をかける。だがよほどぴったりとはまっているのか、縁で塗料が固まってしまったのか、いくら引っ張ろうとも開かない。そこでエンバーはナイフを取り出し、刃先をふたにひっかけて梃の原理で持ち上げようとした。
     ナイフの柄を握る左手は小指が欠け、手首にまで及ぶケロイドがグローブの隙間から覗いている。眉根を寄せた横顔には新しい火傷の跡が広がっていた。いずれも戦闘中に負ったものではあるが、敵の攻撃を受けたわけでも、火事に巻き込まれたわけでもない。タイタンが負った損傷がニューラルリンクを通じてパイロットの肉体にも影響を及ぼした、侵食ダメージによるものだ。数多の戦場を共にし、経験を重ねるにつれ、こうした侵食の痕跡は増えていった。
     ニトロ自身はパーツを交換すれば済む。しかしヒトの肉体はそうはいかない。もっとも、エンバー当人はさして気にしていないようだった。被弾で負った傷跡よりも侵食痕の方が多い、というのが密かな自慢になっていたほどだ。小指の切断を余儀なくされたときですら、彼はニコニコとして言った。『相棒とおそろいだ』。
     何度か刃先を押し上げていると、突然、勢いよくふたが開いた。その拍子に、エンバーは手元を誤って欠けた小指の根元辺りを切ってしまった。慌てて手近な布を拾い、傷口を押さえる。だがすでに零れた鮮血がニトロの爪先に散ってしまっていた。
     『お前のスコーチになら、血がついていたところでそれとわからないだろ?』。そう皮肉交じりに笑う者もいる。確かに、タイタンのボディ、特に足元は血液その他を被りがちだ。その大きさだけでヒトの肉体など軽く凌駕し、足元をうろちょろする歩兵など簡単に踏み潰してしまう。足裏の溝に挟まった肉片を掻き出すことなどしょっちゅうだ。
     しかし。
    「まさか。きみのは、この鉄錆混じりとは別物だ」エンバーはニトロの足を汚す色を睨み、呟くように言った。
    《パイロット、手当を》
     相棒の声に、エンバーはハッとして顔を上げた。屈み込んだニトロのコアが間近に迫り、その横で大きな手が彷徨うように揺れている。
    「大丈夫。ごめん、汚したね」
    《機能に影響なし。メディックを要請しますか?》
    「いいや。見た目ほど酷くないよ」
     エンバーはベルトポーチから大きめの絆創膏を取り出し、患部に貼り付けた。ガーゼ部分にじわりと血が滲む。手当を済ませると、アルコールを用いてニトロの足から血液を拭き取った。
     それからふたの開いた標準仕様の赤塗料に、少量のライムイエローや青を加えてかき混ぜた。わずかに明度と彩度が変化し、より深く鮮やかな色味に変わる。
     そうして出来上がった塗料をスプレーガンに注ぐと、脇へ置いていたヘルメットを手に取って、数センチほど塗料の剥がれた部分へ向けて引き金を引いた。塗った直後は少し濃く見えるが、ほどなくして乾いてくると、よほど目を凝らさなければそれと気づかない程度に馴染んでくる。
     この赤を作るとき、エンバーはいつも目分量で調合していた。それにも関わらず、肉眼では視認できない程度の誤差しか生じない。ニトロにとって奇妙な光景だった。再生を経て記憶を欠こうとも、迷うことなく同じ色を生成する。
     ニトロが注意深く観察するその下で、エンバーは恭しい仕草で相棒のつま先に手を添えた。再びスプレーガンの引き金を引き、塗装の薄くなった部分へ吹き付ける。白い下地が赤で上塗りされ、艶やかに光る。
     しかしまあ、そろそろ再生を考えるべきかもしれない。エンバーは傷のジクジクとした痛みに思った。これ以上にぎりが甘くなれば、銃の照準もブレるだろうし――

     あのとき、そうと気づいていたなら早めにやっておくべきだったのだ。
     モザンビークは攻撃を受けた際にどこかへ取り落としてしまった。探したいが、貧血で移動できそうにない。
    「ニトロ……?」
     呼びかけに反応はない。ヘルメットのHUDは作動しているが、表示がおかしい。故障しているようだ。
     エンバーはやっとの思いで近くにあった柱まで這っていき、そこへもたれかかった。わき腹の傷を強く押さえ、痛みで意識を保とうとする。
     状況は極めて悪い。スーツを脱がなければ詳細はわからないが、複数の銃創に、おそらく肋骨が折れている。出血が止まらない。手持ちのスティムパックは使い切った。最悪なのは味方と連絡が取れないことだ。ニトロと合流できれば解決の道はあるかもしれないが、彼の位置すらわからない。
     ふと意識が遠のき、それを閃光が引き戻した。崩壊した天井からちぎれた電力ケーブルが垂れ下がり、バチバチと音を立てて火花を散らしている。
     今いる建物は、もとはスポーツジムかその類いだったのだろう。なぎ倒された運動器具が炎に長い影を伸ばし、プールの水面から半ば沈んだ瓦礫が突き出している。風通しの良くなった天井からは夜空が見えた。星はほとんど見えない。市街地のそこここで上がる火の手が空を照らし、煙で濁していた。
     植民地の奪還作戦は、当初こそ問題なく進んでいたが、それもミリシアSRSが参戦するまでの話だった。ミリシア軍指折りのパイロットと強力な新型タイタンの参戦を契機として、敵方は下がっていた士気を持ち直し、戦線も押し返した。
     エンバーも同僚たちと戦っていたのだが、陣形が崩れるとともに味方と引き離され、なおかつ重傷を負ってしまった。
     どこかからタイタンの重々しい駆動音が近づく。敵味方識別装置IFFに応答がない。それが意味するところは一つだ。小火器では太刀打ちできないとわかっていながら、エンバーは持てる力を振り絞って予備ホルスターからハンドガンを取り出した。
     前方にイオンタイタンが現れた。思った通り、その身にはミリシアのエンブレムが描かれている。
     イオンの持つスプリッターライフルの銃口が上がり、エンバーを捉えた。エンバーはハンドガンを持ち上げようとした。光るレーザー集光器を見ながら、あれなら一瞬だな、と悠長に思いながら。
     しかしレーザーが発射される直前、イオンの横手の壁が吹き飛び、赤い塊がイオンに体当たりした。照準の逸れたレーザーが、エンバーの背後の柱と床を斜めに穿つ。
     赤い塊――ニトロだ――は吹き飛んだイオンへ〈ファイアウォール〉でテルミットの炎を浴びせた。そして自傷ダメージに臆することなく燃え残るテルミットを踏みしだき、ヒートシールドを展開しつつ敵に迫る。
     イオンはすでに脚部をやられ、立ち上がれない状態になっていた。それでも一矢報いようとしたのだろう。肩口の〈レーザーショット〉を起動し、ニトロの右腕を焼き切った。ニトロは多少よろめきながらも、残った左腕でイオンの胴体を何度も殴り、コアと共にコクピットを破壊した。
     完全に沈黙したイオンから離れ、ニトロは落ちていた右腕からテルミットランチャーをもぎ取った。それをユーティリティーアームに収納し、パイロットの元へと歩み寄る。
    《パイロット、遅くなりました。立てますか?》
     ニトロの差し出した手に、エンバーは首を振った。動いた拍子に右手から銃が落ちる。侵食ダメージのせいで感覚が鈍くなっていた。
    「ニトロ、みんなはどこにいる?」
    《第三防衛ラインへ後退、撤退行動中。小隊長より、オネイロス隊はポイントD2にて終結、脱出せよとの指示が一八分前に出ていますが、その後通信が途絶》
     急ぐ必要があった。通信が途絶したことは気がかりだが、撤退がすでに始まっている以上、いつまでも出発を待ってはくれないはず。ドロップシップに乗り遅れれば、待っているのは死か捕縛か。タイタンに至っては破壊されるだけだ。
    「ニトロ、D2まで走れ。俺のことは置いっていい」
    《ネガティブ。命令を実行できません》
    「でもさ、わかるだろ」エンバーは自嘲交じりに笑みを浮かべた。ニューラルリンクがある限り、パイロットのバイタルはタイタンに筒抜けだ。「俺を乗っけてちゃ撤退に間に合わない。俺はもう戦えないし、それどころか、たぶん死ぬ」
    《プロトコルに反します。あなたが生存している以上、私はあなたを守ります。私のパイロットはあなたです》
    「それは……そうだよな。ごめん」
    《……あなたは変わりませんね、エンバー》
     ニトロは残った左腕を伸ばし、パイロットの体をすくい上げた。エンバーは呻いたが、もはや身をよじることすらままならない。
     流れ落ちる体液を逃すまいと、ニトロは可能な限り指の隙間を狭めた。けれど悲しいかな、関節部位の隙間からはどうしようもなく鮮血が滴り落ちてゆく。
    《……パイロット、謝罪します》
    「え?」
    《危機的状況下のため、プロトコル・3特例事項を採用します。覚悟を》
     何のことだ、と聞き返す間もなく、エンバーは熱さと痛みに支配された。あたりを叫び声が貫く。それが自分の声だと気づいたのは、意識を失う直前だった。
     次にエンバーが目を覚ました時、彼はコクピットの中にいた。染み込むような強い痛みが右半身を覆っているというのに、意識を保つのが難しい。わき腹を見ると、ケロイドのあったあたりが焼け爛れていた。ニトロが武装を応用して、傷に焼灼止血を施したのだろう。
     エンバーはふと、これが初めてではない、と思い出した。前にも同じことがあったはずだ。
    「……ニトロ、きみが?」
     ニトロは答えなかった。



     N回目の再生より、パイロットが還ってくる。
     ニトロは規定通り、タイタンドックでエンバーを待っていた。ただし今回はいつもと異なり、再生処置に要する時間が五倍ほどかかっていた。担当のドクター・ジャンセン曰く、『素材の状態が悪いので、仕方がありませんね』。再生元となる肉体が瀕死の重傷を負っていたことが影響したようだ。
     最小出力で待機すること、およそ三週間。今日、パイロットが還ってくる。いかなる怪我も病も、記憶すらも巻き戻して。
     艦内の監視カメラにアクセスすると、数区画離れた通路にいるエンバーの姿を発見した。彼は申し訳なさそうな笑みを浮かべて、通りがかりのMRVNに道をたずねている。
     エンバーは、ヒトで言うところの〝愚か〟〝不憫〟という表現に当てはまるのではないか。あるいは〝滑稽〟。
     そう評しつつも、ニトロはヒトとして欠落したこのパイロットに満足していた。同じ名で呼ばれていたパイロットのことも知らず、■■■・■■■■という名の、ミリシア軍属だった己のことも忘れてしまった、この男を。
     かつて、ニトロは戦場でパイロットを失った。しかし任務遂行のためには、パイロットの生体認証が必要となる状況にあった。そこでニトロは、その場で唯一の生き残りを利用することにした。男はミリシア軍パイロットだったが、幸いにして、彼はニトロを友軍機だと勘違いしたらしい。気づかれる前にリンク情報を上書きし、わき腹に重傷を負っていた彼へ焼灼止血を施した。
     こうしてニトロは新たな臨時パイロットを手に入れ、任務を完遂することができた。
     この男とのリンクは一時的なもののはずだった。しかし、ニューラルリンクの同調率の高さは、僥倖と言ってもよいほどに秀でたものだった。こればかりは生来の素質や偶然に左右されるため、訓練でどうにかなるものではないからだ。
     IMC上層部は臨時パイロットの記憶を書き換え、自軍のパイロットとして再利用することを決定した。優秀なパイロットはいくらいても余るということはない。
     ただし一方で、パイロットへの侵食ダメージは避けられない。そのせいで定期的な再生が必要になったのだが、これもまた彼の利用価値を高める一因となった。
     記憶の書き換えはまだ研究段階であり、百パーセント確実な技術であるとは言い難い。いつ本来の記憶がよみがえるとも限らないのだ。故に、一定期間ごとの再生でその都度状態の見直しを行えることは、被験体として利用する面でも都合がよかった。
     だがそうした人間たちの事情は、ニトロにとっては副次的なものでしかない。重要なのは、エンバーはエンバーで、守るべきパイロットであり、唯一無二のパートナーであるという事実。それを貫くためならば、嘘も真にすればよいだけだ。
     やがてエンバーがタイタンドックへ到着し、少し気おくれした様子で辺りを見渡しながらニトロの方へと近づいてきた。真っ赤なスコーチを見止め、途端に表情が和らぐ。じっくりと機体を観察し、そしておずおずと口を開いた。
    「きみが俺のタイタン、だよな?」
    《はい。IMC第八艦隊オネイロス隊所属、コールサインは〈ニトロ〉。当機はパイロット・エンバーの搭乗機体です》
    「ニトロ、ニトロ……」
     パイロットはその名を味わうように繰り返す。忘れたものを思い出そうとしているのか、あるいは二度と忘れないようにしているのか。どちらも意味はないというのに。
     そして今回も同じように、エンバーは記憶の欠損に不安を零す。ニトロは《問題ありません》と気休めになるような言葉を返し、パイロットから苦笑を引き出す。
    《パイロット、再生後手順に従い、ニューラルリンクの同期回復を行います。直接接続を》
     これまでと同様、接続ケーブルを差し出す。この時、パイロットは怯えた様子で後退るのだ。いつも。
     そう、いつもはそうだった。けれどニトロの予想に反して、エンバーはただなにかを探るようにニトロの手をじっと見つめていた。わき腹を、かすかに震える手でさすりながら。
    《エンバー?》
    「いや、何だったかな……忘れちゃった」
     そう言って彼は困ったように微笑み、一歩踏み出した。
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    みしま

    DONEiさん(@220_i_284)よりエアスケブ「クーパーからしょっちゅう〝かわいいやつ〟と言われるので自分のことを〝かわいい〟と思っているBT」の話。
    ※いつもどおり独自設定解釈過多。ライフルマンたちの名前はビーコンステージに登場するキャラから拝借。タイトルは海兵隊の『ライフルマンの誓い』より。
    This is my rifle. マテオ・バウティスタ二等ライフルマンは、タイタンが嫌いだ。
     もちろん、その能力や有用性にケチをつける気はないし、頼れる仲間だという認識は揺るがない。ただ、個人的な理由で嫌っているのだ。
     バウティスタの家族はほとんどが軍関係者だ。かつてはいち開拓民であったが、タイタン戦争勃発を期に戦場に立ち、続くフロンティア戦争でもIMCと戦い続けている。尊敬する祖父はタイタンのパイロットとして戦死し、母は厨房で、そのパートナーは医療部門でミリシアへ貢献し続けている。年若い弟もまた、訓練所でしごきを受けている最中だ。それも、パイロットを目指して。
     タイタンはパイロットを得てこそ、戦場でその真価を発揮する。味方であれば士気を上げ、敵となれば恐怖の対象と化す。戦局を変える、デウスエクスマキナにも匹敵する力の象徴。
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    みしま

    DONEリクエストまとめ⑥
    TF2で「デイビスとドロズのおちゃらけ日常風景」
    おちゃらけ感薄めになってしまいました。ラストリゾートのロゴによせて。※いつもどおり独自設定&解釈過多。独立に至るまでの話。デイビスは元IMC、ドロズは元ミリシアの過去を捏造しています。
    「今日のメニュー変更だって」
    「えっ、"仲良し部屋"? 誰がやらかしたんだ」
    「にぎやかしコンビ。デイビスがドロズを殴ったって」
    「どっちの手で?」
    「そりゃ折れてない方の……」
    「違うよ、腕やったのはドロズ。デイビスは脚」
    「やだ、何してんのよ。でドロズは? やり返したの?」
    「おれはドロズが先に手を出したって聞いたぞ。あれ、逆だっけ?」
    「何にせよ、ボスはカンカンだろうな」
    「まあ、今回の件はなあ……」

     そんな話が、6−4の仲間内で交わされていた。
     6−4は傭兵部隊であり、フリーランスのパイロットから成る民間組織だ。組織として最低限の規則を別とすれば、軍規というものはない。従って営倉もない。しかし我の強い傭兵たちのことだ、手狭な艦内で、しかも腕っぷしも強い連中が集まっているとくれば小競り合いはしょっちゅうだった。そこで営倉代わりに使われているのが冷凍室だ。マイナス十八度の密室に、騒ぎを起こした者はそろって放り込まれる。感情的になっているとはいえ、中で暴れようものなら食材を無駄にしたペナルティを――文字通りの意味で――食らうのは自分たちになるとわかっている。そのため始めは悪態をつきながらうろうろと歩き回り、程なくして頭を冷やすどころか体の芯から凍え、やがていがみ合っていたはずの相手と寄り添ってどうにか暖を取ることになるのだ。こうしたことから、冷凍室は〈仲良し部屋〉とも呼ばれていた。
    6703

    みしま

    DONEiさん(@220_i_284 )のスコーチ&パルスさんを元に書かせていただきました。いつも通り独自設定&解釈多々。『残り火の膚に』https://poipiku.com/4433645/7767604.htmlは前日譚的なものとなります。
    シグナルレッドの装いを 息を吸う。息を吐く。熱が気道を炙り、何かが焦げるようなきつい臭いが鼻を突く。
     死体。揺らめく炎。その炎に、炎よりも鮮烈な赤が照り返す。
     聴覚が不明瞭な音を拾う。いや、音じゃない。声か?

     不意に、漂っていた意識が引っ張られるように急浮上した。白い光が目の前で明滅している。次第に声がはっきりとしてきて、意味の理解できる言葉だと気づく。
    「パイロット・エンバー、聞こえますか?」
     光がそれると、陽性残像のちらつく人物を視覚が捉えた。IMCのロゴマークがついた白衣を着ている。名札に記されているのは『Dr.ジャンセン』。
     周囲にあるのはコンピュータ端末の置かれたデスクと金属製の棚、隅のパーティション、そして自身が寝ているストレッチャー。少ない要素で構成された飾り気のない小部屋だ。四方を囲む白い壁の一片はガラスになっており、ブラインドカーテンの隙間から白衣や作業着姿の人々、作業用ロボットが行き来しているのが垣間見える。
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    みしま

    DONEリクエストまとめその11。TF2で「ツンデレの無意識独占欲強めローニン君とパイロットの話」
    いつも通り独自解釈&設定過分。
    オンリーマイアイズ タイタンの中でも、ローニンはピーキーな機体だ、とよく言われる。実際その通りだ。
     身の丈の三分の二以上の長さがあるブロードソード、一度に八発の散弾を放つショットガン、そして軽量化されたシャーシにフェーズダッシュ機能。いずれもヒットアンドランの近接戦に特化した兵装だ。中・遠距離による銃撃戦が主となる近代戦において、強力ながらもリスキーな戦法と言える。
     だがわたしにはその方が合っていた。いや、合うようになった、という方が正しい。自身も同様に、最前線へ飛び出して短射程の銃器とCQCを駆使するようになったのは、目が潰れてからの話だから。
     タイフォンでの作戦行動中、目を焼かれた。記憶が曖昧だが、酷く眩しかったことは覚えている。おそらくテルミットの火だったのだろう。一命はとりとめたものの、軍医からは「視力を取り戻すにはインプラントを入れるか、シミュラクラムで義体化するかだ」と宣告された(三つ目に「軍を辞める」という選択肢をよこさなかった軍医殿はさすがだと思う)。
    6486

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    みしま

    DONEリクエストまとめ③「コーポVがコーポのお偉いさんに性接待したあと最悪の気分で目覚めて嘔吐する話」
    ※直接的な表現はないのでR指定はしていませんが注意。
    ルーチンワーク ホロコールの着信に、おれは心身ともにぐちゃぐちゃの有様で目を覚ました。下敷きになっているシーツも可哀想に、せっかくの人工シルクが体液とルーブの染みで台無しだ。高級ホテルのスイートをこんなことに使うなんて、と思わないでもないが、仕事だから仕方がない。
     ホロコールの発信者は上司のジェンキンスだった。通話には応答せず、メッセージで折り返す旨を伝える。
     起き上がると同時にやってきた頭痛、そして視界に入った男の姿に、おれの気分はさらに急降下した。数刻前(だと思う)までおれを散々犯していたクソお偉いさんは、そのまま枕を押し付けて窒息させたいほど安らかな寝顔でまだ夢の中を漂っている。
     意図せず溜息が漏れた。普段に比べて疲労が強いのはアルコールの影響だけじゃないはずだ。酒に興奮剤か何か盛られたに違いない。こういう、いわゆる“枕仕事”をするときは、生化学制御系のウェアをフル稼働させて嫌でもそういう気分を装うのが常だ。ところが今回はその制御を完全に逸脱していた。ろくに覚えちゃいないが、あられもなく喚いておねだりしていたのは所々記憶にある。羞恥心なんかどうでもよくて、油断していた自分に腹が立つ。
    3562

    みしま

    DONEリクエストまとめ⑥
    TF2で「デイビスとドロズのおちゃらけ日常風景」
    おちゃらけ感薄めになってしまいました。ラストリゾートのロゴによせて。※いつもどおり独自設定&解釈過多。独立に至るまでの話。デイビスは元IMC、ドロズは元ミリシアの過去を捏造しています。
    「今日のメニュー変更だって」
    「えっ、"仲良し部屋"? 誰がやらかしたんだ」
    「にぎやかしコンビ。デイビスがドロズを殴ったって」
    「どっちの手で?」
    「そりゃ折れてない方の……」
    「違うよ、腕やったのはドロズ。デイビスは脚」
    「やだ、何してんのよ。でドロズは? やり返したの?」
    「おれはドロズが先に手を出したって聞いたぞ。あれ、逆だっけ?」
    「何にせよ、ボスはカンカンだろうな」
    「まあ、今回の件はなあ……」

     そんな話が、6−4の仲間内で交わされていた。
     6−4は傭兵部隊であり、フリーランスのパイロットから成る民間組織だ。組織として最低限の規則を別とすれば、軍規というものはない。従って営倉もない。しかし我の強い傭兵たちのことだ、手狭な艦内で、しかも腕っぷしも強い連中が集まっているとくれば小競り合いはしょっちゅうだった。そこで営倉代わりに使われているのが冷凍室だ。マイナス十八度の密室に、騒ぎを起こした者はそろって放り込まれる。感情的になっているとはいえ、中で暴れようものなら食材を無駄にしたペナルティを――文字通りの意味で――食らうのは自分たちになるとわかっている。そのため始めは悪態をつきながらうろうろと歩き回り、程なくして頭を冷やすどころか体の芯から凍え、やがていがみ合っていたはずの相手と寄り添ってどうにか暖を取ることになるのだ。こうしたことから、冷凍室は〈仲良し部屋〉とも呼ばれていた。
    6703

    みしま

    DONEリクエストまとめ⑦。Cp2077で死神節制ルート後。ケリーが「そうなると思ってた。Vはまったくしょうがねぇやつだよ」とジョニーを慰める話。
    ※エンディングに関するネタバレあり。なおスタッフロール中のホロコールを見る限りケリーは節制の結果を知らないようですがその辺は無視した内容となっています。
    アンコール インターカムも警備システムも素通りして“彼”が戸口に現れたとき、ケリーは思わずゾッとした。姿を見なくなってしばらく経つ。アラサカタワーの事件はテレビやスクリームシートで嫌というほど目にしてきた。だがその結末は? マスメディアの言うことなど当てにならない。噂では死んだともアングラでうまくやっているのだとも聞いた。けれど真相は誰も知らない。ならばとナイトシティ屈指の情報通、フィクサーでありジョニーの元カノ、ローグにもたずねてみた。返事は一言、「あいつは伝説になったんだ」。金なら出すと言ってはみたが、返されたのは立てた中指の絵文字だけだった。
     Vはいいやつだ。彼のおかげで――奇妙な形ではあったが――ジョニーと再会を果たすことができた。それに人として、ミュージシャンとして立ち直ることができた。もし彼がいなければもう一度、そして今度こそ自らの頭に銃弾をぶち込んでいただろう。大げさに言わずとも命を救われたのだ。だから生きていてほしいと願っていた。一方で、心のどこかでは諦めてもいたのだ。自分とて真面目に生きてきたとは言い難いが、重ねた年月は伊達ではない。起こらないことを奇跡と呼ぶのであって、人がどれほどあっけなく散ってしまうかも目の当たりにしてきた。Vの生き様はエッジー以外の何物でもない。もうそろそろ、読まれることのないメッセージを送るのも、留守番電話へ切り替わるとわかっていて呼び出し音を数えるのもやめにしようかと思っていた。だからその姿を目にしたとき、とうとう耄碌したかと落胆すらしかけた。
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