シンデレラ・シューズ ジャパンタウンの一角、切れかかったネオンサインがさえずるその下で、Vとリバーは列に並んで順番を待っていた。同じ列に並んでいる人々の身なりはよく、向かう先の出入り口を固めるガードマンのスーツも高級品と一目でわかる。
昨今はやりの小洒落たスーツをまとったリバーは、身の置き所がない様子で肩をもぞもぞと動かした。ここへ来る前、「必要経費だ」とVが買ってくれたものだ。警官時代の制服に比べればその堅苦しさは雲泥の差だが、あちらのほうがまだ落ち着ける。果たして、「よくお似合いでございます」と言う〈ジングウジ〉店主のセールストークをどこまで信じてよいものか。
なぜこんな格好をしているのかと言うと、Vに仕事を手伝ってほしいと頼まれたからだ。
「カップルじゃないと入れないんだ。他に信用できそうなやつもいなくて」と彼は眉をハの字にして言った。その仕事内容とは、闇オークション会場からとある品を盗み出せ、というものだ。会場のセキュリティは厳重で、少しでも防衛システムに引っかかろうものなら途端にタレットや戦闘要員が襲いかかってくるだろう。システムを解除するには中に入らねばならず、かつ入るには正面切っての方法しか無い。オークションの開催中は警備体制が分散するので、狙うならその時が最も有効だ、と。
リバーとて傭兵の生業について無知ではない。しかしこちらも元刑事だ。さすがに犯罪まがいのことに加担するのははばかられた。
「うーん、犯罪っちゃ犯罪なのか? でも今回は闇オクに乗り込むわけだし、標的はそもそも盗品なんだ。ひいひいひい……まあとにかく、依頼人がご先祖から受け継いだ大事なモンらしい。闇オクで競り落とせるほどの大金なんて用意できないから、こっちを頼ってきたってわけ」
「その話、本当なのか?」
するとVはニヤッと笑った。「おれが報酬を受け取るまではな」
受付に偽の招待状を示すVは、いつものパンツスタイルではなく体のラインに沿った濃紺のドレスと金のネックレスで着飾っている。羽飾りの揺れる襟ぐりは豊満な乳房を見せつけるように大きく開いており、緻密な柄のタトゥーが露わになっている。長い裾は右側だけにスリットが入ったアシンメトリーなデザインだ。スリットは腰のあたりから入っているため、申し訳程度についている留め具代わりの細いチェーンがなければ大事な部分も丸見えだったろう。
ともすれば扇状的な姿に、リバーは先日の夜を思い出した。
「初めてだから」とあの華奢な手で後ろをいじってもらった。きれいに整えられた長い爪に若干の恐れを抱いたものの、杞憂に終わった。むしろそんなことを気にしている余裕は無かった。与えられる慣れない感覚に混乱し、羞恥を覚え、そして間違いなく興奮していた。Vは笑ったり、ふっと黙り込んだり、あるいは流し目をくれつつ舌なめずりをしたり。そのとき彼は丈の長いシャツを着ていて、裾がゆるく勃ち上がった陰茎の先に引っかかって持ち上げられていた。リバーはよもや自分が男性器に興奮するとは思っていなかったが、その認識はVのおかげで塗り替えられた。最後はその立派なイチモツに貫かれるものと覚悟していた……が、Vは上目遣いににんまりと笑みを浮かべて言った。「また今度な」――
「リバー、大丈夫か?」
振り返ったVが怪訝そうにリバーを伺い見る。リバーはとっさに彼から視線をそらし、近くにあった掛け軸を見やった。
「ああ、その、こういうのは慣れなくてな。ちょっとぼうっとしてただけだ」
「わかるよ。丸腰ってのはなあ……股がスースーするみたいで落ち着かない」とVはうなずいた。リバーは食い違いに気づいたものの、あえて指摘する理由は無かった。
建物の無骨な外観とは打って変わって、内観は和風の建築様式に装飾ホログラムが華やかさを引き立てていた。参加者たちはウェルカムドリンクや軽食を手におしゃべりに興じ、オークションの開始を待っている。柱という柱に取り付けられた監視カメラや銃を手に立っているギャングさえいなければ、ただのイベント会場に思えただろう。
Vが監視カメラにpingを打ちつつ周囲を観察していると、頭の中に声が響いた。
《クソコップなんぞ呼びやがって。ジョニー・シルヴァーハンドがパートナーじゃ不満だってか》
バーカウンターの奥にジョニーが現れた。品定めするように壁にずらりと並んだ酒のボトルを見上げている。
《どうやって説明するんだ。『相方なら頭の中にいまして』って? 門前払い食らうぞ。第一、おまえはイイ酒が飲みたいだけだろうが》
《それよ》とジョニーは振り返って両手でVを指差した。《ここにある酒を見ろよ、おまえが常用してる液体燃料なんぞ足元にも及ばないぜ》
見える限りでもアブ・シンスやラ・ペルル・デス・アルプといった高級な銘柄のラベルが並んでいる。好物のセンツォン・トトチティンが目に入ったときはVも心惹かれたが、仕事の最中だ、と自らをいさめた。
《どうしてもって言うなら、運転を代わってやってもいい》Vは嫌味な調子で言い返した。《おれの体で酔っ払わず、仕事もこなしてちゃんとリバーをエスコートしてくれるならな。あいつには手伝ってもらってんだから》
するとジョニーは両手をファックサインに変えて、視界から消え失せた。
Vはデジタルゴーストの小言から目の前の仕事に注意を戻した。pingの反射からして、一つ上の階にセキュリティ制御室が設置されているようだ。まずはあそこを攻略しなければ。
そう考えていたところへ、リバーのクロームの手がVの肩に触れた。
「V、おれはどうしたらいい?」
「ああ、付き合わせちまって悪いな。飲むなり食うなり、気になるならオークションに参加してたっていいぜ」
「そうじゃなくて」と言いさして、リバーは声を潜めた。「まさか、競り落とすわけじゃないんだろ? ハッキングは難しいが、警備の気をそらすぐらいならお安い御用だ」
「いや、あとはおれ一人でやる」
「足手まといか?」
妙に真剣な表情のリバーに、Vは思わず頬を緩ませた。彼の正義感と優しさはナイトシティでは稀有なものの一つだ。
「セキュリティには対処できそうだし、見つからずにこっそりやったほうがうまくいく。武器も無いから、騒ぎになってもあんたを守れるかわからない」
「守ってもらおうだなんて……」
「いざってとき、あんたなら自分の身は守れるだろ。だから頼んだんだ。何かあったらすぐここを離れてくれ」
リバーはなおも食い下がろうと口を開きかけたが、ちょうどその時、スピーカーからオークション開始のアナウンスが流れた。その隙きにVはリバーの肩を一つたたき、高いピンヒールを翻して化粧室の方へ颯爽と歩き去った。
会場の最後列でリバーがヤキモキする中、オークションは滞りなく進行していった。客たちは目を光らせながら――実際、アイ・インプラントを光らせながら――手持ちの札を掲げている。リバーが人生で一度も手にしたことのないような金額がポンポンと飛び交う中、彼の心は半刻ほど前に姿を消したままのVにあった。今の所これといった異常は見受けられないが、少し時間がかかりすぎているようにも思う。
司会が木槌を打ち、競りがひとつ完了したことを告げる。
「おめでとうございます、三十番の方が七十万ユーロドルで落札です! それでは次に参りましょう――」
司会が舞台袖を見、眉をひそめる。男が彼の元へ駆け寄ってきて、何事か耳打ちをした。司会が驚きの表情を浮かべる中、その意味を示すようにくぐもった銃声が鳴り響いた。上の階からだ。
客たちは一斉に出入り口へとなだれ込み、銃を携えたギャングたちは逆の方向へと駆け出す。リバーは押し寄せる客たちをかき分け、ギャングたちを追った。
上の階ではフロアの照明が落とされている。窓から入るわずかな光源と、銃声を伴って明滅するマズルフラッシュでどうにか室内の様子が見て取れた。
天井から下がったタレットが薬莢をばらまきながら連射している。その銃口は本来向けられるはずの侵入者にではなく、ギャングたちへと向けられていた。Vがハッキングで制御を掌握した後なのだろう。立ち並ぶ棚には競売にかけられるはずであった絵画やら木箱やらが並び、床にはすでに死体となったギャングたちがいくつか転がっている。誰かが「撃つな、品物に当たっちまう!」と注意しているが、聞く耳を持つものはいないようだ。それにしてもVの姿が見えない。ギャングたちが攻撃を続けているから生きてはいるのだろうが……
リバーは意を決し、近くにいた男の背後へ忍び寄ると羽交い締めにして昏倒させた。銃を奪い、こちらに気づいていないギャングたちへ発砲する。それに気づいた幾人かが反撃してきたので、リバーは慌てて物陰に引っ込んだ。
そこへ「ギャッ」と上がった鋭い悲鳴に、断続的な銃声と風を切る音が続く。リバーが慎重に顔を出すと、暗闇を裂いて光る曲線が女の首をはねるのが見えた。曲線の袂を握るのは、Vだ。
静まり返った室内で、モノワイヤーがのたくりながらVの手首へと引きずり込まれる。その一瞬、蛍光色の光に照らされたVの顔が浮かび上がった。血化粧をまとった横顔が。
照明がつき、Vはリバーの姿を認めるとぱっと笑顔を見せた。
「リバー、助かったよ。思ったより人数が多くてな。怪我はないか?」
リバーはおずおずとうなずいた。Vは「ちょっと失敗しちまった。でもほら、結果オーライ」と小さな箱を掲げた。目的の品らしい。その腕は皮膚が裂け、体液が肘へと伝っていた。リバーはとっさにその腕を取った。
「怪我してるじゃないか!」
「ああ、これは平気。人工外皮だから。馴染のリパーに頼んでワイヤーがバレないように隠してもらったんだ。それよりさ、おれの靴、見てないか? あれ結構気に入ってるんだけど。安くはなかったしな」
そう問うVは、裸足の右足をつま先立ちにしていた。リバーは周囲を見渡し、そしてVが探しているパンプスを見つけた。死体の眼窩に細いヒールが刺さっている。どうにか引っこ抜くと、ヒールに串刺しになった眼球オプティクスと接続端子類がずるりとついてきた。思わずうめくリバーに、Vがケタケタと笑い声を立てた。
眼球の元持ち主の服でパンプスを拭う。側面のグリッターが一部剥げてしまっていたが、履くには問題なさそうだ。こんなヒールでよく戦ったものだと感心したが、こうして武器にもなるのだから侮れない。そう思いつつリバーはVの元へと戻り、ひざまずいて彼の足を取った。引き締まったふくらはぎに、スリットからのぞく肉付きの良い太腿、くびれたウエストに、そしてこちらを睥睨するような魅惑的な目。それを一通り眺めてから、恭しい仕草で膝の上のパンプスへ裸足を導く。
「ご丁寧にどうも、王子様」とVはクスクスと笑った。
「言い忘れてた」
「うん?」
「すごくきれいだ」
Vは大きく目を瞠り、珍しく照れた様子で肩を内側に寄せた。
「えっと、ありがとう。あんたもな。最高にキマッてる」そして長い爪の先でついとリバーの顎を辿り、上向かせてキスを落とす。「キマッてるけど、脱がせるのが楽しみだ」
「え?」
「言ったろ、『今度な』って。このあと暇だろ?」
ピンヒールに体重がかけられて、わずかに膝へ食い込む。リバーは自分がマゾヒストだと思ったことは無かったが、それでもただうなずくことしかできないのは、猫に睨まれた鼠のようになったからでも、魔法にかけられたからでもないことははっきりしていた。ただ一人、このヒトと出会ったからだ。