ぬいも食わない「再来週から、久しぶりに長期の海外出張が入った。」
三ツ谷がアトリエから帰宅した時、出迎えた大寿が何か言いたげだったので何かあるなとは思っていた。
(浮気の報告だったりして。)
あり得ないとわかっているからこそ、三ツ谷はそんな馬鹿な想像をして笑ってしまう。支度がひと段落ついて2人でリビングのソファに沈むと、大寿は重い口を開いて冒頭の台詞を発したのだった。
「お、本当に久しぶりだね。どこ行くの?」
「イタリア。新店舗用の家具やカトラリーなんかを買い付けに行ってくる。あとは貴重なイタリアワインを輸入するための人脈作りとかか。」
「こないだ話してくれたやつか。イタリア良いなァ。グッ○とか○ラダの本店とかいつか行ってみてェ。」
お土産楽しみにしてる、と笑う三ツ谷の頭の後ろに大寿の大きな手が回り、その首筋や耳を優しく触っていく。大寿が三ツ谷に言いづらいことや謝りたいことがあった時にする癖だった。先日この癖が出たのは、夜中に腹が減った大寿が三ツ谷の作ったおにぎりが食べたい、と恥ずかしそうに強請った時だ。
(あれは可愛かった。)
今回はなんだろう、と三ツ谷は大寿が話すのを待つ。耳朶を触っていた手がそっと三ツ谷から離れていった。三ツ谷の大好きな、大寿のバリトンボイスが耳に響く。
「戻って来れるのが、上手くいって4ヶ月後だ。」
「よ...。」
4ヶ月。一年のうち三分の一をイタリアで過ごすというのか。
「いつから...。」
「来月の頭には日本を経つ。」
そこで三ツ谷はあっと声を上げた。
「てことはオレの誕生日、もしかしたら大寿くんは日本にいないかもってこと?」
「......すまん。」
言いづらそうにしていたのはこれか、とようやく三ツ谷は思い至った。
大寿は意外と記念日や行事を大事にするタイプだ。特に誕生日は、この世に祝福されて生を受けた日だから、と大寿にとってひときわ強い思い入れがあった。反して、三ツ谷はそこまでこだわらないタイプだ。
「誕生日は、帰ってきてから遅れて祝ってくれれば良いじゃん。」
誕生日を一緒に祝えないことに落ち込んでくれることは、それはそれで嬉しい。でも三ツ谷がショックを受けたのは
「4ヶ月は長ェよ〜...。」
「すまん。」
「ごめん謝らせたいわけじゃなくて。仕事頑張ってる君が好きだし。」
大寿の仕事の妨げになることは絶対にしたくない。けれどいま聞いただけで、がらんとしたリビングや片方に隙間が出来たベッドとソファ、1人で浸かる広いバスタブ、ひと席空いたテーブルなどを鮮明に想像してしまい、三ツ谷はそれだけで胸が苦しくなる。大寿と一緒に住んでから、自分がこんなに寂しがり屋だとは思わなかった。
大寿が三ツ谷の肩を引き寄せる。それに甘えて、三ツ谷は大寿へ頭を預けた。
「オレ、自分がこんなに寂しがりだとは思わなかったんだけどなァ。」
先ほど湧いた胸の内を吐露すると、大寿が少し笑って三ツ谷の頭を撫でた。大寿の大きな手が気持ち良くて、目を瞑ってその感覚に浸る。
(これも4ヶ月お預けかー...。)
「なるべく早く帰ってくる。」
「おう、オレのこと置いてくんだから完璧な仕事をしてこいや。」
「誰に言ってんだテメェ。」
軽口を叩き合っても寂しさは拭えなくて。この日、2人はずっと寄り添いながら夜を過ごした。
――
大寿がイタリアへ出発するまであと2週間。今日も三ツ谷はアトリエに篭って作業をしていた。けれど、大寿の出発日がじわじわ近づいてるのが悲しくて、中々仕事に身が入らない。
(やべェ、どんどん寂しくなってくる。)
こういう時に無理やり仕事をしても良いものは出来ない。少しだけこの寂しさに浸ろうと、三ツ谷は自身のスマホを取り出して、カメラロールを遡りはじめた。
(このマリトッツォ食べてる大寿くん、齧った瞬間にクリーム飛び出してきて死ぬほど笑ったな。これは酔っ払ってオレの足の間で馬鹿笑いしてる大寿くん。この時は足広げすぎて筋肉痛になったけど、ちょこんって収まって座ってるの可愛すぎた。)
逆効果だったかもしれない、と若干後悔していると一枚の写真で手が止まった。それは、いつか三ツ谷がルナマナのために作ったぬいぐるみだった。先日、マナが
「解れちゃったから直して〜!」
と泣きついてきたので、一旦預かってから綺麗に直し、直ったぞとマナにメッセージで送った画像だ。
(ぬいぐるみ...。)
寂しさが天元突破した三ツ谷は、あることを思い付いた。幸い大きな仕事を終えたばかりで時間的にも余裕がある。
(ええい、ままよ!)
良い歳してどうなんだとか、引かれたらどうしようとかそんな細かいことは一旦置いておこう。
俄然やる気を取り戻した三ツ谷は、ペンを取ると猛然とデザインを起こしはじめた。
*********
『寂しくなったら!この箱開けてね。』
そう言って恋人が渡してきた箱を、こちらに来て1週間で開けた。そこに入っていたのは、恋人を模した小さなぬいぐるみだった。小ミツヤを見た瞬間、思わず発した大寿の声は1人きりのコンドミニアムに響いた。
「こんなもの作ってる暇があんなら、アトリエで寝ないで家帰って来い!!」
そしたら出発前にもっと一緒にいれただろうが!!
そう叫んでしまうほどに、大寿はすでに深刻な三ツ谷不足であった。これを作った超本人はきっと今もアトリエに篭って仕事をしている。
手の中の小ミツヤは、そんな大寿を笑っているかのような、口元に弧を描いたステッチがされていた。おそらく三ツ谷の手縫いだろう。
大寿は暫く従順したあと、自身のコートのポケットに小ミツヤをそっと忍ばせた。
――
『箱開けたぞ。なに作ってんだテメェは。』
『はや!まだいっしゅうかんじゃん。』
『うるせェ。』
『こみつやかわいいでしょ。』
『自分で言うな。そっち夜だろ、ちゃんと家で休んでんのか。』
『こたいじゅといちゃいちゃしてる。』
『俺のも作ったのかよ。浮気すんな。』
『なにそれかわいい!!』
『画像』
『え、グッ○のほんてんじゃん!!!』
『行ってみたいって言ってただろ。』
『こみつやじゃなくておれつれてけよ!!!』
『周りの美味い店たくさん調べた。今度はお前を連れて来る。』
『いきなりでれんなあいたくなんだろばか。』
寂しいばかりだと思っていた時間は小タイジュと小ミツヤのおかげで、寂しいけれど楽しい時間に変わっていた。
――
メッセージのやり取りは毎日していたが、時差もあるしお互い仕事の邪魔はしたくなかったので、テレビ通話は毎週末に一回と決めていた。三ツ谷からは技術的にかけられないので、先にメッセージで予告して大寿がかける。
今日も
『今からかけるぞ。』
と三ツ谷へメッセージを送る。既読がついたので電話をかけると、程なくして画面に笑顔の三ツ谷が現れた。
『やっほー。一週間お疲れ。』
「おう、そっちもな。」
『なんだかんだでもう2ヶ月だねェ。大寿くん、そっちで美味いもの食いすぎて太ったんじゃね?』
「美味いものが多いのは否定しねェが、俺はテメェの飯が食いたい。」
『そーーやってまた可愛いこと言う。それで2ヶ月後に帰ってきた時に太ってたら怒るかんね。』
三ツ谷が楽しそうに笑う。
「あー、そのことなんだが。」
『は、まさか延びたん?』
スピーカーから地を這うような声が聞こえた。あぁ、寂しいのはお互い様なんだと嬉しくなって胸がジワジワと温かくなる。
「舐めんなよ。もうすぐ方がつくから、2週間後にそっちに戻る。」
『...マジ?』
一転、ぱっと輝いた可愛い顔で
『ドッキリとか言ったらぶん殴るよ。』
と可愛くないことを言う三ツ谷に
「ドッキリじゃねェよ。」
と笑って返す。
「あと2週間、良い子で待ってろ。」
『別に、小タイジュくんがいるから寂しくないもんねー。』
そう言って三ツ谷が大寿のぬいぐるみに可愛らしいリップ音を立ててキスをする。その間も、視線は決して大寿から外れることはない。
『妬いた?』
腹立つほどにニヤついている顔が、画面いっぱいに映っている。
(俺を妬かせようとは上等じゃねェか。)
こちらも三ツ谷の一興に乗ってやろうと決め、大寿は小ミツヤを手に取ると三ツ谷と同じようにその小さな顔に口付けた。
『おー、そちらもお熱いこって。』
「だろう。」
しかし大寿の愛撫はそれだけでは終わらない。視線は画面の三ツ谷を見つめたまま、小ミツヤの耳に噛み付く。
『ゔぁっ!!!』
余裕気だった顔が一転して、三ツ谷が聞いたことのない声を上げた。その様子に満足しながら、ダメ押しとばかりに小ミツヤの耳元に口づけ、何かを囁く素振りをする。それは房事のある動作を想起させた。セックスをする時、大寿は三ツ谷の服を脱がせながら、決まって耳を甘噛みしてその名前を呼ぶのだ。
「妬いたか。」
『〜〜ッてんめェ堂々と浮気かよ!!』
「テメェが先に仕掛けてきたんだろ。」
『オレそこまでやってねェし!』
真っ赤な顔を隠すためか、三ツ谷が小タイジュをレンズの目の前に置いて自身を見えなくさせた。いつもならからかいの一つでも入れるところだったが、顔が見えないのは今の大寿にとっても有難い。
(今あいつの顔見たら、まだ全部終わってないのに帰っちまうかもしれねェ。)
結局ぬいぐるみを使ったなんちゃって浮気は、発散どころか2人の中に熱を燻らせただけだった。電話の向こうではぁ、と溜息を吐く音が聞こえる。
『うう〜、やんなきゃ良かった...。この大寿くんとは流石にエッチできねェ...。』
「お前、例えぬいぐるみの俺だろうと不貞は許さねぇからな。」
間髪入れずに大寿が吼えると、三ツ谷の笑い声とともに、画面の向こうの小タイジュが持ち上げられて本人が現れる。まだ若干の赤さが残っている顔は、事後の放心した三ツ谷を思い起こさせて大寿の喉がぐうと鳴った。いっそ通話を切るまでぬいぐるみの自分と対峙していた方がマシだと思った。生殺しが過ぎる。
『帰国日、寄り道してきたらぶっ殺すからな。』
「安心しろ。荷物受取も秘書に任せて直行する。飯も済ませてくからテメェも全部終わらせて待ってろ。」
『待たせ過ぎたら小タイジュとマジで浮気するからな。』
「そんな俺じゃもう満足できねェくせによく言う。」
『お互い様だろうが!...仕事頑張ってね。』
「おう、テメェもな。」
スマホの画面が暗くなる。こんな時でも、早く帰ってこいではなく、仕事をがんばれと言ってくれる三ツ谷が好きだと思った。
(早く帰る。)
大寿は仕事のスケジュールの立て直しを猛然と考え始めた。
ーー
「...おかえり。」
「ただいま。」
パタンと玄関のドアが閉まった音を合図に、大寿が三ツ谷の腰を引き寄せたのと、三ツ谷が大寿の首に手を回したのは同時だった。そのまま獣のように激しい口付けを交わす。
「ん、ふ...たいじゅくん、シャワーは...。」
「っは...飛行機の中で済ませた。」
「はは、さっすがファーストクラス...ん!」
「テメェは。」
「ご要望通り、飯食って風呂入って準備万端だよ。ついでに下着も超エロいやつにした。」
「やっぱり本物の三ツ谷は最高だな。」
「ふふん、だろ。」
三ツ谷が大寿の下唇を柔く食んだ。ついで、大寿の首に回した手を使って更に自身の身体を強く寄せると、今度は大寿の耳朶に噛み付く。
「な、早くベッド行こ。」
――
コートもジャケットも乱暴に脱ぎ捨て、床の上に放ってしまったが、三ツ谷は怒らなかった。お互い本当に余裕がないらしい。ベッドに押し倒し、2ヶ月ぶりの三ツ谷を五感を使って堪能する。匂い、感触、声。三ツ谷の全部が大寿を興奮させた。
「大寿くん、会いたかった...!」
「あぁ、俺もだ。」
絶え間なく口付けをしながら、互いを脱がせ合う。さぁエロい下着を見せてもらおうかとパンツに手をかけた時、三ツ谷が急に焦った声を上げた。
「あっ、ちょ、ちょっと待って...!」
「テメェこの状況で待てるわけねェだろ。」
「おねが、一瞬!一瞬だけ!」
急にじたばたと抵抗する三ツ谷に、大寿は青筋を立てながらも一旦服を脱がせる手を止める。
「ちっ、おいなんだ。」
「タイジュくんが見てる、、、!」
「いや当たり前だろうが。」
「ちが、こっちじゃなくて!あっちのたいじゅくん!」
三ツ谷が指差したのは、ベッドサイドに置いてある小タイジュだった。瞬間、大寿の胸に湧いたのは間違いなく自分のぬいぐるみへの嫉妬だった。
「あれはぬいぐるみだろ!」
「でも大寿くんが出張してる間は小タイジュくんが俺にとっての大寿くんだったんだよ!」
三ツ谷の叫びに大寿の動きはぴたりと止まったが、喉から獣のような呻きを上げる。この2ヶ月間、大寿自身も小ミツヤに助けられた手前、三ツ谷の願いを無下には出来なかった。
(この2ヶ月間三ツ谷を独り占めしやがって...!)
決してぬいぐるみに抱くものではない感情を抱きながら、大寿は三ツ谷の上から退いてベットルームを出た。玄関に置きっぱなしだった鞄から小ミツヤを取り出すとそのままベッドルームへ戻る。
「たいじゅくん...?」
「待ってろ。」
不安そうな三ツ谷にそう返して小タイジュをもう一方の手で持つと、二体をそっとクローゼットの中に横たえる。ご丁寧に、上からグッ○のスカーフで覆って。
「お前の三ツ谷はそれだ。そっちはそっちで乳繰り合ってろ。」
これで満足かよ、と大寿が再度三ツ谷を押し倒そうとすると
「あっはっはっは、結局妬いてんじゃん!大寿くん本当に可愛いー!」
目の前の三ツ谷が吹き出した。
「ッテメェが待てって言ったんだろうが!!」
「いひゃいいひゃいごめん!」
あまりの言種に大寿は三ツ谷の両頬を引っ張るが、ツボに入った三ツ谷の笑いはなかなか治らない。
先ほどまでの濡れた雰囲気は吹き飛んでしまい、良い歳してがっついてしまった自分が段々恥ずかしくなってくる。
(仕切り直すか。)
酒でも飲もうと思ってキッチンへ向かおうとした時、三ツ谷が大寿の腕を引っ張って仰向けに転がった自分の上に覆い被させた。そして服の上からそっと、けれど確実に熱を高める触り方で大寿の自身をゆるりと撫でる。撫でられたところが簡単に熱くなるのを感じて、大寿は悔しくて舌打ちをした。こちらを見上げて微笑む三ツ谷の瞳は濡れて黒目が揺れていて、欲望の火が燃えているようだと思った。それは、ぬいぐるみのつぶらな瞳とは似ても似つかない。
「笑ってごめんね、アイツらに負けないよういっぱいいちゃつこうぜ。」
「...上等だテメェ。オリジナルの力を見せつけてやるよ。」
オリジナルって!と笑う三ツ谷に、また雰囲気を壊されてたまるかと、大寿は耳たぶを齧って耳元で愛しい恋人の名を呼んだ。