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    dakkokumai

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    dakkokumai

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    ❤️が🧡に振られて大真面目に告白するに至る話をまとめたものです。
    ⚠セフレ、謎時空、捏造たくさん
    ❤️🧡、💜+🧡、💙+🧡
    #FoxAkuma

    ヴォックスがミスタに振られて大真面目に告白するに至る話 今日はどうにもダメな日だった。
     気分が上がらない程度であればいい方だ。今日はどうにも少しの事でも気になって気に触って心が傷つく日だった。
     だから、いつもであれば気にしないように流してしまう事にも突っかかってしまったのだ。
    「アイクは本当に可愛いな」
     帰宅したミスタを出迎えた言葉はこれだった。リビングへ入れば、ソファに長い足を組んで座っている。アイクが配信しているらしく、それをヴォックスは見ているようだ。
    「またアイクの放送見てんの?」
    「ああ、帰ってきたのか。おかえりmy wife」
     妻。本当に言葉の理解しているのだろうか、この男は。軽口で、意味も心も入っていないことは分かっているのに、今日のミスタには重くのしかかってくる。普段であればただいまdaddyだとか、WiFi? などと茶化して返すのに。
    「wifeだなんて、思ってないだろ」
     求められるままに体を許したのがいけなかった。いつからか自分だけだと勘違いした。目の前の男は平等にただメンバーを好きなだけなのだ。
     自分に秀でた才が無いことは知っている。中身で頑張ろうと、だからヴォックスもミスタの人となりを気に入ってくれたのだと、思ったのに。自分よりも沢山の才能を持つアイクに告白をするなんて。冗談なのか本気なのか分からない男だが、ミスタの時よりも明らかに違う熱量に、ショックを受けるよりも先に納得してしまった。やはり、自分は選ばれる側では無いのだと。いつだって、身代わりにされて飽きて捨てられるのだ。身代わりにもなってないとも言われたが。
    「どうした、機嫌が悪いな」
     ヴォックスはソファから立ち上がると、こちらに歩いてきた。腰に手を回されそうになったのでその手を払い落とす。破裂音に近い、乾いた音が鳴った。
    「触んな」
    「おお、なんだ可愛くない」
    「アイクと違って?」
     嘲笑すれば、片眉を器用に上げられる。顔が良いので様になることだ。
    「そうだな、アイクはお前と違って可愛いよ。下品な言葉は使わないしとても性格が穏やかだ。なにより声が良くて歌が上手い。つれないところも魅力的だ」
     じくりじくりと胸が痛む。知ってる。そんなの知ってる。自分が魅力のない人間だって!
    「お前も見習ったらどうだ、俺の妻として」
     頭の中の何かがちぎれた気がした。
    「っお前は!」
     口から勢いよく言葉が飛び出す。自分でも驚くくらい大きな声が出た。唇を噛み締めて出そうになった罵詈雑言を飲み込む。
    「……あんたは、セフレが欲しいだけだろ」
     都合がいい、身代わりの、と前に付けなかったのはせめてもの抵抗だった。きっと相手には伝わってはいないだろう、とても些細な。
     ぼろり、目の端から水の塊が落ちたのを感じる。不思議と頭は冷静で、だから痛い目を見たんだと誰かが囁いた。戯言を一度でも本気にするからバカを見たんだと哀れんだ声が囁いてくる。
     静かになったミスタに、ヴォックスは呆気に取られているようだった。沈黙が続き、何か動きを見せようとした相手にハッとなる。これは駄目だ。これでは、いつものミスタではない。
    「なーんて、驚いた? 冗談冗談!」
     指先で弾くようにして目尻に残る涙を拭って、笑って顔を上げる。
    「オレ今日は外に泊まるから」
     Bye! 手を振り扉へと向かう。背中からいつも通りの落ち着いた声がかかった。
    「今日は犬小屋で寝るのか」
    「違うdaddyのところだよ」
     バタンと閉まった扉の音は重苦しい。
     心配されるだなんてハナから期待してないが、追いかける気配の無さに虚しさが募った。
     
     
     
     
     
    「それで、僕の所へ?」
     ヴォックスと喧嘩したと言えば、優しい兄弟は困ったように眉を下げて笑って出迎えてくれた。
     ミスタの顔を見て察したらしいシュウは、そっと左側の目尻を撫でてきた。指のぬくもりに、貼り付けていた笑顔が限界だと崩れていく。
    「シュウ」
    「うん」
    「シュウ」
    「うん」
    「シュウ……しゅうぅぅうあああああぁぁぁー……」
    「わわ、ミスタこっちおいで」
     子供の様に泣き出すミスタを、シュウは家の中に招き入れソファへ座らせる。自分の隣に同じく腰掛けたシュウにミスタは縋るように抱きついた。
    「しゅう、しゅうあぁああ」
    「よしよし、また喧嘩したの?」
     シュウの胸に頭を引き寄せられ、髪の流れにそって撫でられる。シュウの匂いはいつだってミスタを安心させた。
    「おれ、かわいくないって、アイクを、みならえってぇええ」
    「軽口の叩き合いしてるからそうなるんだよ」
    「わかってるけどぉおお~……」
     最もな指摘だが、今は求めてはいない。しかし言葉は鋭いが、温かい手はずっと優しいままだ。
    「おれには、なんにもない、なんにも」
    「そんな事ないでしょ。今日はもう寝なよ。後でベッドに運んであげるから」
     泣きすぎたこともあり、頭がぼんやりとする。子守唄のようなシュウの落ち着いた声に瞼が下がっていく。
    「だれにも、えらばれないんだ、どうせ」
    「僕がいるでしょ」
     鼻をグズらせながら呟くとすかさず返される。
    「そうだな、しゅうがいてくれるもんな……」
     シュウが傍に居てくれるなら、それでいいな。頬が緩むのを感じながら、ミスタの意識は眠りに落ちていった。
     
     
     
     
     
     ソファにあった毛布をミスタにかけてやっていると、スマホが鳴る。画面に表示されている名前を認識すると、シュウは苦笑した。
    「Hello?」
    「シュウ、そっちにミスタはいるか」
     開口一番がそれですかと笑いがもれる。微かな笑いを聞き取ったらしいヴォックスは珍しく声を荒らげた。
    「笑い事じゃないぞ!アイクとルカにも電話したがいないと言われたんだ、シュウの所にいなかったら俺はどうしたらいい!」
    「ごめんごめん。いるよ、ミスタ」
     猫のように丸くなり、シュウの足を枕にしているミスタが唸る。うるさいと訴えているようだ。
    「いるのか……そうか」
    「安心しましたか? ミスタのdaddy」
    「シュウにdaddyと呼ばれるのはなかなかクるものがあるな」
    「はいはい、いい加減誰彼構わず口説くのやめなよ」
     ミスタがいると安心したらこれである。もちろん兄弟の軽口にホイホイ乗るところも良くないが、この人の癖も良くはない。
    「見境無くはしてないぞ。魅力的な人にしかしていない」
     冗談なのか本気なのか。半々なのか。
     喧嘩両成敗といったところだが、これ以上大切な兄弟が泣かされるのを黙って見てはいられない。
    「自分の言葉には責任を持たないといけないと、僕は思うよ」
     ミスタを次泣かせたら、イチモツちょん切るぞ。そんな思いを込めて、シュウは電話を切った。
     
     
     
     
     
     
     
     〇〇〇
     
    「marry me」(結婚してくれ)
     何気なくそう言った。
     軽い気持ちだったのかと言われれば答えは否であるが、大真面目だったかと聞かれればそれも否だ。
     情事後の気だるい空気の中、相手であるミスタはヴォックスの横で寝転びスマホを弄っている。ヴォックスは上半身を起こし枕に体を預け一服していた。
     なんだかいいなと思ったのだ。ミスタが当たり前のように横にいるこの状況が。
     シャワーを浴びた後のミスタの髪はしっとりと濡れていて艶やかだ。柔らかい石鹸の匂いをさせて、先程までヴォックスの方を見て色々と喋りかけていた。笑顔が可愛いと思った。急に垣間見える大人びた表情が綺麗だと見惚れた。そして、好きだと。
     アイクには何度も振られていたが、ミスタには振られない自信があった。なぜならこの男は自分に惚れているからである。茶番のやり取りとはいえ、普段から端々に見え隠れする好意にヴォックスは勿論気づいていた。
     その為ミスタがどう受け取るのかというのは、おおよそ予測ができていた。茶番だと流されるか、冗談だと思われ軽い調子で承諾されるか、本気で受け取り承諾する。この三択の内どれかであろうと。断られるのだけはないと思っていた。
    「……は?」
     暫くの沈黙の後、訝しげな声が落ちる。理解が追いついていない顔に、もう一度先程の台詞を口にする。
    「結婚し」
    「黙れ」
     食い気味に被せられた地を這うような声に、ミスタを見る。ツリ気味の目を開き、毛が逆立つ猫のように威嚇される。
    「ミスタ?」
     徐にミスタは体を起こすと、ベッドから降りヴォックスを睨みつけてきた。
    「随分と趣味の悪い冗談だな」
     服を拾い上げ淡々と身支度を済ませたミスタは、靴を履き終えると顔だけを左肩越しに振り返った。
    「二度と、オレにその台詞を吐くな」
     冷たい声音と共に、寝室のドアが閉じる。ヴォックスは煙草の灰がシーツに落ちるまで動くことが出来なかった。
     
     
     
     
     
     俺は振られたということなのだろうか。
     ミスタに求婚をして早二日。お互い忙しかったこともあり、この間のやり取りから会えていなかった。リビングで仕事の支度をしていれば、扉が開く。
    「あ、daddyー、ただいまぁ」
    「おかえり、my son」
     いつも通り。至って普通のミスタである。まるで何も無かったような。そう、なにも無かったことになっているような態度だ。
     ミスタは欠伸しながらヴォックスの方へと近づくと、ソファへとぼすんと腰掛ける。
    「配信の準備?」
    「ああ」
    「オレも準備しなくちゃ。あ、ねぇねぇ。その水ちょうだい」
     ヴォックスの肩に頭を置き、テーブルの上にあったペットボトルを指さす。少し飲んでしまっているが、まあいいだろうと手渡してやる。ミスタは不服そうな顔をして、受け取らず手のひらで押し返してきた。
    「なんだ、要らないのか?」
    「飲ませて欲しい……」
     ヴォックスの左腕に両腕で絡みつき、上目遣いでこちらを見上げて強請られる。自らの唇をゆっくりと舌で舐めるオプション付きで。
    「随分積極的だな」
    「なんの事?」
     とぼけて答えを返され、してくれないのかと急かされる。仕方ない風を装い水を口に含み、ミスタの左顎に手をかけ上を向かせた。目を開けたままヴォックスを受け入れた彼は、瞳をゆっくり細める。不思議な色合いが甘く溶けた。
     これは、仲直りという事で良いのだろうか。
     喧嘩をしていたわけでは無いと思っているが、一方的に怒りだした彼なりの謝罪と受け取ってよさそうである。
     二人は今までごめんと口に出して謝った事がなかった。どちらかが贈り物をしたり、機嫌を伺って自然と仲直りとしていた。
     暫くお互いの口内を堪能して離れる。
    「美味しかったぁ。ありがと、daddy」
     このまま押し倒したい所だったが、お互い配信があるので断念せざるを得なかったのが残念である。
     本日はコラボ配信で、メンバー全員での雑談配信だ。別々の部屋に籠り、配信が始まる。
     いつも通り下ネタが飛び交い、褒め合い、真面目な話をして、軽いやり取りする。チャットでまたアイクへの求婚について弄られ、再びしてみるがにべもなく断られた。いい加減にしろと叱られる始末である。少し悲しくなった。
     スパチャが投げられ、目に止まったのを読み上げる。
    「ミスタとは結婚している様だけど、きちんと求婚したの? 事実婚じゃないよね?」
    「POG! 二人はほんとに結婚してたのか? POGだな」
    「ルカ、真に受けないで」
     感動したように声を上げるルカをアイクが諭す。シュウはコロコロと笑っていた。
    「求婚はしていないな。いつの間にかこいつは私の犬で息子で妻だった」
    「はは、そうそ。皆が公認してるならそれでいいじゃん」
     ミスタはカラリと返す。チャットの勢いが増し、またスパチャが投げられる。
    「じゃあここで改めてプロポーズして。だ、そうだミスタ」
    「ええーオレ、ロマンチストだからここでは嫌だな」
     ミスタは嫌そうだが、あちらのチャットでも煽られているらしく「嫌だってば。指輪? いいよ要らないよ」と返している。凡そ指輪は貰ったのか、という類の事を聞かれたのだろう。
    「ヴォックスも嫌だって。ほらこの話終わり」
    「ミスタ」
    「なに」
    「marry me」
     は、と息を飲む音が聞こえた。他の三人はことの成り行きを見守っているようで、静かだ。何十秒かが過ぎ、声を掛けようかと息を吸ったところで、か細い音が入ってきた。
    「……本当に?」
    「ああ」
    「YEAH――――ー YES daddy」
     キス音を出されたので、ヴォックスも応戦する。暫し続けると、呆れたアイクがストップストップ と割って入った。
    「はぁ。おめでとうでいいのかな、これ」
    「こんなんで満足か、チャット。これで結婚な。はいはい」
     気を取り直したようにミスタはドライにチャットへ返事をしている。ヴォックスのチャット欄にも祝福するメッセージが続々と流れてゆく。
     我が君おめでとうと湧く中でどこか引っかかる違和感に、茶番としてウケたことにも、一度断られたプロポーズが受け入れられた事にも素直に喜ぶことができなかった。
     
     
     配信が終わり、いつもであれば直ぐに部屋から出てくるミスタだが、一向に出てくる気配がない。ノックをするものの返事が返ってこないので、入るぞと声をかけて扉を開けた。机の前に立ち尽くす背中に、具合でも悪いのかと心配になる。
    「ミスタ、どうしたんだ」
    「――ーって、言っただろ」
    「は」
    「その台詞をオレに二度と吐くなって言っただろ」
     勢い良く振り向き、怒鳴られる。ミスタの瞳孔は開き、怒りに肩を震わせていた。その台詞とは、二日前に口にした結婚してくれのことだろう。
    「いつもの茶番だろう。なにがそんなに気に入らないんだ」
    「茶番だろうが、二度と言うな」
     あまりの剣幕と拒絶様に、ヴォックスも腹が立ってきてしまう。
    「お前は、俺のことが好きだろう」
     こんな事を言うつもりはなかったのだ。しかし、頭に血が上ってきたために正常な判断を下すことができなかった。
     絶望したように顔を青くさせ、ミスタは俯く。
    「馬鹿にしてんのか」
    「俺はお前の事が好きだ」
    「バカにしてんのか」
    「お前は俺が好きで、俺はお前が好きだ。何故拒む」
     勢いよく顔が上がる。ミスタの頬を大粒の涙が伝っていた。
    「あんたは、茶番だって言ったよな、さっき」
    「それは」
    「茶番の延長線でプロポーズ。しかも数分前に違う人間を口説いて求婚していた口で言われて、オレはどうおもうと思う?」
     苦しそうに自分の胸元を握り、泣き笑う。
    「信じられると思うか? そんな扱いをずっとされていて」
     ミスタはしゃくりあげ、首を左右に振る。
    「あんたは凄く優しいけど、凄く、残酷だ」
     流石、鬼だな。
     呟き、椅子に置いていたリュックを掴むと、去り際に「暫くシュウの所に居る」と告げ、ミスタは足早に去っていった。
     呆然と立ったまま、ヴォックスの脳内では状況の整理が行われる。失言だった。泣かせるつもりは無かった。ただ、ここまで拒まれる事を想定していなかったためにムキになってしまった。ふらふらと机に手を着けば、一枚の栞に目が止まる。白のデイジーが丁寧に押し花にされ、栞にされているのを理解すると、ヴォックスは目を閉じた。
    「俺は本当に、馬鹿だ」
     栞は本に挟まれることなく、パソコンの画面横に飾られていた。美しい白色のままで。
     
     
     
     
     〇〇〇
     
     背中が温かい。
     と言うよりは重いと言った方がいいかもしれない。自分の背中合わせに寄りかかっている塊に重いと言うが、不機嫌そうに呻くだけであった。
    「ミスタ、なんでもっと寄りかかってくるの」
    「んん――」
    「もう」
     グイグイとアイクの背中にミスタは自分の背中を更に押し付けてくる 。結構な力に文句を言うが、やはり唸るだけだった。諦めて本を読むのを再開する。アイクはベッドに腰を下ろしていて、その後ろに背中合わせにミスタが座っていた。ミスタはベッドの中心で膝を抱えて小さくなっている。この男、本日の夜に訪ねてきてずっとこのままなのである。リュック一つに上着を羽織らずシャツ一枚でやってきた時は驚いた。唇を噛み締め、真っ赤になった目元になにかあったのだろうとは感じていたが本人から話し始めるのを待っていたらこれである。とりあえず簡単な食べ物を口に入れさせ、シャワーを浴びせた。ベッドで本を読んでいれば、後ろを陣取られ背もたれにされている現状だ。余談だがミスタはここまでずっと無言である。
    「アイクは」
    「うん?」
    「なんでそんなに才能があるの」
    「ええ??」
     突然どうしたというのだ。後ろを振り向くが見えるのはぴょんぴょん髪の毛先が跳ねた頭だけである。
    「なに、突然」
    「オレも、アイクはとっても魅力的だと思う」
     これはお礼を言うべきなのだろうか。真意が分からずに混乱していれば鼻を啜る音がした。縮こまった体を更に小さくするように膝を抱え直し、そこへ額を押し付けている。オレもという事は、また大方ヴォックスの発言関係であろう。いい加減にしてほしい。痴話喧嘩に巻き込まれるこちらの身になって頂きたい。預かり知らぬ所で喧嘩の原因になりたくない。
    「なんにもないんだ、オレは」
     なんにもないとは。思考を働かせ、何を表したいのか探る。会話の流れから、きっと能力などのことではないだろうか。それであれば、なにもないわけがない。
    「ミスタは、たくさん魅力があるじゃない」
    「嘘」
    「ええー。即答」
    「オレはただ、都合がいいだけだよ」
     誰にとっても。
     暗く呟くミスタに今回の痴話喧嘩は随分と根が深そうだと確信する。
    「アイクはなんでヴォックスからのプロポーズを受けないの?」
    「急になんなの。…あんなジョークを一々真に受けてられないだろ」
    「なんでジョークだって思うんだよ。オレにはヴォックスは本気でアイクに告白してるように見えたけど」
     くぐもった声で尋ねられる。からかっている訳ではなく、本当に疑問のようだ。
    「あのねぇ、ミスタ……」
     首だけを後ろに向けているのは辛いので、位置を戻す。目線の先には、Luxiem全員で撮った写真だ。五人全員が笑顔で写っている。話題に上がっている色男を視界に入れるが、湧く感情は友愛だ。
    「あれのどこが本気なのさ」
    「オレの時とは全然違う。オレは犬だの妻だの決めつけられてたけど、アイクにはきちんと相手を尊重して伺ってるだろ」
    「ミスタの時は適当で冗談だって分かるけど、ボクの時はボクの応えを窺って敬ってるって言いたいの?」
     返事がない。言いたいことは要約すれば今言った内容だろう。本気。あれが本気であるのなら、あの男の周りで修羅場が幾度となくできていただろう。実際にあったのかもしれないが本人が懲りていないので、周囲の人間はノリを理解できない子供ではなかったということだ。
    「例えば、今みたくプライベートで真剣に告白されたら、ボクだって本気だと思うよ。一度だって言われたことないけど。ヴォックスは、ああいう人なんだよ」
     まぁ、多少は気に入られているとは思うけども。ただ、あからさまな口説きはお遊びで、悪ふざけの延長線だ。
     自分の才能や行動などを賞賛され嫌になる人間は少数だ。アイクは少数派では無いので、ヴォックスに褒められ、気遣われるのは嫌いはない。それは恋の感情ではなく、人としての好意を感じているからだ。どちらかというと一線を引かれている気がする。むしろ特別なのは、ミスタへの態度ではないだろうか。
    「本気なら、ボクも本気で応える」
     配信上のように、適当にあしらったりなどせず直接会って返事をするだろう。あのようにするのは、熱を感じないためだ。
    「オレアイクが好きだよ」
     口を開いたかと思えば、とんだ発言が飛び出したものである。ニュアンスはライクだろう。と信じている。
    「好きだけど、苦しくなるんだ」
    「え」
    「オレに無いものを沢山持ってて、一緒にいると苦しいんだ。でも、こんなに大切な友達が出来たのは初めてで。アイクも、ルカも、シュウも。ヴォックス、も。大事なのに、一緒にいるとどうしても自分と比べて辛くて。そんな自分がすごく嫌いだ」
     言葉を紡ぐ度、音が震え涙声になっていく。
    「風船みたいだな、って自分の事を思うんだ」
    「風船?」
    「風船ってさ、最初貰うと嬉しいだろ」
    「まあ、小さい頃はそうかな」
    「刺激に弱いでしょ」
    「まあ、当たりどころが悪ければそうだね」
     そういう事。呟かれる。いや、どういう事だ。
    「ミスタ」
    「オレ、こんな感じだから、最初は色んな人に声をかけて貰えるんだ、面白いって。言われたんだ。ミスタ、お前は飛んで行った風船だ。紐を掴んでいたはずなのに、いつの間にか手から逃げて空を気ままに飛んでいる、風船だって。でも風船ってどんどん空気が抜けていって地面に落ちちゃうだろ。地面に落ちたらただのごみで、踏んづけられたりもする。オレも同じで、だんだん上手い返しができなくなっていっちゃうんだ。そうなると誰もオレに見向きもしなくなる。上を奇抜な色の風船が飛んでるから面白いだけで、自分たちより下に落ちてきたら、変な奴って遠巻きにされる」
     ふわふわ浮かぶ風船は、手に持って浮かんでいる時は楽しい。しかし三日もすれば萎んで、ツヤツヤとしていた光沢も失われていく。そうして完全に空気が抜けてしまえば捨てられる。刹那な存在だ。
    「それか大人数に囲まれすぎて、耐えきれなくて弾けちゃうって感じかな」
     途中から声が聞こえやすくなったと感じていれば、顔を上げていたらしい。まだ涙声なのに、どこか声音は乾いていた。壁を見るようにしているが、きっと彼は違うものを見ているのだろう。
    「とらえどころがないって早々に紐を離されて、飛んでいるところを見ては囃し立てられる。都合のいい時だけ引っ張てこられて、また手を離されるんだ」
     親友と呼べる人が居なかった。以前ミスタが言っていた。彼のキャラが独特が故に、そういった扱いをされてしまっていたのだろう。人見知りであるし、心から人に心を開いたことが少ないのかもしれない。
    「オレの事を風船だって言うんなら、一人だけでいいから、ずっと紐を握っていて欲しかった。誰かの隣に居たかった」
    「ボクが握っておくよ」
     想像よりもハッキリと響いた声に、自分で驚きながらもミスタの方へ体ごと向き直る。彼は驚いたのか固まっていたので、そのまま続ける。
    「ミスタが風船なら、ボクが紐を握っててあげる」
     言えば、ゆっくりとミスタは振り返る。膝を抱え込んでいた体制を崩し、左手をベッドにつくとゆっくりと下から窺うようにしてアイクを見上げた。乾いた涙の跡の上を、瞬きで押し出された涙が滑っていく。
    「あいく……」
    「でも君は凄く自由な奴でもあるから、紐は長く頼むよ。そうして好きな時に来て、また上に登って風に揺られていればいいよ」
     ボクが紐を持っているから、吹き飛んでいく心配もないしね。
     頭を撫でてやりながら、少しでも彼が安心出来ればいいと思っていると、ミスタの顔がクシャりと歪んだ。
    「紐、持っててくれるの」
    「もちろん。だから寂しくないよ」
     言えば胸に飛び込んできた寂しがりの風船に、蜂蜜入りのミルクでも出してあげようとアイクは思った。
     
     
     〇〇〇
     
     
     オレは今、地面に落ちた風船である。
     萎んで、唯一の取り柄のキャラも取り繕えない、ゴミだ。
     アイクの家に一日滞在した後、オレはシュウの家へ行った。一番信頼している兄弟は、何も言わずに中へと入れてくれた。互いに無言で、勝手知ったる廊下を先に進みリビングのソファへ座る。クッションを体を丸めて抱きしめ、目を閉じれば隣に気配を感じる。ちらりと右を見れば、後をついて一緒に座ったらしいシュウ。何か言いたげに眉を下げている。それでもただオレの頭を撫でるだけにしているようだった。
     つい何日か前も同じ事をしているだけに、シュウは察している表情だ。
    「仲直り、しに行ったんじゃなかったの」
    「オレに、禁句を言ったんだ、アイツは」
    「禁句って。この間の配信の事? みんなでコラボした時の」
     ラクシエムのコラボ配信であると見当をつけるとは、流石だ。
    「ミスタ、途中から様子がおかしかったもんね」
     髪の流れに添って温かい手が滑っていく感覚が心地いい。やはりシュウにはバレていたと分かると、口の中が苦くなった。感情が分かりやすいのを何とかしなくては。
    「禁句がなにか聞いてもいい?」
    「marry……」
     声が掠れる。兄弟はうんと頷き先を促す。
    「marry me って、オレに言った」
     結婚しよう。
     オレにとって、地雷に近しい言葉。ヴォックスがアイクに指輪を渡したその時から。
     シュウの優しい手と顔に、オレは自分語りを始める。抱えたモノを少し降ろしたくなったのだ。
     特別、が欲しいと思った。
     幼い頃から特別という言葉が好きだった。特別は、一等大事である、一番好きである意味合いだとオレは思っている。
     子供の時に、内緒話をされた。ミスタだから特別。親からお菓子をもらった。今日は特別だから。配信者になって一目置かれた。才能があるから、特別だから。  
     ばら撒かれる特別に、オレはバカ正直に信じては踊らされた。内緒話はオレだけでなく他の子ともしていて、内容もクラスメートのほとんどが知っていた。親から貰ったお菓子は、いつの間にかご褒美と名を変えた。小さな事がどんどん積み重なり、配信者になって騒がれた時には、もう特別、を信じることができなくなっていた。それでも、他人が囁く特別が魅力的に感じずにはいられなかった。自分が貰う特別は信じられないのに、他人が特別を貰うと心底羨ましい。ちぐはぐな心は何時しか言葉を軽く捉えるようになっていった。自分に掛けられる言の葉は、冗談であると。
    「my wife」
     その為、ヴォックスにいきなり妻だの犬だの言われてもパフォーマンスであると理解していた。プライベートで会い、流れで体の関係を持つ前は。
     可愛いと囁かれる度、彼の特別になれたのではと期待した。細められると桃色になる瞳に見つめられる度、心が近づいたと思っていた。現実はただのセフレだったけれど。
     SNS上とはいえ、指輪をアイクに渡したと聞いた時は自体を理解できなかった。アイクに絡む度、好意を滲ませる言動が増えていった。彼がグループのメンバー皆を大切に思っているのは知っていた。パフォーマンスだと分かっていた。つもりだった。
     あからさまにミスタの時とは違う態度。熱が滲む声音。尊重する態度。優先される行動。最初から全てが違っていた。ノリを受け入れたミスタは、用済みとばかりにおざなりにされた。
     こちらももっと拒否していたら違っていただろうか。そんなことは無いか。オレにあるのは、ノリの良さだけだ。シュウもルカもヴォックスもアイクも。沢山才能を持っていて、オレは自信のある能力は何も無い。時々、息が苦しくなる。お前は何も持っていないのだから、必死に生きなければならないと急かされる。休まず努力をしなくては、お前のことなど誰も見向きもしないと責められる。
     それでも、このキャラを気に入って貰えたから、彼に受け入れられたと、心を許したのに。勝手に信じて裏切られた気分になっている自分に嫌気がさす。
     marry me。
     この言葉を、オレに吐かない限り、セフレと茶番を続けようと思っていた。あんなに熱量を含んだ告白をアイクにしているのに、冗談でも自分に言ってきたら、許さない。オレには言わないと分かりきっていたけれど。
     予想を裏切り、ヴォックスは結婚してくれと吐いた。しかも情事が終わった後、ベッドの上。煙草をふかし、こちらを見ずに。随分と馬鹿にされたものだと怒りが湧いた。それ以上に、悲しかった。
     やはり、オレに向けられる言葉に熱は無い。心は入っていない。何となく、そういった雰囲気。軽い存在であると目の当たりになる。
     本気になったお前が悪いよ。
     自分の中の誰かが呆れて言う。分かっているよ。そんな事。
     だから、悪い冗談だと捨て台詞を吐いたあと、シュウに泣きついた。今日のように。
     何日かシュウに慰めてもらったら、終わりにしよう。行き場のない気持ちに別れを告げに行こう。
     
     
     
     
     
     
     
     
     〇〇〇
     
     
     
     
     
    「オレとデートしてくれない?」
     言えば、美しい鬼は紅を挿した瞳を見開いた。驚いた顔は幼い。
     一方的に怒鳴りつけ出ていった相手が、数日後に帰ってきたと思えば開口一番の台詞がこれである。ヴォックスでなくとも怪訝に思うだろう。彼はリビングのソファにいつも通り脚を組んでいた。オレが大きな音をたて扉を開け中に入った来たこともそうだが、なにより発言に驚いているようだ。読んでいた書類を机に放ると首を傾げる。
    「デート」
    「そう。行こうよ」
     はしゃぎ、ヴォックスの左腕を両手でとると立ち上がるように引っ張る。勢いで誤魔化さなくては。この間の空気がなかったようにしなくてはならない。ミスタの顔で笑って楽しげに早くと急かす。
     どうか立ち上がって欲しい。これで最後にするから。
    「準備くらいはさせてくれないか。せっかくデートするのにこのままでは」
    「そのままでも十分、って言いたいとこだけど、分かったよ。待ってる!」
    「ありがとう。君のために飾り付けてくるよ。いい子で待ってて」
     ヴォックスは徐に立ち上がると身なりを気にする素振りをする。オレはそのままでも良かったが、迂闊なことを言って機嫌損ねることは避けたかった。
     了承すれば、微笑み後頭部に手を添え引き寄せられる。額になにか柔らかいものが押し付けられた。ちゅ、と聞こえたのでキスされたのだろう。ヴォックスはオレの反応を見ず、そのままリビングを出ていった。以前のオレであれば嬉しさに固まっただろう。今のオレにはオレの為だという言葉も、親愛のキスも、心を複雑にさせるだけだった。占める感情の半分は悲しみだ。残りはよく分からない。怒りもあるかもしれない。
     待っている間、ヴォックスが座っていたソファに腰掛ける。パソコンが開いていたので視界に入ってしまった。画面は通話アプリで、履歴はアイク・イーヴランドの文字。
     どくり、自分の胸が嫌な音を立てたのが分かった。体内で痺れるようなピリピリしたものが這う。知っている。オレは今嫉妬しているのだ。アイクは好きだ、大切な友人だ。恋というものは、どうしてこうもオレを醜くするのだろう。殊更美しくなりたい訳では無い。ただ、これ以上自分に絶望したくないだけなのに。
     憧れと嫉妬と羨望と愛情が混ざった名前をなぞる。少し冷たい、ガラスにも似た手触り。文字にここまで色々な感情を持つとは思ってなかった。オレの目まぐるしく変わる心情とは違って、画面はオレの体温が移って温くなっただけだった。
     確かめるように幾度となぞっていれば、色男が戻ってきた。
    「お待たせ」
     最高の甘味を集めて作ったような微笑み。細められて桃色になった目がオレを見ていた。実は顔いっぱいで子供のように笑ってる方が好きだ。本人には言わず墓場まで持っていくつもりだが。
     ソファから立ち上がる。座っていたところから熱が抜けていき、少し冷える。
     これから始まる、関係を終わらせるデートに思いを馳せる。寂しさを誤魔化すようにヴォックスの手をとった。
     
     
     
     
     どこに行きたいのかと訊かれたので、海に行きたいと答えた。
     海。彼の中にはなかった場所のようで、何度か繰り返し呟いていた。咀嚼するのに時間がかかったらしい。
    「随分と急だな」
    「そうかな。前から行きたかったんだ」
     某ファストフード店でハンバーガーやらを買い込み、海へと向かう。もちろん車で。運転はヴォックスだ。
     軽口を叩いて、いつも通りを演出する。何も違和感がないように。悟られないようにと気を張っていたこともあり、いつの間にか眠っていたらしい。揺り起こされぼやけた視界に入り込んだ、青。目を擦ると、晴れた視界に太陽の光を反射する海が広がった。
     がばりと起き上がり、車から飛び降りる。ブーツを脱ぎ捨て、白く波打つ水面へと足を入れる。冷たい。それ以上に、美しい色に魅せられる。奥にいく程深まる青のグラデーション。空と一体化したような地平線は、どこか神秘的だ。ため息が出た。自分が空気の一部分のようでふわふわする。今なら空に手が届きそうだ。あと少し、あともう少し行けば。気持ちのいい風に乗ることが出来る。
     夢中で空を目指していると、急に進めなくなる。肩がなにかに引っかかっている。振り向けば、ぜえぜえと荒い呼吸をするヴォックスがいた。眉に皺を寄せ口を引き攣らせている。怒っているのだろうか。
    「どこへ、いく、つもりだっ」
    「どこって」
    「俺を置いて海とランデヴーか。入水自殺なんて笑えないぞ」
     入水自殺。なんの事だろう。オレは少しだけ空に近づきたかっただけだ。そこまで深く入ったつもりは無い。ふと下を見れば、思ったより水が近かった。顎下まで迫る水面と水の匂い。想像よりも浸かっていることに驚く。
    「えっ。いつのまに」
    「こっちの台詞だ。浜に戻るぞ」
     ばちゃりと海から出した手を掴まれ、有無を言わせぬ力で岸へと連れていかれる。
     海を割るようにして水面を波立たせる背中は大きい。砂浜が見えてくると、ヴォックスの上着が打ち捨てられているのが見えた。慌てて追いかけてくれたらしい。緊急事態でもなければこの男が物を雑に扱うとは思えない。
     海から足の先が抜けると、手を離された。熱が無くなると少し寂しかった。
     ヴォックスは砂の上に広がった上着を拾い上げる。軽くはたきながら睨んできた。
    「何を考えてるんだ、お前は。俺を証人にでもしたいのか」
    「ごめん。空が、綺麗だったから」
     吸い寄せられるとは、こういう事を言うんだと思った。抗えない引力を感じて、何も考えず進んでいた。呼ばれている気がしたのだ、空に。
     オレの答えに呆れたのか、ヴォックスは肺から酸素を全て吐き出す長いため息を吐く。
    「心臓がいくつあっても足りないな」
    「ごめん……」
    「濡れた服を乾かすぞ」
     車に戻ろうと踵を返すヴォックスを、大声を出して呼び止める。
    「ヴォックス! 船に乗ろう!」
    「船? この小型ボートか?」
     一塊になっている、海釣り用のレンタルボートを指さされる。それもいいが、オレはこっちの方がいい。
    「こっちがいい」
    「お前、それは」
     二人乗り用のゴムボート。もちろん手漕ぎだ。
     俺の手の先を見たヴォックスは、嫌そうな顔をする。何故わざわざそれを選ぶ、と言外に伝わってきた。
    「今日風も強いしさ、オレが服を持って乾かすよ。ゆっくり船の上で過ごしたいんだ」
    「手漕ぎだと遠くまでは行けないぞ」
    「いい。これがいい。お願い、ヴォックス」
     真剣な顔で頼み込む。何秒か間があったあと、車からハンバーガーを持ってこいと手を振られた。
     いますぐに! と走って車から本日の食事を取り出す。食欲をそそられる匂いに腹を鳴らしながら戻る。ヴォックスは波打ち際にゴムボートを出してくれていた。
     乗れと指をさされ、遠慮なくボートに飛び込む。押し出される感覚と流れる風。ばしゃんと海へと着水すると、ヴォックスも軽やかに乗り込んだ。
     赤いシャツを乱雑に脱ぎ、オレの顔目掛けて投げてきた。ビタンと目に袖が張り付く。普通に痛い。じとりと見ればふふんと小馬鹿にしたように鼻で笑われた。乾かすと言った手前投げ返す訳にも行かず、大人しく濡れそぼったシャツを広げた。水の匂いに混ざってヴォックスの香水が香る。目の前には半裸の美丈夫。変な気を起こしそうだ。
    「きちんと乾かしてくれよ、my boy」
    「わかってるよ」
     右手を掲げて振り回せば丁寧に扱えと噛み付かれた。肩に羽織るようにして、風に赤を靡かせる。ゆっくりと漕ぎ出したので、頬を柔らかく風が撫でた。
     無言が続くが、不思議と気まずくはなかった。緩やかな波が船を揺り、空気は温かい。ヴォックスは目を閉じて水音に耳を澄ませている。世界にオレとこの色男二人だけ。そんな疑似感に酔ってしまいそうだ。
     水を差すように腹が鳴った。なんとも恥ずかしい。片目を開けたヴォックスは、イタズラっ子のように笑った。
    「逢瀬より飯か」
    「うるさい」
     ほぼ乾いたシャツを彼に向かって放る。なんなく受け取ると腕だけ通した。前も閉めろ。
     傍らに置いていた紙袋を広げ、ハンバーガーの包みを解く。食べようとしたら、口をぱっかり開けられた。
    「ん」
    「なに」
    「食べさせてくれ。オールで手が塞がってる」
    「はい?」
     何言ってんだと声を出すが、構わず顔が前に迫る。歯並びのいい口が更に開いた。迷ったが、漕いでもらっているしなと、ハンバーガーを口まで持っていく。あぐりと一口噛みちぎり、ヴォックスは浮かせていた腰を下ろした。
    「うん、美味いな」
    「それは良かった。口にソースが付いてるよ、baby」
    「それはいけない。とっておくれ」
    「なに」
    「俺は赤ちゃんなんだ。とってくれ」
     自分の口の端をとんとんと叩いて示せば、オレに拭けと。手のかかる大きな赤子だ。紙袋に入っていた紙ナプキンを出す。右膝と右手を船の中心につき、左手を伸ばして拭ってやる。ほら拭いたよと言えば、不服そうに口をへの字に曲げられた。何が不満なんだ。綺麗に拭いたぞ。痛かったのか?
    「舐めとるくらいのサービスがあってもいいんじゃないか」
    「おおう。……もう、安売りしないことにしたんだ」
     確かな線引きをする。犬や猫との戯れのような行為は、もうしない。静かに言えば、ヴォックスはほんの少し目を開くと、そうか、とだけ返した。残りを手渡すと大人しく食べ始める。オレも新しいハンバーガーを出す。 暫しの沈黙の後、食べ終わったヴォックスは再び船を漕ぎ始めた。何口かで食べ終わると、息をつく。満腹になると、海の中が気になった。緩やかに進む水に手を入れると冷たい。さっきほぼ全身浸かった時は冷たいだなんて感じなかったのに不思議だ。だいぶ岸から離れ、ヴォックスは漕ぐのを止める。そのまま風と魚が時折飛び跳ねる音を聴いていると、ミスタと呼ばれた。自分の片膝に腕をつき、顎を置いていた体制で首をヴォックスの方へ向ける。目が覚めるような赤が、差し出されていた。
    「……これは?」
    「君へ。俺の気持ちだ」
     一輪の、シルクで出来ているような、滑らかな花びらの薔薇。
     ヴォックスの気持ち。なるほどと、オレの中でかちりとピースが合わさる。彼も、そのつもりだったのか。ヴォックスの指から抜き取り、くるりと回す。オレの手のひらほどある大きな薔薇。手が痛くないので棘は取られているものらしい。
    「ありがとう。オレも、プレゼントがあるんだ」
     食事を車から出した時に一緒に隠し持ってきていたそれを、ヴォックスへと渡す。
    「デイジーか」
    「うん。オレの気持ち」
     ありがとうと言うと男は、花の色を楽しんでいるようだ。
     白い花は、ヴォックスの手に収まると何処か嬉しげだ。良かったな、デイジー。オレの恋心。これでさようならだ。
     機嫌が良くなったのか、ヴォックスは甘く微笑むと戻ろうかと海岸へオールを漕ぎ出した。
     ふと空を見上げると、オレンジ色の風船が飛んでいた。オレが上を向いているのが気になったのか、ヴォックスも同じ方向を向く。
    「オレンジ色の風船か。お前みたいだな」
     気ままの様でいて、風に踊らされる風船。何気ない発言だろうが、苦笑が漏れた。
    「オレ、自分の事風船みたいだって思ってるんだ」
     バカにされるだろうか。それでも良い。浜につくまでの暇つぶしだ。
    「紐が掴めない風船。合ってるだろ」
    「確かに、ぴったりだな」
    「自由気ままに飛んでると、一人は寂しくってさ。そう言ったら、アイクが紐を持っててくれるって」
    「アイクが? ずるいな。俺も手網を握ってて貰いたい」
     やっぱり、オレの立場を羨むんだな。
     冗談なのか本気なのか。分からないが、彼の中でアイクが絡むと優先度は傾く。喉に塩が絡まったのか。乾いた笑いが出た。
    「空を一人で飛ぶのに、変わりはないよ」
     一際強い風が吹くと、風船はみるみる小さくなっていく。あのまま木に引っかかって萎むのを待つか、割れるのが早いか。どうかあの風船が誰かに踏まれないこと願ってる。
     白い砂浜が近づく度、オレたちの関係の終わりが見える。息苦しさと寂しさが背後から迫ってくるようだ。遂に砂に乗り上げ、船が止まった。ヴォックスが先に降りると、手を出してくれる。支えてくれるのか。行為に甘え、手を取る。これが、最後の触れ合いだ。
     食べ終わった紙袋を拾い上げると、ボートを置きに行ってくれた。戻ってきたヴォックスに肩を抱かれそうになったので、慌てて身を捻って回避する。
    「なんだ。まだ怒ってるのか。さっき仲直りしたんじゃないのか」
    「怒ってない。仲直りはした。友人として」
    「どういう意味だ」
     ヴォックスの顔が訝しげに顰められる。
    「こんな関係、やめよう」
    「なんの事だ」
    「セフレだよ」
     ヴォックスが呆気に取られたように軽く口を開けた。言葉は続かない。本当に予想していなかった発言らしい。
    「あんたがオレを心の底からは愛してなくても。オレは、ヴォックスが好きだよ。でも、もう終わりにしようと思う」
    「さっきの、花は」
    「ゲームの逆だったね。でも、それで良かったのかも。ヴォックスから貰った今までの言葉を、あの花に込めて全部返そうと思ったんだ。オレの、恋心。気持ちだよ」
     ヴォックスがくれた花。白のデイジー。花言葉は無邪気。彼がそう思う自分を大事にしようと思った。好かれている部分を愛そうとした。上手くはいかなかった。
    「俺は、求婚を受け入れてくれたと、そう受け取っていたんだが。俺は、本気でお前を愛してる」
    「だからさ、信じられないんだよ。あんたの愛してるは、大勢にばらまかれているから」
     自分は何番目なのか、冗談なのか本気なのか。そんなモノを気にしながら言葉を受け取るのは疲れた。
     手元にある薔薇を撫でる。柔らかい、絹のような花弁。ふわりと花の香りがした。
    「言葉の価値ってさ、ばら撒かれるだけ下がっていくもんだとオレは思うんだ。視聴者に言うのは分かるよ。仕事だし。オレもする。でも、他のメンバーにも愛の言葉をかけていて、自分が特別とはもう思えない」
     ヴォックスから貰った言葉を抱いて空を揺蕩っていたかった。オレにだけくれた愛だと信じていたかった。
    「あんたが望むなら、セフレならいい。セフレのままでいるよ。犬でも、息子でも。オレが勝手に辛くなってるだけだし。だけど、もう配信外でオレに思わせぶりな言葉をかけないで」
     鬼はただ、立っている。だらんと下がった手の中のデイジーが揺れた。ヴォックスは口を動かしているが、声が聞き取りにくい。だんだん風が強くなってきている。帰らなくては。
    「お前を、愛してる」
    「やめて」
    「愛してるんだ」
    「やめて」
    「ミスタ、」
    「やめろって言ってるだろ!」
     薔薇を投げつける。軽いからか緩い方放物線を描き、二人の間に落ちる。砂に赤はよく映えた。下に落ちてもなお、薔薇は凛と美しい。
    「オレ、自分のこと風船みたいだって言っただろ」
    「……ああ」
    「それって、気ままに飛んでることだけじゃなくて、萎んですぐゴミになるってところとセットなんだよ」
     きっと我ながら酷い顔をしている事だろう。口角が上がっている感覚はあるのに、眉間に力が入っている。
    「あんたがくれた言葉を熱に、飛んでいたかったよ。だけど、信じられない今、地面に落ちてゴミになるのは御免だ。踏んづけられるのはもう嫌だ!」
     冗談に何度踏みにじられたのか。ばら撒かれる量産の愛を、自分にだけと大事に抱きしめた自分の滑稽さ。結局、ヴォックスにとって愛着のあるモノの一つに過ぎないのに。
    「さようなら、daddy」
     これでもう、daddyとはお別れだ。
     踵を返し、車の方へと向かう。帰りも一緒は耐えられないので、タクシーででも帰ろう。車から財布を出さなくては。このままだとタクシーの中で泣いてしまいそうだが、優しい運転手さんだといいな。
     ざくりざくり、砂を蹴りあげながら進んでいると、後ろでどしゃりと何かが落ちたような音。
     振り向けば、ヴォックスが砂に倒れ込んでいた。顔から突っ込んだのか、額を抑えている。
    「大丈夫か、ヴォックス!」
     もしや熱中症か。ずっと船を動かしてもらっていたし、危険な状態かもしれない。オレはヴォックスの頭の方へ駆け寄る。膝をついて覗き込む。水をどこからか買わなくては。
    「――だ」
    「え?」
    「好きだ」
    「……しつこいよ」
     この期に及んでまだ言うのか。元気そうだしもう帰ろう。
     立ち上がろうとすると左手を掴まれた。ヴォックス顔をあげる。コケたためか額赤い。それ以上に顔を真っ赤にして、涙を流していた。あのヴォックスが泣いている。
    「君が、好きだ」
    「信じられない」
    「好きだ」
    「親愛の意味だろ。オレと同じじゃない」
    「好きだ」
    「もう、分かったから」
     相当具合が悪いのかもしれない。会話を流しつつ、休める場所を探す。周りには海と木以外何も無い。見回していると、ミスタと呼ばれた。
    「君に、俺の声を捧げるよ」
     いつの間に見つけたのか、ヴォックスはガラス片を自らの喉に押し当てる。鋭利な三角形は、プツリと容易くヴォックスの喉を切った。赤が一筋喉元を伝う。
    「なにやってんだ!」
    「君が俺の言葉を信じられないのなら、もう他の誰にも囁けないように喉を潰す」
     そうしたら、信じてくれる?
     今にも突き刺し、貫通させそうな手を掴む。黒い爪の手からも血が流れてきているので、相当強い力である。どうにか手を開かせようと自分の指を隙間にねじ込んだ。
     信じる? 何を言ってるんだ。
    「喉を潰したら、オレにも囁けないじゃないか。オレ、ヴォックスの声が好きなのに」
     オレの手に、雫が落ちた。思った時には、ヴォックスの懐の中にいた。
    「君が風船なら、俺は鳥になろう。君を日差しや雨から守るよ。一緒に飛んでそばに居る。飛ぶのに疲れたら俺が抱えて飛ぶよ。一緒に落ちたっていい。アイクが紐を握っているなら、俺はずっと隣にいるよ。でも俺のクチバシは鋭くて、君を傷つけてしまうこともあるだろう。そうしたら、君を抱えて言葉を詰めてまた飛べるように愛するよ。君だけに空気を吹き込む鳥になるよ」
     君が、好きだ。
     再び呟かれた言葉は、色付いてオレの中に入ってきた。
     信じたらまた馬鹿を見るだろうか。苦しい思いを抱えて揺蕩う羽目になるだろうか。
     それでも、滲む好意を愛してもいいだろうか。
    「ばかだなあ。ヴォックスは鬼だろ」
     言って、オレはやっと、自分だけの鳥の背中に手を回した。
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