不透明な僕たちは「これ何?」
一二三は激怒した。なんちゃって。
伊弉冉一二三と関係を持つようになって彼が本気で憤慨したところは見たことがない。今現在もそうだ。眉を顰めて、声も普段より抑えてあるが、怒ってはいないだろう。
きっとこの男は怒ることに関して慣れていない。つくづく難儀な奴だなと思う。その女性恐怖症も。
「何って……貴方のスマートフォンですね」
「そーゆーこと言ってんじゃねぇの!これ!」
一二三は左手に持ったスマートフォンの液晶をこちらに見せ、右手の人差し指でコツンコツンと音を鳴らす。美しくて長い指だな〜だとかリズム良く鳴らされた音が心地良いな〜なんてこの場に似つかわしくないことばかりを考えた。
「おや、まあ。これは小生のSNSではないですか」
「そう。夢野センセのSNSだね。俺っちが怒っていることに心当たりは?」
「……はて。見当もつきませんなぁ〜」
とぼけてみせると、一二三はあからさまに口唇を歪ませた。
三ヶ月で気付かれるとは、思った以上に早かった。いや、彼の聡明さからすると遅い方だろうか。まあ、そんなのはどうだって良い。さて、この後の展開をどういたしましょうかね。
時間稼ぎも兼ねて会話が再開する前に席を立ち、お茶の準備に、と台所へ足を運ぶ。普段はここまでおもてなしをすることはない。その違和感を感じ取ったのか彼も幻太郎の後ろを追ってきた。
「ねぇ。その態度からすると心当たりありありだよね?」
「さあ。ところで貴方のアカウントはブロックしていたはずなんですが」
「別のアカウントでログインした」
「……ひえ〜。怖いでおじゃ〜。ネットストーカーでおじゃ〜」
「別に夢野センセの投稿を逐一見てるわけじゃねぇって。今回のことも独歩ちんが教えてくれたんだし」
……あーはいはい。ドッポ。カンノンザカドッポですね。貴方の敬愛するドッポですね。そんな方から〝あれ〟を指摘されたのはさぞかし肝が冷えたでしょうね。
急須に茶葉を入れるとざざざと小気味の良い音が奏でられる。少々、入れ過ぎたような気もするが、まあ良いだろう。どうせ茶の味すらまともに覚えられないぐらい濃い時間を重ねるのだから。
「して、小生の投稿に何の不満がお有りで?」
「……ぜってーわざとでしょ。これとか、これとか」
律儀にもスクリーンショットしたであろう画面を次々と見せてくる。
新刊の小説の後ろには花瓶に生けられた黄薔薇。最近のお気に入りと称して写された生チョコと黄金に輝くシャンパン。新しく買った上着です、という紹介とともに端にチラリと見えるはグレーのジャケット、エトセトラ、エトセトラ……。
「はあ。いわゆる匂わせ、というやつですかねぇ〜」
「何でそんな他人事なの?夢野センセがしたんでしょ!」
嗜めるように言われるが大袈裟に膨らんだ頬を見ると、やはり本気で怒ってはいないようで、ほっと胸を撫で下ろす。この関係が終わってしまうことだけは避けたい。
お盆に湯呑みと急須、それにお茶請けのどら焼きを乗せて居間へ運ぼうとすると「持つよ」と告げられ、あっという間にお盆を奪われてしまう。
ああ、そういうところが本当に憎らしい。
ちゃぶ台にて向かい合うと、もう観念しなくてはいけないだろうな、と思い口を開く。ただ、本心は隠して。だって小生は嘘つきですもの。
「ええ。いかにもその匂わせをしたのは小生でございますよ」
「知ってる。でも何で?」
「……嫌ですわぁ〜伊弉冉はん〜ちょっとした戯れじゃありませんか〜♡」
くねくねと身体を揺らし女のような声を出すと一二三が苦虫を潰したような顔をした。女性恐怖症のお前にとってこの声は苦痛だろう。さあ、苦しめ苦しめ。一二三はぐっと何かを耐えるような表情を見せてから口を開いた。
「戯れってね〜!この関係バレたらヤバいの分かってんでしょ?最近はSNSでも特定班とかいるんだからさ〜!現に今だって俺っちと夢野センセの関係を憶測して騒ついてる人たちもいるっぽいしさ〜!」
「ああ。そういえばコメント欄や引用などでも〝ジゴロと仲良いんですか!?〟とか〝これ、ひふみんの私物じゃん〟なんて言ってくる人もいらっしゃいますね〜」
「でっしょ〜?気付く人は気付くんだからさ〜!」
「良いんですよ。小生の場合は必殺〝嘘ですよ〟が使えるので」
「それ必殺技なん?つか、そうだとしてもわざわざ勘違いされる道を選ぶ必要ねぇんだしさ〜!気をつけなきゃ」
勘違い、ね。そうですね。貴方の職業柄、セックスフレンドがいるなんて露呈した日には大変なことになりますものね。しかもその相手が敵対するディビジョンの夢野幻太郎だと知られるとそれはもう大事件です。
そして何より、敬愛するカンノンザカドッポにこの関係がバレてしまうと良くないですもんね。貴方、あの人に嫌悪され、拒絶されることが何よりも恐れていることなんでしょう?
一度どういった話の流れかは忘れたが、いわゆる恋バナというやつをしたことがある。ピロートークということもあり気分も高揚していたのかもしれない。想い人はいるか、という幻太郎の質問に一二三が微かに頬を染めて「うん、いるよ」と言ったことを思い出す。
詳しく聞くと「見ていると庇護欲をかき立てられるっていうか放っておけなくて、つい世話を焼いてしまう可愛い子」と言ってその子が愛おしくて仕方ないという表情をしていた。
瞬時にその相手がカンノンザカドッポだと悟った。一二三とともに暮らしているカンノンザカドッポは家事が全く出来ず、一二三がすべての世話を焼いているらしい。
ああ、これは失恋というやつだ。自分では到底敵わない相手だから。
つまり幻太郎は一二三に恋をしていた。
静かな音を立てて彼の傍へと近寄ると、その肩に頭を預けて枝垂れかかる。
「ごめんなさい。許して、伊弉冉さん」
微塵も思っていないくせに、彼に許しを請う。
だってこの関係がないもののようにされてしまうのは寂しいではないか。当然、全てが露呈することは望んでいない。しかも一二三には想い人がいる。
きっと俺と身体を重ねるのもあの人の身代わりとしてだろう。
しかし考えてみると相手が相手だ。彼とカンノンザカドッポが両思いになるのなんて時間の問題。それならば、そのときが来るまで身体だけでも繋がっておきたい。
そして二人の逢瀬の証を少し、ほんの少しだけでも残すことは認めてもらえないのだろうか。恋心を伝えるなんて不相応な真似はしないから。いつかはなくなってしまう関係の思い出として、ほんの少しだけ。
口付けを交わしながら、彼の熱い手に自身の手を絡ませる。
「伊弉冉さん。好きですよ」
嘘くさい言葉に真実を乗せて。深くなる口付けで誤魔化すように、彼の指輪をこっそりと拝借した。
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「これ何?」
俺は割と本気で苛立っていた。声色も変えてみるが彼への気持ちゆえか甘さが滲んでしまうのはご愛嬌。それでもこれは見逃せないと夢野幻太郎を責めた。
「何って……貴方のスマートフォンですね」
「そーゆーこと言ってんじゃねぇの!これ!」
彼に見せたスマートフォンの画面にはSNSのとあるアカウントが表示されている。アカウント名は〝有栖川乱数〟とあるが、これが夢野幻太郎のアカウントだということは周知の事実だ。アカウント名にまで嘘を散りばめる姿に律儀な奴め、と笑いが込み上げたことを思い出す。
「おや、まあ。これは小生のSNSではないですか」
「そう。夢野センセのSNSだね。俺っちが怒っていることに心当たりは?」
「……はて。見当もつきませんなぁ〜」
どこかとぼけたような態度に不満が募る。これは絶対分かっててやっている。意識的に唇を尖らせるが、彼に効き目はない様子で追求を避けるように台所へと去って行った。いつもはお茶なんて出してくれないくせに。
話を逸らされたことについて気分は良くないが、俺には彼を嗜める義務があるため、続いて台所へと足を踏み入れた。
「ねぇ。その態度からすると心当たりありありだよね?」
「さあ。ところで貴方のアカウントはブロックしていたはずなんですが」
「別のアカウントでログインした」
「……ひえ〜。怖いでおじゃ〜。ネットストーカーでおじゃ〜」
「別に夢野センセの投稿を逐一見てるわけじゃねぇって。今回のことも独歩ちんが教えてくれたんだし」
彼はどうやら俺のことが嫌いらしく、SNSのアカウントはブロックされている。内容が気にならないと言えば嘘になるが、彼がそこまで俺を遠ざけたいのならば、とその対応も受け入れていた。しかし、こんなことをされてしまっては黙っている訳にはいかない。別アカウントだって使うだろうよ。
幻太郎が淹れた茶の香りに包まれながら「して、小生の投稿に何の不満がお有りで?」という問いに対して口を開けた。
「……ぜってーわざとでしょ。これとか、これとか」
スクリーンショットした画像を次々とスライドする。独歩に『おい、夢野先生のSNS見たか?』と言われたときは本当に驚いた。
彼が投稿した写真の端に写る一二三の痕跡の数々。
「はあ。いわゆる匂わせ、というやつですかねぇ〜」
「何でそんな他人事なの?夢野センセがしたんでしょ!」
暖簾に腕押し。やった本人がこれでは本気で怒るのも無駄に思えて頬を膨らませて表情で抗議する。幻太郎はやはり真剣に捉えていないようで、ふっと鼻で笑うような仕草をした。あ、これ完全に俺のこと馬鹿にしてるな。互いに慈しみ合う仲ではないことは承知だが、もう少し敬意を払ってくれても良いのではないか……いや、無理か。所詮、俺はセフレだ。
慣れないことをしたためか幻太郎の持つお盆が微かにぐらついたため「持つよ」と告げて、お盆を受け取った。こういうところが本当に世話が焼ける。
ちゃぶ台にて向かい合うと、幻太郎はやれやれ、といった風にため息を吐いてから口を開いた。やれやれ、っていうかお前が撒いた種だぞ。
「ええ。いかにもその匂わせをしたのは小生でございますよ」
「知ってる。でも何で?」
「……嫌ですわぁ〜伊弉冉はん〜ちょっとした戯れじゃありませんか〜♡」
彼はわざと女のような声を出すが、こちらとしては出している人物が分かっているため怖くとも何ともない。
それよりも戯れ、という言葉だ。幻太郎はよく奇行に走るためどうせ今回もそうだろうと思ってはいたが、違う理由を期待していた自分もいたわけで。気付かれないように心の中で落胆した。
「戯れってね〜!この関係バレたらヤバいの分かってんでしょ?最近はSNSでも特定班とかいるんだからさ〜!現に今だって俺っちと夢野センセの関係を憶測して騒ついてる人たちもいるっぽいしさ〜!」
「ああ。そういえばコメント欄や引用などでも〝ジゴロと仲良いんですか!?〟とか〝これ、ひふみんの私物じゃん〟なんて言ってくる人もいらっしゃいますね〜」
「でっしょ〜?気付く人は気付くんだからさ〜!」
「良いんですよ。小生の場合は必殺〝嘘ですよ〟が使えるので」
「それ必殺技なん?つか、そうだとしてもわざわざ勘違いされる道を選ぶ必要ねぇんだしさ〜!気をつけなきゃ」
そうだ、勘違いされてはいけない。たしかに俺の職業的にもマズい。しかし、それ以上に幻太郎の仕事に影響が出てしまうのは避けたい。一二三との関係が露呈することで、好奇の目に晒され、幻太郎の作品が正当に判断してもらえなくなるのは嫌だ。
それに幻太郎には想い人がいる。以前、どういった話の流れか、好きな人はいるか?と問われたことがある。「うん、いるよ」と答えると、更にどういった人物なのか?と聞かれたが、これには少し狼狽えた。だって本人を目の前にしてどういった人物か教えろ、と言われたら誰だって狼狽えるだろう。
つまり一二三は幻太郎に恋をしていた。
内心を悟られまいと何とか彼の質問に答え、逆に好きな人はいるのか?と聞くと幻太郎は消え入るような声で「はい……います」と答えた。続けてどんな奴なのか?と質問した。幻太郎の好きな相手が自分である可能性はゼロに等しいが、もしかすると……という期待を込めて。
彼は顔を真っ赤にさせると「小生とは真逆の方でして……騒がしいんですけど何故か一緒にいて心休まる方なんです」と答えた。
瞬時にその相手がアリスガワダイスだと悟った。アリスガワダイスは定住地を持たずに彼の家に泊まることもよくあるらしい。おまけに金も貸してあげているのだとか。普通、何の感情も抱いていない人間に対してそこまでするはずがない。つまり彼はアリスガワダイスが好きなのだ。夢野幻太郎は恋をしていた。
アリスガワダイスに俺らの関係がバレると困るのは彼のはずなのに、戯れと称して俺との関係を匂わせる行為は到底理解できない。
ついでに想い人がいるのに俺と身体を重ねているのも。いや、理解できない訳じゃない。理解したくないだけだ。俺はアリスガワダイスの身代わりということを。
彼とアリスガワダイスが両思いになるのなんて時間の問題だろう。それまでの身代わり。それならば、不必要に自身を傷付けることなくぬるま湯のような楽園で過ごしたい。彼との逢瀬に浸っていたい。幻太郎とアリスガワダイスが心を交わすその日まで。もし、その日がやって来たとしたら俺はいつでも身を引く覚悟をしているから。
だからお願い。お願いだから君とあいつが結ばれる以外の理由でこの関係を終わらせないでくれ。俺が納得する形で終わらせてくれ。
そう願ってしまうのは身勝手だろうか。
「ごめんなさい。許して、伊弉冉さん」
柔らかい衝撃が肩へと与えられ、馥郁とした花の香りが俺を包んだ。枝垂れかかりながら見上げてくる彼のかんばせが麗しいことこの上ない。この男は己の魅せ方を熟知しており、こうやって擦り寄れば並大抵のことは許してもらえるということも分かっているのである。そして見事に彼の罠に嵌まり抜け出せない一二三のこともお見通しなのだろう。
触れた唇が灼けるように熱く、これから始まる行為によっては全てが有耶無耶になってしまうのだろうと予感させた。
「伊弉冉さん。好きですよ」
彼の紡いだ優しい嘘に「俺も好きだよ」と冗談に見せかけた本音を吐き出す。
口付けの合間に指輪が奪い取られていることに気付かないふりをして、欲がうごめく深い深い海に、ふたり身を沈めた。