お片付け、整理整頓 ●
康平の掃除の手際とクオリティを見て、閃が「僕もそろそろ家の掃除しなくちゃな……」と呟いたので。
「お掃除、しますよ!」
彼の笑顔のお手伝いになれるのなら。掃除が本分のレネゲイドビーイングは、待ってましたと言わんばかりに胸を叩いた。
――こがねが丘駅から徒歩数分圏内、小さいが比較的新しいアパートに、閃は一人で住んでいる。
今まで部活で忙しかった閃にとって、自宅はほとんど寝るだけの場所として扱われていた。簡易なワンルーム。ベッドと机、小さな本棚には教科書類と格闘技関連の雑誌、なぜか友達が置いていった数ヶ月前の週刊少年ジャンプ。他には吊るされた制服や、室内干しのままの衣類。あとは一人暮らし用の家電あれこれ。
「……すいません、散らかってて」
そして閃の言葉通り、狭いワンルームは……汚部屋の類でこそないものの、ちょっぴり散らかっていた。今まで部活で土日休みがなく掃除時間がなかったのと、最近になってUGNに入ったことでそちらの業務で忙しくなったのと。……ゆっくり掃除をしているような心の余裕がないのも、そこには表れていた。
「いえいえ、お掃除の為にお邪魔したので!」
玄関で靴を脱ぎ、閃の家に上がった康平はうきうきしていた。康平にとって閃は初めての後輩で、しかも人間のおうちに招かれるというのも初めてだった。掃除しがいのある現場なのもまた嬉しい。
「その……、部屋がちょっと散らかってたこと、皆には内緒にして下さいね、重里先輩」
支部長の秘書として、だらしない姿を晒すのは支部長の品位に関わるのだ。閃は苦笑しつつ、掃除道具を空いているスペースに置く(いつも康平が支部で使っている選りすぐりの物々だ、「持ちますよ」と閃はそれを抱えてきた)。
後輩の言葉に、康平は「分かりました!」と頷いた。
かくして掃除が始まる。閃も康平の指示を仰ぎつつ協力する。
片付けと、掃除が行き届いていなかった細かいところまで、ここぞと大掃除の時間だ。
古いプリントやテスト用紙、友達が置いていった週刊誌、……それから格闘技の雑誌や、自分の試合が取り上げられた地方紙など。閃はそれらをまとめてビニール紐で縛る。淡々とした目で。
「閃さん! こちらどこに収納しましょう?」
そんな時、康平に呼ばれ弾かれたように顔を上げる。振り返れば、出しっ放しだったキックボクシング道具――
「それは、――」
捨てて下さい、……とは、なぜか、言えなかった。グローブ。レガース。ヘッドギア。試合用の衣服。「こがねが丘高校キックボクシング部」と刺繍された部活のエナメルバッグ。他にも。思い出と青春と夢の抜け殻。そこには短い生涯を、16年分の情熱を、全て詰め込んでいた。
もう二度とあのリングには上がれない。後生大事に持っていたって、これから二度と使うことはない、意味もない、無駄に空間を圧迫するだけ。「捨てた方がいい」と合理が囁く。分かっている。けれど、なのに、……。
「閃さん?」
「ああ、……適当にしまっておいて下さい。クローゼットの奥とかで大丈夫なので」
ニコリと笑う。その言葉に、「分かりました!」と康平も元気よく答える。
テキパキ、康平は閃の部活道具だったものをダンボールに収納する。パズルのように、隙間なく美しく丁寧に。そうして一箱に収まったそれを、クローゼットの奥へ――暗闇の方へ――……。
(……、?)
掃除と片付けをしている、仕事を全うしている、閃の役に立っている、頼まれたことをやっている、ハズなのに、なぜか康平は落ち着かないような……モヤモヤするような……誇らしく感じられないような、不思議な感情を回路に覚えた。暗闇の中、まるで置き去りにされたようにポツンと置かれた、側面に「キックボクシング道具」と書かれた箱を見つめる。この気持ちはなんだろう。どうしてだろう。わからないまま、見た目は人間のマニピュレータでクローゼットを閉じた。
「気にしないで下さい。大丈夫」
ふと動きが止まっていた康平の肩をポンとたたき、閃は笑った。
確かに今は、キックボクシングや格闘技に触れるのは、憧憬と夢の残滓に焼かれ焦がれて苦しいけれど。この痛みは時間しか解決してくれなさそうだ。そして閃の傍には、康平をはじめ、支えて心配して傍に居てくれる者が居る。だから、この「大丈夫」は、決してあの時の強がりの呪文ではない。いつかきっと本当に大丈夫になる日が来る。だから、大丈夫なのだ。
●
広くないのと、物の絶対数が少ないのとで、掃除自体はそう時間はかからなかった。康平の手際も相まって、閃の部屋はモデルルームのように綺麗に片付いた。
「ありがとうございます重里先輩、助かりました。お疲れ様です」
「はい! 閃さんもお手伝いしていただいてありがとうございます!」
「先輩、お茶、飲みますか? ええと……でも飲食はそんなに得意ではないんですっけ」
お茶パックへ手を伸ばすか否か迷いつつ閃が問う。
「では、頂きます!」
人間を知るにはまず食から、と黄連支部長が言っていたのを康平は覚えている。ここで頷く方がより良いのではないかとレネゲイドビーイングは考えた。
――ピカピカの片付いた部屋。曇り一つない窓を開ければ、埃一つない網戸を潜った心地良い風が、広くなった部屋を通り抜けていく。
氷を入れた冷たい麦茶を飲みながら、折り畳みのちゃぶ台を囲んで、クッションに座り、なんとはなしに、こがねが丘の青空を見ている。夕方にはまだ少し早い。夜までに掃除が終わって良かった。
「この状態をキープしなきゃな……」
ここまで片付いたのは引っ越してきた直後以来ではないか。しみじみと呟く閃に、少しずつお茶を飲んでいた康平がアイカメラを向ける。
「またお掃除が必要になったら、いつでも呼んで下さい!」
「いやぁ―― あはは。そうですね、その時はまた、よろしくお願いします」
康平の手が必要になる時、それはまた派手に散らかった時だろう。そうならないよう気を付けなければという話だったのだが――先輩の真っ直ぐな好意を、後輩もまた真っ直ぐ受け取ることにした。
『了』