【夢】藍悠瞬という人【創作モブ】「思追のばぁああかああ!!」
その声が響いたのは、酒楼の一角だ。
夜狩りが終わったが、それぞれの仙府に帰るには難しい時間だった。
涙が混ざった声は、あらゆる者の注目を集めた。
しかもそこには、金凌と欧陽子真もいる。そう、さまざまな仙門の修士が集まっているのだ。
監督には、江晩吟。もう一人は、藍悠瞬という藍啓仁の補佐役だ。
「失礼します」
「ああ」
すっと立ち上がると、泣きそうな内弟子の所へと向かう。
その背を見ながら、江晩吟は行く末を見守った。
「どないしたん、おじさんに話してみぃ」
子供たちの間に立った藍悠瞬という男は、藍氏には珍しい人物だ。
藍兄弟の再従兄弟に当たるというが、四千もある家規を破るギリギリの行動を起こす。
座学時代は、藍啓仁のあとをついて回っている腰ぎんちゃくという印象が強い先輩だった。
それは今も変わらないが、腰ぎんちゃくから補佐役という役職を勝ち取った根性は素晴らしいと思う。
また藍氏であるため修位も高く、仙術も達者だ。
顔を赤くしている藍景儀の頭を撫でると、その内弟子は藍悠瞬の腹に抱き着いた。
驚いたように長い前髪の隙間から覗く藍色の瞳は、丸くなっている。
「おーよしよし、どうしたん?お友達の前で」
「思追が」
「うん?」
「思追が、金凌の事ばっかり褒める」
彼の言葉を聞いた瞬間、藍悠瞬も江晩吟も瞬きをする。
「思追は俺の兄貴分なのに!金凌がいるとちっとも構ってくれないんです!!」
子供じみた独占欲から、涙をためている藍景儀が見上げてくる。
今日は特段につかれていたのだろうし、今回は藍景儀は頑張っていたのも確かだ。
しかし、褒めてほしかった藍思追は年下の金凌にばかり目をむけて褒めたらしい。
「思追ちゃん……」
「はい」
「お兄ちゃんは、弟の事もかまってあげないとだめやぞ」
「景儀だって、子真に構ってもらってたんだからいいじゃありませんか」
いつになく反抗的な口ぶりに、江晩吟は驚いた。
江晩吟が知っている藍思追は、素直で少年組の手本のような少年だ。
藍曦臣と藍忘機、魏無羨に、対しては目を輝かせて素直に頷くから、唇を尖らせてすねるような態度は珍しく見えた。
しかし藍悠瞬からは、その態度は珍しくもない。
「ほーん、思追ちゃん。あんさん、やきもち妬いとるな?」
「っぐ」
「景儀ちゃん、お兄ちゃんはなぁ。景儀ちゃんが、欧陽の坊ちゃんにばっかり甘えるからやきもち妬いたんやて」
にやにや……という表現が合うような顔をしながら藍思追を見ながら、
わざとらしく藍景儀の頭を撫でまくる。
その際に、髪も抹額も乱れていないのはさすがだ。
「堪忍したげてな」
「思追、ほんとう?」
ぐすっと鼻をすすりながら、己の兄貴分を見る。
嘘をついてはいけないという藍氏の掟の逃げ道は、言葉に出さないというものだ。
しかし、かわいい弟分が涙目になりながら見つめてくるため、藍思追は唇をゆがめてから大きく息を吐いてうなづいた。
「そうだよ。やきもち妬いたよ。景儀は、僕のなのに欧陽公子にばかり話しかけるから。
だけど、金宗主を褒めたのも本当です」
「だって、子真は金凌よりめったに会えないんだぞ。いっぱい話したいじゃないか」
「わかってるよ。僕だって、欧陽の公子とはお話したい」
だけど、お互いに面白くなかったのだ。
藍思追が、口元を隠して目をそらす。
藍氏の兄弟げんかに巻き込まれて気持ちを素直に暴露されている金凌と欧陽子真も、顔を赤く染めていた。
いくら藍氏が仙師としての心得を教える座学をしていたとしても、
座学の期間が過ぎればそれぞれの仙府に帰るしかない。
そもそも親が、藍氏に送り出すとは限らない。
それに、小双璧は座学で教わることは無い為か、側にいる事はできないだろう。
こうして夜狩りに出て、たまたま出会ったりそれぞれの地の近くに向かって会いに行かねばならないのだ。
「ちゃんと仲良くしい」
ぽんぽんと藍景儀の頭を優しく叩いてから、藍悠瞬は江晩吟のいる机に戻ってきた。
「お騒がせしましたな」
「いや、あいつらの意外な一面が見れた」
「子供っぽいでしょう」
くすっと笑ってから、茶杯を手にする。覚めてしまっている茶ではあるが、袖で口元を隠す姿は彼の宗主と変わらない。
「あれね、私の特権なんですわ」
音もたてずに茶杯を机に置くと、形の良い口元を上に上げて美しく微笑んだ。
その顔は、まるで我が子を見守る父親のようだ。
「宗家の前だと、どうしても緊張してしまいます。
小双璧って言われてるんやから、特にそうやったろうね。
思追は、師弟…っと、忘機の養子みたいなもんやけど、宗主や先生にも育てられたような子やし。
景儀は景儀で、藍氏の跡継ぎ候補の優良株。宗主の直弟子と言っても過言じゃない」
藍思追の事は、江晩吟は知っていた。
魏無羨と藍忘機が、道侶になってから聞かされたのだ。
しかし聞かされる前から、うすうすは気づいていた。あの温氏の生き残りだと、かつて足に抱き着いてきた子供だと。
身ぎれいにしていたとしても、顔は同じだ。察しはついていたし、かかわるつもりもなかった。
今の江晩吟は、温氏だからと全てを憎む事はしない。落ち着いた……というよりは、諦めた。
どうにもならない事をどうにかしようとする事も、誰かに勝とうとする事も諦めてしまった。
憎み続けることも、諦めたのだ。
「騒がしい方が、藍宗主の跡継ぎねぇ」
「あの子は、落ち着きはないけれど人を惹きつける才があるんですよ。
それに、宗家に血筋が近い」
「藍氏も血筋が重要視されるのか」
「藍氏は本来、蔵書郭の知識や伝統を重んじる家柄なので、祖の血筋は本来関係ないのですがね。
それでも認めない者は多いのです」
困ったものですね。と、笑って言う。
宗家で最も近い血筋なのは、目の前の男ではないだろうか?
「あんたも、自分の血筋は残したくないって質なのか?藍先輩?」
いたずらに昔呼んでいた呼称で呼んでみれば、瞬きを繰り返してから困ったように笑った。
「私には、ちゃんと妻子がおるよ」
「え?」
今度は江晩吟が、何度も瞬きをして驚く番だ。
手に持っていた酒杯を落としそうになって、慌てて机の上に置く。
だって、この人は藍啓仁に対して『好きだ』『慕っている』と公言していた。
同じ宗族で、はしたないない。一族の恥などと言われるくらいの、敬愛っぷりだ。
「まぁ、妻とは死に別れて子は捨てましたけど。
我が子が生きてれば、景儀くらいやろなぁ」
寂し気に、藍景儀をちらりと見つめる。
彼くらいというなら、それは斜日の前後だろう。
「そんなこと、俺に話してもいいのか」
「ええです。ええです。知る人は知ってる事やし、江宗主がうちの宗主と道侶になれば解ることやしね」
何事でもないように、目の前の男は笑っていう。
江晩吟は、自分と藍曦臣の仲を公表していない。
「なんで知ってるんだよ」
「ややわぁ、江宗主。私、師兄と同い年の再従弟ですよぉ。
あのお人が、相談する相手がいるとしたら私やろ」
ものすごく疲れた遠い目をしているために、自分たちの事で多大な迷惑をかけたのだと察することができた。
「まぁ、ええんです。この三十年近くもなんも進展せん二人の関係に終止符が打たれるんやったら、
この藍悠瞬、苦労したかいがあったっちゅうもんですわ」
「すまんな」
「ええですって」
「話がそれましたな」と言って、子供たちを愛し気に見つめる。
それだけでなんとなくだが、江晩吟は藍悠瞬と小双璧の関係性が分かった気がする。
「甘えてるんだな」
「かわいいですやろ」
「俺には、阿凌がいるからな」
ふん、と鼻を鳴らして酒杯を呷った。