結び目は胸の奥に隠して。『暁人!上だッ!』
引き剝がされ宙に浮いたままのKKが言葉を発するとほぼ同時。
暁人の放った矢が、照法師へと命中する。
「お前はこうだッ!」
引き剥がした本体である口裂に麻痺札を喰らわせ、続けざまに脳天に2発。がらがらと崩れ行くそれにはもう目もくれず次の矢をつがえるその瞳は、真っ直ぐに次なる敵を見据えて。
引き絞られた弦から放たれた矢が、まるで雷のように、側に迫るマレビトの体を貫いた。
霧散していく敵の姿と、零れ落ちるエーテル結晶体がキラキラと目の前で反射して、暁人の体に吸収され、また消えていく。
『いやー上手いことやるもんじゃねえか、暁人くんよ。こりゃオレなんてもうお呼びじゃねえってか?』
「やめてくれよ大変だったんだぞ…」
すう、とまた融合を果たしたKKが楽しそうに声を上げる。
ー面白がってる、絶対。
だいたい引き剥がされたのそっちなのに、なんでそんな偉そうなわけ?
顔にありありと浮かぶ不満を口に出さずとも。もはやこの男にはそんな感情でさえお見通しのようで。
『別にからかってるつもりはねぇよ。それにな、どんな状況であれ、ひとりで戦えるってのはオレにとっても有り難えんだ。守られてなきゃ生きていけない、なんて泣き言言われちゃかなわねえ、わかるだろ?』
そう言われてそれはもちろんそうだよ、と頷いてみせる。はじめて引き剥がされた時はーはっきり言って本気で生きた心地がしなかったし、このままの自分でいてはダメだと心の底から思った。KKの力無しでは太刀打ち出来ない非力な自分を恨めしく思いながら、やっとまた出会えたときの安心感は測り知れないもので。
それでも、何度も経験するうち少しずつではあるがコツが掴めてきて、なんとか弓もヘッドショットを狙えば一撃必殺のレベルまで腕を上げたし、札や数珠の力を借りてとはいえ、離れた場所に捕らえられたKKを救うことすら出来るようになったのだ。
だからこそ。逆に、暁人はいま、KKという存在のことを何よりも大切だと改めて思う。
こんなふうに軽口を叩きながらも、やることはやる。妥協はしない。まさに、正義を貫くヒーローたるその確固とした信念。強い意志はきっと、必ず自分ともに般若の男の野望を打ち砕く刃となることを、暁人は心から信じている。
(僕は、強くならなくちゃいけない。麻里を救うために。そして、KKの望みを叶えるためにも。)
ぎゅ、と無意識に拳を握って、決意を新たにする。
「さ、次行こう。そのまえにコンビニ寄っていくね」
『まーた食うのかよオマエ…』
「聞こえませーーん」
ビルの屋上からグライドして、屋根伝いに最寄りのコンビニまで急ぐ。
風を切って跳ぶ、この感覚を。暁人はなかなかに気に入っていた。これもKKがそこに居てくれなければ味わえないもののひとつで、ふ、と思わずため息をつく。
(…もうちょっとだけ…このままでいてもいいかも、なんて思ってるって知ったら、KK、怒るかな)
一瞬心の中にそんな薄暗い考えが浮かんで、慌ててぎゅっと目を閉じる。急に視界を奪われたKKが何事かと声を上げた。
『…?暁人?』
「あ、ごめんKK。…目にゴミが、ね」
『…ああ』
そうか、といったきりKKが黙った。
とくんとくん、と自分の心臓のおとがうるさい。
それをかき消すように、たんっ、と最後の一足を踏み出して、大きくジャンプする。重力に逆らい浮く体が、まるで羽根に包まれているかのようにゆっくりと高度を下げていき、やがて足元に確かな地面の感触を得て、暁人の体が地面に舞い降りた。
「到着、っと」
とんとん、と軽く靴の先で地面を叩く。楽しげに微笑むその姿が、コンビニのガラス扉に映って、KKはふ、と密かに笑った。
『まるで…天使、みてえだな』
その呟きはコンビニの入店音に掻き消され、暁人の耳には届かない。ぽいぽいとおにぎりやスナックをカゴに入れていくのに苦笑しながら、ーずいぶんとまあ食い意地の張った天使サマだけどな、と心の中で思う。
「…ちょっとKK?今食い意地張ってんなぁ、って思っただろ」
『ああ?…ンなコトオモッテナイデスヨー』
「思ってたんじゃん!」
『はは、バレたか』
「酷いなもう!いっぱい動いたからお腹空いたの!」
『だから、悪いたあ言ってねえだろ?』
「思うだけで失礼だよ!」
「…お客さぁん、レジ前で痴話喧嘩はやめて欲しいんだにゃあ〜」
じっとやりとりを見ていた猫又に、呆れたように二股に分かれた尻尾でぱたぱたと顔面を叩かれ、思わず笑ってしまう。
ごめんね、と謝って会計を済ませると、猫又がお客さん一寸待ってにゃ、とレジの奥の棚からふたつの小さな袋を取り出し、ぽいと暁人のレジ袋の中に放り込む。
「え、あのこれ、」
『何だ?』
「お客さんいつも色々買ってくれるからサービスしとくにゃ〜。…お二人さん、悔いの残らないように、今のうちにしっかり仲良くしておくといいよ〜」
どこか言い含めるような口調に断り切れず、ありがとうございます、と言いおいてコンビニを出る。
『ったく、子供だねえ暁人くんは』
「うるさいなぁもう」
不満げな声を上げながらも、暁人は内心ほっとしていた。いいんだ、これで。こんなふうに軽口を叩きあって、時には笑い合って、せめてこの時間を楽しい思い出に変えられたら。
『ー跳ぶぜ、暁人』
「え?ーーーうん」
右腕がすい、と天に伸びて。頭上で待機している天狗にむけてワイヤーを伸ばす。
ぐい、と引っ張って貰って、体が再び宙に浮く。
『まだまだぁ!』
また次へ、その次へ。
全く無駄のない、洗練された動きに、思わず嬉しくなってしまう。
そうして辿り着いたのは、渋谷429の屋上。ふうと息をつく暁人の右手から伸びていたワイヤーがふ、と消えて、代わりにまた纏う靄が濃くなる。剥き出しのコアがそこに大きく開かれた傷痕とともに出現することすら、そこにKKが確かに居ることの象徴のようで愛しい。
KKの存在を確かめるように、掌を大きく開いた。
「どうしたの、急に」
『別に?ただな、オマエが天狗派だっつー理由が、なんとなく分かったんだよ。グライドしてる時のオマエ、ちょっとワクワクしてるもんな』
「え?分かる?」
『おう。そりゃな?こうしてオマエん中に入ってると、色々感じるんだぜ。嬉しいとか、寂しい、とかもな』
「…そうなんだ。なんか恥ずかしいな」
『オマエだって感じるだろ?お互い様だぜ。なんせオレたちはひとつの体を共有してんだ。心も少しづつ、溶け合ってきてんのかもな』
そこまで言って、また黙る。暁人がKK、と名を呼ぼうとした時、右手がまたぶわり、と熱く燃えるように輝いた。
手摺りに凭れてそっと空を見上げる。
どれ程時間が経ったのか。星も見えぬ空。そして大きな月は位置を変えているのかすら怪しく、街に溢れる時計たちは全てがてんでばらばらの時刻を示している。
これまでどれ程の時を過ごしたのか。
そしてーあとどれだけの時間を過ごせるのか。
そんなことを考えてしまって、慌てて他の話題を探そうと暁人がその長い睫毛をしばたかせたとき、不意に静かな声が響いた。
『暁人。オレは、オマエが大事だよ。もうとっくに、離れがたい存在になっちまってる』
「…え、」
胸が一瞬でかっと熱くなる。これまでの経験からも、その『言葉』が紛れもない本心であることが読み取れて、むず痒いような、ほろ苦いような、そんな想いで胸がいっぱいになる。
『オマエはどうだ?なんて、聞くまでもねえか、なあ、相棒?』
コアのある右掌がいつの間にか耳元に当てられて、そっと囁かれるその言葉が、優しくてあたたかくて、思わず泣きそうだ。
「…僕も、KKのことが、大切だよ。ワガママだけど、出来たらこのまま離れたくないって…そう、思ってる」
『…そうか』
オレだけじゃなかったって知れて、安心したよ。
そう言いながら、ふ、と耳元から手が離れて。目を閉じてその声にすべてを預けていた暁人が不安げに、離された手のひらを見つめた。
『永遠なんてのは、幻想だ。生きてりゃ絶対にどこかで終わりが来るーだがな、オレはそれで良いと思ってる。終わりがあるからこそ、今を大切にしたいと思えるんだからな。』
「KK…」
『その代わり、オレはこの夜をただの思い出になんてさせねえ。全てをやり尽くして、力を使い果たして、同じ目的を遂げる。オレと共にこの世界を閉じられるのも、新しい世界を作るのもー出来るのは暁人、オマエしかいない。前に肉体を失ったとき、オレは一人だったが、今度は違う。オレの最期を見届けてくれんのは、暁人、オマエだ。そうだろ?』
びゅう、と風が吹き抜ける。ふるり、と溢れた涙が頬を伝った。離れていた右掌がそっと暁人の頬を撫でて、泣くなよ、と笑う。
「…それは、僕に最期まで一緒にいて欲しい、ってことで、いいのかな」
『ああ。一蓮托生ってな?出来れば抱きしめてキスのひとつでも出来りゃあ良かったんだけどよ。…すまねえな、こんな状態で。せめて言葉以外にも何か遺せりゃ良いんだが…』
そこまで言って、ふ、とまたKKが黙る。
言葉だけで充分だよ、暁人がそう返そうとした瞬間、お、とKKが声を上げた。
『…そういや猫又から何貰ったんだ?』
「あ、そういえば…何だったんだろ?小さな袋みたいなもの…」
そう言われて、バッグに入れたままだった小袋ふたつを取り出す。
中身はよくある個包装のキャンディとクッキーで、袋の口がそれぞれ赤と白の紐で結ばれていた。
「ホワイトデーの残り物かなんかかなぁ?」
首を傾げる暁人。袋には何も書かれていない。
『ん…こりゃあ、使えるかもな。暁人、少しばかり手を貸せ』
「ええ?また急に何??」
そう言って半ば強引に手の捜査権を奪うと、結ばれていた紐をふたつとも解く。
器用にその二本を束ね、輪っかにして組み上げていく。
あっという間に、それは紅白の一本の輪に姿を変えた。真ん中で輪と輪が重なり、きゅ、と絞ればさらに締まる。
『本結び、っつってな?石器時代から伝わる、固く結んで解けないっつー結び方のひとつなんだよ』
「へえ…凄いね、確かに簡単には解けなさそうだ」
『これを…こうして、っと』
KKがそっと、その輪を頭から通して首にかけさせる。
『ほんとは指輪がいいんだろうが…残念なことに、オレはもう付けられねえからな。せめてオレの分まで、オマエが持っててくれよ。…これなら簡単には落としたりもしねえだろ?』
そっとタクティカルジャケットの内側、白いシャツの中にその輪を落として、満足げに笑う。
暁人がさっき封を切ってそのままになっていたクッキーをひとつ摘み上げ、無言で口に放り込んだ。
「…あまい」
『まあ…たまにはいいだろ』
「…クッキーがだよ」
『そーかい』
ったく、素直じゃねえなあ。
呆れた声を無視して、2枚目のクッキーを齧る。
「やっぱり甘いや、」
…クッキーより、KKのほうが。
その言葉を聞いて、今度こそKKがはっきりと声を上げて、笑った。
つられて、暁人も笑う。
『永遠の絆、なんてな』
「…永遠なんて信じないんじゃなかったの?」
拗ねたように口にすれば、馬鹿だな、と髪をわしゃわしゃと掻き回される。
『体はいつか朽ちても、思う気持ちはきっと変わらねえよ。これはまたオレの元に戻ってくるための証だーちゃんとオレのものだって印をつけておかねえとな?』
「KKってほんとそういうとこ、…ずるい」
『胸がうずうずしてんぞ暁人ぉ、嬉しいときは嬉しいって素直に言うもんだ』
ー嬉しいよ。そう口に出すよりもさきに、ぽろ、とまた、涙が溢れる。今度は自分でしっかりと涙を拭い取ると、KKが右掌をぎゅっと握りしめた。
『さあ暁人、行くぞ。オレたちが最期まで共に在れるようにーふたりが護りたいものを、守るんだ』
「ああ。ーもう、後戻りはできないね」
ポケットに入れたバイクの鍵を確かめて、暁人が頷く。
夜明けはきっともう直ぐだ。
その前に待ち受けているだろうたくさんの困難も、きっと彼と一緒なら越えて行ける。
そしてー彼が例えここから居なくなってしまったとしても、僕らには、『約束』があるからー
もう解けぬように、何者にも脅かされぬように、結び目はそっと、胸の奥に隠して。