おはよう「ちょっと、柔らかくない?」
「大丈夫だよ、後から冷蔵庫で休ませるから」
「こっちはチョコチップ入れてもいいかな?」
「じゃあ、ナッツも入れようよ!」
音が響く。複数人の声が聞こえてくる。和気あいあいとした会話に意識が浮上し、目が覚めた。眩しい日差しに手で目を覆いながら、KKは寝がえりを打ち、窓に背を向けた。光に目を慣らすと、ゆっくりと起き上がる。
「あー、いま、なんじだ?」
壁掛けの時計を目にする。時刻は昼の11時を過ぎたところであった。大きく欠伸をしたKKは眠たそうに、後頭部とお尻をかく姿はおっさんそのものである。暁人が用意したお揃いのスウェットを着たまま、寝室から出ていくと、賑やかな声が聞こえる方へと足を運ぶ。
「誰が来てるんだ?」
寝起きの顔のまま、キッチンへと顔を出す。黒いエプロンを身に着けた暁人とピンク色のエプロン姿の麻里と絵梨佳が其処にいた。狭いキッチンに女性二人、男性一人が、楽しそうに騒いでいる。
「あ、お邪魔してます!」
「おう」
手前にいた麻里が元気に挨拶をしてくる。麻里の背後で暁人と絵梨佳がオーブンを見ながら、真剣な話をしているのが見えた。麻里が握っているめん棒に麺でも打っているのかと、KKは手元を覗き込んだ。クリーム色の丸まった生地が台の上に置かれている。麺の割には甘い香りが漂う。
「何作ってるんだ?」
「クッキーです!前にお兄ちゃんが作ったクッキーが美味しくて、絵梨佳ちゃんと二人で作りたいって話してたので、来ちゃいました!」
「だから甘い匂いがしたのか」
「KKさんの分もあるので、楽しみにしててくださいね!」
「楽しみにしてるよ」
自信満々に「美味しいの作ります!」と話す麻里に、こういう時の得意げな顔は流石兄妹でそっくりだなと感じ、KKは楽しそうに笑った。
「麻里、生地は早く型取らないとすぐに柔らかくなるよ」
「えっ⁉そう言う事は早く言ってよ!」
「最初に話しただろう!」
「知らないー」
絵梨佳と話をしていた暁人が麻里の手元を覗き込みながら、喋りかけてくる。突如告げられた言葉に、焦るように麻里は手を動かし始めた。丸まった生地をめん棒で、厚さが均一になるように伸ばし始める。焦っている所為か、中々厚さが均一にならない。
「暁人さん、予熱終わったよ!何分で焼くの?」
「二十分で設定して!」
チーン。機械音と共に、オーブンの前で番人のように見守り続けた絵梨佳が暁人に声をかけた。その声に麻里は作業の速度を速める。「余裕なんて持つんじゃなかったー」と泣き言を口にする。
「KKさんも型取り手伝ってー」
「こら、麻里!KKは昨夜遅く帰ってきて疲れてるんだから!」
「だってー」
凛子からの依頼で夜遅くまで捜査していたKKが帰ってきたのは深夜であった。その為、休日に気が済むまで寝かせてあげようと暁人は起こさずにいたのだ。疲れているだろうという暁人の心遣いに、俺の嫁はどれだけ俺を甘やかすのかと心配になる。このまま行くと、暁人がいないとダメ人間になりそうだ。
「いいって、手伝う」
「もー」
「ありがとう、KKさん!」
哀願する麻里を止めようとする暁人に「もう起きるつもりだから」と声をかける。若いころは何時までも寝てられたが、今ではそんなに長い時間眠れなくなってきた。歳には逆らえない。
「顔洗ってくる」
「あ、KK!」
しかし、起き掛けだ。せめて洗顔はした方がいいだろう。キッチンを後に洗面所へ行こうとKKは暁人たちに背を向ける。廊下に出た瞬間、暁人に声を掛けられ、振り返った。
「あ?」
「おはよう」
キッチンから顔を出した暁人が「言ってなかったから」と、幸せそうに声をかけてきた。一瞬思考が止まる。何気ない一言なのに、妙に嬉しくなる。
「ああ、おはよう」
こんな和やかな朝は訪れるわけないと思っていた。ただの日常なのに、心が満たされる。折角の休日に睡眠が邪魔されたら、前までのKKなら怒鳴り散らしていただろう。今では、気さくに挨拶が出来るようになっている。仕事ばかりで家庭を顧みなかった男がこうも変わるのかと、自分自身の事に驚きを隠せない。それも暁人のおかげなのだろう。
「取り合えず、このにやけ顔どうにかしないとな…」
そう言うと、鏡の前で笑った。