逢瀬『ゴメン! 急に撮影入った。また今度埋め合わせする』
待ち合わせの一時間前に届いたメッセージに、〝了解。仕事がんばれ〟と返す。突然予定のなくなった休日。何をしようかと考える。
家の掃除はこの間済ませてしまった。買い物も、不足しているものはない。高校から一人暮らしをするようになって、身の回りの事はたいてい出来るようになっていた。
「……散歩でもするか」
晴天が多いはばたき市は今日もよく晴れていた。
たまには、ひとりでこの辺を歩くのもいいかもしれない。
森林公園に足を踏み入れる。桜は散ってしまったが、まだまだ日差しは柔らかい。休日ということもあり家族連れやカップルとすれ違う。七ツ森は今頃仕事か、なんて考える。
(あいつの好きそうなものでも作って待ってるか)
何時までとは言ってなかったが、仕事のあとはきっとうちに来るだろう。クッキーとかカップケーキとか用意していたら喜ぶかもしれない。そう思い、商店街へと足を運んだ。
(材料、どれがあったっけ……)
何を作るかは見ながら決めようと思っていたが、どれもこれも好きそうに見えてくる。たまにはプリンやホットケーキを作るのもいい。それにホイップクリームをたくさん乗せてやれば、あいつはきっと目を輝かせるだろう。その光景を想像し、つい口元が緩む。
「カザマ」
「え?」
不意に名前を呼ばれた気がした。振り向いても、声の主らしき人物はいない。
「七ツ森……?」
それは確かに七ツ森の声だった。こんな所にいるわけないのに。あいつのことばかり考えていたから、とうとう幻聴が聞こえたのだろうか。
「カザマ、コッチ……」
「!」
唐突に腕を引かれた。店の路地裏に引きずり込まれる。驚いて声を出そうとすると、男は「シー」と口元に指を立てた。
「おまえ、なんで――」
何でここに? 今頃は撮影中なんじゃないのか。
目の前に現れたのは、Nanaの姿をした七ツ森だった。サングラスにマスクをして、フードを被っているから、近くで見ないと分からないが、さすがに恋人である俺はすぐに察することができた。
「静かに。あんま時間ないから、見つかったらヤバイ」
「時間って……」
ヤバイとか言いながら七ツ森は随分と余裕そうだ。
「今、近くで撮影してて。一瞬休憩ってなった時にちょうどカザマが見えたから、コレ、衣装さんに借りてきた」
俺は相当訝しげな顔をしていたらしい。七ツ森はそう言って、見慣れないグレーのフードを指でつまむ。
「大丈夫なのかよ?」
「あんまり。すぐ戻らないと怒られるカモ」
「え……」
「カザマ、ちょっとコレ掛けて」
そう言ってサングラスを外したかと思うと、なぜかそのまま俺にかけてきた。それから再び、シーと口に指を添える。
大人しく口を噤むと、七ツ森はふっと目を細めて笑った。
「ん……っ」
触れるだけの、短いキス。断りもなく奪われた唇が熱を持つ。驚いてすぐに言葉が出ないでいると、七ツ森は満足気な笑みを浮かべて「ゴチソウサマ」と舌を出した。
すぐそこの通りでは、休日の昼間ということもありたくさんの人が行き交っている。
「おっ、おまえ、こんな場所で……! 誰かに見られたら――」
「ン。だからコレ」
ズレていた俺のサングラスを長い指で押し上げて整えたかと思うと、七ツ森はひらりとその場を離れる。
「終わったら連絡する」
と、俺にだけに聞こえるように残していった。
七ツ森の背中が人混みに紛れていくのを見送る。俺はその場にズルズルと座り込んだ。
「ったく……」
ゴチソウサマ、と笑う七ツ森の顔を思い出す。
――――どんなスイーツを前にした時より、嬉しそうな顔しやがって。
ただ、俺も、人のことは言えないのだが。