居酒屋にて もしかしたら俺は、七ツ森のことが好きなのかもしれない。
「オツカレー。待たせた?」
「お疲れ。先飲んでたから平気。つまみもテキトーに頼んでおいた」
「サンキュー」
ざわざわとした店内でも、七ツ森の声は不思議とよく聞こえた。
もう何度目かの来店となる居酒屋は、金曜の夜ということもあって、サラリーマンやOLたちで賑わいを見せている。アルコールが飲めるようになってからというもの、俺たちはすっかり夜の居酒屋で待ち合わせることが増えていた。
「ナニ飲んでんの?」
カウンター席の隣に腰掛けた七ツ森は涼を求めて首元をゆるめる。クーラーが効いているとはいえ、やはり人の多さから店の中は暑くなっていた。
「ハイボールだよ。オレンジ」
「お、イイな。俺も久しぶりに頼もうかな」
世間では梅雨が明け、本格的な夏になろうとしていた。一口飲むたびに、オレンジの爽やかな味わいが火照る体に清涼感を与えてくれる。
七ツ森の酒の好みは極端だ。カルーアミルクのような甘いカクテルを好む日もあれば、焼酎やウイスキー、テキーラを頼む日もある。さすがに複数の酒を交互に飲むようなことはしないが、この辺は食の好みも反映されているのだろうか。
「最近どう?」
先に来たつまみに手を伸ばしながら七ツ森が聞いてくる。いつもの、何気ない問いかけにドキッとしてしまう。
「別に……特には。そっちこそどうなんだよ」
「オカゲサマで、順調ですよ。来月も特集載るからヨロシク」
少し小声で近状報告する七ツ森が、モデルの顔でウインクをする。
これまで何度も見てきた何気ないやり取りだ。
それなのに……。
「わ、わかった」
何故かもうそれを直視することが出来ない。今までこんなことはなかった。せめてそう思っていることがバレないようにと、胸をドキドキさせながらもなんとか平静を保つので精一杯だった。
七ツ森は高校卒業後もNanaとしてモデルを続けている。この道で進んでいくと決めたのか、オフでもこの格好をしていることが多くなった。高校の頃は仕事の時だけだったのに。
この姿は、七ツ森の顔が良く見える。
「そう言えばカザマ、アレ、知ってる?」
「……っ」
ただでさえ近い距離が更に近づいた。
七ツ森は周りに聞こえないよう俺の耳に顔を寄せ、小声で話しかけてくる。周囲の喧騒が少し遠くなった気がした。
「俺もウワサで聞いただけなんだけど――」
「あ、ああ……」
吐息の多い、低い声。高校の時から何度も聞いてきたのに、なぜこうもドキドキするのか。今更かよと自分でも思うが、この気持ちを自覚したのもつい最近なので、本当に今更だと思う。
俺が失恋したあともさりげなく気にかけてくれた。こうして定期的に顔を合わせて互いの近状を報告し合うのだって、俺が落ち込んでいたからなんだろうということは容易に想像ができた。本当にいいやつなんだ。俺の心に余裕がなくて、もう随分と周りが見えていなかったけれど……。そんな七ツ森の優しさを感じて、好意を持つくらいには、こいつはいい男だと思う。
「……カザマ? どうした?」
「えっ? な、なにが……?」
「ヤ、なんか、上の空ってカンジだから……」
いつの間に来ていたのか、七ツ森はオレンジハイボールを手に訝しげな顔をしている。
――今の俺たちって、周りにどう見られてるんだろう。
そんなことを考える。
七ツ森はもうNanaであることを隠してはいない。もしかしたら、この店にいる誰かに気づかれているかもしれない。それでもよくて「男友達と飲みに来てるだけ」……そう思われるのが関の山だ。
だから大丈夫なのに。妙にソワソワしてしまう。
「なんか、顔赤くない?」
「あ、あー……そうだな、酔ったかもな……」
「え、もう!? 早くない? もしかして体調悪い?」
「いや、大丈夫……」
お前のせいだ、なんて言ったら、こいつはどんな顔をするだろう。そう思い切るには、まだ少しばかりアルコールが足りない気がした。
人生二度目の恋も、どうやら前途多難なようだと心の中でため息をついて、俺は残りのオレンジハイボールを一気に流し込んだ。夏はもう、そこまで来ている。