愛ジャス新刊①サンプル・ブラッドリー・ブラッドショー
コールサインは〝ルースター〟。
ノースアイランドでトップガンの教官をしている。
恋人のピート・ミッチェルと暮らしている。
色々な意味で恋人から目が離せない。
・ピート・ミッチェル
コールサインは〝マーヴェリック〟。(現在は退役)
趣味が高じて車とバイクの整備士免許を取得し、修理店で働いている。
恋人のブラッドリー・ブラッドショーと暮らしている。
日々色々な意味で恋人の重みを実感している。
※連続した日々の記録ではなく、二人のある一日を気の向くままに集めたもの、という設定です。
※上記の二人の設定は筆者の趣味です。上記の設定がなくても読み進められるものになっていますので、あまり気にし過ぎずゆるくお楽しみいただければ幸いです。
↓以下本文↓
○月+日×曜日
次々に切り替わるテレビ画面。野球選手と自動車の整備士が交互に映し出される。
「マーヴお願い、今夜は野球中継観させて」
ブラッドリーは〝お願い〟なんて言いながら、僕の手からリモコンを強奪する。その力強さに触発され、僕もすぐさま奪い返す。
「却下だ、ブラッドリー。この曜日のこの時間はいつも僕が観てるんだ」
「別にそんな決まりはないでしょ」
じりじりと近づくブラッドリーの大きな手を警戒しながら、クラシックカーを甦らせる整備士の作業を余裕なふりをして見守る。いい大人がチャンネル権を争うなんてみっともないとは思うが、些細に思えることにだって譲れないものはある。
忍び寄るブラッドリーの手がリモコンを掴んだ。僕から奪い取ったリモコンでチャンネルを変えると、彼の贔屓のチームが三失点で守備を終えた瞬間が映し出された。
「今日はもうこれ以上観ていても同じなんじゃないか?きっと勝てっこないよ」
「いくらでも勝つ可能性はあるし、勝たなくても観たいの! マーヴの番組だって、毎回オンボロ車を上手いことレストアして高く売れてよかったね〜、で終わりでしょ? 結局いつも同じじゃん」
失敬な、毎回同じなわけがない。しかし何を言っても彼には通じないだろう。僕が野球中継を観る気が全くないのと同じように。
「試合は生中継なんだよ? 見逃すわけにはいかないんだって」
ブラッドリーは身体ごと僕の方を向いて一生懸命説得する。
「……わかった、それなら僕は寝室のテレビで観るから」
「それはダメ、一緒にいてよ」
ブラッドリーは立ち上がりかけた僕を引き留める。
「それなら番組は一つに絞らないと」
観たい番組は譲らないくせに、僕が別の部屋に移動することも許さないのだから、ブラッドリーのわがままはよくわからない。せっかくテレビを複数台置いたのだから、こういう時にこそ活用すべきじゃないのか。見ると彼は一人で納得するように何度も小さく頷いている。
「よし、じゃあじゃんけんで決めよ」
ここで再び〝いい大人が〟と言いたくなる展開に持ち込まれた。
運命の一回勝負。結果は僕の勝ち。
「マーヴ、ちょっと待って」
しかしブラッドリーは、この鮮やかな僕の勝利に納得がいかないようだ。
「今ズルしたでしょ?」
「僕がそんなことするわけないだろ」
「若いアビエイターの動体視力を舐めてもらっちゃ困るんだけど」
「なんだ、君は僕が反則をすると思っているのか? ひどいな、僕は常に正直に生きてきたんだぞ」
ブラッドリーの目が大きく見開かれる。
「マーヴ、まさか本当に正直に生きてきたつもりなの?」
「正々堂々とね」
「あり得ない、それはない」
しかしそんなことを言い合っている暇はない。もう放送時間の三分の一が過ぎてしまった。
「まあいいや、それは今関係ないし」
ブラッドリーが振り切るように呟いた。
結局お互いが譲歩して、試合の行方もクラシックカーの整備も見守ることを諦めた。全く観たことのないリアリティ番組を流し見しつつ、すっかり冷めきったカフェインレスのコーヒーを啜る。
ようやく番組の趣旨がわかり始めた頃、ブラッドリーは一度、僕に聞こえるように大きく息を吐いた。それから、先ほどまでリモコンを握っていた手で僕の太ももを掴んだ。
「ねえマーヴ、この番組つまんないよ」
掠れた囁き声が耳を撫でる。一旦脚から離れた手はリモコンの電源ボタンを押し、また僕の元へ戻ってくる。
「……言うと思った」
するりとTシャツの中を滑り込む彼の大きな手の動きを感じながら、まだ何か言いたげな彼の唇を塞いだ。君のしたいことはわかった。ちょうど僕も退屈しかけていたところだ。
チームが負けようが車の修理費が嵩もうが、もはや僕の知ったことじゃない。
×月+日○曜日
ご機嫌取りをすれば必ずバレる。小さい頃からの癖を知り尽くしている相手に誤魔化しなんて通用しない。自分の失敗を隠す時の癖なんて、歳を重ねてもそう変わらないものだ。
「ブラッドリー、何か隠してる?」
二人でキッチンで食器を片づけた後、マーヴは訝しげに俺の顔を覗き込んだ。目の中にあるはずの隠し事を探ろうと、瞬きもせずじっと俺と目を合わせている。
今日の俺は朝から妙に機嫌が良く、マーヴに一瞬の隙も与えないほど一方的にくだらない話を続けていた。昼頃になってようやくマーヴは俺を黙らせ、隠し事でもしているのかと尋ねた。
「……いや?」
下手くそな返事はますますマーヴを疑わせる。
「怒らないから、正直に言ってごらん」
〝怒らないから〟と言われて、本当に怒られなかった人なんているんだろうか。かといって、もう正直になる以外に道はなさそうだ。
「……マーヴのマグカップ割っちゃった」
「マグカップ? どれのこと?」
マーヴは目を丸くした。
「粉々になったからもう捨てちゃった。濃いグリーンのやつ」
丸くなった目はすぐに柔らかく垂れた。
「それだけ?」
「え、うん」
「なんだ、そうだったのか……。あれはもう古いから大丈夫だよ」
マーヴはなんでもないように頭上の棚を開けた。
「ごめん、マーヴ」
「大丈夫、謝る必要ないよ」
マーヴは俺を優しく宥めながら、棚の中を探った。
「それなら、ついにこれをおろす時が来たね」
棚の奥から戻ってきたマーヴの右手に握られていたのは、白地のマグカップ。そこには拙い文字で〝Mav〟と書かれていて、人間や空に見えなくもない下手な絵が添えられている。うわ、これってもしかして。
「俺が昔作ったやつ まだ持ってたの」
「当たり前だろ? 君からのプレゼントだぞ?」
マーヴはきょとんと首を傾げた。当たり前だろって、俺が割ったマグカップよりこっちの方が古いんじゃないの……。
「これ、一度も使ってないでしょ……?」
「うん、もったいなくて」
眉を下げたマーヴは小さなブロンドの人間の絵を愛おしそうに撫でた。
「ああでも、これも割れてしまったら嫌だなあ……やっぱりとっておこう」
顔が熱くなるのを感じながら、棚に戻りかけたマーヴの手を慌てて止めた。
「待って、これは使って」
マーヴは手を下ろしてマグカップを胸元で握り直した。
「使ってくれた方が嬉しいから」
マーヴは本当に怒らなかった。その代わり使ってほしいという俺のお願いにはピンと来ていない様子だったが、たまになら使うよ、と約束してくれた。
失敗を正直に話してよかったとは思う。ただこの家にいると、いつどこで恥ずかしい思い出の品が出てくるかわからない。マーヴが嬉しいのならそれでいいけど、怒られるのと同じくらいの衝撃を受けていることは言っておかなければならない、とも思う。
×月+日○曜日
僕には子どもがいないから、しつけというものはよくわからない。キャロルが「マーヴからも言ってやって!」とブラッドリーを(時折グースをも)叱っていた時にだけ、親になる感覚をほんの少しだけ学んだ気がする。
とはいえ、ものを食べながら歩くのは良くない。子どもがいなくともそれはわかる。
「ブラッド、行儀悪いぞ」
昼食はリビングでのんびり食べよう。そう誘ったのはブラッドリーだった。この家で食いしん坊なのもブラッドリーだから、キッチンからリビングのソファへ歩いて行く道を、彼はホットドッグを頬張りながら歩いていた。
「ごめん、早く食べたくて」
咀嚼するのに合わせて、ブラッドリーの口髭が緩やかに揺れる。ソファに腰を下ろした彼は「んまいよ、これ」とホットドッグを持ち上げた。
「少しくらい我慢できるだろう?」
「できなかった」
ブラッドリーは口の端にホットソースをつけ、けろりとした表情で答えた。うちは豪邸ではない。キッチンからソファまでは数秒の距離だ。
「君は時々我慢するのが下手だね」
「食とマーヴに関する欲は我慢できなくて」
なんだそれ、食と僕は同列なのか。
「まあ、マーヴの方が煽るの上手いけどね」
年下の、それもうんと年下の恋人にこんなことを言われた時、僕は何と答えるのが正解なのだろう……。君は一体、誰を見てこんな発言を学んだ? 僕のそんな疑問も知らず、ブラッドリーはホットソースをつけたままの唇で僕の頬にキスをした。
「ソースついたよ、ここ」
彼が口づけた箇所を指し示すと、ブラッドリーはなんとも嬉しそうににんまりと笑った。僕はどうやら彼の何かを刺激してしまったようだ。
「ほら、やっぱり我慢できない」
言いながらブラッドリーは頬のソースを舐め取った。〝マーヴに関する欲〟を刺激された彼の微かな鼻息が、僕の肌をくすぐり産毛を逆立てた。
「ブラッドリー、僕まだ一口も食べてないんだけど」
「昼飯がそんなに大事?」
「だって……冷めちゃうだろ」
「温め直す手段ならあるでしょ。それよりも俺が先だよ」
正直に言おう。僕の理性も本能も何もかも、待ちきれないブラッドリーの囁き声に刺激され、この先に起こることを求めている。我慢できないのは僕も同じだ。