首実検「謀反人、源義経を討ち取れ!」と言った者がある。
「生け捕りは無用である」と叫んだ者がある。
「首を持ってきた者には褒美を取らす」と付け加えた者がある。
勇ましい足音を響かせながら皆が出て行ったのを見送ったのち、小生は安堵していた。これだけの人数を出したのだ。小生が手を下さずとも、じきに我が弟は物言わぬむくろとなり、遠き世界へひとり旅立つであろう。
もうあの瞳に射すくめられることはない。あの声に心震わされることもない。あの体の熱に、あの笑みに。
あとはこの御所の奥でただじっと構えているのみが、小生の当座の仕事なのだ。
後刻、閑散とした部屋に届けられた首桶の数は、五つであった。
「……これはどうしたことかな」
首桶を運んできたもののふたちは、みな具足のあちこちを赤黒く汚している。血と鉄の匂いが鼻をつく。その体で御所に上がってはならぬと知っているのか、庭土にひざまずき、小生から遠く距離を取っていた。
「恐れ多きことにはございますが」
「頼朝様に首実検を行なっていただきとうございます」
「討ち取った者たちは、皆『これこそが義経の首である』と言って譲らぬのです」
「義経の肉親たる頼朝様ならば、お顔を見分けられるものと存じます」
「……成程」
ここで知らぬ存ぜぬを通すわけにはいかなかった。命を下したのは小生である。武人どもの期待にそむくわけにはゆかぬ座に収まっているのが小生である。手首の内側で、首の横で、こめかみで、激しい音を立てて血が巡り出した。
ひとは、畏れているものと向き合えば目を伏せる。直視しないものを克明に覚えておくことなどできはしない。――我が弟の顔とは、さてどんなものであっただろうか。
敷物から立ち上がり、濡れ縁へ出る。生臭いにおいがより強くなった。
初めに開ける桶を定め、木蓋に触れる。生木は血に濡れて膨らんだのか、重い音と手応えを残しながらその中身を露わにした。
収められていたのは、年端もゆかぬ少年の首だった。あにうえ、とあどけない声が耳を打ったような気がした。
ふたを閉め、隣のひとつに手を伸ばす。触れようとして、けれど指先がひきつった。ふたと桶の隙間から、黒々とした髪がこぼれている。髪紐が切れ、まげがほどけたとしても、長すぎるほどの髪だった。
「女ではないか」
「しかし持って来た者は、これこそが義経だと申しておりました。丸く大きな瞳、優美な額。とっさに他人を装ったのかもしれませぬ」
そう言われれば、そうであるような気もした。あれは武芸に秀でているのみならず、容姿も整っていたように思う。かつらをつけ、顔を白く塗れば、或いは。
奥の桶を開ける。がっしりとした骨格は凛々しく、いかにも腕に覚えのある武人の面構えを彷彿とさせた。
「勇猛そうなお顔立ち。頼朝様に似てございます」
「……そうかな」
首を傾げたものの、相手はかしこまって頭を下げたのみだった。
小生に似ているのかどうか、小生には判別がつかない。血を分けたきょうだいであろう、という言葉が四方から突き刺さってくる。
別の桶には、まつげの長い優男の首が。最後の桶には、きめの細かい肌と丸い頬の持ち主が入っていた。
「これらを持ってきた者たちは、どうしている」
「別室に留めてございます。褒美欲しさに虚偽の申し出をしたとあらば、厳重に処罰せねばなりません」
つまりその一室に集っている者たちのうち誰かは――或いは五つの首全てが赤の他人のものであるという可能性もあるが――我が弟と相対し、黄泉の国へ送る手助けをしたということだ。内密にその者に会って、ことの詳細を聞きたかった。首が掻き切られる寸前、弟はいかなる言葉を発したのか。何かことづてはないのか。つまり、この兄に向けて、何かしらの贈り物は残さなかったのか。
「……ふ」
「……頼朝様?」
そんなことは、口が裂けても尋ねられるはずがなかった。「弟を斬れ」と、兄が皆に命じたのだ。いまや兄は弟に何の関心も持っていない、そのはずだと、皆がそう信じている。憎らしくて可愛い我が身内に執着していては、まつりごとは成り立たない。弟の最期など、この頼朝は気に留めてはならぬのだ。
立ち上がり、膝を払う。木桶のふたを閉めてなお、先ほど目に映したもののすべてがまぶたの裏に焼きついていた。
「誤った首を持ってきた者、全員が褒美欲しさの嘘をついたとは限らない。よくできた影武者に謀られたということもある。無暗に罰することは避けるよう」
「これは慈悲深きお言葉」
かしこまって頭を下げる家臣らは、次なる小生の言葉を待っている。彼らが何を待っているのかは、口に出されずとも分かり切っている。
一体どれが義経の首であるのか。疾く、示せと。
「『トロフィー』が現れました」
優秀な参謀は、利発そうな響きにどこか恍惚とした気配さえ漂わせて、そのような報告を寄こした。
「……待っていたよ」
かの「賞品」がこの東京に姿を現す時期は、ループによってまちまちだ。けれど決して、初めから小生の手の届く距離、或いは息のかかった勢力の中にいたことはない。そこまで嫌われているのか、と肩を落とす己の奥で、それも道理よ、と己を嗤う声がする。自らの首を落とせと命じた兄を慕う弟など、どの世界にいるというのだ。
殺風景な一室の中、参謀はうやうやしく一台の端末を差し出してみせる。今回のループに現れた「賞品」、その姿を映した映像に違いない。
かつて、小生が「これこそが我が弟である」と示した首が、あの顔が、まざまざと脳裏に浮かび上がる。あの時から一日たりとも忘れたことはない、小生の信ずる弟の顔。「賞品」の発見と報告、この瞬間は、何度も繰り返される答え合わせなのだ。
端末の画面を確かめる。制服姿の弟が、何も知らぬ様子で笑っていた。
「……やはり小生は、間違ってなどいなかった」
そばに控える彼女の顔がわずかにこわばったことに、小生は気づかないふりをする。否、そんなことに構っている暇はなかった。端末の中、映る顔をじっと検分する。やはりあの時、我が弟はこれであると指差した顔に、よく似ていた。それでいて、まるで別人のようでさえあった。
黒く沈んだ血と泥にまみれ、無残にこときれた桶の中の首。見開かれた瞳はどろりと濁り、皮膚は哀しく乾いていた。
それが、いま端末に映る顔はどうだろう。まばゆい輝きに満ちた双眸。生き生きと踊る髪。頬は血色をにじませ、その唇は誰かの名を呼んでいる。この鮮烈に煌めくいのちこそが、小生の畏れたものに違いなかった。
「――これこそが、我が弟である」