戦闘シーンの草稿 居合わせた混の志献官に荷物を預け、侵食領域の中へと入る。営みの匂いどころか、生き物の気配すらかき消える。
ぐう、と喉が無意識に鳴った。錆び付いたように体が重い。侵食圧が、仁武を過剰なまでに押し潰している。
喉が引きつり世界が回った。悲鳴があった。怒号があった。元素術が、仲間めがけて飛び交っていた。見ていることしかできなかった。立ち尽くすばかりの無力な仁武を、あの人が必死で転移装置に押し込んだ。
迫り上がるような苦みを飲み込む。自然と眉間に力が入り、にじんだ汗を乱暴に拭う。首を振る。よろめきながら壁に手をつく。浅い呼吸を、意識的に整える。
呼吸を重ねるうちに人心地がついた。顔を上げ、色を失った街を見渡した。
この侵食圧なら、さほど等級は高くないだろう。刀を生み出し、デッドマターを探しながら歩く。大きな咆哮が空気をひどく震わせた。音を頼りに走り出す。突如上から迫りきた、空気の塊の圧を感じて跳び退る。
地面がえぐれた。砂埃が立ちこめる。かすかに風を切る音がした。仁武がとっさに横飛びに離れると、頬を小石がかすめていった。
地面を掠めた生物もどきが、再び羽ばたいて飛び上がる。頭蓋骨を被ったような頭、皮を剥いだようなこうもりの羽を、蛇のような胴体につけた竜のような暗黒の虚無――デッドマター丙型だ。
上空で羽ばたく不気味な眼が、仁武をじっとりと見下ろしている。腰を落として息を吐く。丙型の高度に近い高さの建物へと瞬時に走る。かまいたちのように襲い来る風圧を切り払い、仁武は窓の突起を掴みながら屋根へと駆け上がった。
形状だけは寸分違わぬ煉瓦街は、しかし色彩を失い呼吸を止めた死骸の景色だ。仁武はてのひらの上に鉄球を作ると、旋回している丙型に向けて投げつける。
体勢を崩して落下した虚無は、地面に擦れる直前に羽ばたき、仁武の方へと迫り来る。骨のような口を開くと、一瞬の間の後空気が震えた。飛び退くと同時に、右の翼の骨めいた部分を切り飛ばす。視界の端で、切り飛ばされた暗黒の虚無が霧散した。仁武はすぐに弊型との距離を詰め、頭蓋にあるはずの目元の虚に刀を力任せに突き刺し切り上げた。勢いのまま飛び上がり、己が鉄で刀の密度を限りなく上げる。体重に重力を上乗せし、輪郭がゆらめくその首めがけて思い切り刀を振り下ろした。
キン、と硬質な音が響く。ゆっくりと、煌々と光を反射する刃先が太陽を目指す。
屋上に転がるように着地する。視界の端で、折れた刀が回転しながら地上に落ちていった。丙型は、暗黒をぐちゃぐちゃに固めたような下半身に雷をまとわせ仁武へと迫る。
汗が噴き出る。握るてのひらがべたついている。雷がバチバチと迸る虚無に折れた刀を柄を外して投擲し、すんでの所で屋上から飛び降りる。
着地と同時に転がり避けると、ドンと激しい衝撃があった。着地点が黒ずんでいる。
肌が粟立つ。反射的に鉄パイプを作り出して構えると、丙型が身を細くして突進してきた。ほんの一瞬、受け止めたように拮抗したが、仁武の体が建物の壁に叩きつけられる。鉄パイプが転がった。かは、と肺の空気が無理矢理外へと吐き出された。ざらざらと砂や埃が降り注ぎ、肺が空気を取り込もうとして痙攣する。
ざらついた壁に手をつき、よろめきながら立ち上がる。飛び上がって旋回する生物もどきが、観察するように仁武を見ている。
仕留められたはずだった。何度も倒した形態だった。玖苑と組むときはいつだって、とどめを刺すのは仁武の役割だったのだ。
手についた砂を払うこともそこそこに、より純度を高めた刀を創る。普段よりも重みの増したそれを握る拳に力が入る。ひとりで倒せないはずがなかった。
心臓が強く収縮している。耳鳴りのように血が巡る。喘ぐように呼吸をし、デッドマターの隙を窺う。建物の陰に身を隠しながら風上に動くと、丙型が何かを見つめて高度を上げた。
目をこらす。仁武は刀を構え直し、すり足気味に移動する。蹴った小石の音すら聞こえる静寂だけがこの場に取り残されている。