午前零時を過ぎたら ちかちか、と瞬きながら着信の合図が鳴り響いたのは、日付が変わるほんの少し前だった。
「もしもし――ごめんね、夜分遅くに。いま、大丈夫だった?」
受話器越しに届けられるすこしくぐもったやわらかな声は、身近で直接耳にするよりもなぜだかずうっと穏やかでくすぐったくて、心地よく心を震わせてくれるのが不思議だ。
「うん、平気。もうお風呂入ったし」
答えながら、つけっぱなしだったテレビの電源をそうっと落とす。
遠野くんは? 何の気なしに尋ねれば、なんで聞くの? だなんてすこし困惑したようすの答えが返される。
「だってさ、気にならない? そういうの」
「わからなくもないけど」
苦笑いまじりに返される言葉に、ふつふつと愛おしさとしか呼べないものが膨らんでいく。
「いいけど、どうしたのこんな時間に」
なにか悪いお知らせ――ではなさそうだけれど。壁にもたれかかったままそっと尋ねてみれば、遠慮がちなささやき声がしずかに落とされる。
「ほら……誕生日でしょう、もうすぐ。だから」
「あぁ、」
ためいき混じりにささやけば、たちまちに脳裏にあの、ひどく照れくさそうなやさしい笑顔が浮かびあがる。
「ありがとう、わざわざ。フライング?」
冗談めかすように尋ねてみれば、すこしだけ困ったようすのくぐもったささやき声が届けられる。
「だってほら、君のことだからきっとたくさん連絡だってくるだろうから――」
……あぁもう、なんてかわいい。どうしてこんな時、目の前にいてくれないんだろう。たまらない気持ちに駆られながら、思わずふっと天を仰ぐ。
「ひとりじめにしたかったってこと? ありがとう」
「……そうだけど」
困ったような口ぶりで告げられるせりふに、心の奥はくしゃくしゃにたわむ。
甘えることも我儘を言うこともひどく苦手なのを知っている。だからこそ、こんなふうにふいに見せてくれるどこか子どもじみた顔がたまらなく愛おしくなるだなんてことを果たして知ってくれているのだろうか。
見上げた壁時計では、ちょうど〇時の針が重なり合う瞬間をいままさに迎えようとしている。
「変わったね、日付。誕生日おめでとう」
誰よりも早くに告げられる言葉に、否応なしに胸は高鳴る。
「ありがとう、すごくうれしい。ね、せっかくだからお願いしてもいい? プレゼント」
「いいけど……なに?」
すこし困ったようすで投げかけられる問いかけを前に、にこりと笑いながら答える。
「名前で呼んでよ、プレゼントだと思って」
愛してる、だなんて言わなくてもいいからさ。
照れ屋なせいもあって、限られた時にしか呼んでくれないのを知っていながらわざとそうおねだりしてみる。
「おやすいご用でしょ、そのくらい」
「……まぁ、」
ごくり、とちいさく息をのめば、とっておきのやわらかなささやき声がこぼれる。
「誕生日おめでとう、貴澄。……生まれてきてくれて、ありがとう」
受話器越しにつたうように溢れ出す言葉に、音も立てずに心はしずかに震える。
「――ねえ、」
「なに、そんなにおかしなこと言った?」
ひどく照れたようすのぎこちない言葉に、息苦しいほどの愛おしさが募る。そういうところだよ、ほんとうに。
「そんなことないって――反則だなあって思っただけだよ」
「だから、どういう意味なの」
すこしだけもどかしそうに紡がれる問いかけを前に、にっこりと笑いながら答える。
「大好きだってことだよ」
かすかに聞こえる息をのむ音に、ふわりと心をおだやかに締め付けられるのにただ身を任せる。
「あのね、ひよ」
「……うん」
受話器越しに聞こえる声に、くすぶったあたたかな色がわずかに灯る。ほんの僅かな時しか呼ばない、ひどくあまえた呼びかけ方は特別な色を帯びているから、答えるその声にもあまやかな余韻が滲んでいる。
「ありがとう――すごく好きだよ」
「……うん」
「どうしたの、照れてるの? 知ってるでしょ、いつも言ってるんだし」
「からかわないでよ」
あぁ、きっと真っ赤になってるはずの綺麗な形の耳にいますぐ触りたいな。もどかしさに襲われながら、おなじようにほんのり熱を帯びた自分の耳に触れる。
「日和も言ってよ、いいでしょ」
「会ってから言うよ、明日――じゃなくて今日だね、もう」
「みんなも一緒だよ、平気なの?」
すこしだけ強気な口ぶりで尋ねてみれば、照れくさそうに滲んだ言葉がぽつりと洩れる。
「――みんなと会う前で」
「内緒でデートするの? それもいいけどさ、いまも言ってよ」
いたずらめいたおねだりを前に、観念した、とでも言わんばかりのくぐもったささやき声が落とされる。
「おめでとう――愛してるよ」
あぁもう、どうしたらいいんだろう。
「ありがと……どうしよう、どきどきして寝れなくなっちゃいそうなんだけど」
「大げさだよ、そんなの」
「そんなことないよ、日和はそうじゃないの?」
「……僕もそうだけど」
「ならいいや、お揃いってことでしょ?」
くすくす笑いながら、跳ね回る心臓にそっと手を当ててみる。
生きている、ここにいる、こんなにも思っている。高鳴る音に、いいしれのようない思いが幾つも膨らむ。
きっといまごろ仲間たちの幾人かは連絡をくれているはずで、明日にはいつものみんながお祝いを開いてくれる約束だってあって、その中にはいまこうして真っ先にお祝いを告げるために連絡をくれた大切な相手がいて――それでも。
「ありがとう、ほんとうに。夜更かしさせちゃって申し訳ないけどさ、もうちょっとだけ話しててもいい?」
「……うん」
あたたかなささやき声は鼓膜をつたって心の奥底へとすとんと穏やかに落ちて、ひたひたと満ち足りた温もりをもたらす。
一年にたった一度、大切なこの日が、誰より愛おしい恋人とともにゆっくりと幕を開けていく