石乙散文 その調理場にはプーンと甘い香りが漂っている。部屋の片隅に座っていた石流は、目の前の調理場でせっせとチョコレートを溶かしている乙骨をぼんやりと眺めていた。
今日は2月13日、つまりバレンタインデーの前日である。現代の日本において、バレンタインデーがどんな意味を持つかは石流も受肉した肉体の記憶を通して知っていた。女が好きな男にチョコレートをプレゼントする日、らしい。
乙骨は男だし、女ではないけれど、その慣習通り、好きなやつに渡すチョコレートを作っているのだろう。
(……そんで、その味見を頼まれた俺は、その乙骨がチョコレートを渡したい、好きなやつ、ではないわけだ)
そう考えたら思わずムッとしてしまうのは仕方ないだろう。
石流はその日、乙骨に声を掛けられ、自分が作ったチョコレートの味見をしてくれないかと頼まれた。明日がバレンタインデーなのはすぐに気付いたのだが、同時にそれを俺に頼ってことはつまり……と察してしまったことがある。
(乙骨が好きな相手は俺以外の誰かってことだ。そいつのためのチョコの味見をあろうことか俺にさせると)
そんな不満はあるけれど、結果的に乙骨のチョコレートが食べられるならまぁいいかと思って、乙骨がプレゼント用のチョコレートを作る調理場の脇でその様子を見ているのだが、一生懸命チョコを溶かして、あれこれ調べながら材料を入れる姿を見ていると、どんどん腹立たしくなってくる。
(……こんな風に、乙骨にチョコを作らせるなんて、何処のどいつだよ…)
そんなことを考えていれば、乙骨が冷蔵庫から取り出したトレイを持って石流の方に近づいてきた。
「石流さん、これ…最初に作った試作品なんですが、食べてもらってもいいですか?」
トレイに乗ってるのは丸いトリュフチョコ。石流はムッとした表情のまま、それをひとつ手に取ると、口の中に入れた。
噛めば中からドロッと果実の味が広がってそれがチョコレートの味と混ざり合った。
「……どうですか?」
チョコレートを食べる石流に、乙骨が恐る恐る聞いてくる。なんて答えようかと一瞬迷ったが、石流はそのまま、答えることにした。
「……ウメぇよ、俺には少し甘すぎる気もするが」
「……そうですか」
石流の答えに、乙骨がホッと息を吐く。その表情にも胸の奥がズキンと痛んだ。自分の片想いなのは分かるのだが、敵に塩を送る形になっているのが何となく恨めしい。
「……なぁ」
「はい?」
「このチョコ、誰に渡すんだ?」
トレイの上にはトリュフチョコだけでなく、四角い生チョコや、ブラウニーのようなものもあった。こんなに何種類もたくさん、一体誰のために作っているんだと思ってそう問えば。
乙骨はわりとあっさり答えてきた。
「狗巻くんです」
狗巻……って、あれか、乙骨と同級生の。
「あと、パンダくんと、真希さん。迷惑じゃないなら日下部先生や、五条先生、虎杖くんたちにも渡したいなぁ」
そう言って乙骨が嬉しそうに続けてきた名前に、石流は「ん?」と思う。
「……それ、高専の連中の名前だよな?」
「そうですけど?」
「オマエが作ってるのは、ダチにあげるチョコレートってことか?」
「……そうですけど?」
乙骨は当然だと言わんばかりに頷いたが、てっきり好きなやつのために一生懸命チョコレートを手作りしているんだと思っていた石流は、なんだよーーーー!!!と思いながら、頭を抱えた。
(かんっぜんに…!俺の早とちりじゃねぇか……)
「……石流さん?」
そんな石流の心情を知る由もない乙骨は、不思議そうにこちらを覗き込んでくる。石流もゆっくりと顔をあげた。
もしかしたら乙骨が大好きな友達や世話になっている恩師のためにチョコレートを作っているというのが方便で、本当は好きな人のためにチョコレートを作っている可能性もある。友達のを作りながら出来のいいものを本命チョコにする可能性だってある。仮にそうだとして、少なくとも石流はその対象ではないのだ、だからこそチョコレートの味見なんて頼んできた。
そう理解したら無性に悔しくなってしまった。
(……だったら、)
石流は、トレイから四角い生チョコをひとつ取った。
「……乙骨、俺はオマエからのチョコ、勝手にもらうぞ」
「え?」
そしてそれだけ言うと、持っていた生チョコを乙骨の口に突っ込み咥えさせた。
「んっ!?」
それからそんな乙骨に顔を近づけて、チョコレートごと乙骨の唇を食らうように、口付けた。
「ン……」
乙骨の身体がピクンと震えた。
石流は乙骨の唇からチョコレートを取るとそれを溶かして舌に塗れさせてから、その舌を乙骨の口内に差し入れた。
甘いチョコレートの味がふたりの口内で交わり、広がっていく。トレイで両手が塞がっている乙骨は無抵抗でそれに気を良くして、石流はチョコレートの味がなくなっても、乙骨の口内を堪能した。
「ふぁ、あ……」
唇を離せば、口内に入りきらなかったチョコレートが乙骨の口の端に付いていて、石流はペロリとそれも舐め取った。
「……SWEETだな」
そして自分の唇もペロリと舐めあげれば、はぁはぁと息を切らした乙骨が睨むように石流を見てきた。
「……急に、なにするんですか…」
さすがに嫌われただろうかと思ったが、そもそも自分に味見なんて頼むのが悪いんだよと開き直り、石流はハッと笑った。
「だから言っただろ、オマエからのチョコは勝手にもらうって」
「いや意味が分からないんですけど」
「……俺へのチョコは、その中には含まれないんだろ?」
不機嫌そうな乙骨にこっちも腹が立ってきてムッとしながらトレイを指差しそう返せば、乙骨が「はぁ?」と眉を寄せる。
「ないに決まってるじゃないですか!」
「だから俺が勝手にもらうって言ってんだよ!」
「いや、勝手にってなんですか!」
いつの間にかお互いに声を荒げた言い合いになっていた。しかし、次の瞬間、乙骨がとんでもないことを言った。
「石流さんにはちゃんと美味しい本命チョコ買ってありますから!!」
………ん?
こいつ今、なんて言った…?
本命チョコ…?
買ってある…??
石流が疑問符を浮かべて混乱していれば、乙骨が顔をボンッと真っ赤にさせて「言っちゃった~~~」と頭を抱えた。
これはつまり、どういうことなのか。
「…………まさかオマエ、俺の分は市販なのか?」
「……だって僕が作った美味しいか分からないのより、買った方が絶対美味しいじゃないですか…」
「いやそれフツー逆だろ!?つーか、ダチにはその美味しいか分からないのでいいのか!?」
「……だからアナタに味見してもらってるんでしょ?」
何故かムッとした表情でそんなことを言ってくる乙骨に、がっくりと肩を落とした。なんだこれ、どういうことなんだよ、と思わないでもないが、乙骨らしいといえばそうかもしれない。
(友チョコが手作りで本命は市販って……いや、本命??って突っ込むタイミングを完全に逃したんだが)
石流が頭を抱えて眉を捻っていれば、乙骨は「もう、石流さんへのチョコは明日まで秘密だったのに…」と不満そうに零している。
乙骨の行動はどうであれ、その気持ちは間違いないのだろう。そう考えたら嫉妬で不機嫌になっていた自分が恥ずかしくて、同時に乙骨の本心も行動も全部まるごと欲しくなってしまって、だから。
「…乙骨」
そっと乙骨の肩を抱いて顔を引き寄せた。またキスできるくらい近い距離になれば、乙骨が頬を染めて目を見開き、それでも「なんですか?」と石流を伺ってきて。
「…明日、オマエからもらえるチョコ楽しみにしてるぜ」
「う……はい」
「あと、ダチへのチョコの失敗作も含めてぜーーんぶ俺に寄越せよ」
「は?なんで…?」
「なんでってそりゃ……」
言いかけて、その続きは、乙骨の耳元で囁いた。
「俺だってオマエのSWEETな手作りチョコが欲しいからだよ」
その言葉に、乙骨は再び顔をボンと真っ赤にさせて、「勝手にして下さい……」と答えた。
おうそれは勝手にさせてもらうわと思いながら、石流は乙骨の耳元にちゅっと口付けた。