愛の切れ端 腹に絡まる温い体温に、瞼に刺さる太陽の熱。やけに煩いココガラの声、鳴り止まぬアラーム音。それらが薄い膜一枚巻いたような心地で感じたダンデは、暫くはぼんやりとシーツに懐いていたが、やがてそれらの意味を正しく理解した。
「…っやばいぜこれは!!」
今までに何度も経験してきた中でも特段アウトな予感のフルコンボに、内心冷や汗を掻いて、ベッドから背筋を使って勢いよく起き上がる。一緒に寝床へと潜り込んだチョコレート色の肌をしたドラゴンが、未だに横で呑気にスヤスヤと眠り込んでいた。休日ならずっと眺めていたいその顔も、今のこの原因を作った一因でもあるので只々憎らしい。
「っこの!起きろっ!!」
これくらいしないと起きないし。なんてちょっとだけ恨みを晴らす言い訳をしながら、鬱血痕と噛み跡だらけの右足で、背中に爪痕が残る大男の背中を思い切り蹴り飛ばした。
「やばいやばいっ!もうここまでくると笑えてくるくらいやばい!」
「ロトト〜!だからあんなにアラーム鳴らしたロト!早寝すれば良かったロト!」
「正論過ぎて返す言葉も無いぜ!」
ドタドタ、バタバタ
まるで漫画のようにあっちこっちへと走り回りながら身支度を整えていくこの光景も、だいぶ見慣れたものなので、2人暮らしを始めた当初は2人の周りを心配そうにウロウロとしていたポケモン達も、最近は呆れたように眺めている。
「ダンデ!それオレさまの靴下!」
「キミこそ!それはオレのベルトじゃないか!?」
なんとか2人で体裁を最低限整えるべく、洗面台へと並び、思いっきり顔面へと冷水をぶちまけながら洗顔をし、歯を磨いた。そのまま家を出ようとするダンデに、オーナーとして、顔が命と言わないまでも、せめて髭くらいは整えておかないと!とギャアギャア騒ぐキバナに根負けしもどかしく思いながらある程度髭を整え始める。それを見届けたキバナは、急いでいるからかダンデを置いてサッサと洗面所を出て行ってしまった。
「髭、無くしてしまおうかな…」
童顔になってしまうので叶わない夢ではあるが、こうも寝坊が多いとちょっとだけ考えてしまうものなのである。
ようやっと髭も整えリビングへと向かうと、テーブルの上には、ランチクロスに包まれて2つ仲良く並んだランチボックス。予想外の物の登場に思わず目を瞬かせる。
「急いでたから簡単なやつでごめんな!職場着いたら朝ご飯にして!足りなかったらなんか適当にデリ買って!」
キッチン奥から食器を動かす音を響かせながら、キバナの声が聞こえてくる。
「うおお…凄いなキミ、この短時間で。キバナー!愛してるぜっ!じゃあ行ってくる!」
「その言葉、顔見て聞きたかったー!!いってらっしゃい!」
忙しい中でも、自分を思って作ってくれたであろう気遣いが嬉しくて、心の中で「朝は蹴り飛ばしてごめんな」なんていう気持ちにさえなる。本当ならハグの一つでもしたいところだが、時間が本当にギリギリなので、泣く泣く我慢し、ボックス一つを引っ掴んでリザードンと共にタワーへと、こうそくいどうさながらのスピードで飛び立っていく。
暑い夏が終わって、漸くの秋空。急いでいるとはいえ伸び伸びと羽を伸ばしながら空を飛ぶ相棒の背から見上げる綺麗な青空は、とても清々しいものだった。
「それで、今日はスーツのボタンが一つずつ掛け違えているんですね」
「えっ?…これで受付通ってきてしまったぜ…」
「そんなに恥ずかしがるなら、日頃からもっと寝坊しないよう気を付けてくださいね」
「ぐうの音も出ない」
何とか始業時間ギリギリに辿り着いたデスクの前で、秘書に小言を言われつつボタンを掛け直す。何故だかいつもより笑顔が不自然だった受付スタッフの態度の意味が分かり、恥ずかしさと、せめて家を出る前に鏡を見れば良かったと後悔するがもう遅い。
「朝の予定確認なんだが、申し訳無いが朝食食べながら聞いても良いだろうか?」
「良いですよ。何も食べないでやる仕事は、良い結果にはならないですからね。キバナさんが?」
「ありがとう。ああ、時間が無いのは同じだろうに急いで作ってくれたみたいで…っと?」
ランチクロスに手をかけようとしたところで、ポケットからスマホロトムが飛び出して着信を伝える。相手は、丁度話題に上がっていた人物からだった。ダンデが目線を秘書に向けると、秘書は慣れたように頷いてダンデの後ろに控える。ダンデはお礼の意味を込めて笑みを浮かべ、そのまま通話ボタンを押す。
「どうした?」
スイっとダンデの目の前に移動してきた画面には、普段あまり見ないようなバツの悪そうな顔をしたキバナが映る。
「わりぃ、仕事始まってる時間だろうに」
「大丈夫。秘書にも今お目溢しを貰ってる所だ」
キバナに見えるように横に体を捻り、秘書が映るようにすると、慣れたように秘書も上品に笑い、「お気になさらず」と軽く手を振る。
「…あのさ、今朝渡したランチボックスなんだけど…」
「ああ、丁度今から食べようかなって思ってたんだが。どうした?」
「いや、そのさ。あれ、ちょっと中身オレさまのと間違えちゃってて。恥ずかしいからできれば中身を見ないで欲しいなって…」
「えっ?何でだ?」
「いや、兎に角!本当に開けるのだけは勘弁してくれっ!あっちょっとリョウタ!」
「もうっ!良い加減にしないと間に合いませんよ!先方が待ってるんですから!申し訳ありません、ダンデさん。時間が押してて…」
「気にしないで良いぜ!また後で連絡するとキバナには伝えてくれ。じゃあ」
ぷつり。と切れて真っ暗になった通話画面をダンデは暫く眺め、その後デスクの上に置かれたランチボックスを眺め。
「よし、開けよう」
「そうこなくっちゃですね」
人間、やめろと言われれば逆にやりたくなる。見るなと言われれば見たくなる。若干ウキウキとしつつ、2人並んでクロスを解いて可愛らしいリザードンがプリントされた蓋を開ける。
「…あらあら」
「なるほど。こういうことか」
中身はキュウリとハムのサンドイッチに、キバナが作り置きして、よく入れてくれるミニハンバーグだった。ただ、その見た目がダンデがよく見る物とは違かった。ボックスの中。サンドイッチを入れて余ったのであろうスペースに、切り落としたパンの耳がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、その上には乱雑にマヨネーズがかけられている。その横にあるハンバーグは、焼いている途中に砕けて欠片になったものを集めてのだろうか。パンの耳と同じように雑にケチャップがかけられてカップの中に盛られている。
「キバナの作る、オレの分のランチボックスにいつも綺麗な料理ばっかり詰まってる理由が、漸く判明したぜ」
「いつも、お店のみたいに整った中身でしたものね。愛されてますねぇ…で、どうするんです?」
「勿論、食べるぜ」
答えは分かっているだろうに、そう聞いてくる秘書に、ダンデはにこやかに答えながら愛の切れ端に齧り付いた。
明日はちゃんと早起きして、こっそりキバナの分のランチボックスを準備してみようか。なんて考えながら眺める空は、やっぱりカラリとして、とても気持ちの良い青空だった。