変わらない、変わりたい 夜の帳が下りてから大分時間も経ち、今や空の天辺には艶やかに月が光り輝いている。月明かりによって漸く足元が見えるような部屋のさらに奥。窓も無い物置部屋は橙色の小さな室内灯によって照らされている。
「あれ…やっぱりねえな」
物置部屋からあちこち物を引っ張り出しては首を捻る長身の男は、最後に諦めきれないようにザッと散らかった部屋の中を見回す。が、お目当てのものは見つけられなかったのだろう。心なしかガックリと肩を落としながら部屋の電気を落とす。
パチリ、と音を響かせてスイッチを押せば部屋の中はたちまち薄白い光が差し込むだけとなる。
「ゴーキン」
「おっジュラルドン。どうした?月光浴はもう良いのか?」
ベランダに通じるガラス戸を器用に開けて、のっしのっしと音を立てながら自分の方へと歩いてくる白銀の相棒に、長身の男の正体であるキバナは、優しく笑いながら話しかける。いつもならもう少し月夜を浴びて楽しんでいる筈なのに、体調でも悪いのだろうか。そう、少し心配になってじっとこちらを見つめてきているジュラルドンのボディをチェックしようとした瞬間。
「ゴー…キン!」
数回、えずくような動作をしたと思ったら。キバナが先程まで懸命に探していたステンレス製のカレー鍋がひしゃげた姿で床の上へと吐き出された。
「…お前…お前なぁ…」
「ゴーキン」
スッキリした!というような顔で彼なりの満面の笑みを浮かべてくるジュラルドンに、キバナは怒るに怒れず肩をガックリと落とす。いつもはこの部屋でイタズラなんてしないからと、油断をして鍵も掛けていなかった自分が悪いのだ。そう思っても、目の前にある鍋の成れの果てを手に取る気力も無かった。
このジュラルドンの悪癖は今に始まった事ではない。本来ならジュラルドンは自然の岩石を食べ、その中にある鉱石類や金属類を栄養として成長していく。人と共に暮らす彼らの場合は、そういった成分が入っているフードや金属類を混ぜて食事とする。ジュラルドンも例に漏れず、普段はキバナの用意した食事で不満を漏らすことはない。しかし、時折何かしらの本能が騒ぐのか。家の中にある金属や電化製品類を齧ってしまう事が時折あるのだ。大抵は、齧った後に「やってしまった」という顔でキバナの方を見るのだが、今回は何だかそれとは違うようで、まるで彼は自分の意思でキバナのカレー鍋をひしゃげさせたようだった。
「お前もこの鍋、オレさまが大事に使ってたって知ってただろ」
「……ゴ」
「明日、久しぶりにダンデとキャンプだっていうのに、どうすりゃいいんだよ」
「…ゴッ…ゴー!!」
ダンデの名前が出た瞬間、ジュラルドンが声を荒げて足を踏み鳴らす。滅多な事では怒らない、陽気な彼らしくない様子に、キバナは何かがおかしいと考える。
「ジュラルドン」
「ゴーキン!」
名前を呼ぶと、踏み鳴らす動作をピタリとやめて「なぁに?」というようにキバナの方をじっと見つめてくる。
「ダンデ」
「ッゴッゴー!ゴーキン!!」
「おいおいおい!待ってマジで床抜ける!ステイジュラルドン!止まれって!」
ダンデの名前がキバナの口から放たれた途端、まるで赤子の癇癪のようにジュラルドンはドンドンと床を踏み鳴らしながら怒りを露わにする。それを宥めるようにジュラルドンの脇の下へと腕を通し、ヒョイっと持ち上げる。ライトメタルという性質もあり、見た目よりも簡単に持ち上がるのだ。体が急に宙に浮いた事に驚いたジュラルドンだったが、キバナに持ち上げられているのだと気付くと、一転して嬉しそうに顎をガチャガチャと打ち鳴らす。これは、彼が一等嬉しい時に行う癖だ。とりあえず床に大穴が空く事態は免れたらしい。キバナは、ご機嫌に自分の腕の中で金属音を鳴らし続けるジュラルドンを抱えながら、ホッと息を吐くのだった。
◇◆◇
「なんだ。キミの方もか」
次の日、朝食を終えた後にキバナはダンデへと電話をかけた。ジュラルドンが「ダンデ」という単語を聞くたびに謎の癇癪を起こした。という事を、スマホロトムの画面越しに伝えると、思っても見なかった返答があり、キバナはきょとりと瞬きする。
「こっちもな、何故だかキバナの名前を口に出す度に…っこらこら!やめるんだリザードン!」
ギュルルル!という、まるで幼体のポケモンが出すような鳴き声が聞こえてきたと思ったらスマホロトムの画面が鮮やかな橙色で埋まる。どうやら、リザードンが何かしらダンデへと仕掛けているらしい。
「おい、大丈夫か?!」
「大丈夫だせ!何故だかキミの名前を聞くたびに、甘噛みしながらオレが動かないように体重を掛けてくるんだ」
膝の上にリザードンの頭を乗せ、宥めるように撫でるダンデは、何故だか少し嬉しそうだった。
「これ多分、拗ねているんだと思うぜ」
「拗ねる?」
「最近、オレとキミが仲良しだからな。相棒の座を取られるんじゃないかって思っているのかも知れない」
子どもの頃、怪我した野生のココガラを保護して、付きっきりで面倒見ていた時にも同じような事があった。ここまで酷くはなかったが。なんて事を聞いて、キバナは漸く昨日のジュラルドンの行動に合点がいったのだった。
チャンピオンと、そのライバル。ダンデがチャンピオンを降りるまでは、世間の目もあり大っぴらに交流する事は勿論、少しでもプライベートな関わりを持てば耳障りな囀りが四方八方から浴びせられる事になる。それもあって、二人が顔を合わせるのはフィールドの上のみと言っても間違いなかった。それが変わったのはガラルの空を王冠が舞ったあの日だ。その日を境に、二人は今までの距離を、まるで駆け足をするように縮め始めた。 自分達にとっても大きな変化だと感じたのだ。ポケモン達にとっては、もっと大きな変化だったのだろう。特に、一番近くで過ごしてきたジュラルドンが取り乱す程に。
「とりあえず、オレの方もこんな感じでちょっとリザードンが落ち着かないんだ。悪いんだが、もう少し落ち着いてからキミのところに顔を出すぜ」
「ああ。オレさまも、もう少しジュラルドンと話してみるわ」
それきり、ぷつんと音を出さなくなったスマホロトムをポケットに仕舞って、キバナはリビングの端の方へと目を向けた。
「…ジュラルドン」
「……」
キバナがダンデと通話を始めてから、部屋の隅で大人しく、ただ静かに座っていた彼を殊更優しい声で呼ぶと。果たして彼はとても悲しげな顔でキバナの方を見つめ返してきた。
「……」
「ジュラルドン、おいで」
もう一度呼ぶが、やはり彼は動かなかった。その姿を見て、何だか堪らなくなったキバナはゆっくりと彼の方へと足を進める。いつもなら嬉しそうにかちりと合うはずの目線は、少しも合わなかった。
「もしかして、ダンデと最近よく会ってるのが嫌だったのか?」
暫くの沈黙の後、是。と言うようにガチャリと一度だけ首を縦に振る。
「じゃあ、ダンデのことが嫌い?」
否。ブンッと音がするくらい首を横にに振る。嫌いな訳では無いと知り、少しだけ安心する。
「もしかして、オレさまとダンデが最近仲良しだったから寂しかったか?」
スイっと声はないまま、ジュラルドンは視線をキバナの方へと向ける。相変わらず返答は無かったが、ずっと相棒として過ごしてきた仲だ。ジュラルドンがどんな表情をしているのかなんて、すぐに分かった。分かってやれる筈だったのに。
「あのな、相棒の座はお前にしかやれねえよ。ダンデと仲良くなったからって、お前達を蔑ろになんて…してるように感じたからこんな事になってんだよな」
ごめんな。
真っ直ぐに目を逸らさず、真摯に。心からの謝罪だった。
「ゴーキン」
いいよ。とでも言うように、ジュラルドンは一声鳴いた。本当はジュラルドンにだって分かっているのだ。キバナが自分を、家族であるポケモン達を蔑ろにするなんて事は、天地がひっくり返ってもあり得ない事だ。そうと心の奥底で分かっていても、大好きなキバナがダンデといると、自分が今まで見た事ないような表情ばかりするもんだから、どうしても不安になったのだ。だから、態と試すような事をした。彼が一等大事に子どもの頃から使っていた鍋をひしゃげさせてまで。
「ゴー…」
「優しいな。お前達はいつでもさ」
テーブルの陰から心配そうに見つめてくるコータスに、ソファに寝転がりながらも聞き耳を立てているフライゴン。他の手持ち達もきっとキバナ達の様子をひっそりと見守ってくれていたのだろう。いつもの様子に戻った気配を察してか、ふたりの元へと集まってくる。
「お前達もごめんな…大丈夫、お前達とはずっと変わらねぇよ。だから、ダンデとも仲良くしてくれるか?」
ひとりひとりの頭を撫でながら伝えると、皆、嬉しそうにキバナの手に擦り寄ってくる。
「後、ダンデのことで…お前達に相談したいことあってさ」
内緒話をするように屈み、小さな声で伝えられた言葉に、ポケモン達は大騒ぎになるのだった。
◇◆◇
「みんな、どうしたんだ?」
結局、ダンデがリザードンと共にキバナのマンションに降り立ったのは昼を過ぎてからだった。朝、画面越しで見た拗ねた姿なんて嘘だったんじゃないか。そんな風に錯覚するくらい威風堂々とした姿でダンデの後ろに立つリザードンを見て、キバナは申し訳ないと思いつつ、笑いを噛み殺した。どうやらあちらも丸く収まったらしい。
昨日からのこともあるので、今日はこのままキャンプには行かず、互いのポケモン達と一緒に家でのんびりと過ごす事にしたが、ダンデがやってきてからずっと、キバナのポケモン達はソワソワと落ち着きが無い。
特にヌメルゴンが、今までに無いくらいにキラキラとした表情でダンデの側までやってきて、そこからずっとキバナと交互に眺めながら楽しそうにしている。
「どうしたヌメルゴン」
「ヌッ!」
「あー……気にしなくて大丈夫。暫くしたら落ち着くと思う」
気にしないで!というように返事をするだけで、ヌメルゴンが嬉しそうな意味が全く分からないままだった。何故かキバナの方が焦った顔をしていたが。
「ヴァ…」
「ヌッ?」
「ヴァーグ」
「…ヌメ!」
戸惑うダンデを見兼ねてか、静観していたガブリアスが仕方ないというようにヌメルゴンへと声を掛ける。暫くふたりで言葉を交わした後、ヌメルゴンは何だかより楽しそうな表情で、ガブリアスに連れられてバルコニーの方へと歩き出した。
「何だったんだ?」
「まあ、女子には女子の世界があるって事だろ!」
「…そんなものだろうか?」
「そんなもんなの!あっ、この間言ってたカントー地方のバトル映像見つかったぞ!見るか?」
「見たいぜ!!」
テレビのスピーカーから流れるバトルの音に、昼寝をしていたポケモン達も集まり、部屋の中は一気に騒がしくなる。そんな部屋の片隅で、ゆったりと日光を浴びながら、ジュラルドンは顎をガチャガチャと鳴らすのだった。