そして囚われる 視界の端にふと見慣れた色の外套を見付けた。夕暮れ時とはいえ、まだ人手もそこそこある街中で、あの男の姿をすぐに見付けることが出来たのは、触れた者しか見ることの出来ない傷の影響だ。
周囲の気配を察することができるので、ごった返しているような場所でなければ誰かとぶつかるような無様は晒さずに済んでいる。それでも視界の悪くなってきた街中で、その姿を見付けることが出来たのは自分でも少し意外だった。気配を消すことに長けているあの男が本気になれば、きっと人混みに紛れてしまうなど造作も無い。だからこそ、まるで見付けられることを望んでいるような男の行動に好奇心を刺激されて、カインは深緑の外套の消えた路地へと足を向けた。
表通りとは異なり、街灯の届かない路地は奥に行くほどに暗さを増していく。歩みを進めるにつれ、通りの喧騒が遠くなり、暗さに慣れない視界が一瞬で暗転した。
「……ッ」
「随分と不用心だな」
気配には敏感なつもりだった自分が、容易に背後をとられただけでなく、喉元にひやりとした感触を感じて息を詰める。背後から漂ってくるのは、微かな火薬の匂い。
「……脅かさないでくれ、ブラッドリー」
「こんなもので脅かされるようなタマかよ」
ふ、と息を漏らすように吐かれた言葉は普段よりも低く、どうやらあまり機嫌がよくない様子だった。
「こんなところで、何をしてたんだ」
話題を変え、何気なさを装って後ろを振り返ろうとすると、ピリッとした痛みが首筋に走り思わず動きを止めた。ようやく見えたかに思ったその顔は、外套と同じ色のフードで隠されていて、表情を窺い知ることは適わなかった。
「別に。くしゃみで飛ばされたついでに、一杯ひっかけて帰る途中だったところだ」
こうも分かりやすい嘘を吐くことがブラフなのか、真実なのか。普段からカードゲームでいいように遊ばれている自分には、判断が付かなかった。ただそれでも、首筋に当てられたナイフの切先が、冗談では無いことだけは流石に理解できた。
「そうか。勘繰るような真似をして悪かった。ただ、アンタの姿が見えたから気になっただけで、他意は無いんだ」
「へぇ、そうかよ」
軽く両手を挙げ、降参するようなポーズを取って見せると、ややって首筋から刃が離れていくのを感じてそっと息を漏らす。ナイフの閉じる音を背後で聞きながらゆっくりと振り向くと、目深に被ったフードの奥で底光りする双眸とぶつかった。
「後をつけられるのは好きじゃねぇ。今回は見逃してやるが、次は無いと思え」
丹力の無い者であれば震え上がるような、低い恫喝と、鋭い視線が向けられる。深追いすれば、言葉通りに容赦なく牙をむくことが分かる張り詰めた空気に一瞬気圧されてしまった。
思わず謝罪を告げようとした唇を寸でのところで結び、思いとどまる。一体何に対しての謝罪なのか、と自問する間に、誇り高い北の大盗賊は薄暗い路地の奥へと消えていってしまった。
翌日の朝、挨拶後に見えた眠たげに欠伸を噛み殺す姿を見て、カインはほっと胸をなでおろした。何となく気にかかり暫く様子を窺っていたものの、肉を多めに要求してネロに面倒くさそうにキッチンから追い出されてきたその表情はすっかりいつものブラッドリーだった。
文句を言いながらも不機嫌を引きずることはなく、美味そうに肉をほおばり相好を崩す。
魔法舎で過ごしている姿に慣れてくるとつい忘れてしまいがちだったが、昨日見せたあの顔もこの男の本性だ。今はこうして自らの利になることが多いから此方側にいるというだけで、いつその立場が翻ってもおかしくはない。そんな今更の事を思い知らされたようで、昨日は妙に落ち着かない夜を過ごした。しかし、そんな気持ちも普段と変わらない男の様子を見ていて安心したのか、気が付けば意識はブラッドリーから逸れていた。
アーサーの手伝いを終えて夕食を済ませる頃には既に深夜を周り、手早く入浴を済ませて寝支度を整えているとふと物音が聞こえた気がした。窓に近付き、閉じていたカーテンを僅かに避けて外の様子を窺うと、中庭に人影を見付けて小さく息を飲む。
フードを被ったそのすらりとした長身がぴたりと足を止めて振り返るのが見えた。
赤紫色の双眸が、此方を見上げている。
月の光で逆光になっているその表情は見えない。それでも、目深に被ったフードの下から覗く鋭い眼光が、自分を見ているとはっきりと分かった。
「……っ」
カーテンから手を離し、窓から一歩に二歩と下がると同時に、カーテンの向こう側に見慣れたシルエットが映る。
「よう、てめぇも懲りない奴だな」
窓の施錠を解くことなど、この大盗賊にとっては朝飯前だ。開いた窓から音も無く床に降り立った男の口元が、ゆっくりと持ち上がる。
ゆったりとした歩みは、さながら獲物を狙い定めた肉食獣のようだった。自分のテリトリーである筈の室内から、一刻も早く脱出しろと本能が警告を放つ。
目の前で立ち止まった男の手が、予備動作無く伸ばされて胸元を突き飛ばされる。
「知ってるか?」
ベッドの上に倒れ込んだ身体の上に影が落ち、脚の間に膝をついた男の重みでベッドが軋みをあげた。
「好奇心は猫を殺すって」
頤を捕まれ見上げた視線の先に、夜の雰囲気を纏ったブラッドリーの表情が映る。目深に被ったフードから赤紫の瞳が獰猛な光を帯びるのが見え、鳴らした喉の音がやけに大きく聞こえた。