ビスケットとかさ 犯人らしいことしてやろう誰も勘違いしないくらい。
脱げないようにパーカーのフードをぎゅっとすぼませて、病院の外に出た瞬間警察を蹴り飛ばした。
コートをめくったけど拳銃は持っていない、重たいブーツの踵で顔面を何度か踏みつけ前歯がおれたのが見えた。
ホルダーから鍵をとり、外した手錠を警察にかけスマホを奪い、走って赤信号を渡りながら2人分のスマホを放ったらトラックが砕き去る、これでしばらくは。
室内庭園にいたときはあんなに晴れていたのに重たい春の雲が空を覆ってる、ルフィもサボもはじめて会った日はこんな感じだったな、素敵じゃないけど劇的だった。
まだ大丈夫、まだ隠せる、まだ一緒にいて大丈夫って散々引き延ばして今日が来たんだ、思い出は今日までで十分、もういい会えなくたって。
ハットリクリニックがある街とおれらの地域は遠い。
なるべく人の家の庭や細い路地を走りフェンスを超えガードレールを飛び越え道路を突っ切り路駐してる車から電話中の運転手を引きずり出し高速に乗ってうちのほうに向かい、公園に乗り捨てて一直線に昔ルフィと住んでたアパートにたどり着いた。
警察はまだ追ってきてない、裏手にまわり脆い窓を割って中に入る。
住人を追い出しサボの私有地扱いになってたが手入れも掃除もずっとしてない、久しぶりの我が家は湿っぽくて柔らかくてものすごく臭くて、床の真ん中に転がるプラスチックのカップが3つともくすんでいた。
隠し通しちゃいけねえことだちゃんと償わねえといけねえ。
押し入れを開くと大量の羽虫が飛び出した。
かまわずそこに手を突っ込み、青いビニールシートで覆われ、透明なセロハンできつくぐるぐるまきになった大きな塊を引っ張り出す。
強烈な酸っぱい匂いのそれを引きずったところにくさりかけカビの生えた床に黒いシミがべっとり後を引いた。
セロハンを剥がそうとしたけどいろんな滲出液がべとべとしてて無理、開けた方が犯人っぽいと思ったのに。
プラスチックのカップをひとつ持って床に寝っ転がり数を数えた。
1から数えて100でまた1に戻る。
パトカーの音は聞こえないし近所も全然騒がしくない。
捕まるまで寝てよう、虫とカビと苔まみれの天井を見上げながら、ルフィと過ごした時のことを思い出した。
ルフィに会ったのは個人経営のコンビニで深夜バイトしてる時。
高校行く金なんてない。
親戚に追い出され、どうにか雇ってもらったそこで生活費を稼ぐもののいろいろ難しいこと言われて毎日深夜出勤で月5万しかもらえていなかった、いつも腹減ってたし家の電気はつかなかった。
その日もいつも通り備品チェックして、たまに来る客にくせえと怒鳴られて、トイレ掃除して日付超えたら店内のゴミをまとめて裏口まで運ぶと、おれよりちょい年下っぽい男がゴミ箱のそばでビスケットを頬張っていた。
それがルフィ。
店のビスケットだ、レジを通していないし来店していたことすら気づかなかった。
排気口の下に縮こまってしゃがみ、生ぬるい風にあたりながら息もつかずにビスケット詰め込むルフィはこっちに気づかずばりばりばりばり必死に食べてて、一瞬おれがそうしてるのかと思った。
背中にはくたびれた麦わら帽子、足元には顔をすっぽり隠せるトナカイのかぶりもの。
おれはゴミ袋をその場に置き静かに店に戻り、ケースの中であったまってる肉まん3つ全部とあったかい棚のお茶を袋に詰めてまたルフィのそばに立った。
「忘れ物」
頭に袋を乗せるとごくっとビスケットを飲み込む音が聞こえ、ルフィは顔を上げずに袋を持ち胸に抱えた。
ベタベタした頭をしっかりめに撫で、ゴミ袋を捨てて店内に戻る。
レジの椅子に座り、しばらくうたた寝をしながら秒針の音を数えていたら、被り物をしたルフィがにこにこ隣に座り込んでいた。
「ん」
「にししっ」
「あったかくなったか?」
「あったけえし、うまかった」
こいつさっきも今もいつ入ったんだろう、いつの間にかレジの中に入ってきてるし。
またかぶりもの越しに頭を撫でるとおれの膝に顔を乗せてきたからしっかりめに撫でる。
「1ヶ月風呂入ってねえのに」
「おれ2週目。雨降んねえよな最近」
ぱっとおれを見あげかぶりものをとったルフィの濡れた左目の下に大きい傷がある。
「家賃とスマホ代払うので精一杯でよ。年金も保険も払えねえ」
「おまえ家あんのに臭えんだな!ひゃひゃひゃっ」
「ねえの?」
あごの下に手の甲を差し込むとルフィは歯を見せて笑って内緒話をはじめた。
「ルームシェアしてたんだけどな。親いねえもの同士」
「うん」
「ひとり隠れてドラッグやってたんだ。なんかヨガ?か宗教かわかんねえけど、そこからもらって、紅茶に垂らして飲んでたらしくてよ」
「んん?」
「いや詳しく知らねえんだ、おれが電車乗ってス…シゴトして帰ってきたら他の仲間が教えてくれて。もうその時には家封鎖されてて。そっからホームレス。へへっ」
「自主するから110してくれってか?」
「いやちちちちげえよ!募金?とか、おとしもの?とかあつめる仕事だ、仕事!」
「へーいい仕事だな稼げんのそれ」
「電車乗ってんの旅行客ばっかだから結構いいぞ!お土産の袋持ってるやつ狙うんだ。おっきいリュックのうしろに隠れてびゅぴゅっとな。にししっ腕伸びてるって言われるくれえうまく盗めるぞ」
「やっぱスリじゃねえか離れろおれの財布とる気かよ!」
「あっ!いやとらねえよ!レジからもう抜いたし…!」
「あ"あ?!」
「ああっ!」
口を手で覆ってあたふたしてるクソガキにゲンコツをしてほっぺをつまむとむにゅーっと少し伸びた、おもしろいなんだこれ、むにゅむにゅ遊んでるとまばたきよりはやくポケットに腕を伸ばしてきたからぺちっと叩き落とした。
トナカイをかぶり、返すから許してくれよと札をポケットからばらばらと出して走って店を出て行ったルフィを追いかけるか、警察に届けるか、強盗に肉まんあげちまったどうしようかと思ったけど、レジに金を戻して自分の財布から肉まんとお茶とお菓子の代金をいれた。
おれだって仕事見つからなかったらゴミ箱の横でビスケット齧ってたかもしれねえから。
その日のバイトの帰り道につけられてそのまま家に入ってきたから、それからずっとルフィと一緒。
警察に突き出しときゃよかったんだ、未成年の強盗なんて大した罪じゃねえだろ、おれと一緒にいるよりずっと腹一杯メシ食えてたはずなのに、サボともあんな出会い方しなかったのに、変に同情するからこんなことに、なんて、今更。
雨の音がするのに真っ赤な夕焼けが見える。
目が覚めてしまった、こんなどう見てもおれがやりましたな状況なのにまだ捕まってねえらしい。
寝返りをうち、バラバラに溶けかけた死体が入ってるブルーシートをみるとなぜか真っ白な煙で覆われていた。
大きくむせ返りながら目をこすろうとすると腕から赤くねばっこい泡が吹いていて、背中がつめたい。
立ちあがろうとするも息ができなくて頭がまわり床に突っ伏す。
痛くて霞む視界の端っこにサボがよく飲んでいたスコッチの瓶が割れている、遠く響くパトカーと消防車の音が左耳からしか聞こえない、おれはようやくあたり一面が火の海になっていることに気がついた。