クリプトナイト 人間そう簡単に変われるならインチキメンタルクリニックなんかとうに潰れてる。
よく晴れた夜、木造の平屋に忍び込み、居間で座布団を重ねて寝っ転がりテレビを見ていた。
今頃エースはタバコの番号を間違えて客に怒鳴られてる。
要領も悪けりゃ不愛想なくせに毎日文句も言わずに働いて、ルフィがいたらいいなんて。
こんな聖人を裏切るのだけはつらいと思うのにおれはまだ毎日駅前でスったり民家に忍び込んで遊んでる。
エースは朝仕事から帰ってきて、冷蔵庫の中が封の開いた冷凍ウィンナーとか肉団子とかカニクリームコロッケとかで充実してても、いつの間にか洗剤やスマホの充電器が増えてても、高そうな日本酒の瓶と知らないプラスチックのカップが3つ並んでても未だにおれを信じてスリも盗みもしてねえって思いこんでる。
帰ってきてすぐちゅーをねだるようになっちまってさすがにちょっと居心地が悪い、いねえと生きていけねえってくらいだっこしてくる、エースは一体おれの何を信じてるんだろう、このままじゃだめだもうそろ出てくか、一緒にいるなら物盗りやめるかしねえと。
そうはいっても習慣はおそろしくて、なんの緊張感もなく畳の匂いを楽しみながら人ん家でテレビを見てるんだけど。
冷蔵庫に入ってたモンスターを飲みながらテレビのチャンネルを変えると、この地域限定の通販番組がやっていた。
細長い吸引器具。
そこになにか液体つめて吸うのだとか、合法で、規制前でだからなんちゃらかんちゃら…体を起こし、蚊帳のなかでいびきかいてる家主が起きないようにちょっとだけボリュームを上げた。
今朝エースがバイトから帰ってきて、お疲れ様と手つないでちゅーしてやってたら、チーズケーキ持ったおばさんとおじさんが訪ねてきた。
ふたりとも靴だけはきれいなまんまボロボロの服を着ていて、買ってくださいお願いしますと膝ついてエースの服の裾を引っ張って身の上話をはじめた。
どうみても宗教の訪問販売員なそいつらをどう追い返すんだろうとみてたら、まさかのまさかエースは苦しそうな顔しながら大変ですよねおれも金がないんですけど…と言いながらポケットに手をつっこんで財布出しはじめたからおれが販売員を追い出した、とんでもねえバカだ。
「ルフィはケーキ嫌いか」
「カマンベール王子なんか嫌だショコラ姫なんちゃらもクリームパンもチェリーパイも嫌いだ」
「そうか、さっきの人たちかわいそうだし、ルフィにもなんかいいもん食わせようと思ったけど」
「いらねえエースの豚汁がいい」
「うっ?あっ、ルフィ♡ぅう…」
抱きつくエースに適当に返事をしながらそっと玄関を開けて外を伺うと、少し離れた草のかげで、ワゴンに寄りかかったおじさんとおばさんが細長い棒を吸って吐いてを繰り返していた。
電子タバコにしては吸引器が長いそれを頬が凹むほど吸い込みながらこっちを見ていたからわっ!と大きい声を出すと、ワゴンを引きながら走って逃げていった、エースはひとりじゃこんなちっぽけな闇さえ跳ねのけられないのか、離れられない理由がまたひとつ累ったのが今朝。
その怪しいやつが吸ってた怪しいものが今深夜のテレビでながれてる。
いびきの合間からすてきなうたい文句が流れてて、その吸引機で吸われてるものは何かとスマホで調べてみると大麻のある成分にあれやそれやをくっつけたもんだった。
ロビンが吸ってたやつ…ぽーねぐりふがどったらこったら言っておかしくなってたって聞いた、大麻に混ぜ物しただけだろ?こんなちょびっとの量でそんなになるまでやばいもんなのか?さすが田舎、ゴミ箱みてえだ、悪いもんは全部ここに流れついて、最後はおれらに襲いくる。
それを避ける術をエースは知らない、やさしくて強いけど、闇の中にのまれたらきっとずぶずぶ引きずられる。
通販番組の合間に挟まるCMに見覚えのあるロゴが小さく見えた。
とんでもなく大きな財閥の避暑地なんて噂の屋敷に忍び込んだとき、門から玄関まで繋がる長いレンガの道で同じロゴを見たことがある。
警備員が何人も常駐してて中に入るのは諦めたけど、いかにも金持ってそうな噴水があった。
その屋敷のロゴがどのCMにも貼り付いてる。
CMが開け、吸引器具じゃなくて人殴って殺せそうな分厚さの本の紹介が始まった。
あの財閥がかつて支配した国の寓話があーだこーだ。
立ち上がって座布団やリモコンを元に戻し、蚊帳の中でいびきかいてる家主を確認して、タンスの中の貯金全部ポケットに入れて中庭に出た。
砂利じゃなくて大きな石のところを歩きながら考える。
…いいんじゃねえのか、最後に一番悪いことしたって。
いや悪いことか?金持ちからちょびっと金もらうだけだ、悪いことして何兆も稼ぐようなやつの家から数万消えるだけ、何にも悪くねえ。
むしろいいことだろ、おれが盗むのやめたらどうなる。
エースはまた1日一回お湯に腐りかけた豚肉浮かべて食うだけになる、風呂に入れなくなって寒くて暗い部屋で眠ることになる、客に罵られて土下座させられて帰ってきても誰も抱きしめてくれなくなる。
あんな薄給でこき使われて、郵便受けが悪いやつの掃き溜めみたいになってても馬鹿正直で真っ当なやつなんだ、それがあんな生活してるほうが悪いだろ、神様も仏さんも当てにならねえ、おれに悪いことすんなって言うなら今目の前にメシをよこせ、奇跡でも見せろ、エースじゃなくてお前らが土下座しろってんだ、そうだろ?
だからあの屋敷に忍び込んで盗んでやるんだ。
あんな屋敷から一回ガツンと盗んじまったらほかの家がしょぼく見えるはずだ、2人で暮らしたってお金も困らない、そしたらきっとやめれる気がする。
そうだもともとエースに会う前からやめようと思ってたんだ、こんなことしねえで普通に働いて生きられるはずなんだ。
だから次が最後、最後なんだけど、別におれが人のもの盗むのは、貧乏とか理不尽とか、生きづらさに向かっての正当防衛ってやつだから…
星も月も一切見えないのに明るい夜だった。
中庭を抜け公園に出て、ダミーの監視カメラの前を堂々と歩く。
いつどうやって警備員を巻いて屋敷に入ろう、気絶させるか?いやだめだバレちゃいけない、でもやってやったって言いたいくらい完璧に盗んでやりたい、夜じゃなくて昼間は?弾む足が抑えられない、はやくあの中に入って大事なもん全部とりあげねえと。
エースのために、なんて免罪符は吹っ飛んで、その日から数日おれはエースの家と屋敷を往復した。