あの角を曲がって、公園沿いのコーヒーが美味しいらしいとにかくその日は、気付剤としてコーヒーを求めていた。
「ブラック、largeで」
「…お兄さん本当に言ってる?」
「…え?何か?ああ、豆か、えっと…君のおすすめでいい」
目の前に手を翳されやっと顔を上げた。白い壁に緑が飾られた出窓のようなところからはいいコーヒーの香りがする。目の前にいる紫の青年は眉を顰めてこちらを見つめていた。
「クマ、やばいよ。コーヒー飲んだら急性カフェイン中毒起こさない?」
「あ、ああ…心配してくれたのか…ありがとう。しかし、今日中に論文を完成させなければならなくって…えっと、一気に大量には飲まない、だから大丈夫だ」
「そっか。気をつけて」
お金を払うと彼はドリップを始める。引き立ての豆は香ばしい香りを伴ってあたり一面に芳しい香りを乗せて広がった。我はベンチに腰をかけると肺いっぱいにその香りを吸い込んで息を吐く。
「お兄さん、お兄さん。」
「…ん?」
寝てしまっていた。
「コーヒー入ってるよ。あとね、これあげる」
「あっ…!?」
「5分位しか経ってない。安心して。これも一気に食べちゃだめだよ。ゆっくり、でもちゃんと食べてね。……論文終わったらまたきてね」
コーヒーと、蝋引きの茶色の袋が入った紙袋を渡される。
「でも」
「いいから!俺のコーヒーで倒れられたら困るだけ!初回サービス!」
ぐいぐいと押し付けられた紙袋からはいい香りがした。
時計を見るとあと10分くらい。急がなくてはならない。
研究室に戻ると同じく虚ろな目をした研究メンバーが仮眠をとっている。
紙袋を開けると、甘い香りに誘われてアイアが声をかけてきた
「わ、すごいシナモンロール。どこで買ったの?」
「あー、もらったんだ。コーヒー屋に」
「コーヒー屋が作ってるの?」
「わからないが……今度真相を確かめに行こうと思う」
「いいわね。未来の欲望は今を生きる糧だわ!」
そうして夜までかかった論文はなんとかまとまり、速達の郵便に預けられた。
「助かった……」
昼間の暖かいコーヒーは溶け切れぬほどの砂糖に吸われ、シナモンロールは跡形もなかった。正直あの巨大なシナモンロール、本当に助かった。
なんと言ったかあの店員。女神のような声と顔だったことしか覚えていない……
だめだ、とりあえず…今、は………寝よう。
そこから色々あって気がついたら1ヶ月。
カフェイン耐性がない我は実はあまりコーヒーを飲まない。犬の散歩中にカフェの前を通って思い出したのだ
相変わらずの心地いいコーヒーの香りと、今日はバターの香りもする。ケーキを焼いているのだろうか
「こんにちは」
「はい、いらっしゃいませ」
「先日あなたにシナモンロールをもらったんだが…」
「あ!サイボーグのダンディなお兄さん!」
「大変助かった。美味しいコーヒーとケーキをありがとう」
「よかった。倒れてないか心配になっちゃった。今日は?コーヒーにする?」
「実はあまりカフェイン耐性がなくてね、デカフェか紅茶…何かおすすめは?」
「そうだね、俺のおすすめは自家製ハニージンジャーティーかな。うちで生姜をつけてるんだ」
「じゃあそれにしよう」
「かしこまりました、それだけでいい?」
「このいい香りのケーキは?」
「ふふ、お目が高いね。ダンディケーキ、今焼いてたの」
店主は網に乗ったホールのケーキを見せてくれる。
スコッチウイスキーとオレンジ香り。
「故郷のケーキだ」
「え?そうなの?焼きたては食べられないけど…在庫あるよ」
「こんなところで出会うとは!いただくよ」
「わ、嬉しい。運命みたいだね。中に入って…って言いたいところだけど…」
いい子で伏せっている大きな犬に視線が行った、
「ベンチが良さそうだね。今持ってく」
「あ、テイクアウト……」
犬をわしゃわしゃ撫でていると素敵なカップとケーキをトレーに乗せて彼は現れた。
「お待たせしました。hehe、俺の分も入れちゃった」
立ち上る蜂蜜の香りは優しく、メガネの奥ではにかむ彼ととてもマッチしている
「店はいいのか?」
「いいの、最近いい後輩が入ったから」
ウイスキーが美味しい店があること
イギリスから来たこと
先日のぐちゃぐちゃなシャツより今日の方がイケてること
何故ああなったのかという話
シナモンロールに助けられたこと。
気がついたらたくさん話していた。
びっくりした。
我が気の置けない友人のようにすらすら喋ってしまったこと。
とっくにカップも皿も空だった。
「浮奇は聞き上手だな、喋りすぎてしまった」
「そうかな?ファルガーの話、すっごく面白かった。さすがセンセイさんだね」
「生徒は寝てるのばっかだよ。今度は君の話を聞かせてくれ」
「俺の??…ん、今度はプライベートでね」
「そうか、んーー。じゃあウイスキーを飲みに行こうか」
「…ん、」
そんな会話があったなあ。と、コーヒーの香りが漂うキッチンで思い出した。
今じゃあ朝のコーヒーを淹れるのは我の仕事だ
「おはよう、うきき。朝食にしよう」
「…ん、おはょ…」
消え入るような語尾に思わずほっぺをもちもちと弄ぶ。
「今日は割と新しい豆の特徴を捉えたんじゃないかと思う」
「ほんとぉ…?んぅ…香りいいねぇ……」
起き抜けに濃いコーヒー。PB &J。
猫と犬に朝ごはんをやり、愛しい恋人のいるベッドに腰をかけた、
「それでね、フリオはルームメイトのために1日分のコーヒー仕込んでから職場来るんだって」
「ああ、レンチンコーヒーの」
「インスタント置いても全然減らなかったらしい。ウケるよね」
「それだけフリフリのコーヒーがレンチンでも美味しいんだろうなあ」
「ふふ、俺はふふちゃんのコーヒーも好き」
「それは愛が詰まってるからだ」
「ふふちゃんは朝ごはん食べた?」
「食べたよ。ブロッコリーチーズスープを飲んだ」
「えらい」
夕飯の残りを温め、硬くなったパンを付けて食べた。
あの頃は食事も何もかも疎かだった。
「それじゃあ行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
軽く唇を合わせれば、絶対合わない歯磨き粉とコーヒーの味。
これもまあクセになる。
コーヒーとケーキが我の未来を変えた。そんなお話しだ。