寝癖なおし:司レオ メガスフィアの朝は早い。――というより、もはや朝や夜といった概念はあったものではない。
突如として開始された前代未聞の配信番組は、あっという間に非日常を日常にしてしまった。
信じ難いことに、巨大な施設群は今でも常に空中を漂っているのだという。どんなに意識したところで、思うほど浮遊感は感じられない。それでも、気持ちが多少なりとも浮き足立ってしまうのはきっと、どうあってもこの一ヶ月間を共に過ごせることが決まっているから、なのだろう。普段なかなか一緒に過ごすことができない人と。
「いえ、まあ、あの人なりに、普段から割とまめに連絡はいただいている方なんでしょうけど……というかこんな言い訳じみたことを口走る必要はないのでしょうが……」
せかせかと早足で進むと、不意にずぶりと足元が沈み込む感覚がある。
「はっ⁈」
そういえば、ここは何処なのだろう。眼前に広がる青空に、当然の疑問が脳裏をよぎった瞬間、独特の浮遊感が身体を襲う。これは、もしかして、落下しているのでは?
「わーーー⁈」
♪
勢い良く飛び起きた拍子に、ばさり、と毛布がベッドからこぼれ落ちた。
「ゆ、夢……」
呆然と呟くと、ゆっくりと実感が追いついてくる。何度か瞬きを繰り返して辺りを見回せば、そこはメガスフィア内に設けられたKnightsの居室だった。どうやら、未だに慣れない環境にあって、おかしな夢を見てしまったらしい。
肩まわりに寝違えたような違和感があり、ストレッチをするようにぐるぐると関節まわりを動かしてみる。そこで、かさりと音がして、ベッドの上に散乱している無数の紙に気が付いた。――それから、普段感じないような熱源の存在も。
「わーーー⁈」
夢の中で上げたような叫びが実際に喉から溢れ出て、寝起きの頭が一気に覚醒する。
「……レオさん⁈」
司のベッドの中で紙に埋もれて眠っていたのは、月永レオその人だった。
「んーーー?」
唸り声が一つ。ぐずるように何度か額を枕に擦り付けたかと思うと、パチリ、と音がするかのように大きな瞳が開かれる。
「はっ、スオ〜? なんでおれのベッドに??」
「逆です逆!」
不思議そうに問うレオに、司はつい声を荒げて答える。居室に備え付けられているベッドは、ロフトに二つと床に三つ。ロフトのベッドの片方にレオは陣取っているため、現在の状況は、レオが司のベッドに入っていた、ということだ。
「ちょっとぉ、司ちゃん? まだ早いじゃない……」
「あ、すみません、鳴上先輩……」
隣のベッドから聞こえたくぐもった抗議の声は、定めた起床時間とは異なるからか、そのまま起きてくる気配はない。
ふと、散らばった紙――レオの楽譜と「Knights作戦会議議事録」の山の中で、筆跡の異なるメモがこれ見よがしに置いてあることに気が付いた。曰く、『そいつを上に引き上げるのとかムリだから、そのまま置いとく。先に寝落ちしたかさくんが悪いから』とのことだった。
「うう、不覚でした……」
昨日の夜のことをようやく思い出す。司のベッドの上で紙を広げ、この奇妙で大規模な番組について、ユニットとしての作戦会議をしていたところ、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。レオも同様に眠ってしまったのか、はたまた作曲に夢中になってしまったのか……どちらにせよ彼の本来の就寝場所である上段のベッドへ引き上げることは諦めて、他の三人も眠りについた、ということだろう。
「あーーなるほどな! ごめんごめんっ」
「いえ、私も先に眠ってしまったようなので……」
まだ夜が明けきっていない、薄闇の時間帯だった。嵐は毛布を引き寄せて再び眠りについたようだ。凛月は掛け布団に包まっていて姿は見えないが、深い呼吸に伴ってゆっくりとその塊が上下するところが見てとれる。泉からは、早朝のジョギングに行ってくるとメッセージが入っていて、綺麗に整えられた空のベッドのみが残っていた。
なんか目が覚めちゃったよな〜、と笑うレオと連れ立って、司も洗面所へ向かう。そうして、鏡に映ったその姿を見た瞬間、どちらともなくくすりと吹き出した。
「これは……」
「ちょっと芸術的すぎるな!」
並んだ二人の髪は、「爆発」と形容したくなるような有り様に加えて、鏡合わせのように対称的に癖がついた状態だった。
「これさ、多分スオ〜がこっち側にいて、こうやって頭をつき合わせて寝てたからなんじゃないか? ほら、なんか一致するかも!」
楽しそうに頬を寄せてくるレオを、司はぐいと押しのける。
「ちょっと、遊ばないでください」
洗面台の前で肩を触れ合わせるように並んで、ひとまず簡単に手櫛で前髪を整えながらも、これはなかなか強敵のようだ、と司は嘆息した。レオはヘアブラシでわしわしと自身の髪を撫で付けながらも、不思議そうに鏡越しに司を見つめている。
「でも、スオ〜って普段はそんな寝癖すごいタイプじゃないよな? 寝相もなんか、いつ見てもお行儀良いしさ」
これまで度々仕事などで同室になった時のことを思い出しているのだろう。照れや気まずさが入り混じった感情から、ひとの寝相を観察しないでください、と司は抗議の言葉を入れる。
「……恐らく、ですが、誰かと同じベッドで眠る、なんてことは久しく無かったので……若干寝違えた感覚がありますし、寝癖もそのせいかもしれません」
「たしかにっ、おれもここまでひどいのは久しぶりだな〜」
かくして開始した寝癖との戦いは、互いに苦戦を強いられることになった。
「……普段あまり寝癖直しをしないので、経験が不足している、ということでもあるのでしょうが……」
「うーん、ドライヤーとかもやったのに頑固な寝癖だな〜誰に似たんだ⁈」
レオも同様に、途方に暮れたようにヘアブラシを持て余しているようだ。
「もういっそ、目立つ部分はhair pinなどで留めてしまった方がいいのかもしれませんね? 若干打算的ではありますが、普段と違う髪型をしていたら新鮮に見えるでしょうし、配信の話題になるかもしれません」
司はそうして、自身の左サイドの髪を耳に掛け、ヘアピンで固定する。
「あー、なんか髪型の話はけっこう、誕生日の配信でも言われたんだよな〜。みんな見てみたいって感じだったし、受けは良いかも」
「確かに、レオさんは長めなのでarrangeしやすいのではないですか?」
「うーん……見たいって言ってくれるのはありがたいんだけど、やっぱりちょっと面倒くさい! 撮影とかならともかく、普段とか、パフォーマンス中とかだと、普段と髪型が違ってるとちょっと気になっちゃうかもだし、どっか引っ掛けたりしたら、多分自分じゃなおせないしな〜」
匙を投げるという姿勢を体現するように、レオはヘアブラシを放る。
「ちょっと貸してください」
レオの手から離れたブラシを拾うと、司は彼の背後に回る。そうしてそのまま、レオの長めの髪に指を通し、できるだけ丁寧な動きを心掛けて、ブラシを上下させた。
「う、なんか……くすぐったい、かも」
はにかむレオの反応から、司はふいに、かつて弓道部で世話をしていた子猫のことを思い出した。自分に懐いてくる動物にいだく庇護欲のような、むず痒い感情が胸をかすめる。
「鬣のようですよね」
「わはは、レオだからっ?」
何度も髪を梳いて、普段のレオのシルエットに近付けていくものの、ぴょんと横に飛び出る一房がやはりどうにもならないようだった。
「……私もあまり得意ではないので、このあと鳴上先輩か瀬名先輩にきちんとやっていただきましょうか」
ひとまず、といった体で、司の指が器用に、飾り気のない黒のヘアピンで、レオの右サイドの癖毛の箇所を固定させた。
「……どうですか?」
「うん、良い感じだ!」
おずおずとした問いに、満面の笑みが返ってくる。
「直すのは大変だったけど、ちょっと楽しかったな! 今度また、どのくらい芸術的な寝癖作れるか挑戦してみるか!」
「みません‼︎」
♪
「う〜〜ん、とりあえず髪型に関してはそのままで、セッちゃんにもナッちゃんにも直してもらわなくていいから、二人で配信カメラの前で今の話をしてきたら、今日の分は上がりでいいよ〜」
「凛月先輩⁇」
「リッツ⁇」
【終】
早朝にこういう配信を見て「??」てなりながら出勤したい