お互いの浴衣(または襦袢)姿にドキッとするむざこく これは未だ付き合っていない頃の無惨と黒死牟の話。
地方への応援演説の帰り、台風により公共交通機関が全てストップしてしまった。黒死牟は1本早い便で帰った方が良いと何度も無惨に言っていたが、ギリギリまで候補者の演説に同行し、有権者と笑顔で握手していた。
ぽつりぽつりと降り出した雨は一気に暴風雨に変わり、そのまま高速道路は一部土砂崩れにより通行止め、電車も新幹線も止まり、本日中の復旧は絶望的だと言う。タクシーもなかなか捕まらない状態で、タクシー待ちの列にいる間に見つけた旅館は、1室だけ空いている状態だった。
「同じ部屋でも構わんだろう?」
「はい」
無惨に言われ断る理由はないが、黒死牟はちょっとだけドキドキしていた。
どうしよう、同じ部屋で布団並べて寝るのか!?
向かった旅館の空いていた部屋は、半露天の部屋から丸見えの風呂が付いている、やや豪華な客室だった。
「……狭いより良いだろう」
「はい……」
キングサイズのベッドの部屋でなかったことだけが唯一の救いである。ちゃんと布団は別々で眠れるので、良かった、と黒死牟は胸を撫で下ろした。
部屋に上がる前に、無惨はずくずくに濡れたスーツを脱ぎ始めた。
「む、無惨様!?」
思わず声が裏返ってしまう。平気でボクサーパンツ1枚の姿になった無惨はイラッとした様子で答える。
「脱がないと部屋が濡れるだろう。濡れたままで部屋に上がるなよ」
「……はい……」
尤もな意見である。しかし、引き締まった背中が美しく、お尻小さいし、足、長いなぁ……と、その見事な後ろ姿を眺めていた。
部屋に置かれていた浴衣を持って無惨はスタスタと半露天に向かう。
「え!? 入るんですか!?」
「……この格好のまま大浴場に行けというのか?」
「いえ……」
もう、何もしゃべるな、自分……そう思いながら、無惨の入浴中に取り敢えず浴衣を纏い、カウンターに行って二人分のワイシャツのクリーニングと、スーツを急ぎで乾かし、アイロンを当ててもらうよう頼んだ。
再び部屋に戻ると、無惨は未だ入浴中のようで、湯けむりで曇ったガラスの向こう側に無惨のシルエットが見える。
そして、シャワーの音が止まると、檜の湯船に浸かる音が聞こえた。窓の向こう側の景色は大雨で、暗い空しか見えないだろう。憂鬱そうな無惨の表情を浮かべると、何だか面白くなってきた。
その間に夕食は部屋食で手配し、ウェザーニュースを見ながら、明日の予定を東京に残っている事務所のスタッフと電話で相談し、電話を切った瞬間に黒死牟のスマホが鳴った。
画面を見て驚いた。それは当時付き合っていた彼氏からの電話である。
黒死牟は無惨の前から急いで席を外し、襖を閉めた玄関で、小声で話した。
「あぁ、こっちは大丈夫だ。うん、明日の便で帰る」
無惨の地方演説に同行すると言っていたので、台風の進路を気にしてくれていたようだ。そんな話し声が無惨にも聞こえたのか、無惨はそーっと襖を開ける。
「巌勝、お前も風呂に入れよ」
「無惨様! いや、違う! 悪い、また掛け直す!」
黒死牟は大急ぎで電話を切った。
「私がフリーなのに、お前に恋人がいるなんて生意気だ」
そんな我儘があるか? ぶん殴りたい気持ちを必死に抑える。
大体「フリー」と言っても特定の恋人がいないだけで、めちゃくちゃ遊んでいるくせに……と黒死牟は余計にイラッとしてきた。そ?な黒死牟の頬をつんつんと細い指先で突いてくる。
「雨で冷えただろうから、お前も風呂に入れ。それから飯だ」
そう言って風呂上がりの無惨は呑気にビールを飲み始めた。ムカつくくらいのマイペースぶりに負けないように、黒死牟は豪快に浴衣を脱いで半露天へと向かった。
黒死牟が風呂から出ると、大きなソファの上でうつらうつらしている。
「そろそろ料理が来ますよ」
「うん……」
かなり疲れた様子だが、仲居の用意した食事を見て少々目が輝いた。
しかし、黒死牟が濡れた髪を乾かさないまま、乱雑に纏め席に着いたので、無惨はじっと髪を見つめていた。
「髪が傷む」
「乾かしていると料理が冷めてしまいますので……」
食い気が優先の黒死牟だ。豪華な食事を前に髪の毛なんて、どうでも良い。
しかし、無惨はぐいっと黒死牟の腕を引っ張って、鏡台の前に座らせ、ドライヤーで髪を乾かし始めた。
「いや、無惨様、自分でしますから!」
「気になって仕方無い」
そう言って、軽くドライヤーでブローする。指先に髪を絡めながら、手櫛で整え髪を乾かしてもらっていると、ふわふわと心地好くなってくる。鏡越しに無惨を見ると、真剣に黒死牟の髪を触っていて、その妙に色気のある表情にドキッとした。
2人で揃いの浴衣を着て、風呂上がりの髪を乾かしてもらう。これってまるで……と心臓がバクバクしてくるので、落ち着け! と何度も自分に言い聞かせた。
心地好くて、ずっとこのままでいたいと思ったが、黒死牟は「料理が冷めてしまいます」と無惨を止めた。
「そうだな」
無惨は僅かに湿り気の残る髪を撫で、自分のポーチからヘアゴムとヘアピンを取り出し、器用に纏めた。
無惨は満足そうに席に戻って食事の続きを始めたが、黒死牟は複雑そうに鏡を見つめている。
襟足の後れ毛がセクシーな、湯上りの艶姿風の纏め髪……この人、付き合った彼女全員にこんなことをしてあげているのだろうな……と思うと、ときめきを通り越して、ドン引きである。
こんな髪型を筋骨隆々の自分にしても意味がないだろうに……と思うが、浴衣姿のせいか、自然とはんなりとした仕草になってしまう。
それに引き換え、向かいの無惨は、きちんと羽織袴まで自分で着ることが出来るというのに、浴衣を着崩して楽な格好で舟盛りの刺身を食べている。その美しい見た目に反して仕草が男らしいので、そのギャップにいつもドキドキさせられている。
「日本酒でも頼まないか?」
「良いですね、冷酒で良いですか?」
「あぁ」
そう言って、黒死牟は電話で注文する。すぐに仲居がガラスの徳利とお猪口の地酒を持ってきた。
料理も無くなり、酒と乾き物のおつまみだけを置いて二人は飲んでいたが、疲れからか酔いが回り、黒死牟はふわふわと良い気分になっている。頬をほんのりと赤く染め、先程の苦情を言った。
「彼氏との電話中に、巌勝、なんて名前で呼ばないで下さいよ。それでなくても、うちの彼氏、誤解しているんですよ」
「何をだ」
「俺と無惨様がデキてるんじゃないかって」
その瞬間、無惨は飲んでいた日本酒をぶっと吹き出した。
「お前、言って良い冗談と悪い冗談があるぞ」
「だって……」
おしぼりで手を拭きながら無惨は黒死牟を睨む。
「まぁ、俺がつい『無惨様がかっこいい』って言ってるから誤解されちゃうんですけどね……」
そう言いながら、黒死牟は机に伏せて寝てしまった。気持ち良さそうに眠る黒死牟を見て、無惨はぼそっと呟いた。
「こんなことされたら私も誤解するぞ」
静かに黒死牟を抱き上げ、隣の寝室に運んだ。既に布団は敷いてあり、ゆっくりとその上に寝かせる。はだけた襟元から鍛えた胸元が見え、そんな逞しい体とは不似合いなほど、顔は幼く、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。
襟元を直してやろうと掴んだ時、無惨はじっと黒死牟を見つめ動きを止めた。手を離し、ゆっくりと黒死牟に覆い被さり、寝息を立てる唇に静かに唇を近付けたが、何もせずに離れた。
そのまま横に座り、黒死牟の右手を掴んで指先に軽くキスをした。
「おやすみ」
そう呟いて、無惨は部屋の灯りを消して隣の部屋へ戻った。
翌朝、黒死牟は布団2組使って大の字で寝ていた。
「……えっ!?」
飛び起きて隣の部屋に行くと、無惨が畳の上で寝ている。
真っ青になり、朝の挨拶より先に土下座し謝罪した。
「お前も布団で寝るなら、先に寝た私も運んでくれたら良かったのに……」
「申し訳ありません……全く記憶がなくて……」
どうやって隣の部屋に行ったかも解らないと首を傾げている。無惨は大きく伸びをして、最上階にある大浴場へ朝風呂に入りに行った。その間に黒死牟は洗顔し、フロントにスーツを取りに行く。
その際、無惨の私物のヘアゴムで髪を結び直し、ヘアピンをこっそり自分のスマホケースにしまった。何の変哲も無い黒いヘアピンだが、無惨が自分の為に私物を使ってくれたことが嬉しかった。
昨日の大雨が嘘のように露天風呂から見る空は晴れ渡り朝焼けが美しかった。
どうしてあんな嘘を吐いたのか解らない。だが、どうしても同じ部屋で並んで寝ると、自分を抑える自信がなかった。
こんなモヤモヤした気持ちは生まれて初めてだった。絶対に責任を取らせてやる、そう思いながら少し熱めの湯に肩まで浸かった。